ー2022年ー
2022年
12月
28日
水
還暦オヤジになった同級生8名で雑魚寝の旅
先月、兵庫県南あわじ市の料理民宿にて、昭和55年度卒業の天理高校柔道部同窓会(54会)を開催させていただきました。コロナ禍により暫く開催出来なかったため、久しぶりの同窓会でした。
まず開催に際しまして御尽力いただきましたI君・M君に心より御礼申し上げます。また集まった全員に感謝いたします。
さて同年度の柔道部同窓生は14名でしたが物故者が2名あり、残り12名の中から8名の参加があり、(途中からはリモート参加も1名あり)1泊2日の柔道部寮生活型同窓会でしたので、当時と同じように一緒に風呂に入り、詰め詰めの布団で雑魚寝です。3年間、寝起きを共にした友人達とでなければ、こうはいかないでしょう。
全員が弱くなった酒をそれなりに飲みまくり、夜が更けるまで現況報告と昔話に花が咲きました。
卒業から40年以上も経過した、還暦という節目の高齢者に仲間入りしかけたタイミングでの同窓会でしたが、皆が集まると、あっという間に高校の寮生活時代の関係に戻り、60歳を過ぎた大人が、ここでは書けない昔の酷いニックネームで呼び合い、失礼極まりないことを言い合い、ふざけ合いました。
高校時代の寮生活は毎日が苦しみの連続でありましたが、反面、大騒ぎの連続でもあり、様々な楽しかったエピソードが昨日のことのように蘇り、語り合いました。
何十年経過してもこれほどまでに無邪気になれるとは、柔道部の寮生活で過ごした3年間がいかに濃密だったかがよく分かりました。
と、ここまでは同窓会のよくある風景で次は2次会の運びですが、還暦を過ぎますと体力も昔のようにはいかず、午後6時過ぎから始めた宴会も午後10時前には全員が疲れ果て、寮生活型同窓会でしたので当時と同じ雑魚寝で、一人また一人と次第に寝始めました。
雑魚寝と聞いた時から多少の想像はしていましたが、それにしても私を含めて全員が、イビキ、寝返り、寝言、唸り声、オナラ、壁を蹴る、交代で入れ代わり立ち代わり何度もトイレ行きの連続で酷いありさま。結果は全員が何度も目覚めて睡眠不足になり、夜中にアイコンタクトをしながら苦笑いを重ねました。
なかでも一瞬の恐怖を感じたのが無呼吸症候群です。
早めに寝たY君・S君・M君のイビキが急に止まったかと思うと、しばらく呼吸をしなくなります。水面から顔を出した時のようにグハッ!!と呼吸を取り戻し、すぐに回復はするのですが、中にはなかなか呼吸が戻って来ない奴もいて、だんだん不安になり、「おい、もしかして死んでるんちゃうか?」と隣のI君に声を掛けて、夜中に二人で真顔になりながら、静かになった同級生の顔をジーッと覗き込みました。
グハッ!!!と呼吸が戻って来たのを確認して、「生きてる・・・」と胸を撫で下ろしました。笑
朝起きてからお風呂で皆と話すと、結局は私も含めほぼ全員が無呼吸症候群でした。
物故者の2人も、きっと昨夜この同窓会に来てくれていたとの前提で、朝ご飯を食べる前に参加者全員が黙祷しました。起きている間は絶え間ない会話、寝ている間はイビキの嵐で昨日以降ずっとうるさかった私達でしたが、初めて1分程の静寂が訪れました。
この瞬間私は、懐かしいM君K君の二人が異次元への門を通過し帰って行ったような気が微かにしました。それぞれがどんなことを想ったことでしょうか?
朝食後に、今後は健康に留意して命ある限り毎年11月に集まろう!と決議したのちに解散になりました。
三々五々、帰路に就いたわけですが、後日に連絡を取り合うと、帰宅した日の夜は一同、寝不足と疲れと飲み過ぎで、久しぶりに一度も起きずに朝まで爆睡したらしいです!(笑)
本年もたいへんお世話になり誠に有難うございました。心より深謝申し上げます。
このブログで本年のブログの〆とさせていただきます。
来る令和5年も皆様方のご多幸をお祈り申し上げると共に変わらぬ御厚情をお願い申し上げます。
(関連ブログ:恩師 加藤秀雄先生を偲んで>> 祈りが通じた日>> ゴールは無い>> 戻りたくなぁい~!!!>> 苦労と葛藤を一番したのは誰?>>)
3年間、寝起きを共にした友人達とでなければ無理な距離感!
