『何事も諦めず気が遠くなるまで繰り返す!』

私は柔道の中でこの事を学ばせて頂きました。諦めず精進を続けている限り未来に続く道は必ずあるはずです。この歳になっても今尚、なかなか未来はスッキリとは見通せません。しかし日々に危機感を持って覚悟を決めて、走り続けております!



2020年

2月

12日

昭和時代、ポンタの悲しい話

子供時代に飼っていたポンタという名の犬が、先日夢に出て来ました。

今日はポンタとの悲しい話を書いてみようと思います。

 

昭和40年代の初め、私が小学校2年生の時、ポンタは我が家にやって来ました。

よちよち歩きのポンタと一緒に蛍を見た記憶があるので、春の終わり頃にやって来たのだと思います。

父は当時、昼夜交代のある会社に勤務しており、母は入院生活の繰り返しで不在がちだったため、一人では寂しいであろうという思いから、父の姉が私に贈ってくれた秋田犬の雄がポンタでした。

数か月たった初冬のある日の朝、ポンタとの予期せぬ別れは突然に訪れました。

実はポンタとの別れは、私の不注意のせいで起こりました。

ほんの些細な不注意が最悪の結果に繋がってしまい、悔やんでも悔やみきれません。

朝、学校に行く支度をしていた時に突然、犬の悲鳴のような鳴き声が聞こえました。

嫌な予感がしてポンタの名を呼びながら家中を探しましたが、姿が見えません。

ふと玄関の扉に目をやると、隙間が空いています。私がちゃんと戸締りをしなかったせいでポンタは外に出てしまったのでした。

慌てて玄関から飛び出すと、何十メートルか先に、走り去って行こうとする犬捕りのトラックの荷台が見えました。

荷台に積まれた大きな檻の中で、他の犬たちと捕らえられているポンタの姿を発見しました。

「ポンタ!ポンタ!」と叫びながら追いかけると、ポンタは私に気づいたらしく、こちらを見つめて「ウー」と震えながら唸りました。ポンタはお互いが見えなくなるまでずっと、こちらを見ながら唸っていました。

私はまだ子供だったせいもあり、ただただ泣き叫びながら見送るだけしか為す術がなかったのです。

その日は無断で学校には行かずじまいで、ポンタが居なくなったショックから一日中布団にくるまって、ポンタの最後のあの唸り声はなんて私に言っていたのだろうか?と思いながら泣いていました。

ポンタが居なくなった日の夜、仕事から帰った父にこっぴどく叱られました。

「戦争中にはもっと悲しいことがいっぱいあった!これぐらいのことで男は泣くな!」と私を叱りました。

そう言いながらも父は、勤めていた会社の社長と一緒に保健所に返還交渉をしに行ってくれましたが、ポンタの首の骨が折れていて叶いませんでした。

 

後日ポンタの件を知った母方の祖母からも「男の子が泣くな!」と叱られました。

けれども祖母は私を慰めるために、母を病院まで呼びに行ってくれました。

 

2020年

1月

04日

ありのままの自分でいいの?

2020年 新年あけましておめでとうございます。 

旧年中は格別のご厚情を賜りありがとうございました。

本年も、より一層尽力をしてまいりますので相変わらぬご指導、ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

昨年の晩秋、ある番組を観ました。内容はあるスポーツで日本一になり、マスコミにも取り上げられ有名になった男性の人生を振り返る番組でした。

優勝して以来どこへ行っても「日本一」という看板やイメージが付いて回り、他人から過度の期待やプレッシャーを掛けられ、自分自身のプライドも邪魔して苦しい人生を送ってきたという物語でした。しかし、40歳頃に「日本一」という看板を捨て婿養子に入り、仕事を変えて再就職してからは、人生を楽しく感じるようになり、「ありのままの自分」を受け入れる事が出来るようになったという風な話でした。

最近「ありのままの自分で良い」と耳にすることが増えた気がします。

「ありのままの姿見せるのよ~。ありのままの自分になるの~」という歌詞の曲も大ヒットしました。

 

さてここからは私の思いですが、私は未だに「ありのままの自分」を受け入れることが全く出来ません。

子供時代から現在に至るまでその時々で常に誰かに憧れ、その憧れの人物に少しでも近づけるように工夫なり努力なりする。それが私の人生のモチベーションになっていると思います。

