諦めず気が遠くなるまで繰り返す

『何事も諦めず気が遠くなるまで繰り返す!』

私は柔道の中でこの事を学ばせて頂きました。諦めず精進を続けている限り未来に続く道は必ずあるはずです。この歳になっても今尚、なかなか未来はスッキリとは見通せません。しかし日々に危機感を持って覚悟を決めて、走り続けております!


2018年

6月

05日

「一生恨んで、大人になったら必ず仕返しするからね」

昔、こんな事があった。

ふと思い出したので綴ってみたい。

 

これまでに何度も書いて来たが、私の亡き母は病弱で、入院することも多く、退院して来ても寝付いていることが多かった。

そんな母を、父の姉は事あるごとに責めた。

小言が始まるのは、きまって父が不在の時。小言の内容は病気のことで、母にとってはどうする事も出来ない不条理な非難であった。

寝付くことが多い病弱な嫁に、夫の身内がキツク当たるのは、当時の時代的背景と環境を考えれば、よくある事で、母は父に愚痴一つこぼさず我慢を重ねていた。

父の姉も、悪気のない素振りで叱責を当たり前の事のような態度でいたが、母は辛い思いをして落ち込み、いつも苦しんでいた。

幼い私に対して母は、そんな姿をあまり見せないようにはしてくれていたが、たまたま見ていた私もすこぶる心が痛く、何度も酷く傷ついた。

今でも当時の母の気持ちを考えると、毎回、涙が出て震えが止まらなくなり、悔しかった想いが蘇る。

あまり弱音を吐かない母であるが、ある日、

「あの人と私は、人としてどれほど違うのだろう?」

「あの人は私よりどれだけ偉いのだろう?」

「私は、なりたくて、こんな病気になったのではない!」

と私に小声で漏らしたことがあった。

この瞬間の事は心に焼き付き、まるで映画のように鮮明に思い出すことが出来る。

あの時、私は、

「叔母さんを一生恨んで、大人になったら必ず仕返しするからね」

と母を慰める気持ちで言った。

すると母は、

「人を恨む事は絶対してはいけない。仕返しは必ずまた自分にいずれ返ってくる。それなら人を恨むんじゃなくて、人が羨む男になりなさい」

と教えてくれた。

母が亡くなって何年経っても、私の悔しい気持ちは消えず、父の姉が憎らしかった。腹が立っていた。しかし最後のところで、私は母の言い付け通り、父の姉を恨む事はしなかった。

父の姉が住むところに困った時には、振り子のごとく「憎らしい気持ち」と「許そう」という気持ちの間を行き来したが、結局、私が所有する空き家を提供した。

父の姉は、亡くなる寸前に病院に入るまで、その家で暮らした。

父の姉は鬼籍に入ったが、(他にする人がいない為)私が約20年間、父の姉の墓掃除と墓守をしている。

渋々ながらも許して手を差し伸べたことで、激しい怒りは少しずつ昇華され、凪いだ心を取り戻した気がする。

この世では、父の姉の前で小さくなっていた母が、今頃あの世では、大きな顔をしてくれていることだろうと願う。

当社シニア事業部が運営するサービス付き高齢者向け住宅フラワーホームが、

住宅新報様の2018年5月22日号に掲載されました。

 

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2018年

5月

23日

雨の日も心の持ち方次第

先月、当社のシニア事業部が運営するフラワーホーム(サ髙住)にて、花壇の花の植え替えを行った。定期的に春と秋の年2回、植え替えを行っているが、今回は芝生や植栽のリニューアルも含めて、それなりに大規模に行った。

植替えの翌日は雨で、その後も連続3回に渡り2日おきに降雨に恵まれたお陰で花の根が土にうまく定着してくれ、当初は元気の無かった花も活き活きとした姿を見せてくれたのである。

お手伝いいただきましたご入居者様に深謝申し上げます。また施設職員及び本社から応援に出向いたスタッフの皆さん、たいへんご苦労様でした。

 

