還暦のマインドセット

私は、まもなく還暦(満60歳の誕生日)を迎えます。

先日、地元の商工会シニアクラブ(敬老)から入会の案内状が届きました。

早速、内容を確認しましたところ満60歳から入会できる、地区と商工会の合同親睦会でした。

このシニアクラブへの入会について内心を語ると、

体力の衰えを感じ始めた5年前頃より、自分の老いを受け入れる気持ちと拒絶する気持ちがせめぎ合っており、今現在は、老いを受け入れる気持ちが49%、拒絶する気持ちが51%というところの為、まだ自分を「シニア」というカテゴリーの中に置きたくなく、地元の情報収集には良さそうだと思いながらも、今回はお断りさせて頂くことにしました。

 

さて私は製造業、サービス業、シニア事業等をさせていただいている関係で、様々な立場や年齢層の方と交流させていただく機会が多いです。

まず厄年を迎えた40歳くらいの方(外注工場の2代目・3代目社長等)が発言される言葉でよくあるのが、「もうこんな歳になってしまった。ついに初老です。」「30代の時は夜更かししても平気だったのに、近頃は体に堪えて、次の日に休むほどではないが朝起きるのと仕事がつらい。」など、自分の老いを覚え始めた戸惑いの声です。

そしてよく質問されるのが、「厄年の時に何か悪いことが起こりませんでしたか?」等です。

私は迷わず、「痔の手術したぐらい。当時、体力の衰えもあまり感じなかったし、気にすることはないと思う」と答えています。

 

次に50歳くらいの方(某銀行の支店長等)ですが、「最近は体力が落ちて疲れが翌日の朝になっても全く回復していません。そのうえ回復には2~3日かかります。」「体力にもう自信がありません。高齢者の仲間入りですわ!?もう駄目です。」など、自分の老いを嘆く声をよく耳にします。

私は50歳から通い出した人間ドックの話をさせてもらい、個人差はあるので一概には言えないけれど・・・と注釈をつけながらも、人間ドックの受診を勧めるようにしています。

ずばり言わせていただくと、私から見て40歳、50歳の方はまだまだ若々しく映り「老いを嘆くには早すぎる!」と思ってしまいます。

 

そして私と同じ還暦くらいの方ですが、皆さんが一様に「定年退職」についての不安や退職後の夢を語り始めることが多いように思います。

社会に出た日から40年近く背負って来た重い荷物を降ろせる日がいよいよ間近に迫り、解放される喜びや安堵や充足感が表情に表れている同年代を羨ましく思いながら、

私は「元気な内は嘱託や、たとえアルバイトでも働けるだけ働いて、そろそろ時間的にも余裕が生まれてくると思うので、今まで後回しにしてきたやりたいことも健康に留意しながら無理せずに同時進行でやればいいのでは!?」などと話しています。

 

さてここからは私より年長者の方々のお話になりますが、

70歳くらいの方に(商工会の顧問等)ですが、私が「次の誕生日が来たら還暦になります」「40年近く働かせていただいて来ましたが、あと何年、元気に働かせていただけるだろう!?」などと話すと、

「今の長寿社会で、還暦ぐらいの年齢で高齢者入りみたいな顔するなよ!!」「まだまだ今からやろ!」とズバッと切られ、一笑に付されます。

 

それが80歳くらいの方(地元の同業者長老等)になりますと、「80歳を過ぎて初めて周りの知古の方々がだんだんと亡くなり、居なくなってきたことに気付いて、初めて老いを受け入れるようになった。」「いずれはまあそうなるだろうけど、あんたは後、20年くらいはまだ大丈夫!」「立花君はまだまだ頑張れますよ!」と仰っていただき励まされます。

 

そして最後に90歳くらいの方(当サ高住の入居者の方等)は、「最近よく思うが、80歳代は100歳まで生きたいと思っていたが、結局人間はなぁ、自然に老いて死ねるまで、運命に逆らわず生きればいいと思う!」と深い重みのある言葉を賜りました。

 

このように様々な年齢層の方との交流の中から、まもなく還暦を迎えるにあたって、私が今思うことは、

身体という魂の器は、自然の摂理で年々老いて行くだろうが、それを悲観したり投げやりになってはいけない。自分の老いと折り合いを付けながら、昔のようには出来なくなった自分も受け入る。しかし老いに対して決して完全無抵抗の受け身にならず、自分で自分を諦めない。

少しでも健康に長生きが出来るよう、人間ドックに行ったり、運動したり、食事に気をつけたり、無理の無い範囲で生きている限り努力を続ける。

 

魂の老化は自分次第。

意識して人生を楽しむ。行動力とレスポンスの速さは私の強み。それを失わない。

新しいものに好奇心を持ち、アンテナを立てて世の中の潮流に敏感でありたい。

世の中の常識や価値観は早いスピードで変化して行っていることを心にとめ、学び続け、自分の認識を時代に合わせて修正して行く。

吉田松陰は牢獄の中でも、死刑が決まった後でも、勉強を続けたそうです。

そんな松陰を見て、何十年も入獄されて自暴自棄になっていた罪人たち、果ては看守までも、松陰と勉強会をするようになったそう。

 

最近知った言葉。

「アンラーニング」

環境変化の激しい現代社会に適応するために、自分の知識や価値観は既に時代に合わない古いものなのかもしれないと疑い、意識的に棄て去り、新たに学び直すこと。

学習(ラーニング)と学習棄却(アンラーニング)という、2種類のプロセスのサイクルをたえず回していくことが不可欠。