諦めず気が遠くなるまで繰り返す

『何事も諦めず気が遠くなるまで繰り返す!』

私は柔道の中でこの事を学ばせて頂きました。諦めず精進を続けている限り未来に続く道は必ずあるはずです。この歳になっても今尚、なかなか未来はスッキリとは見通せません。しかし日々に危機感を持って覚悟を決めて、走り続けております!


2018年

7月

14日

売って反省 クレームに感謝

私は青春時代の大半を費やして柔道を学んだが、その中で「投げて反省 投げられて感謝」という言葉を聞いたことがあった。

以前、中学時代の親友であり、国士舘大学剣道部出身で現在は教員をしているN君から聞いた話だが、剣道にも「打って反省、打たれて感謝」という言葉があるらしい。N君曰く、「剣道が先に言った言葉だ!マネするな」との事であった。しかしながら、私もそのまま引き下がるのは悔しいので、「柔道の方が先だ!」と返し、その後は柔道と剣道どちらが強いかの言い合いに発展し、結果たいへん楽しい時間を過ごした。(笑)

ところで改めてこの言葉を簡単に解説すると、

「投げて反省」とは、たとえ勝者になっても、本当に正しく出来たのか、常に自己反省することである。

「投げられて感謝」というのは、自分自身の隙や弱点を教えてくれた相手に感謝することである。

それに加えて講道館柔道での感謝には、試合や練習の開始終了のみならず、道場の出入りや先生や全ての相手に対しても必ず「礼」を行うことも含まれる。また道場以外の状況下においても講道館柔道の精神(精力善用自他共栄)に則り、常に自分自身の行動を反省し、置かれている立場に関わらずに常に相手に敬意を払うなど、「謙虚でなければならない」と言う意味が込められているのである。

この姿勢は経営にも通じる。

そこで頭に浮かんだ言葉が、表題の「売って反省 クレームに感謝」である。

毎回そうだが新商品の発売を開始した時、私の心の大部分を占める感情は、「売りたい!売れて欲しい!」で、どうやったらHITするのか必死である。

しかし売れれば売れるほど、私の心の大部分を占める感情は反省・・・と言いたいところだが、本当のところは「不安」である。主力になっているこの商品が売れなくなったらどうしよう、万全の注意を払っているがミスは無かっただろうかと不安になる。しかし、この不安こそが、「他の主力製品を開発しよう」だったり「ミス防止の仕組み作りを再構築しよう」だったり、次に進展するための原動力になるのだろうと思う。

だから何度も言っているが、経営者は、どこまで行っても不安と共に生きるしかないのだと思う。

またクレームに関しては、それこそ感謝である。

不満に感じていても、それを企業に伝えるには、それなりの労力が必要で、何も言わずに離れて行くお客様の方が多いであろう。そのためクレームは氷山の一角で、一つのクレームの陰には、同じく不満を感じた人が何人もいるということである。

経営側が見逃していた問題点(改善点)を教えてくれる大変ありがたい人である。

 

2018年

6月

23日

自分の稼いだお金でご飯を食べる事

近年、ますます若者たちが夢や志を持たなく(持てなく)なってきているように思う。

そこには、社会の仕組みや環境など様々な要因があるだろう。

関連記事:減点法か加点法か>>  若者たちのチャンスの時代>>

 

さて先般、代理店の20代若手社員から、こんな質問を受けた。

「社長さんにとって経営とはなんですか?」

私は即座に「三方良しの実現」と答えた。

続いて「経営は楽しいですか?苦しいですか?」と質問があり、

「苦しい事の方がほとんどだけど、経営というプロセスが好きなんです。それと、志の貫徹」と答えた。

「好きだという事は理解できますが、社長の志は何ですか?」と問われた。

39年前、私が17歳の時に東建コーポレーション(株)の左右田鑑穂社長に出会い憧れて、左右田社長のような経営者になろう!と思ったことが志だと答えた。

すると、「みんなから夢を持ちなさい、志を抱きなさい、とよく言われますが、僕は夢も志もありません。取り敢えずは毎日、自分の稼いだお金でご飯を食べる事と仕事を休まない事です」と返って来た。

その答えを聞いて私は彼に充分な伸び代を感じた。志は何も立派なものである必要はなく、「こうしようと心に決めたこと」が志なのだから、

「君は一番の基本である自分の金でご飯を食べる事と仕事を休まない事という志を持つことが出来ているじゃないか!」と言った。

すると「夢や志はもっと大きな事だと思っていました。」と返ってきた。

「大きな夢や志を持つことは大事な事だけど、基本がしっかりしていないと、いくら大きな志を持っていても只の夢物語にしかならない。基本を継続しながら人生を進んで行けば、

その道すがら、これぞという志が見つかるかもしれない」といった内容の事を私は答えた。

20代の彼が言った「毎日、自分の稼いだお金でご飯を食べる事と仕事を休まない事」というのは、生きて行く為の基本で、これを毎日継続していても褒められことも無い。社会人なら当たり前のことだからである。しかし、この当たり前を継続し続けることは全然簡単ではない。しんどい。