2022年
12月
11日
日
当社の一期一会
皆様もご存じの通り、茶道を源流とした「一期一会」と言う言葉があります。
簡単にまとめますと、「今日という日は二度と無い」と考え、「人と人との出会いを大切にして、日々の出来事を当たり前にせずに、感謝の気持ちを持って生きて行こう!」というような考えです。
ところで人生100年時代と言われますが、昨年還暦という節目を迎えたこともあり、この「一期一会」という言葉が日に日にリアリティを帯び、強く意識するようになってきました。かけがえのない人生の日々を、ありとあらゆる物事との関わりにおいて、もっともっと意識的に大切に過ごしていくようにしたいと改めて一層強く思います。
さて今回は当社の日々の業務の中で「一期一会」を実践している事を少し紹介したいと思います。
当社の工場は商材を全国に向けて出荷している関係で、北は北海道から南は九州まで様々な地域の長距離トラックの運転手さんが、大阪に来た帰りの便で積み込んで行ってくれるため、トラックの出入りが毎日のように絶えずあります。
日本全国で約100万台以上と言われている長距離トラックの運転手の方は、ほとんどの場合、当社の積み込みには二度と巡っては来ないたった一度きりの出会いです。
だからこそこの一会を大切に思い、大したことはできませんが、出来る範囲でのおもてなしをしましょうという含意で、10年以上前より皆さんに、その時々に品物は変わりますがタオル等をお配りしています。
また本社やサ高住のほうでも同じく、お客様にも一度きりの業者の方にもご来所の全ての方に、ボールペンやらマスクやらをお配りしています。
その他にも以前にブログに書きましたが、ウェルカムボード>>もその一環です。
その一方で、当社は来年より年賀状は廃止させていただく旨のお知らせを出させていただきました。
近年、虚礼廃止やSDGsのペーパーレスの名目で年賀状をやめる企業が増えていますが、当社もその社会情勢に鑑みて決定した次第です。
若い社員などは、メールやラインなどを通じて、お得意先様との関係を築いているようです。その方が年賀状よりも意思疎通が出来て良いかもしれません。
コミュニケーションツールも手紙→電話→FAX→メール→Zoom等に時代は変化しているので、年賀状離れが進むのは当然なのかもしれません。
今まで当たり前だと思っていたことが、どんどん早いスピードで変わって行きますね・・・。
あと日本の企業で行われている主な虚礼として、お中元お歳暮の他に、飲み会、葬儀や通夜への参列などもありますが、こちらもコロナ禍の影響もあり激減しているかと思います。
そうすると、やはり人付き合いの頻度は減少してしまいますし、今まで年賀やお中元お歳暮で時期が来ればシステマティックに繋がっていた縁が、虚礼廃止により油断すると切れやすくなってしまうでしょう。
だとすると、ビジネスパーソンは今まで以上に先方を気にかけ、虚礼でも形式的でもない自分の気持ちやタイミングで(新しい情報を手に入れたり、ふと気になったりしたら)連絡してみるなどして縁が切れてしまわないようにすることが大切になりそうです。
(関連ブログ:歓迎>>)
2022年
10月
26日
水
「退職の日、背中に羽根が生えた」
昨年末に還暦を迎えたこともあり、懐かしい同級生の方々と連絡を取り合ったり、お会いしたりする機会にも恵まれました。
その中でも特に印象的だったのが、とある公的機関で今春まで奉職されていたA君と、近所の居酒屋で互いの人生について交わした会話の中での彼の言葉です。
「奉職最後の日、定年退職の辞令を受け取って機関の門を出た時、背中に羽根が生えて飛び上がれるのではないか?!と思うほどの爽快感に包まれると同時に達成感が込み上げて来た。今後は今まで我慢してきたことを、退職金を元手に全部やって老後を謳歌したい!」との言葉でした。
彼の言葉と声からは、職務を全うした人間の満足が伝わって来ました。
A君は公立大学を卒業後、公的機関に入職し、以降38年間にわたり、それはたとえ休日のプライベートであっても「税で給料を賄っている公的機関の職員である」という自覚のもと、在野の方々からの視線を常に意識し、自分自身を厳しく律するとともに、自負とプライドを持って人生を歩んで来たそうです。その自重自戒の心は自分だけではなく、家風のようにご家族にまで及んでいたそうです。
私には到底出来ないことだし、かなり厳しくそして我慢の連続であったろう事が言葉の端々の表現とニュアンスで想像できました。しかしその分、定年を迎えてみると最高の達成感を手に入れることの出来た素晴らしい生き様であったのだと思います。
「立花の還暦を迎えた感想はどう?」と聞かれて、
「経営者には一応の定年が無いので、まだ還暦の実感は無いな。経営は『たえず見直し』の試行錯誤の連続の毎日なので、失敗も多い分、施策が上手く行ったときは小さな達成感を感じることは無数にある。けれど、お前ほどの達成感は60年間まだ一度も味わったことがない」と答えました。
A君は公職の厳しさや、いかに我慢が必要だったかについて語ってくれたので、私は経営者である俺の苦しさは、波のように止まることなく繰り返し引いてはまた打ち寄せる「孤独な決断の連続」と、「その決断を次々と実行に移して行かなければならないこと」というような話をしました。
すると「立花の人生のストレスは大変そうやね?やりたいことは出来るかもしれんけど俺やったら到底無理やし、そんな環境やったら病気になって死んでしまうわ!?決断も組織で議論したうえでの総意やしな!単独ではようやらんわ!」と返って来ました。
そこで私も「お前みたいな我慢や厳しさは無理やわ!?それこそストレスで病気になって死んでしまうわ!?」と応酬し、旧友の驚愕するほどの厳しさや信念そして憧れるほどの達成感と、自分自身の生き様を対比させながら、どんな人生にもそれぞれの立場に基づいた表面からは見えない苦しさと葛藤が常に付きまとうことを今更ながらに実感しました。
また我々日本人の「勤勉、詫び、寂び、控え目、謙虚」というような美徳の原風景を旧友に見たようで感慨に打たれました。
あまり飲めなくなった酒をちびちびと酌み交わしながら、新しい価値観を持った若い方々には通用しないようなお互いの今迄の生き様を讃え合って、やっと還暦を少しだけ理解し始めた次第です。
(関連ブログ:還暦のマインドセット>>)
2022年
9月
28日
水
今更ですが営業電話の基本
台風14号が過ぎたころから、朝夕は涼しくなり、すっかり秋めいて来ました。
まず私事ですが、今年の夏は7月の終わりごろから体調を崩し、入院もいたしましたが、爽やかな秋風と共に体調もほぼ快復し、心地よく感じられる日常を取り戻しています。ご心配や多くのお声掛けを賜り、心から御礼を申し上げさせていただくと共に、ご不便をお掛け致しましたこと心よりお詫び申し上げます。
【実際にあったこんな営業電話】
さて近頃、営業電話について疑問に思うような経験がいくつかあったので、社内教育の為にも、今更ですが営業電話の基本について書いてみようと思います。
まず私の実体験を羅列してみましょう。
1. 私の入院中に、名刺交換済みの方から会社へ営業電話がありました。事務員が私は入院中であることを伝えると、「じゃぁ携帯の方へかけても良いでしょか?」とのこと。
(入院中にまでかけて来る営業電話に気分を害さない人が、この世にいるでしょうか?!)
