当社の仙台四郎さま

20数年ほど前に、近所の書店でふと目に留まり、「不思議な福の神、仙台四郎の解明―その実在と世界の分析 なぜ御利益は必ず訪れるのか!?」という本を読んだことがあります。

簡単に説明すると、本にもあるように実在人物である知的障害を持っていた主人公の仙台四郎さんは、いつも笑顔で街中を徘徊していたらしいです。そして四郎さんを温かく迎え入れたお店は結果的に繁盛し、また邪険にしたお店は倒産や廃業していったそうです。

そんな現象が重なって、「四郎さんは商売繁盛の福の神では?」という噂がだんだんと広まり、街中の人気者になって現在ではあちこちのお店や会社に縁起を担いで写真や置物がおかれているというノンフィクションの物語です。

ちなみに欲得尽くで、四郎さんの袖を無理やりに引っぱって引き込もうとしたお店には全く興味を示さず、そんなお店はのちに倒産していったらしいです。

 

では単純に、四郎さんの写真や置物を置いて拝めば繁盛するのか?というと、そういうわけではないと思います。

例えば四郎さんのような知的障害のある人が、屈託のない純粋な笑顔で、ふらっと店先に現れた時、「他者への理解と共感」を持ったお店は、ふらっと立ち寄った四郎さんの存在を受け入れ、温かさと敬意をもった対応が出来たのだろう思います。

一事が万事で、そんなお店は、全てのお客様に対しても分け隔てなく同じように温かさと敬意をもって接していたので、その結果、益々発展していったのだろうと思います。

つまり既に心の中に「福の神」をお持ちのお店に、四郎さんは好んで行かれたのでしょう。

 

では、どうすれば全てのお客様に対して分け隔てなく同じように温かさと敬意をもって接することが出来るようになるのか?

他者に対する温かさや敬意は、「他者への理解・共感」があるか無いかだと私は思います。

自分とは様子が違う人、たとえば障害を持った人(世の中には多くの障害があります。視覚障害・聴覚障害・言語障害・重症心身障害・内部障害・知的障害・精神障害・発達障害・肢体不自由・難病・高次脳機能障害)、に対して温かさや敬意を持って接することが出来るかどうか?

その違いは「知っているか、知らないか」が大きいと思うのです。人は知らないことや、よく分からないことは怖いと感じたり、距離を置こうとしたりします。

けれども知識や経験があれば、接し方が分かり、相手が何を苦手としているか、何を望んでいるのか?が分かるようになり、そこから更に想像力を働かせ、相手の気持ちを思い遣ることが出来るようになると思うのです。

 

当社では30年以上前から障害者の雇用を行っており、少しずつですが採用の人数も増やしてきました。もちろん大変なことも色々あります。

しかしハンディキャップのある彼らが居てくれることで、健常者の従業員が多様な障害への理解を深めたり、他者を見守ることを覚えたり、何度も繰り返し説明する根気強さを身につけたり、分かりやすい説明を心掛けたり、働いてもらいやすいように環境を工夫したり、苦手な部分を手助けする思い遣りを持ったり、色んなことを障害のある彼らから学ばせてもらっているとも感じます。

このような知識や経験は人を成長させてくれますし、心の豊かさにもつながると思います。

その心の豊かさは、先の仙台四郎さんのお話のように、「心の中の福の神」に繋がります。そして「心の中に福の神がいる社員」が大勢いる会社は発展出来る。そう私は考えています。

 

当社が障害者雇用をスタートさせた1人目の人物のM君は、体力的に働けなくなるまで約約20年間(1990年頃~2012年頃)に渡り軽作業をお手伝い頂きました。

彼が退職した日から、私のディスクマットにはM君の写真が挿んでいます。

直感的に当社の「仙台四郎さま」はM君だと思いました。(お顔もソックリなのです!)

M君が退職してから10年近い年月が経過しM君を知らない社員も増えてきましたが、あの純粋な笑顔を忘れず、私自身も今日このブログに綴った想いを毎日思い出す為にも、今後も引き続きディスクマットに飾らせて頂こうと思いました。

前にも書かせて頂きましたが私は経営者として、ハンディキャップがある人でも働きやすい環境を整えることと雇用の機会を創出していく事が、経営者の「義」であり社会的責任と考えます。そして自社を「心の中に福の神がいる社員」が大勢いる会社にし、皆と一緒に成長していきたいと考えています。

 

(関連ブログ:障害者について1>>2>>3>>

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