さて本社では半数以上の従業員が、徒歩や自転車、バイクや電車通勤等の「自動車通勤以外」である。その従業員たちは雨降りの度に異口同音、「雨ふりの日は嫌やなぁ!鬱陶しいなぁ!車の人は良いよなぁ!」と、この言葉を朝のあいさつ代わりに出勤してくるのである。

もちろん体は濡れるし、気温も急に下がり寒いし、私ぐらいの年齢になると気圧の変化が体調に影響を及ぼして、低気圧が近づくとたちまちに体の深部が変調をきたす為、私も皆と同じように「雨ふりの日は嫌やなぁ」と愚痴を零してしまうのである。

個人にとっては「嫌な雨」でも、草木や花々や農作物にとっては「恵の雨」であろう。人間の暮らしにとっても雨が必要不可欠なことも、誰もが理解している。でもやっぱり雨の日になるとそういう理屈は頭の奥に引っ込み、「雨の日は嫌い・・!鬱陶しい・・!」という感情を言葉にして発してしまうのである。

そこで私は、冒頭に書いた連続3回の降雨の日以降より雨の日は、いつもの朝の従業員との挨拶を「おはよう!今日も一日、無事故で!」から「おはよう!今日は花も喜んでいるわ!」に変えた。

 

何事も前向きな受け止め方をし、プラスの言葉にすれば、自分自身の元気がみなぎってくるばかりではなく、その言葉を聞いた周りの人まで明るくなってくるのではないだろうか。

要は心の持ち方次第で、同じ現象がプラスに感じたりマイナスに感じたり変化するのである。それならば、プラスに捉えた方が良いに決まっている。

ちなみに私は「大切な物が壊れた!縁起が悪い!」などと誰かが言っているのを聞いた時は、「本来なら自分が事故に遭うはずだったのを、その大切な物が身代わりになってくれたんや!縁起が良い!」と言うようにしている。

 

余談だが先日の雨の日、若手の従業員に「おはよう!今日は花も喜んでいるわ!」と言うと、「社長!なんで今日は嬉しいのですか?雨が好きなのですか?」と聞いて来た。

私の苗字が立花であるが故に、「花も喜んでいるわ!」をどうも「立花も喜んでいるわ!」と聞き間違えたようだ。

雨降りだったが、職場が陽気な大爆笑に包まれた次第である。

植替えの様子
植替えの様子

2018年

5月

13日

外見で人を判断

ビジネスで着用するスーツや制服は、戦国時代に置き換えると鎧と同じで、また髪型も兜と同じあると思う。

「人は見た目ではなく中身」だと言われているが、プライベートにおいてはそうかもしれないが、ことビジネスシーンにおいては違う。

以前に何かの調査結果で見たことがあるが、ビジネスシーンでの初対面の場合だと、ほぼ100%(プライベートでも80%以上)の人が「外見」でその人を判断すると言われている。

という事は、社会人は「自分が人からどう見えているのか」を意識する必要がある。

自分が楽な恰好や、自分が好きな恰好を優先してしまうと、だらしない人、変わった人などと思われて、ビジネスチャンスを逃してしまうことにもなるだろう。

 

先日、新大阪駅のエスカレーターで、私の前にいた年配のサラリーマンが若手の後輩サラリーマンを叱責するのを見た。

「なんでお前リュックやねん!そんなの絶対アカンやろ」

言葉につられて視線を向けると、若手の方が確かにビジネスリュックを背負っている。

私はビジネスリュックが流行っていることや、もはや常識になりつつある事は知っていたので、(この年配のサラリーマンは、そういう事を知らないのかなぁ?時代遅れやなぁ)と一瞬思いかけた。しかし、この二人が新幹線に乗って今から商談に行く相手が、もしそういう流行りを知らない年配の人だったり、畏まった席だったりしたら、リュックはカジュアルでくだけたな印象を与えるから、やはり都合が悪い。