私も過去に何度も、仕事がしんどくて、この基本を継続する事に心折れそうになった。その度に踏ん張り続けて軌道を元に戻したが、56歳の今であっても経営をしている限り不安がゼロになる事なんてないし、責任やリスク、不条理や葛藤にもさらされる。しかしそうした負の物全てを常に心に内包し共存しながらも、諦めず継続して行った先にこそ、今よりも少し良い未来があるのではないだろうか。

 

2018年

6月

05日

「一生恨んで、大人になったら必ず仕返しするからね」

昔、こんな事があった。

ふと思い出したので綴ってみたい。

 

これまでに何度も書いて来たが、私の亡き母は病弱で、入院することも多く、退院して来ても寝付いていることが多かった。

そんな母を、父の姉は事あるごとに責めた。

小言が始まるのは、きまって父が不在の時。小言の内容は病気のことで、母にとってはどうする事も出来ない不条理な非難であった。

寝付くことが多い病弱な嫁に、夫の身内がキツク当たるのは、当時の時代的背景と環境を考えれば、よくある事で、母は父に愚痴一つこぼさず我慢を重ねていた。

父の姉も、悪気のない素振りで叱責を当たり前の事のような態度でいたが、母は辛い思いをして落ち込み、いつも苦しんでいた。

幼い私に対して母は、そんな姿をあまり見せないようにはしてくれていたが、たまたま見ていた私もすこぶる心が痛く、何度も酷く傷ついた。

今でも当時の母の気持ちを考えると、毎回、涙が出て震えが止まらなくなり、悔しかった想いが蘇る。

あまり弱音を吐かない母であるが、ある日、

「あの人と私は、人としてどれほど違うのだろう?」

「あの人は私よりどれだけ偉いのだろう?」

「私は、なりたくて、こんな病気になったのではない!」

と私に小声で漏らしたことがあった。

この瞬間の事は心に焼き付き、まるで映画のように鮮明に思い出すことが出来る。

あの時、私は、

「叔母さんを一生恨んで、大人になったら必ず仕返しするからね」

と母を慰める気持ちで言った。

すると母は、

「人を恨む事は絶対してはいけない。仕返しは必ずまた自分にいずれ返ってくる。それなら人を恨むんじゃなくて、人が羨む男になりなさい」

と教えてくれた。

母が亡くなって何年経っても、私の悔しい気持ちは消えず、父の姉が憎らしかった。腹が立っていた。しかし最後のところで、私は母の言い付け通り、父の姉を恨む事はしなかった。

父の姉が住むところに困った時には、振り子のごとく「憎らしい気持ち」と「許そう」という気持ちの間を行き来したが、結局、私が所有する空き家を提供した。

父の姉は、亡くなる寸前に病院に入るまで、その家で暮らした。

父の姉は鬼籍に入ったが、(他にする人がいない為)私が約20年間、父の姉の墓掃除と墓守をしている。

渋々ながらも許して手を差し伸べたことで、激しい怒りは少しずつ昇華され、凪いだ心を取り戻した気がする。

この世では、父の姉の前で小さくなっていた母が、今頃あの世では、大きな顔をしてくれていることだろうと願う。

当社シニア事業部が運営するサービス付き高齢者向け住宅フラワーホームが、

住宅新報様の2018年5月22日号に掲載されました。

 

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2018年

5月

23日

雨の日も心の持ち方次第

先月、当社のシニア事業部が運営するフラワーホーム(サ髙住)にて、花壇の花の植え替えを行った。定期的に春と秋の年2回、植え替えを行っているが、今回は芝生や植栽のリニューアルも含めて、それなりに大規模に行った。

植替えの翌日は雨で、その後も連続3回に渡り2日おきに降雨に恵まれたお陰で花の根が土にうまく定着してくれ、当初は元気の無かった花も活き活きとした姿を見せてくれたのである。

お手伝いいただきましたご入居者様に深謝申し上げます。また施設職員及び本社から応援に出向いたスタッフの皆さん、たいへんご苦労様でした。

 

さて本社では半数以上の従業員が、徒歩や自転車、バイクや電車通勤等の「自動車通勤以外」である。その従業員たちは雨降りの度に異口同音、「雨ふりの日は嫌やなぁ!鬱陶しいなぁ!車の人は良いよなぁ!」と、この言葉を朝のあいさつ代わりに出勤してくるのである。

もちろん体は濡れるし、気温も急に下がり寒いし、私ぐらいの年齢になると気圧の変化が体調に影響を及ぼして、低気圧が近づくとたちまちに体の深部が変調をきたす為、私も皆と同じように「雨ふりの日は嫌やなぁ」と愚痴を零してしまうのである。

個人にとっては「嫌な雨」でも、草木や花々や農作物にとっては「恵の雨」であろう。人間の暮らしにとっても雨が必要不可欠なことも、誰もが理解している。でもやっぱり雨の日になるとそういう理屈は頭の奥に引っ込み、「雨の日は嫌い・・!鬱陶しい・・!」という感情を言葉にして発してしまうのである。

