還暦オヤジになった同級生8名で雑魚寝の旅

先月、兵庫県南あわじ市の料理民宿にて、昭和55年度卒業の天理高校柔道部同窓会(54会)を開催させていただきました。コロナ禍により暫く開催出来なかったため、久しぶりの同窓会でした。

まず開催に際しまして御尽力いただきましたI君・M君に心より御礼申し上げます。また集まった全員に感謝いたします。

 

さて同年度の柔道部同窓生は14名でしたが物故者が2名あり、残り12名の中から8名の参加があり、(途中からはリモート参加も1名あり)1泊2日の柔道部寮生活型同窓会でしたので、当時と同じように一緒に風呂に入り、詰め詰めの布団で雑魚寝です。3年間、寝起きを共にした友人達とでなければ、こうはいかないでしょう。

全員が弱くなった酒をそれなりに飲みまくり、夜が更けるまで現況報告と昔話に花が咲きました。

卒業から40年以上も経過した、還暦という節目の高齢者に仲間入りしかけたタイミングでの同窓会でしたが、皆が集まると、あっという間に高校の寮生活時代の関係に戻り、60歳を過ぎた大人が、ここでは書けない昔の酷いニックネームで呼び合い、失礼極まりないことを言い合い、ふざけ合いました。

高校時代の寮生活は毎日が苦しみの連続でありましたが、反面、大騒ぎの連続でもあり、様々な楽しかったエピソードが昨日のことのように蘇り、語り合いました。

何十年経過してもこれほどまでに無邪気になれるとは、柔道部の寮生活で過ごした3年間がいかに濃密だったかがよく分かりました。

 

と、ここまでは同窓会のよくある風景で次は2次会の運びですが、還暦を過ぎますと体力も昔のようにはいかず、午後6時過ぎから始めた宴会も午後10時前には全員が疲れ果て、寮生活型同窓会でしたので当時と同じ雑魚寝で、一人また一人と次第に寝始めました。

雑魚寝と聞いた時から多少の想像はしていましたが、それにしても私を含めて全員が、イビキ、寝返り、寝言、唸り声、オナラ、壁を蹴る、交代で入れ代わり立ち代わり何度もトイレ行きの連続で酷いありさま。結果は全員が何度も目覚めて睡眠不足になり、夜中にアイコンタクトをしながら苦笑いを重ねました。

なかでも一瞬の恐怖を感じたのが無呼吸症候群です。

早めに寝たY君・S君・M君のイビキが急に止まったかと思うと、しばらく呼吸をしなくなります。水面から顔を出した時のようにグハッ!!と呼吸を取り戻し、すぐに回復はするのですが、中にはなかなか呼吸が戻って来ない奴もいて、だんだん不安になり、「おい、もしかして死んでるんちゃうか?」と隣のI君に声を掛けて、夜中に二人で真顔になりながら、静かになった同級生の顔をジーッと覗き込みました。

グハッ!!!と呼吸が戻って来たのを確認して、「生きてる・・・」と胸を撫で下ろしました。笑

朝起きてからお風呂で皆と話すと、結局は私も含めほぼ全員が無呼吸症候群でした。

 

物故者の2人も、きっと昨夜この同窓会に来てくれていたとの前提で、朝ご飯を食べる前に参加者全員が黙祷しました。起きている間は絶え間ない会話、寝ている間はイビキの嵐で昨日以降ずっとうるさかった私達でしたが、初めて1分程の静寂が訪れました。

この瞬間私は、懐かしいM君K君の二人が異次元への門を通過し帰って行ったような気が微かにしました。それぞれがどんなことを想ったことでしょうか?

 

朝食後に、今後は健康に留意して命ある限り毎年11月に集まろう!と決議したのちに解散になりました。

三々五々、帰路に就いたわけですが、後日に連絡を取り合うと、帰宅した日の夜は一同、寝不足と疲れと飲み過ぎで、久しぶりに一度も起きずに朝まで爆睡したらしいです!(笑)

 

本年もたいへんお世話になり誠に有難うございました。心より深謝申し上げます。

このブログで本年のブログの〆とさせていただきます。 

来る令和5年も皆様方のご多幸をお祈り申し上げると共に変わらぬ御厚情をお願い申し上げます。

 

(関連ブログ:恩師 加藤秀雄先生を偲んで>> 祈りが通じた日>> ゴールは無い>> 戻りたくなぁい~!!!>> 苦労と葛藤を一番したのは誰?>>

3年間、寝起きを共にした友人達とでなければ無理な距離感!