例えば子供の頃の憧れの人は仮面ライダーでした。少年時代は映画の中の人物。

そして17歳で左右田鑑穂社長(現:東建コーポレーション株式会社 代表取締役社長兼会長)にお会いし強烈に憧れました。

生き方、言動や所作、乗られている車や洋服に至るまで全てが「カッコイイ!」と思い憧れました。そして自分もそのように生きてみたいと思うのと同時に、出来ることから真似してみようと思いました。

次第にもっと近くで左右田社長の生き方や考え方、経営を学びたいと思い、弟子にしてください!とお願いしました。

社長の一挙一動が全て勉強になり、憧憬は高まる一方となりました。

17歳から現在に至るまで41年間ずっと、「ありのままの自分」から左右田社長に1歩でも近づけるように、真似をしながら生きて来たと言っても過言ではないように思います。

現在も経営について悩んだ時には、「こんな時、社長ならばどうされるだろう?」と考えます。私はその度に問題に気付かされたり、新たな発見や課題を得たり、確信を得たりすることが出来ました。

私が自分の未来を描く時、いつも社長の背中を想像していました。そのようにして人生の道を拓いて来たと感じます。

 

「成長したいけれどモチベーションが沸かない。自分を突き動かすものがない」そういう若い人の声も聞きます。

そんな時は、カッコイイと感じる人の事をもっと知って、真似をする事から始めてみてはいかがでしょうか。

それはきっと、今の自分よりも1歩伸びる手がかりになるはずです。

 

【関連記事】仕事に取り組む姿勢

<お知らせ>

東京商工リサーチ刊行の優良企業完全ガイド「ALevel(エラベル)」2021年関西版(P215)に、弊社が掲載されました。

 

 

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2019年

12月

28日

自分ばかり損をしている

以前からこのブログで何度も書いていますが、私は従業員が音を上げるほどの「掃除魔」です。

毎年当社では、自分自身も先頭に立って、約1か月間掛けて年末の大掃除を行います。

こんな掃除魔の私ですが、過去、掃除に関して「自分ばかり損をしている」と感じ、やる気を持てなくなった時期がありました。

本日は、年末の大掃除の時期ということもあり、年末のごあいさつも兼ねて、その当時の気持ちの変遷を綴ってみます。

 

さて私は、もともとの神経質な性格の影響で、若い頃から掃除魔で、いつも綺麗にしていなければ気が済まない質でした。

その掃除魔に更なる拍車が掛かったのが、平成10年に個人事業から株式会社に法人改組をして、志も新たに未来を拓こうとしていた頃です。

当時は事務所といっても工場の片隅に間仕切りを入れただけの作りでした。

私は雨の日以外はほぼ毎日、少し早めに起きて工場の前の道路を、社員の皆やお客様に気持ち良く会社に来てもらえるように掃除をしていました。

始業時間ギリギリに出社してくる従業員がほとんどでしたが、中には早めに出社する従業員もおり、私が掃除をしているのを見かけると「私たちが掃除します」と声を掛けてくれる者もいました。

しかし、そもそも自分自身がやろうと決めたことですし、手伝ってもらうと時間外労働になってしまうので、「だいじょうぶ」と断りました。

ところが1年も過ぎると声を掛けて来る従業員もいなくなり、早く来た者でも「おはようございます」と言って、朝の「当たり前」の光景を見る様な顔をして、ただ通り過ぎるだけになりました。

最初は「皆に気持ち良く会社に来てもらえるように」と思って始めた行動でしたが、それを当たり前のことにされるのは嫌で感謝してくれる事を心のどこかで望んでいたのかもしれません。

「いつもすみません」くらいは言えないのかと思う気持ちが芽生え始めました。

そこからまた半年ほど掃除を続けましたが、腹の虫が治まらなくなり、私は朝の道路掃除を止めてしまいました。

「皆の為にやってあげているのに当たり前にされている」「掃除をしている自分だけが損している」と思いました。

要するに、とても恩着せがましくて、身勝手な意識があったに他なりません。

その後、掃除を再開するきっかけは、1か月ほどして突然に起こりました。

工場では繊維を大量に扱っている為、掃除をしないと工場周辺や道路の隅々はあっという間に糸屑だらけになります。なんとその積もった糸屑にスズメが足を絡めてもがいていたのです。すぐに救出し逃がしてやりました。