2. 折り返し電話が欲しいとの伝言をもらったので電話をすると、協賛のお願いの電話でした。
(自分の頼みごとをするために相手に電話を掛けさせるのですか?!それで頼み事がスムーズに行きますか?)
3. 折り返し電話が欲しいとの伝言をもらったので電話をすると、寄付のお礼でした。
(お礼を言うために相手に電話をかけさせるのですか?!もう笑うしかない!)
4. 人間ドックを受けた翌日その健康クラブから電話がありました。「いつもお世話に~」の挨拶を聞く間ももどかしく、早くどこが悪いのか言ってくれ!とジリジリしていると、サプリのご案内でした。
(膝から崩れ落ちそう!)
5. 車を運転していると、車に搭載された専用通信装置に080の番号からコールがありました。現在の車に乗って3年ほど経つが初めての経験です。初回は無視したのですが、後日またかかって来たので恐る恐る通話ボタンを押してみると、その車メーカーのオペレーターからの営業電話でした。
(車の通信装置を使って、運転中だと分かったうえで営業電話!酷い!)
以上全て実体験ですが、これらの事例に共通しているのは、相手の状況や気持ちを全然考慮していないという点です。
「折り返し電話が欲しい」との伝言をもらうと、たいていの人は何かあったのかな?と心配しながら、全てのタスクを一旦後回しにして電話をかける時間を作ります。
ですから自分側に用件がある場合には、電話口の相手から「折り返し電話をいたしましょうか?」と尋ねられても、決して相手からの折り返しの電話を求めてはいけません。
電話口の相手は電話対応のマナーとして、折り返し電話が必要かどうか聞いているだけなので、たとえ長幼の差や年功の序列が存在していたとしても、緊急性の無いことや重要な連絡事項がない限りは、自分の要件で相手に電話を求めるのは失礼です。
また相手に無用な心配を抱かせない為にも、「〇〇の件でご連絡いたしました」と伝言に付け加えることも必要です。
【携帯への営業電話】
また、名刺交換はしたものの、まだ信頼関係を築けていない間柄で、営業電話を会社の電話番号ではなく直接携帯にかける営業マンもいるかと思いますが、私はそのような営業はしません。
「今の時代、会社にかけても居留守を使われる場合が多くて、なかなか上にまでは取り次いでもらえないことが多い」との嘆きも聞きましたが、携帯にまで(出先にまで)営業電話をしてもロクな結果にならないので、はっきり言って時間と労力の無駄です。
電話を取り次いでもらえないのは信頼関係が出来てないからですので、別の営業の方法を再考してみる必要があるかもしれません。
【営業電話以外のアピール方法】
たとえば私が昔から今日まで何十年間も続けていることですが、名刺交換した相手には必ず後日、お礼のお手紙を出します。100%です。この何十年間で1人も掛けていないと思います。(もし私と名刺交換して手紙が来なかった方はご連絡ください!)
もう今、私自身が営業の電話をかけることは殆どありませんが、有難いことに他の営業マンは私と同じことをやっていない人が大半なので、その他大勢の営業から少しだけ目立つことが出来、他の営業マンよりも電話に出てもらえる頻度は多かったのではないでしょうか。
それでもやはり電話に出てもらえない場合はあるので、その場合は深追いせず、新商品のパンフレットを送ったり、季節の節目節目に挨拶状を送り続けて、関係を作ったりして来ました。
私自身、とある会社の営業の方から毛筆に和紙で、まるで巻物のような長いお手紙をもらったことがあります。(果たし状が届いたのかと驚きました)
その会社は伝統的にそのような営業をしていることは知っていましたが、実際に貰うと忘れられないぐらいのインパクトがありました。
また、毎朝必ず、業界ニュースや業界の展望を自分なりにまとめてコラムにし、顧客のメールに送り続けた人の話を聞きました。
なるほど、そういう風にして関係を築いていれば、何かあった時にその人に声を掛けてみようと思うなぁ、なるほどなぁと感心しました。
話が逸れてしまいましたが営業の基本は、相手と信頼関係を築くこと。
信頼関係を築くには自分本位ではなく、相手の立場を想像してみること。それがまず基本です。
2022年
8月
23日
火
入院しておりました
先般、7月末より体調を崩し、8月初めよりしばらく入院しておりました。
まず、関係者の皆様にご不便をおかけいたしましたこと、心よりお詫び申し上げます。
今回の入院で特に思ったことは、健康(元気)と人間ドックの結果は別物である!ということでした。
皆様方ご承知のとおり、特にここ2~3年はコロナ禍やウクライナ問題に伴う経済の激動やSDGsの加速により、経営に求められるものが急速に変化するなど、社会の変革のスピードが激しい月日でした。
そんな中、手探りで、新しい時代に対応できる新しい組織作りや戦略、商品を打ち出そうと走り続けて来ました。
人間ドックの結果が良いことを理由に、自分の健康に対して過信し、60歳になった今でも若い頃と同じ働き方や生活をして、無理を続けていたように思います。
昨年のブログ「人間ドック10年目>>」でも書いたように、50歳から10年続けている人間ドックでは、血液検査全般に始まりエコー、CT、MRI、PET、動脈硬化の進み具合や各種のホルモンバランス、体感バランスまで調べており、有難いことに健康問題はこれまで皆無でした。
しかし、健診結果のデータに表れていたことと、体の内で起きていた健診結果に表れない変化とは違いました。
どうやら知らぬ間に蓄積疲労やストレス、加齢等から、体内の免疫力や抗体がかなり落ちていたようです。傷から菌が血液中に入り込み「感染性心筋内膜炎」に罹り入院を余儀なくされました。
今はお陰様で抗生物質の点滴での投与で、血液培養検査のデータからも菌は無くなり、体調はほぼ完全に回復したところですが、体力が後もうひと頑張りという所まで来ています。
今思えば、これまで人間ドックの数値が良かったことから、私は自分の体に対しては「自信過剰」になっており、多少ムリをさせても大丈夫、もし何か問題が発生しても、人間ドックで早期発見して早期治療すれば大丈夫!と事後保全(=壊れたら修理)の意識が強かったかもしれません。
しかし今回の出来事で、そうではなく、予防(働き方の見直し・生活改善・健康づくりなど)に、ようやく取り組んでいく気持ちになりました。
