諦めず気が遠くなるまで繰り返す

『何事も諦めず気が遠くなるまで繰り返す!』

私は柔道の中でこの事を学ばせて頂きました。諦めず精進を続けている限り未来に続く道は必ずあるはずです。この歳になっても今尚、なかなか未来はスッキリとは見通せません。しかし日々に危機感を持って覚悟を決めて、走り続けております!


2018年

12月

12日

不機嫌な顔や態度

前回のブログに書いたように、今年はイレギュラーな出来事が多くあり、直接または間接的な影響を、それなりに当社も受けた。

当社に関わりのある皆様方の支えにより、最近になってようやく落ち着きを得たが、ここ半年間に思いを巡らせると、この言葉が脳裏に浮かんだ。

「嫌な事やしんどい事でも、やるからには不機嫌な顔をせず、笑顔でやりなさい。いつもそうしていたら幸せは向こうからやって来るから!」

亡き母の言葉である。

母が病弱だったせいもあるが、私は家事を、一般的な子供に比べてよく手伝っていた方だと思う。しかし子供の頃は母の病弱を理解しながらも、遊びたい気持ちの方が勝っていた日の方が多く、不機嫌な顔をしながら母の手伝いをしていたのであろう。幼少の頃に母から何度もこの注意を受けた。

実は今もあまり変わりないのが現状で、私は分かりやすい人間なので、気持ちが顔や態度に多く出てしまう方である。

しかし、「それじゃダメだ」と自省する私も居るので、酒席だけでなくビジネス全般において、雑談や笑い話を多く織り交ぜて、テンション上げ上げで話すように心がけている。

というのは、誰しも不機嫌な人とは長く話したくないであろうし、付き合いや取引もしたくないであろう。結果として、不機嫌な顔をしていると必要最低限の会話でしかコミュニケーションが成立しない。言い換えれば、会話が短い。

会話が短いと薄い人間関係しか築けないどころか、雑談から生まれる「未来のビジネスチャンス」や「問題解決のヒント」さえも逃がしてしまうことになるのである。

よく見受けられるのが、「反対意見や苦い指摘を言われると不機嫌になる人」であるが、それは特に心掛けている。

自分とは異なる意見も聞いて、多くの情報を集めながら内容を精査して行かなければ、中小企業の場合はワンマンになりやすい。忌憚のない意見を言ってくれる人は有り難く、貴重な存在なのである。

言いにくい事でも言いやすい状況を作る為にも、しんどい時でも不機嫌な顔を見せず機嫌良く居よう。・・・と、偉そうな事を書いてみたが、満足に出来ていないのが自分自身であり、またそれが分っていてもなかなかできないのが人間というものであろう。

私はけっこう愚かなところがあり、未だに稚拙さが否めないので、イレギュラーが続いたこの半年間、かなりの頻度で不機嫌な顔しか出来ていなかったと思う。それでも言うべき事を躊躇せず言ってくれた方々に心から深謝申し上げます。

そして前出の母の言葉を完璧に実行することは出来なくても、日々心がけて参ります。

日本赤十字社事業の進展に貢献したとして、平成30年11月26日、シェラトン都ホテル大阪にて、当社が表彰を受けました。

社会から歓迎される会社を目指し、少額ずつですが、30年間に渡り定期的に寄付を行ってまいりました。

今後も企業の社会的責任として、継続して社会貢献を行ってまいります。

 

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2018年

11月

30日

今年の後半は、しんどかったなぁ

今年は5月頃から、例えるなら「もらい事故」のような思いがけない事が多く起きて、ストレスの多い日々であった。

ストレスの最たるものは、台風第21号である。

9月4日に日本に上陸し、近畿地方を中心に大きな被害をだした。

当社が所在する泉南市でも多大な被害が随所に発生した。

当社においても倉庫2棟の屋根が丸々吹き飛ばされるなど、さまざまな被害が発生したが、会社の命でもある生産設備は被害に遭わずに済んだ。

しかし、その3週間後には台風24号が、21号と同じルートで泉南市に接近する進路予想が発表されて、工場の各所ブルーシートで応急処置をしただけの心もとない状態で台風を迎え撃つこととなった。

出来る限りの備えをした後は、「後は野となれ山となれ!」と静観の構えでいたが、結果ギリギリ台風の進路の左側に入ることが出来、被害が出ることはなかった。が、ストレスは、かなり溜まった。