その糸屑の中には虫も絡まっていたので、スズメはこれを餌にしようとして自分も絡まってしまったのでしょう。

「私が掃除をやめた」これは小さなことですが、それが要因となり、バタフライ効果のようにスズメが苦しい思いをする事態が起きてしまいました。私は反省しました。

この1か月間ずっと、「掃除をしない事」への罪悪感や葛藤があったので、これをきっかけにスグに再開しました。

「喜んでもらうためにする」「誰かのためにする」この気持ちも大切ですが、「感謝される」という見返りを期待して、その見返りが貰えないと、自分ばかり損しているような気分になってしまうものです。

だから考え方を変えました。

 

“自分が「やった方が良いことだと思う事」はやろう

自分が「やった方が良いことだと思う事」をやれば、自分が気持ち良い!

やった方が良いことだと思っているのに実行しないと、心がしんどい”

 

そう考え、その後2年ほど朝の道路掃除を続けました。そのうち事業数が増え、会社の敷地も拡大した為、一人では追いつけず、現在は従業員が就業時間の中で掃除をしてくれています。

やった方が良いことだと思っているのに腰が重くなっている方は、自分の為に是非やってみてください。

やってみると身体は疲れるでしょうが、心は気持ち良くなると思います。

人に言われてからやる場合と、自らの意志でやる場合と、気持ちが全然違うと思います。それは自己肯定感の向上にも繋がるはずです。

 

本年もたいへんお世話になり誠に有難うございました。心より深謝申し上げます。 

来年も弊社社員一同、業務に精励してまいりますので、変わらぬご厚情を賜りますよう、伏してお願い申し上げる次第であります。 皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

<お知らせ>

11月11日、泉南市なみはやグランドにおきまして、 泉南市グラウンドゴルフ協会主催「泉南市グラウンドゴルフ大会 第7回フラワーホームカップ」を開催いたしました。

 

当社の「社会福祉の向上」と「地域社会への貢献」への取り組みの一環と致しまして開催させて頂いております。

 

詳しくはこちら1>> 2>>

第7回の大会レポートを、第8回大会で皆様にお配りしました

2019年

11月

01日

「理想的な経営者」≠「理想的な人」

先日ニュースで、小学校で思考実験「トロッコ問題」を資料にした授業があり、児童の保護者から「授業に不安を感じている」との指摘を受けて、校長が授業内容を確認していなかったとして、児童・生徒の保護者に文書で謝罪したというニュースを見ました。

 

トロッコ問題とは、以下のような問題です。

線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは猛スピードのトロッコが前方で作業中の5人に避ける間もなく衝突してしまう。

この時たまたま、あなたは線路の分岐器のすぐ側にいた。あなたがトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でも1人が作業しているため、5人の代わりに1人がトロッコに確実に衝突する。

さてこの場面で、あなたはどちらかを選ぶか?という問題です。

A. 何もしない。(トロッコは5人に衝突する)。

B. レバーを引く。(トロッコは1人に衝突する)。

考えただけでも、しんどくなるような問題です。

しかし長年経営をしていると、このトロッコ問題のような苦しい選択を迫られることが実際に何度もあります。

 

詳細は伏せますが、実はある出来事から1年間ほど、夢で魘されるほど悩み続けてきました。

私の中に「人としての自分の理想像」というものあり、それイコール「理想の経営者像」でもありました。羅列するのは恥ずかしいですが、義理や人情に厚く、人から頼られたらその期待に応え、言外の意味を汲み取って配慮してやり、人望が厚く、立場の弱い人にほど優しく、困った人が居たら手を差し伸べ・・・まぁつまり昭和の浪花節です。そういう男が私の理想の男で、理想の経営者でした。

しかしその「自分の理想像」イコール「理想的な経営者」ではないということは、合理性を重視した社会へと時代が進むにつれ薄々と、しかし次第にハッキリと理解できるようになりました。

義理人情に厚い経営者よりもムダを切れる合理的な経営者の方が求められている時代です。

いざという時には、経営者は冷徹になって義理や人情を切り捨てなければ会社の未来を守ることができません。

しかし「私個人の思い」と、「経営者としてしなければならない事」が相反すると苦しいです。

この件で相談や愚痴を聞いてもらった数名の方からの助言を要約すると、

「あなたの会社の企業理念は三方良しでしょう?あなた個人の思いやりで事を進めたら、もうそれは三方良しを逸脱してしまう。あなたと相手方以外の第三者の存在を忘れている。ビジネスにおいて第三者がこうむるかもしれない不利益と影響を考えていない」