SDGs(サステナブル デベロップメント ゴールズ=持続可能な開発目標)と同様に、私自身が「持続可能」であるために、この先10年15年先を見据えた持続可能な働き方・生き方に前向きに取り組んでいくつもりです。
今回の入院は「人間万事塞翁が馬」で、今の自分を見直し、未来の自分や組織作りを考える良い機会となりました。
2022年
7月
31日
日
空前の人手不足が叫ばれている中の人材採用
今月新たに通所介護サービス(デイサービス)を開業いたしました。
そのため介護スタッフや准看護師等を数名増員募集する必要があったのですが、有難いことに希望通りに人材採用が出来、ホッと胸をなで下ろしています。
【ほぼ当たる未来予測】
未来予測は当たったり外れたりするものですが、ほぼ確実に当たる未来予測があります。それは人口に関する未来予測。人口は余程大きな災害などが起きない限り、急激に減ったり増えたりするものではない為、未来予測しやすいです。
18年後の2040年には日本の生産年齢人口は53.5%まで減少するそうです。(2015年は61.0%)
介護業界の人手不足の深刻化は前々から叫ばれていますが、人口の年齢構成を見ると、今後はお客様よりスタッフを見つける方が難しい時代になっていくと思われます。
スタッフを採用出来る企業かどうかが、事業存続の大きなカギになりそうです。
【当社も採用難を経験】
実は当社もシニア事業を始めて数年目の時に、募集しても応募が無いという厳しい時期がありました。オープニングスタッフは物珍しさもあって比較的すぐに求人採用が出来るのです。ですから介護業界の人手不足をあまり深刻に考えていませんでした。
ところが求人雑誌などに何度か載せるうちに、応募はどんどん減って行くのです。
1週目で決まらず、2週目、3週目と連続で載せれば載せるほど応募は来なくなるのです。
それもそのはずで、求職者は毎週その求人誌が出るたびにチェックしますから、何度も求人広告を出す人気の無さそうな会社には行きたくないから避けるのですね。載せれば載せるほど誰も応募して来なくなるという、求人広告の悪循環です。
その時初めて、これまでたまたま直面していなかった採用難の問題を鼻先に突きつけられました。
結局この時は知人に人材を紹介してもらうことが出来ましたが、この経験を機に、企業が自社をアピールする相手はお客様だけではない、求職者の方々にも常日頃からアピールしていかなくては!という危機感を抱きました。
【ネットを活用して顔が見える会社へ】
今の時代、多くの人は、何かアクションを起こす前にまずネットで検索します。
新しいレストランに行く時も、旅行先を選ぶ時も、新しい歯医者や美容院を選ぶ時も、まず検索して様子を確認します。
仕事先を選ぶ時ももちろん、どんな考えを持った経営者で、どんなスタッフがどんな表情で働いているのか?確認していると思います。
ですから求職者の方々に安心して応募してもらえるように、社長ブログやスタッフブログは出来るだけ頻繁に更新するようにしています。
よくあるのがHPやブログは開設しているのに、もう何年も更新されず放置状態になっているもの。あれは逆効果だと思います。この会社だいじょうぶ?と心配になってしまいます。
せっかくネットを活用してPRをしていても、求人募集する媒体が従来通りのタウン紙や新聞だと、あまり効果を発揮出来なかった印象です。
当然ですが、紙面を見て職探しをする方々よりも、ネットの求人サイトで職探しをする方々の方が、当社のHPやブログにまでアクセスしてくださる可能性が高く、その結果、応募に繋がることが、ネットでの求人広告の方が多い印象です。
【でもやっぱり結局コレが一番大事】
でも結局、求人に最も影響力があるのは口コミや噂話だと感じます。
会社が人口の多い都会にあったり、資格など必要なく幅広い層から募集する業種だと違うのかもしれませんが、資格が必要で、通勤にも車が必要な場所で・・・となったら限られた半径内の限られた人たち、そのコミュニティーの中からの人材採用ということになりますので、結局は口コミの影響が一番大きいです。
口コミを上げるには?
それはやはり、実際に働いてくれている従業員のエンゲージメントの向上(働きやすい環境作りや、やりがいの創出、成長支援など)ではないでしょうか。
あと、今の時代、白黒ルールが決まっている部分は、どこの会社も守っていると思います。ルールが決まっていない部分にこそ、経営者の哲学や会社のカラーが出ますので、その部分が口コミに影響を及ぼすのではないでしょうか。
2022年
6月
07日
火
当社の仙台四郎さま
20数年ほど前に、近所の書店でふと目に留まり、「不思議な福の神、仙台四郎の解明―その実在と世界の分析 なぜ御利益は必ず訪れるのか!?」という本を読んだことがあります。
簡単に説明すると、本にもあるように実在人物である知的障害を持っていた主人公の仙台四郎さんは、いつも笑顔で街中を徘徊していたらしいです。そして四郎さんを温かく迎え入れたお店は結果的に繁盛し、また邪険にしたお店は倒産や廃業していったそうです。
そんな現象が重なって、「四郎さんは商売繁盛の福の神では?」という噂がだんだんと広まり、街中の人気者になって現在ではあちこちのお店や会社に縁起を担いで写真や置物がおかれているというノンフィクションの物語です。
ちなみに欲得尽くで、四郎さんの袖を無理やりに引っぱって引き込もうとしたお店には全く興味を示さず、そんなお店はのちに倒産していったらしいです。
では単純に、四郎さんの写真や置物を置いて拝めば繁盛するのか?というと、そういうわけではないと思います。
例えば四郎さんのような知的障害のある人が、屈託のない純粋な笑顔で、ふらっと店先に現れた時、「他者への理解と共感」を持ったお店は、ふらっと立ち寄った四郎さんの存在を受け入れ、温かさと敬意をもった対応が出来たのだろう思います。
一事が万事で、そんなお店は、全てのお客様に対しても分け隔てなく同じように温かさと敬意をもって接していたので、その結果、益々発展していったのだろうと思います。
つまり既に心の中に「福の神」をお持ちのお店に、四郎さんは好んで行かれたのでしょう。
では、どうすれば全てのお客様に対して分け隔てなく同じように温かさと敬意をもって接することが出来るようになるのか?