21号の被害をきっかけに廃業を選んだ下請けさんもあり、その再編に追われたり、通常業務に加えて21号の被害の復旧作業に追われたりで、社員の皆が帰ったあと一人で書類を作っている時、突然、不整脈に襲われた。

首の動脈付近と左胸あたりに突然の鈍い痛みが有るような違和感が沸き起こり、息苦しさと喉のつかえを感じた。

不安症のうえ、自分の健康面に関してかなり過敏な私は、「心筋梗塞の前兆かもしれない?」との恐怖感を覚えて、りんくう総合医療センターの救急科に駆け込んだ。事前に連絡を取っていたお蔭で、到着と同時に点滴で投薬しながら様々な検査が始まった。

約2時間で検査が終了し、30分程安静にしていると、医師がデータを持って、病状の説明に来てくださった。

「生化学検査、心電図、胸部CT、その他すべての検査データを見ましたが、異常は一切ありません。」「過度のストレスが原因の自律神経の乱れでしょうね。心当たりは有りますか?」と仰った。思えば5月頃から、いつも以上のストレスだった私は「ハイあります」と答えると、医師は「たぶんそれが原因でしょうね。」とのことであった。

何もない事を確信すると、胸のつかえや息苦しさも何処かに消えて、丁寧にお礼を申し上げ病院を後にした。毎度のことながら、ほんとに人騒がせな奴である。

 

ところで私は、高島易断の本を毎年購入しているぐらい、九星本暦を参考にしている。

暦によると、この数年間、私の運勢は悪かったのだが、来年から上昇するらしい。

運勢が悪い時期も何とかやって来られたのは、皆さまのご尽力やお力添えがあったからだと感謝しています。そして現金なもので、医師から「異常は一切ありません」と言ってもらった後から、パーッと光が差したような気持ちになって、さらに良いニュースも入って来て、「おぉ?運気が良くなってきた兆しか?」なんて嬉しく思った。

良いニュースの一つが、こちら。

●公益財団法人 日本防炎協会様が開催された防炎協会関係者表彰(理事長表彰)選考委員会の審査の結果、永年にわたり防炎関係業務の発展に寄与したとして、寝具等部会推薦で、平成30年11月21日、明治記念館にて、当社が理事長表彰を受賞いたしました。

 

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2018年

11月

23日

ゴミ拾い

これまで掃除について何度記事を書いたかなぁ?と、ザっとタイトルに目を通すと5つほどあった。

どぶ川の神様>>

地獄掃除のその上>>

地獄掃除>>

掃除とおもてなし>>

トイレ掃除を侮ることなかれ>>

他の話の枝葉として掃除の話を差し込んだ記事なら、もっと数は増える。

それぐらい私は、掃除に重きを置いている(力を注いでいる)ということである。

 

今回はゴミ拾いについて書いてみたい。

以前にも「二人のがばいばあちゃん」の中で書いたが、私の祖母は、

「子供の時にゴミ拾ろたら、拾た分だけ大人になったらお金ひろうで」

「朝早く起きたら道にお金が落ちてるで」と私によく言って聞かせた。

その言葉を真に受けて、その当時の私は本当に一人で早起きをして、誰にも取られまいと目を皿のようにしてゴミを探し歩いていたので、私の本来の目的を知らない第三者が見れば良い子だったかもしれない。

私は常日頃から従業員の皆に、

「ゴミを見付けたらスグに拾ってくれよ!」と口やかましく言っている。

先般も午後、本社から出かけようとした際に、玄関前と前の道路が気になったので、仕事を中断してもらい、みんなにゴミ拾いをお願いした。

おかしいのは承知しているが、ホウキでは取り切れない細かな汚れがある時は、道路に掃除機までかける。

私がここまでするのは、神経質で綺麗好きという性格もあるが、仕事は生活(人生)の土俵でもあるのだから、その土俵である職場をいつも清浄に保ちたいという想いがあるからである。その他、自己成長のため。(地獄掃除で詳しく書いているので読んでみて欲しい)。

他には、来社されるお客様へのおもてなしの為、そして会社として良い第一印象を得たいためである。

余談だが、ビジネスの世界ではお客様が初めて来社された時、取引先としてどれだけ好感のある第一印象を勝ち取ることが出来るか否かが、その後の商談に大きな影響を及ぼす。これが悪いとどんなに良い商品を以てしても、なかなか良い商談に進みにくいものである。