そこで私は、冒頭に書いた連続3回の降雨の日以降より雨の日は、いつもの朝の従業員との挨拶を「おはよう!今日も一日、無事故で!」から「おはよう!今日は花も喜んでいるわ!」に変えた。

 

何事も前向きな受け止め方をし、プラスの言葉にすれば、自分自身の元気がみなぎってくるばかりではなく、その言葉を聞いた周りの人まで明るくなってくるのではないだろうか。

要は心の持ち方次第で、同じ現象がプラスに感じたりマイナスに感じたり変化するのである。それならば、プラスに捉えた方が良いに決まっている。

ちなみに私は「大切な物が壊れた!縁起が悪い!」などと誰かが言っているのを聞いた時は、「本来なら自分が事故に遭うはずだったのを、その大切な物が身代わりになってくれたんや!縁起が良い!」と言うようにしている。

 

余談だが先日の雨の日、若手の従業員に「おはよう!今日は花も喜んでいるわ!」と言うと、「社長!なんで今日は嬉しいのですか?雨が好きなのですか?」と聞いて来た。

私の苗字が立花であるが故に、「花も喜んでいるわ!」をどうも「立花も喜んでいるわ!」と聞き間違えたようだ。

雨降りだったが、職場が陽気な大爆笑に包まれた次第である。

植替えの様子
植替えの様子

2018年

5月

13日

外見で人を判断

ビジネスで着用するスーツや制服は、戦国時代に置き換えると鎧と同じで、また髪型も兜と同じあると思う。

「人は見た目ではなく中身」だと言われているが、プライベートにおいてはそうかもしれないが、ことビジネスシーンにおいては違う。

以前に何かの調査結果で見たことがあるが、ビジネスシーンでの初対面の場合だと、ほぼ100%(プライベートでも80%以上)の人が「外見」でその人を判断すると言われている。

という事は、社会人は「自分が人からどう見えているのか」を意識する必要がある。

自分が楽な恰好や、自分が好きな恰好を優先してしまうと、だらしない人、変わった人などと思われて、ビジネスチャンスを逃してしまうことにもなるだろう。

 

先日、新大阪駅のエスカレーターで、私の前にいた年配のサラリーマンが若手の後輩サラリーマンを叱責するのを見た。

「なんでお前リュックやねん!そんなの絶対アカンやろ」

言葉につられて視線を向けると、若手の方が確かにビジネスリュックを背負っている。

私はビジネスリュックが流行っていることや、もはや常識になりつつある事は知っていたので、(この年配のサラリーマンは、そういう事を知らないのかなぁ?時代遅れやなぁ)と一瞬思いかけた。しかし、この二人が新幹線に乗って今から商談に行く相手が、もしそういう流行りを知らない年配の人だったり、畏まった席だったりしたら、リュックはカジュアルでくだけたな印象を与えるから、やはり都合が悪い。

TPOに合った身だしなみが出来ていなければ、マイナス評価からスタートの商談となる。

そう考えれば、この年配のサラリーマンが腹を立てる気持ちも分かるのだった。

最近はクールビズとエコブームの関係からノーネクタイでもかまわない風潮になってきて、私もノーネクタイにする事が多かった。しかしネクタイをするのが常識であった高齢者の世代の方は、その風潮や流行りを「現代の常識」とは取ってくれないかもしれない・・・という懸念がなんとなく私の中であった。そういう事を懸念するぐらいなら最初からネクタイをしておこうと思い最近は、特にシニア事業関連でスーツを着る時は、ネクタイを着用するようにした。

 

身だしなみについて綴っている私も、実は15年ほど前までは「人からどう見えるか」よりも「自分がしたい恰好」を優先させていて、服装も派手好きで髪型もパーマを掛けたりしていた。ハッキリ言って、かなり印象の悪い人間だったと思う。笑

「第一印象が悪くても私という人間を知ってもらったら、見た目と違って真面目に仕事する人だと分かってもらえる、なんならギャップで、かえって好印象なんちゃう!?」と思っていた時もあった。

確かにそういう変わった人間を面白がり、可愛がって仕事をくれる業界の先輩方もいたが、そういう方達のパーセンテージは多くない。気が付けば、売り上げが頭打ちし伸び悩むようになっていた。

その頃、私は気持ちの変化もあり、髪型や服装をいわゆる一般的なものに変えた。もちろん身だしなみだけではなく、経営者意識の覚醒>>の影響もあったと思うが、それまでは相手にしてくれなかった企業が私の話を聞いてくれるようになり、色々な企業から仕事の声を掛けていただけるようになった。

もし私が金髪やモヒカンの経営者だったならば、どんなに真面目に仕事をしていても、今の半分もお取引先様やお客様はいなかっただろうと思う。笑

なぜなら身だしなみや服装・髪型には、その人物の思考や生活習慣や価値観の一端が現れる。

変わった格好をしている人は、やっぱり中身も変わっているし、だらしない恰好をしている人は、やっぱり中身もだらしない。

 

ところで私は約15年ぶりに髪型を変えた。今の髪型はヒチサンである。