他者に対する温かさや敬意は、「他者への理解・共感」があるか無いかだと私は思います。
自分とは様子が違う人、たとえば障害を持った人(世の中には多くの障害があります。視覚障害・聴覚障害・言語障害・重症心身障害・内部障害・知的障害・精神障害・発達障害・肢体不自由・難病・高次脳機能障害)、に対して温かさや敬意を持って接することが出来るかどうか?
その違いは「知っているか、知らないか」が大きいと思うのです。人は知らないことや、よく分からないことは怖いと感じたり、距離を置こうとしたりします。
けれども知識や経験があれば、接し方が分かり、相手が何を苦手としているか、何を望んでいるのか?が分かるようになり、そこから更に想像力を働かせ、相手の気持ちを思い遣ることが出来るようになると思うのです。
当社では30年以上前から障害者の雇用を行っており、少しずつですが採用の人数も増やしてきました。もちろん大変なことも色々あります。
しかしハンディキャップのある彼らが居てくれることで、健常者の従業員が多様な障害への理解を深めたり、他者を見守ることを覚えたり、何度も繰り返し説明する根気強さを身につけたり、分かりやすい説明を心掛けたり、働いてもらいやすいように環境を工夫したり、苦手な部分を手助けする思い遣りを持ったり、色んなことを障害のある彼らから学ばせてもらっているとも感じます。
このような知識や経験は人を成長させてくれますし、心の豊かさにもつながると思います。
その心の豊かさは、先の仙台四郎さんのお話のように、「心の中の福の神」に繋がります。そして「心の中に福の神がいる社員」が大勢いる会社は発展出来る。そう私は考えています。
当社が障害者雇用をスタートさせた1人目の人物のM君は、体力的に働けなくなるまで約約20年間(1990年頃~2012年頃)に渡り軽作業をお手伝い頂きました。
彼が退職した日から、私のディスクマットにはM君の写真が挿んでいます。
直感的に当社の「仙台四郎さま」はM君だと思いました。(お顔もソックリなのです!)
M君が退職してから10年近い年月が経過しM君を知らない社員も増えてきましたが、あの純粋な笑顔を忘れず、私自身も今日このブログに綴った想いを毎日思い出す為にも、今後も引き続きディスクマットに飾らせて頂こうと思いました。
前にも書かせて頂きましたが私は経営者として、ハンディキャップがある人でも働きやすい環境を整えることと雇用の機会を創出していく事が、経営者の「義」であり社会的責任と考えます。そして自社を「心の中に福の神がいる社員」が大勢いる会社にし、皆と一緒に成長していきたいと考えています。
(関連ブログ:障害者について1>>・2>>・3>>)
2022年
5月
25日
水
昨日と同じやり方を今日していたら明日がない
私はよく「昨日と同じやり方を今日していたら明日がない」と社員達に言います。
事業についての現況を少し書くと、ポストコロナの経営を考える>>で書いたように、昨年夏頃から組織改編や人事刷新、また経営資源と経費の見直し、設備の入れ替えなど、矢継ぎ早に会社を「新しい形」へ再構築していっています。
というのも、時代はどんどん変化して行くのに、昨日と同じやり方を今日もして、進化せず止まっていたら明日(未来)は無いと思うからです。
そう書くと、じゃぁ進化するためには何からやれば良いんだ?どうすれば良いんだ?と難しく考えてしまうかもしれませんが、簡単です。
改善の積み重ねが、進化です。
まずは今やっている仕事について、どうすれば効率が良くなるのか?改善出来るのか?を考えることから始めたら良いのです。
昨年末のブログに、ペンキを浴びた私の写真>>を載せましたが、たとえば去年から現在に至るまで、順次、工場や倉庫などのペンキの塗り直しを、私が行っています。
最初は素人同然でした。しかし何回もやっていると上達しますし、さらに効率を考えながら工夫を重ねて改善していくと、進化して今やセミプロの領域になりました。
例えば道具のローラーや筆を塗る面の状況に応じてオリジナルにさまざま改造してみたり、その日の気温に応じて乾く時間を考慮してペンキの濃度を調整してみたり、西日のあたる面は対候性を考えて耐侯剤の量を多くして重ね塗りしたり、床面は滑り止めの砂を塗料に投入したりなどです。
もっと簡単なことでも、気づいて実行出来て前回よりも良くなったら、それは進化です。
たとえば作業前は準備体操を行った方が次の日の筋肉痛が少ないなとか、ストレッチの効いた作業着を着た方が動きやすいなとか、冬場はカイロを貼る位置まで毎回変えて、お腹に貼るのが一番温まるなとか、なんでも思いつくまま出来得る限りのことをやってみました。
まずはそんな小さいレベルからで良いのです。改善の「積み重ね」が大事です。
昨年から時間を見つけてコツコツ行っている工場のペンキ塗り。
素人の私でも工夫して改善を積み重ねるうちに、セミプロレベルになりました。
2022年
4月
16日
土
悪ガキ達の罪滅ぼし
先般、1歳上の幼馴染の友人から10年ぶりくらいに電話がありました。
実はその友人は地元の商工会シニアクラブの役職をされていて、昨年の秋頃にクラブから私のもとへ入会の案内状が届きましたが辞退させていただいた関係で(※還暦のマインドセット>>)、電話をくれました。
お互い生まれた家が隣同士だったこともあり、特に小学校卒業くらいまでは毎日のように遊んでいて、当然のように昔話に花が咲き1時間ほど話させていただきました。
「二人で近所の池で、あちこちから木を集めて筏を作って浮かべて遊んでいたら、警察官に注意されたり、草むらに秘密基地を作って寝てしまい帰るのが遅くなって消防団の探索騒ぎを起こしたり、落とし穴に軽トラックを落としたり(※大きなイタズラ>>)、よその家の土地を発掘と称して勝手に掘ってみたり、挙句の果てには爆竹を集めて“時限爆弾もどき”を作って担任の先生に見つかり、二人とも校長室で泣くまで正座したよな!」