話はゴミ拾いに戻るが、

「会社でもプライベートでも良いから、最低1日1回はゴミを拾って!」と従業員の皆にお願いしている。それは、ゴミを拾うことが習慣になっている者は、ゴミをむやみに捨てないからである。ゴミ一つであるが、捨てる者と拾う者の心には、小さくない差があるように思う。

人が見ていない所でゴミを拾えるような、そんな心の従業員が沢山いる会社は、やっぱり良い会社だと思う。

●泉南市グラウンドゴルフ協会主催「泉南市グラウンドゴルフ大会 第6回フラワーホームカップ」を開催いたしました。

 

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2018年

10月

31日

今さらですが、話し上手より聞き上手

誰もが知っているようなセオリーを、なぜだか知ることなく、この年まで来てしまった。

本日のタイトルでもある「話し上手より聞き上手」のことである。

私をご存知の方はすでに承知してくださっているだろうが、私は人の5倍ぐらいお喋りな人間である。だからビジネスにおいても、コミュニケーションにおいても、会話を重要視していて、会話は他人から評価される事柄の一つだという認識であった。

そのため、会話の中に出て来たキーワードに反応して、はいその事には精通していますと自分の知識を披露してみたり、はい私も同じような事を経験していますと自分の体験談を長々と話してしまったり、不満や悩みを訴える人には、すぐさま解決策を提案したりしていた。要するに、自分が会話の主導権を握り、自分の言いたい事を一方的にマジンガントークする、大阪の社長にありがちなタイプの人間だったのである。

こういう自己中心的なトークをしてしまうようになったのは、元もとガキ大将的な物の考え方があったのと、私の一方的な話をニコニコと聞いてくれていた早逝した母からの溺愛が原因かもしれない。

しかしながら、新規事業でサ高住を運営するようになり、高齢者の方々や女性スタッフ達と接する機会が急激に多くなり、今までの自分のやり方だとダメだと感じるようになった。

私に足りてなかった部分は「共感」なのである。

いや、言い訳すると共感はしていたつもりなのだが、自分の経験や意見を述べる手法で共感していたのだが、しかし今思えば「共感していたつもり」だったのかもしれない。

共感する(相手の立場になって考える)には、まず相手の話に口を挟まずじっくり聞くことである。(←これが不十分であった)。

さらに相手が話してくれた状況や感情を、自分の言葉に置き換えて返すと、「あぁ、ちゃんと伝わった」と相手もひとまず安心してくれる。

こういう部分がこれまで私には欠如していた事を、恥ずかしながら近年知った。

 

最後に一つ、皆さまにクイズです。

Q、下の3つのコミュニケーションは、会話の際に相手に影響を与えますが、その影響の割合を答えなさい。

・言語的コミュニケーション(話の内容等)

・凖言語的コミュニケーション(声の大きさ・声のトーン・話すスピード等)

・非言語的コミュニケーション(表情・姿勢・態度)

 

A、

・言語的コミュニケーション(話の内容等)7%

・凖言語的コミュニケーション(声の大きさ・トーン・スピード等)38%

・非言語的コミュニケーション(表情・姿勢・態度)55%

なんと話の内容以外が93%なのである!

 

2018年

10月

07日

ふと回想

私が始めて格闘競技を習ったのは小学校4年生の時に少林寺拳法の門を叩いたのが始まりである。きっかけは近所の一つ上の友人である石野君が先に習い始めていて、私も話を聞くうちに興味を持つようになり、誘ってくれたからである。

私は小さい頃は、母からの結核の母子感染もあり、病弱であまり健康な方ではなかったような気がする。しかし私がやりたいと言ったことは何でもやらせてくれる両親であった。

少林寺拳法を始めた頃から前後して、結核は偽陽性になり、年々健康になっていった。

中学2年生まで少林寺拳法を習い、柔道に転向する時も両親は「自分の好きなようにしなさい」の一言であった。

今、思い返すと中学を卒業するくらいまでは、私は何事にも中途半端であり、両親もまた、そんな息子に兎や角言うこともなく、自由にさせてくれていた。

しかし天理高校柔道部に進学が決まった時、私は初めて、父から厳しい言葉をもらった。

「母の死に目には会えない覚悟で行け!」(不安の哲学>>)