というようなお話を頂き自分自身でもその通りだと思いました。

 

プライベートな問題ならば、自分が良い顔をしたければ良い顔をして、自分だけが不利益を被れば良いですが、ビジネスには多くの人が関わってきます。

ビジネスである以上、利益を生み出し従業員たちの暮らしを守って行き、社会へ貢献して、またお客様に良い商品やサービスで還元していかなければなりません。

その為には厳しい対応をしなければならない時もあります。

トロッコ問題じゃありませんが苦しい選択と向き合うこと、その選択の責任を負うことが公器を守る経営者としての務めなのでしょう。

 

2019年

10月

03日

承認欲求のデメリット

すでに何度か書いていますが、私が生後8か月目頃から母が大病を患い長期入院を繰り返しながら人工透析を行っていた関係で、私はあちこちの親類の家に預けられていました。

記憶が有るのは4~5歳くらいからですが、その頃、私の中心に常時あった感情は「不安」でした。

先ず思い出すのは、「大人の都合から見て良い子でなければ、親類の家では大事にしてもらえない」という不安を強く持っていたことです。

だから大人達の気持ちを読んで先回りして行動して喜ばせたり、言外の意味を汲み取って期待に応えたりすることに一生懸命になっていました。

この性質は今でも変わらずで、この歳になっても、例えば小さな連絡事項においてもすぐに返事が無かっただけで「もしかしたらどう取られたのだろうか?」とか様々な不安を抱いてしまい、相手の意に沿えるように必要以上の気遣いをしてしまったり、普段の会話の遣り取りにも神経をすり減らしたりしてしまう事があります。

但しこの感情は私だけではなく、一般的な社会生活を営む中ですべての方が多かれ少なかれ経験する感情でしょうし、相手の気持ちを慮ることによって、社会性と人間関係の秩序が生まれるというメリットがあると思います。

また社会生活を通して子供ながらに自分自身が成長して行く過程で「気遣い」や「大人の都合」を受け入れる事は、感情面で「人生のバランス感覚」を養う上でも大切な生活態度だと思います。

別の角度から考えると、他者から認められ大事にしてもらいたいという承認欲求の現れでもあり、今でもこの承認欲求は向上心や自分自身を成長させていくために努力を惜しまない為の原動力にもなっているような気がします。

 

しかしながら、デメリットもあります。

会社を経営していると、「当てにされる」「頼られる」ことが頻繁にあります。

上で記したような性格から、頼られるとNOと言いづらく、本音では嫌々ながらも引き受けてしまう事も多かったです。

しかし初めは遠慮がちだった相手も、次第に頼ることに馴れ、簡単に頼って来るようになります。すると私は「頼られているのではなく、利用されているのでは?」と感じ不満や負担を強く感じるようになってしまいます。そう感じながらも、そんな小さな器の男だと思われたくなくて、その感情を隠すのです。

しかし、ある時ふと思いました。これは幼い時に親戚の家を転々としていたトラウマなのではないかと?

親戚を喜ばせることで、「僕はこの家に居て良いんだ」「この家にいる価値のある人間なんだ」と安心した時と同じです。

先方の期待に応え、多少なりとも恩を感じてもらうことで自分自身の存在価値を無意識ながらに確認していたのだろうと思います。また相手に私を「価値のある人間だ」と感じて欲しいという私の中の承認欲求が、依存しがちな人達を引き寄せてしまっていたのかもしれないと思うのです。

また本来私がするべきではない事にまで手助けしてしまうと、長い目で見れば本人の為になりません。

経営者ならば、もっと客観的・大局的・合理的な視点を持たなければならなかったのに、一部の他者の反応や評価を意識し過ぎて、経営者として正しい選択が出来ていない時があった。未熟であった。

と煩悶しながら、このブログを綴っています。

<お知らせ>

この度、丸竹コーポレーション株式会社では、健康経営宣言を行いました。

全国健康保険協会大阪支部様と連携を図り、全ての従業員が健康で元気に仕事に取り組めるよう健康経営の推進に努めてまいります。

 

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