「克ちゃん(私)は確か傘を広げて屋根から飛び降りて大けがしたよな!」などなど、その他もここでは書くことの出来ないような「昭和のトンデモ話」のオンパレードでした。
懐かしさが溢れそうになったとの同時に、「みんなにかなり迷惑かけたよな!」と申し訳なさが込み上げてきました。
彼は「昔みんなに迷惑かけたから、その分の償いで、シニアクラブではまだ飛びぬけて若いけど役職をしているのやで。かっちゃんも入会して罪滅ぼしをせい」と再度、勧められましたが「現役の内はまだ勘弁して!?」とお断りし、「しかし事業を通して社会に貢献していきたい。そして関わるすべての方への感謝を忘れないようにしたい」と思う旨を話させていただきました。
電話を頂いたことで、日常に忙殺され忘れがちになりそうな事ことを再認識させてもらえた日でした。
2022年
3月
17日
木
「まさか」の話と「失敗を糧に」の話
【まさか】
このブログは3月16日に綴っています。数日後にはどんな風に情勢が変わっているか分からないので、日にちを記載しておきます。
昨年秋頃から日本でも、コロナ禍からの経済回復の過程での値上げラッシュが起きていました。
そこに、専門家も「まさか」と思っていたロシアのウクライナ全土を標的にした侵攻が起こりました。
その影響でますます物不足や原油高が起きていますし、日米の金利差もあってドルに対する円の価値の低下が進んでいます。それらにより今後更にあらゆる物の値上がりが予想されており、インフレが加速して行きそうです。まさかとは思いたいですが、スタグフレーションの懸念も浮上しています。
またここ大阪は特に、コロナ感染者数が高止まりの傾向で、消費マインドの回復は見通せない状況です。
おとなり韓国では本日、新規感染者数が1日に40万人を超える数字が出ており、日本のピーク時の約4倍の数字です。韓国の人口は日本の約半分ですから、大変な数字です。
中国でも現在、感染者が過去最多になっており、深圳がロックダウンを実施したというニュースを見ました。
日本の感染者数が春夏に向けて本当に減少するのか?まさかとは思いたいですが、お隣のように更なるパンデミックが起きてしまうのではないか? 心配になってしまいます。
いま社会ではサスティナブル(持続可能)という言葉がよく使用されていますが、サスティナブルな社会とは、災害・パンデミックに対応することが出来る社会、そして戦争が無い社会のことだと思います。
しかし、パンデミック×戦争、さらに×災害など、複合的に「まさか」の大難が襲って来ているのが現在です。
4週間前まで脱石炭が叫ばれていたのに、今や世界が代替エネルギーとして石炭に注目しています。
ある日突然、180度ガラリと環境が変わってしまうような、将来予測が難しい時代です。
「こんな時代にはどんな組織が強いのか?」
考えてみますと、スピード感を持って変容し続けられる柔軟な組織が強いのではないか?と思います。
と言っても現実的には、ある日突然組織がガラリと生まれ変われるわけがありませんし、どのように変化するのが最適解なのかも定かではありません。
ポストコロナの経営を考える>>でも書いたように、毎日少しずつコツコツと見直しを重ねていくことで、時代に適応して行くしかないように思います。
【失敗を成長の糧に】
ところで、ようやく今回の本題、失敗の話です。
誰にでも問題の大小はあると思いますが、私も含めて仕事で失敗する事は必ずあります。
実は今年になって、詳細は省きますが、当社の2事業部で失敗が発覚いたしました。
今回は、私がこれまでの経験で得た、失敗した時にするべき事を書いてみたいと思います。
まず結論としては、いたずらに考え込まずに、すぐに上司に報告・相談することです。
初期対応でさらに失敗しない為にも、「すぐに」報告することが一番大切です。社内だけで対応が難しい場合でも、会社としてプロに相談することが出来ます。
絶対にしてはいけない事は、1人で抱え込み、時間の経過とともにさらに問題を大きくしてしまうことです。
誰しも失敗した当初は焦って1人で考え込みがちで、誰にも知られることなしに解決したいと思います。特に会社への損失が大きければ大きいほど報告・相談がしづらくなります。
しかしこれまでの経験上、皆で問題を共有することによって、自分一人では思いつかなかった解決策が見つかり、思ったより損失が少なく済み、早く問題を解決することが出来たことが過去に何度もありました。
繰り返しますが、1人で抱え込むことは絶対にしてはいけません。
また、起こってしまった失敗に対していつまでも肩を落とすのではなく、前を向いて、同じ失敗を繰り返さないためにはどうしたら良いのか?と、未来志向へ頭を切り替えてほしいと思います。
全てに当てはまるわけではありませんが、失敗やミスが起こる理由はシステム(仕組み)が上手くいってない場合が多いです。
たとえば、とある高速道路のSAの個室トイレでは、スマホや財布などの忘れ物が半年で50件近くあったそうですが、トイレの鍵と小物置き板を一体化させて、板の上に物が置いたままだと鍵が開けられない仕組みに変えたところ、忘れ物は0件になったそうです。
自分や人はなかなか変えられないけれど、システムを変えるのはそう難しくない。
自分と同じ失敗を、他の人が繰り返さないように、新たなシステムを考える。
それが出来たら失敗が、自分や周りの皆や会社の「成長の糧」になりますよ。
2022年
2月
26日
土
大掃除、まだ終わらないんです・・・
数回前のブログで、トイレ掃除について書きましたが、今回は本社事務所・工場全体についての大掃除の話です。
昨年は例年より早くから11月1日より2か月かけて、年末の大掃除・整理整頓月間を始めました。
(通常は12月1日より1か月間、これ以外にも一日かけて行う大掃除は年3回)