この瞬間の事は今でも覚えており、はからずも実際そのようになった。

この時初めて「男の人生は中途半端な事ができない」という想いが私の中に湧いた気がする。

その後、高校3年間である程度の実績は残せたが、私は柔道で食べていけるほどの才能は無いという事実を薄々と、そして次第に切実に自覚するようになっていた。

それと並行して、左右田鑑穂社長(現:東建コーポレーション(株)代表取締役社長兼会長)との出会いがあり(天才たち>>)、強烈な憧れがあり、その結果、自分の中で進みたい道が明確になり、「高校を出たら社長の会社に就職させてください」と社長に申し出た。

しかし答えは「NO」であった。「高卒ではこれからの社会では通用しない。まずは大学へ進学しなさい」とのお言葉であった。

その後、大学へ進学したものの、一日も早く社長の下で学んで立派な経営者になりたいという思いが強く、中退し社長の書生をさせていただくことになった。

日本体育大学の寮から父に電話を入れ、大学をやめることを告げた。父から返ってきた答えは「自分が決めたことや。好きなようにしたらいい!」であった。

父は、私が大学を中退するため大学柔道部のH監督のところへの事情説明とお詫びに行くとき同行してくれた。

また、左右田社長と天理高校柔道部で同級生だったH監督も、「左右田に憧れてのことか!よし分かった!」の一言で中退を認めてくださったのである。

今日は徒然なるままに、私の半生を綴ってみた。

 

2018年

9月

18日

台風21号

最初に、この度の台風21号及び北海道胆振東部地震により被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 

新聞やテレビ等のマスコミで報道されたように、当社が所在する泉南市でも台風21号による甚大な被害が市内全域に渡り発生した。

当社においても倉庫2棟及び工場の屋根・その他に被害が発生した。

また、停電や電子機器の故障により、6日まで電話等の通信が不通になった。(この間お電話いただきました方々には大変ご不便ご心配をおかけしましたこと、お詫び申し上げます)。しかし一人の怪我人も発生せず、メインの製造施設や、2015年に開設したフラワーホームは無事で、お陰様で7日より平常どおりの業務を再開出来た。

まさに「大難は小難に、小難は無難」になったと感謝し、完全復旧に向かって従業員一同と共に邁進して行く所存であります。

何卒ご休心の程をお願い申し上げます。

 

さて今回の災害では、「自分一人で孤独に歩んでいるのではない」ということが、改めて身に染みた次第である。

心温まる励ましや物心両面に渡るお見舞い・支援を全国各地の多くの方からお寄せ頂いた。先ずをもって有り難く、心より厚くお礼を申し上げる次第であります。

また台風の通過直後の混乱の中で、急を要する案件も同時多発したが、社員たちは指示待ち族にならず、自己判断でそれぞれが最善を尽くして迅速に行動してくれた。

例えば自らの判断で懐中電灯や氷・土嚢を買いに走ったり、ネットで情報収集し有益な情報を報告してくれたり、御入居者様の食事の緊急手配をしてくれたりなど、私が工場の復旧に当たる裏で、同時進行で対応にひた走ってくれた。

またボランティアを申し入れしてくれる知人も複数いた。

柔道部の後輩でもある出入りの電気屋は、普段ならば同窓なのを良いことに私の依頼を後回しにして他のお客さんを優先し何日も来てくれないのに、台風通過後に電話をかけると15分で来てくれ復旧に向けての対応をしてくれた。

他にも製パン工場さんは被災当日からパンを供給してくれたし、建設会社(東建コーポレーション株式会社)・工務店(MELEE)や機械メーカー(福武冷機工業所)(ヤンマー)(阪南防災)・関西電気保安協会等は、翌日から毎日のように来てくれて点検や復旧に向けてご尽力頂いた。

皆様の数々のご厚情に触れ、人生という道すがらが決して「自分一人で孤独に歩んでいるのではない」ということが、改めて身に染みた次第であります。

 

完全復旧にはまだしばらくの時間を必要とするが、当社に関わってくださっている皆様のお力を拝借し、従業員と共に励む覚悟であります。

まずは取り急ぎ、このブログでお礼方々のご報告と深謝申し上げる次第であります。