TPOに合った身だしなみが出来ていなければ、マイナス評価からスタートの商談となる。

そう考えれば、この年配のサラリーマンが腹を立てる気持ちも分かるのだった。

最近はクールビズとエコブームの関係からノーネクタイでもかまわない風潮になってきて、私もノーネクタイにする事が多かった。しかしネクタイをするのが常識であった高齢者の世代の方は、その風潮や流行りを「現代の常識」とは取ってくれないかもしれない・・・という懸念がなんとなく私の中であった。そういう事を懸念するぐらいなら最初からネクタイをしておこうと思い最近は、特にシニア事業関連でスーツを着る時は、ネクタイを着用するようにした。

 

身だしなみについて綴っている私も、実は15年ほど前までは「人からどう見えるか」よりも「自分がしたい恰好」を優先させていて、服装も派手好きで髪型もパーマを掛けたりしていた。ハッキリ言って、かなり印象の悪い人間だったと思う。笑

「第一印象が悪くても私という人間を知ってもらったら、見た目と違って真面目に仕事する人だと分かってもらえる、なんならギャップで、かえって好印象なんちゃう!?」と思っていた時もあった。

確かにそういう変わった人間を面白がり、可愛がって仕事をくれる業界の先輩方もいたが、そういう方達のパーセンテージは多くない。気が付けば、売り上げが頭打ちし伸び悩むようになっていた。

その頃、私は気持ちの変化もあり、髪型や服装をいわゆる一般的なものに変えた。もちろん身だしなみだけではなく、経営者意識の覚醒>>の影響もあったと思うが、それまでは相手にしてくれなかった企業が私の話を聞いてくれるようになり、色々な企業から仕事の声を掛けていただけるようになった。

もし私が金髪やモヒカンの経営者だったならば、どんなに真面目に仕事をしていても、今の半分もお取引先様やお客様はいなかっただろうと思う。笑

なぜなら身だしなみや服装・髪型には、その人物の思考や生活習慣や価値観の一端が現れる。

変わった格好をしている人は、やっぱり中身も変わっているし、だらしない恰好をしている人は、やっぱり中身もだらしない。

 

ところで私は約15年ぶりに髪型を変えた。今の髪型はヒチサンである。

 

2018年

4月

30日

苦労と葛藤を一番したのは誰?

ここ20数年、低迷していた我が母校の奈良県天理高校柔道部が最近、復活の兆しを見せて栄光を取り戻しつつある。日本武道館にて毎年開催されている春の全国高等学校柔道選手権大会で、本年度は決勝戦まで進出し、結果は大将戦で国士舘高校に惜敗、準優勝ではあったが、春の高校柔道選手権史上に残るであろう名勝負を展開してくれたのである。

 

私は仕事の都合で日本武道館へ応援に駆け付ける事が出来なかったが、当日は「プチOB会」も兼ねて、会場に行けなかった地元泉州の近隣OBが私を含めて7名T先輩宅に集まった。テレビ放送を見ながら一喜一憂し、技の名前や蘊蓄を叫び合い、またテレビの中の選手たちが仕掛ける技に合わせて、私たちも着ている服が破れんばかりに同じ技をT先輩宅の居間で掛け合った。

テレビ放送が表彰式に差し掛かる頃には、オッサンOB一同は疲れ果て、ガソリンを補給するべく予約していた岸和田の小料理屋のお座敷に繰り出した。

遅くまで年甲斐もなく、若干の記憶も喪失しかけるほど飲んだが、さすがにここでは技は掛け合わなかった。(笑)

後輩たちが「天理柔道部復活」の兆しを見せてくれたおかげで、OB諸氏とも久しぶりに会えて、楽しく酒を酌み交わす事が出来た。

 

皆が集まると、会話はやはり学生時代の練習や寮生活の中での「苦労と葛藤」の想い出話となるのだが、そんな中でも今回は、「各学年で苦労と葛藤を一番した者は誰だろうか?」という話題に移行して行った。

私は即座に「選手・補欠メンバー入りせずに3年間を終えた生徒達」と答えた。すると集まっていた皆が言い方こそ違うが同じ趣旨のこと言い合った。

目標を全国優勝に置いている部であるから、言うまでもなく練習は大層厳しい。その練習を選手や補欠だけではなく、補欠入りしていない生徒も行う。

試合に出られるのはたった5人であるが、柔道というものは、この5人だけで練習をしていても強くなれない。

補欠入りを目指して大勢の部員が頑張れば、補欠はその座を奪われないようにそして選手入り出来るように更に努力する。選手も同じく補欠にその座を奪われないように一層努力する。