というのも、このコロナ禍を機に根本から自社を見直したいと考え、「ポストコロナの経営を考える>>」の回の「まずは身近な小さいところから見直し」の章で書いたように、長年に渡り手付かずのところも今回は手入れし、不良在庫や使っていない備品やら何やらも思い切って捨てるものは捨て、デッドスペースを減らし整理整頓をし易くし、業務効率化を図りたいと考えたからです。(大掃除まだ継続中・・・)
また生産性向上を実現するため、フェルト事業部では原綿の梱包設備を新しいものに入れ替えました。シニア事業部についても大きめの改革を実行中です。(落ち着きましたら正式にお知らせいたします)
また昔から「神様は綺麗好き!掃除は金運を良くし幸福を引き寄せる最高の神事」と言われていますが、私風に言い換えると「お客様は綺麗好き!掃除が行き届き綺麗な会社は信用スコアが上がる。掃除はお客様を引き寄せる最高の営業」という信念があります。
さて大掃除を始めてみると、すぐに私自身に「掃除の神様」が降りて来てくださいました。神様ではなく鬼が降りて来てるかも(笑)
以前にもブログに書きましたが、 私は掃除については大変細かい人間で、陰で社員の皆さんが「地獄掃除」と囁くほどです。
年に何度か徹底的に掃除をする日は、会社の前の道路にも掃除機とコロコロ(粘着クリーナー)をかけるぐらいです。
今回は社長通達の下、全社一丸となりチームワークをもって約2か月かけて大掃除・整理整頓をしたかいもあって、年末には例年を超え及第点以上に達しました。
しかしそれは私が納得のいくレベルではありませんでした。
大掃除をやり進めれば進めるほど新しい課題が出てきて、また次々と理想形が思い浮かび、ゴールポストを動かしてしまうのです。社員の皆さんもそうでしょうが、自分自身でも辟易としてしまいます。苦しいし、しんどいです。
時間の制約もあるし、年齢を重ね体力も以前のようにはいきませんし、寒い日や雨風の日は特に気が乗りません。
もともと、掃除は楽しい~と思って掃除している訳ではなく、自分をなんとか鼓舞しながらやっているので、「今日は寒いから」「今日はやる気が起きないから」と理由を付けて回避したくなってしまいます。
でも何事もそうですが、考えるだけでは少しも現状は変わらないですが、行動に移せば少しずつですが変わって行きます。掃除なんて特に行動すればするだけ成果が目に見えます。
やる気が起きない時は、簡単なことから始めて行くと、行動しているうちに次第にモチベーションが上がってハードルが高いことにも取り組む意欲が湧いて来ます。
そのようにして自分自身や社員の皆を鼓舞しながら、1月末まで大掃除を続けましたが、やはり時間の制限もあり、納得のいくレベルまでは到達出来ませんでした。
結局、アドラーの「嫌われる勇気」を思い出しながら、大掃除を2月末まで再延長し、完成形を目指して今のところ現在進行形です。
「私が一番掃除をしている」ことを免罪符にして大掃除を続けていますが、繁忙期の合間を縫っての大掃除なので、社員の皆さんには忙しい思いをさせていると思います。
しかし手付かずで見て見ぬふりだった場所も、一度リセットした後は綺麗に保とうという意識になりますし、整理整頓が出来た働きやすい環境で、4月1日からの新年度を皆で気持ち良く迎えたいと考えています。
2022年
1月
22日
土
多様な意見の中での経営者の意思決定プロセス
当社は多角経営で、業種で言えば製造業とサービス業を営んでいます。また当社には4つの事業部があり、さまざまな事業を行っています。
そのため色々な職種があり、よって前回のブログで書いたとおり多様な人材が勤めてくれています。
同質な組織に比べ、多様性のある組織は経営環境の変化に適応しやすいという利点がありますが、多様性があるゆえに意見が相違しやすかったり、多様な意識や価値観をまとめるのが難しかったりする場合があります。
そんな時の経営者の意思決定プロセスについて書いてみようと思います。
当社では各事業部長そして役員も含めて 8名ほどで会議することが多いです。
まず会議で重要なのは、皆が自分の意見を安心して発言出来ることだと思います。
事業部の垣根も、立場の上下も関係なく、何でも言いやすい環境づくりを心掛けています。
心理的安全性が低い状態では、人は「バカな意見だと思われたくない」「そんな事も知らないのかと思われなくない」など自己防衛の心理に陥り、同調した意見しか言えなくなります。
立場が上の人達が偉そうにしていては無用な緊張感を抱かせてしまうので、会議の際、ソファーセットに座るのは社員達で、私や専務そして税理士・コンサルの先生方はパイプ椅子に座ります。
会議の冒頭、「みんな揃った?じゃぁ解散!」と親父ギャグを私が飛ばして、皆の苦笑や失笑を買ってから始まります。一番バカな事を言うのが社長の私です。
出て来た意見を頭ごなしに否定したり無理解でいたりすると、次第に意見は出て来なくなり、そうなると私自身、多様な視点から物事を判断することが出来なくなってしまいます。
そのため、ピンと来なかったり、よく分からない意見であっても、社員みんなの当社に入社する前にそれまで過ごしてきた個々の背景や、年代による社会環境や文化の違いなどに思いを馳せ、相手の考え方や価値観、その提案や意見の根底にどんな思いが込められているか、なるべく理解するように努めています。
多様な意識や価値観があるゆえに意見がまとまらないこともあります。
民主主義であれば多数決で決めるのでしょうが、多数派の意見が最適解とも限りませんし、ああだこうだと合意形成が出来るまで話し合っていては時間がかかり過ぎます。
意思決定のスピードこそ中小企業の強みですから、「君ならどうする?」と一人一人の意見を傾聴し、良いと思う点は最大限採用して、後は私の経験と経営感に基づいて、経営資源と社会情勢を加味して、最終案は私が組み立てて決めます。意思決定は早いです。
そこで必要なのが、意思決定をした者の説明責任です。
