恩師 加藤秀雄先生を偲んで

平成25年1月1日 恩師である天理高校柔道部元監督の加藤秀雄先生が御出直し(お亡くなり)になられた。

 

天理柔道から学ばせて頂いたことは数限りなくあり、それが今の私の礎となっている。
私が柔道を辞めずに踏みとどまることが出来たのは、加藤先生の情熱のお蔭だ。

 

私が高校1年生の6月のこと。
入部して2ヶ月目。
あまりの練習の厳しさ辛さに、私はやる気を無くしていた。
どうやって辞めようか、毎日そんなことを考えるようになっていた。
そんな折、気の緩みもあって、練習中に右耳が縦に裂け、8針縫う怪我を負った。
ちなみに反対側の左耳も練習により、ピンポンボール玉ほどに腫れ上がっていた。
私のそんな姿を見た母親は相当ショックを受けたようだった。
当時、私は学校の寮で生活をしていたので、久しぶりに会った私の姿は、母を動転させるには充分だったようだ。
柔道を全く知らず、耳の潰れた息子の姿に心痛する母、柔道から逃げたい私。
私たち親子は退学することを決意して、加藤先生の元へ出向いた。
「やめさせてもらいます。来年、地元の高校を受け直させます。」と訴える母。
しかし加藤先生は首を縦には振ってくれなかった。
加藤先生は「息子さんは天理が責任を持って預かります。保証します。やる気ない者でも闘志のない者でも育てます。それが天理です。」「夏のインターハイが終わるまで様子を見てください。もうしばらく預けてみてください。」と、私を引き止めて下さった。
母も私も加藤先生の情熱と執念に押し切られる形で、再び柔道を続けることになった。
しかし母はやはり私の事が心配だったようで、ことあるごとに「辞めていいからね」と言い続けていた。

 

夏が過ぎ、たまたま帰省の折りに地元で柔道大会があり(確か淡輪町の町政30周年か・・・?)、私は出場することになった。
その大会で大人も含めた個人戦に断トツの強さで優勝させて頂くことが出来た。
驚いたことに天理柔道に入部してたった数ヶ月で、自分でも気づかぬうちに随分強くなっていたのだ。
母は、その時入院中だった為、大会を観戦することはなかったが、友人から私が優勝した話を聞いたそうだ。
それ以来母は、私が怪我をしてももう何も言わなくなった。

 

母と二人、加藤先生に退学を申し出に行ったあの時、もしも加藤先生が首を縦に振っていたら、私は沢山の素晴らしいことを知らないままで居ただろう。
あの日、踏みとどまれたのは、先生の柔道への情熱と天理柔道にかける執念があったから。
だから私は先生と天理を信頼し、柔道を続けることが出来た。

 

昨年、先生の講道館柔道九段昇段の記念品の湯飲みに
 続けることの よろこび 九段 加藤秀雄 とあった。
「諦めず気が遠くなるまで繰り返す」ことを教えてくれた先生であった。

 

 

今尚、また人生の最後まで先生の御指導は永遠です。
伏して先生のご冥福をお祈り申し上げるばかりです・・・!!