このように決して選手だけでは強くなれず、部全体の中での攻防から強くなっていくのである。言い換えれば選手の強さは補欠や補欠以外の者の強さも混在した上での強さである。

皆、一つでも上に登れるように頑張る。しかし次第に薄々と自分の実力が分かるようになり、3年生になる頃にはハッキリと自分の実力を知るだろう。

選手や補欠が頑張るのは当然として、補欠入り出来なかった部員たちが脱落せず選手と同じだけ頑張れるのは、一つでも上に登る!という向上心を最後まで持ち続けているからだろう。そして例え自分が試合に出られなくとも自分が所属する部や仲間が日本一になって欲しいと願う気持ちがあるからだろうと思う。

しかし、その心境に至るまでには苦労も葛藤も多かったはずである。不条理を感じることも多かったであろう。

けれども最後まで諦めず辛抱強く努力し続けた経験、自分の損得よりも全体の利益を優先した経験は、無自覚のうちにも人格形成に影響し、その後の人生にもプラスに作用するのではないだろうか。

●泉南市グラウンドゴルフ協会主催「泉南市グラウンドゴルフ大会 第4回フラワーホームカップ」を開催いたしました。

 

詳しくはこちら1>>  2>>

2018年

4月

20日

労働時間

私は外出の無い日には、一般的な就労時間の2倍くらい(16時間)は優に机に向かっているような気がする。しかしこれくらいの時間を掛けないと一日の案件がすべて終了しない。「すぐ!すぐ!すぐ!」「今!今!今!」でも書いたように「せっかち」なので、その日の事はその日に終わらせないと気が済まない。

と言っても、よくよく振り返って考えてみれば、16時間ずっと集中して仕事をしているわけではなく、疲れて来ると休憩の時間も増えて来るし、仕事のスピードも落ちて来る。

手を止めて、目の前の仕事とは違う事を考え込んで思考があちこち飛んだり、書類作りの途中にネットで調べ物をして、そのままネットを見続けてしまったりする。

もっと集中して取り組めば16時間も机に向かう必要は無いのである。

それでも私が机に向かってしまうのは何故なのだろう?と自問し、出た答えは「不安だから」である。いつも仕事に対して危機感を感じ、不安だから時間を重ねているように思う。

経営者である私が、人と同じだけしか仕事をしてないと会社は下向きになってしまうのではないか?と不安に襲われる。「これだけ頑張っているのだから大丈夫。努力は実る。」と思いたいから、効率が悪いのを分かっていても、いつまでも机に向かってしまっているような気がする。

こういう性分は変えられるものではないから、きっと私はこの先もこんな感じで人生を送っていくのだろうと思うが、社員に対する思いは別である。私と同じ働き方をして欲しいとは思っていない。

働き方改革や残業ゼロが喧伝されている時代である。これからはもっと合理的に効率よく仕事をして、仕事が終われば自分の時間を楽しむ時代になって行くのだろう。

過労で疲れた顔でいるより、リフレッシュして翌日は元気よく働いてくれる方が良い。

それに仕事以外のことが仕事のヒントになることもある。例えば同業者から得る知識や経験は似たり寄ったりな事が多く、同業から得たものだけでは「伸びしろ」が限界に達してしまいやすい。しかし異業種の方との会話がヒントになって問題解決が出来たり、新たな創造が出来たりする。

だから社員に対して、私のように机に齧り付いていて欲しいとは思わない。

かといってしなければならない仕事を放ったまま後回しにしていれば、付けが回って来て、いずれ会社の存続にも関わる。

生産性を上げて残業を減らすには、Alやロボットといった生産性を上げるためのツールを今後導入していかなければならないだろう。出張を少なくするためにWEB会議の導入なども良いだろう。

すでに行っているものでは、昔はFAXで送っていた仕様書を先方が自由に当社のアプリからダウンロードできるようにした。また(一部の部屋だが)当社のサ高住においては「人感センサー」「温湿度センサー」で入居者様の状態を把握できる最新式の見守りシステム機器の導入を行っている。