納得していない様子の社員にはとくに、私の計画や考え方をとことん話します。情報も共有します。
お互いヒートアップして夜遅くまで話し合い、最終的に笑顔で納得してもらったこともあります。
その逆に私の方が説得され「よし分かった。それじゃぁ1年間だけ君のやり方でやってみい。それで失敗したら俺のやり方に戻せよ」となった事もあります。(ちなみにその件は現在も彼のやり方で続いています)
経験はあるけれど、経営者も答を持っているわけではありません。
とくに現在のような変化のスピードが速い時代には、過去の経験や知識が役に立たない場合も多いです。
ですから朝令暮改の繰り返しが常々つきまといます。
政治でもそうですが朝令暮改は批判を受けやすいです。しかし始めてみなければ分からない事というのは多々あり、刻刻と状況が変わって行くこともあり、状況が変化していっているのに朝令暮改の批判を恐れて最初の計画のまま進んで行っては上手くいくはずがありません。
大きな妥協はしませんが小さい妥協や変更はどんどんします。つまり目的は妥協しませんが、そのために計画の変更はたびたびします。
自分がした意思決定が正解か不正解か。そこに捉われると間違えます。
臨機応変に常に見直しながら、自社が進んでいる道を社員の皆とともに自分達の手で正解にしていきたいと日々がんばっています。
<お知らせ>
【3年連続】東京商工リサーチ 優良企業情報誌「ALevel」2023年度版に掲載されました。3年連続で掲載していただく事になり、大変光栄に存じます。
これも皆様のご支援ご高配の賜物と心より感謝申し上げます。
2022年
1月
05日
水
新年あけましておめでとうございます
2022年(令和四年) 新年あけましておめでとうございます。
旧年中は格別のご厚情を賜り誠にありがとうございました。本年も、より一層の精進を重ねて行く所存でございます。重ねて変わらぬご指導ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
さて、私は3年前の新年最初のブログで「ESG課題へ取り組んで参ります>>」という記事を書きました。
その取り組みも年々深化して行っています。(※当社の取り組み>>)
本年もESGそしてSDGsへの取り組みを重要課題と位置付け、「持続可能な未来の実現」に貢献できる企業を目指し、全社を挙げて取り組んで参ります。
とくに本腰を入れて行こうと考えているのが、SDGs13番の開発目標「気候変動に具体的な対策を」についてです。
環境問題はグローバルイシューであり、脱炭素経営は大きな潮流です。
CO2排出量削減&省エネルギー等に更に取り組んでいくつもりです。
また「ポストコロナの経営を考える>>」で書いたように、企業をコロナ前の元の状態に戻すのではなく、聖域を設ける事無く、何事に対してもたえず見直しを行い、時代に合った新しい企業に作り変えてまいります。
ところで年末の12月20日に、お陰様で還暦を迎えました。
「還暦」を調べてみますと、干支・十干の組み合わせが60年で一巡することから、「元の暦に還る=還暦」と呼ばれるようになったと書かれていました。
干支とはご存知の通り、「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」(12種類)の十二支のことです。
十干というのは、「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」(10種類)のことで、干支十干はこの2つを組み合わせたものが暦です。
しかし一回りは12年と10種類の順列・組み合わせで120種類ではないの?120年で一巡では?と考えて疑問符が脳裏に浮かびました。
読み進めていきますと十干の10と十二支の12の最小公倍数である60年が干支の一回りにあたりますとありました。何となくにしか納得できずに、最大公約数と最小公倍数を学びなおし、干支十干をそれぞれに10進法と12進法の横書きに2段に並べて書いて、上下に順に組み合わせを考えて行く過程で偶数は偶数のみ奇数は奇数のみの組み合わせしか出来ないことに気が付いてやっと理解できました。
ときに、何十年かぶりに「最大公約数」「最小公倍数」という言葉と再会したので、この機会に、当社を最大公約数と最小公倍数とを使って分析してみました。
当社では月毎(15日前後)に税理士・コンサル等の先生方にご参加頂き、全体会議(リモートを含む)を本社で行っています。メンバーは各事業部長と役員の8名+先生方です。
小さい会社ではありますがお陰様で従業員の多様性は多岐に及び、法学部・経済学部・農学部・文学部・家政学部・体育学部・様々な専門学校の出身、英語が堪能な者、障害のある者、また前職が植木屋や長距離運転手・調理師・宅地建物取引主任など、それこそ多様な人材が務めてくれています。
これらの多様性や事業部ごとの特性に垣根を設けず掛け合わせ、独自の部分を拡大・強調していくことで最小公倍数の施策を思考し、企画・開発の可能性を導き出すことが手段であり、そして実行に移していくことが会議の目的です。
また異なる事業部の複数の意見の中から導き出した最小公倍数の施策を、次に各事業部間で妥協できる最大限の落とし所として共通の要素を導き出し、投資資金や経費を最小限に抑えるために共通の重複した部分を精査することで最大公約数を導き出すことが企業努力もしくは経営努力だと考える次第です。
オミクロン株が感染拡大の兆候を見せています。
今、日本経済を取り巻く様々な環境の激変が矢継ぎ早に押し寄せていますが、これは「リスク」ではなく、今が新しい仕組みを作っていく「大いなるチャンス」と捉え、いっそう社業に精励いたす決意です。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
※還暦の祝いに、先輩諸氏の皆様が赤い柔道着を贈ってくださいました。