 

携帯電話が無い時代は不便であったが、出先にまで仕事の電話が追いかけて来ることは無かった。便利になった分、余計に忙しくなったと感じる。出張を少なくするためにWEB会議を導入したら会議の回数が途端に増えて逆に忙しくなった!なんて笑えない話もありそうだなぁ~と想像する。

 

2018年

4月

12日

どぶ川の神様

当社の製造部門の繁忙期のピークは1月から年度末までである。

目が回る忙しさの年度末が過ぎて新年度を迎えると、それまではピリピリとしていた空気が幾分か緩和されて、皆ホッと一息つく余裕が生まれて来る。

時間的にも気持ち的にも余裕が出来るこの時期になると、私には毎日「掃除の神様」が降りて来るのである。笑

あくまでも私は「掃除の神様が私に降りて来てくださる」と考えているのだが、従業員の間では私の事を「掃除の悪魔に取り憑かれた社長」と呼んでいるらしい。

私にとってこの時期は、掃除し過ぎによる全身を襲う筋肉痛とガサガサの指先を除けば、清々しい気持ちで毎日を過ごせる最高に嬉しい時期でもある。しかし従業員諸氏にとっては年度末の繁忙期よりも大変な時期かもしれない。

 

まず今年の「掃除の神様」は工場のど真ん中を南北に二分して流れるドブ川に舞い降りた。4月4日の朝にドブ川の上に渡した鉄板の隙間から「掃除!掃除!掃除!」と聞こえて来たような気がした。こうなると私はそれ以外の場所を含めて、約3,000坪ある敷地内のすべてを徹底的に掃除しないと気が済まなくなる。お得意様に迷惑を掛けない範囲で工場をストップして、数日間に渡り従業員をほぼ全員、掃除に投入するのである。

目指す掃除のグレードは「新築当時の美しさの再現と維持」である。

常日頃の掃除方法の詳細は以前にも記載したので省くが、毎日徹底した掃除をした上で、この期間は「超特大 大掃除期間」と銘打って、自らも先頭に立って、徹底的な清掃を目指すのである。

今年度の掃除始めは私が長靴を履いてドブ川に入り、溜まったゴミを取り除いた後、デッキブラシを使って川底を磨き上げた。他にも数え上げればキリが無いが、工場の主要外壁部分のペンキの塗り替え、社内各所の周辺道路の高圧洗浄、本社及び全倉庫・全駐車場周辺の草抜きと防草マットの張り替え、フラワーホームも含めたグループ全体の植栽の整備と植え替え、各社屋の全玄関とトイレの防汚・抗菌コーティングの塗り直し等その他である。

余談だが先般、約10年間乗った私専用の社用車を買い替えたが、ほぼ新車のグレードを10年間保ち続けた。また本社屋も内外装含めて改築後約8年経過しているが、未だに初めて来社された方は新築直後と見間違えられる。

 

ところで大掃除の理由を「掃除の神様が降りて来たから」と超自然的なことを綴ったが、合理的な理由がもちろんある。

先ずドブ川の掃除はこの時期に綺麗にすると夏場の蚊の発生を極端に抑えられるし、海に近い環境にある当社においてはペンキを塗り替えることにより鉄骨部分の潮風に依る錆や腐食を防げる。また周辺道路の高圧洗浄は社内への異物混入の防止対策になるし、防草マットにおいては花粉症対策も兼ねている。

また、一般社会では「見た目より中身」と言われるが、ビジネスの世界では先ず「第一印象」が良くなければそこで縁が切れてしまい、中身を知ってもらう段階まで行けないのではないだろうか?掃除の行き届いていない不潔な会社は、第一印象で落とされてしまうだろう。掃除がいい加減だと一事が万事で、他の部分までいい加減なのではないかと疑ってしまうものだ。

前にも書いたが仕事は生活(人生)の土俵でもある。人生の土俵でもある職場は常に清浄に保ちたい。

(関連記事:地獄掃除>>地獄掃除のその上>>