ー2019年ー

2019年

12月

28日

自分ばかり損をしている

以前からこのブログで何度も書いていますが、私は従業員が音を上げるほどの「掃除魔」です。

毎年当社では、自分自身も先頭に立って、約1か月間掛けて年末の大掃除を行います。

こんな掃除魔の私ですが、過去、掃除に関して「自分ばかり損をしている」と感じ、やる気を持てなくなった時期がありました。

本日は、年末の大掃除の時期ということもあり、年末のごあいさつも兼ねて、その当時の気持ちの変遷を綴ってみます。

 

さて私は、もともとの神経質な性格の影響で、若い頃から掃除魔で、いつも綺麗にしていなければ気が済まない質でした。

その掃除魔に更なる拍車が掛かったのが、平成10年に個人事業から株式会社に法人改組をして、志も新たに未来を拓こうとしていた頃です。

当時は事務所といっても工場の片隅に間仕切りを入れただけの作りでした。

私は雨の日以外はほぼ毎日、少し早めに起きて工場の前の道路を、社員の皆やお客様に気持ち良く会社に来てもらえるように掃除をしていました。

始業時間ギリギリに出社してくる従業員がほとんどでしたが、中には早めに出社する従業員もおり、私が掃除をしているのを見かけると「私たちが掃除します」と声を掛けてくれる者もいました。

しかし、そもそも自分自身がやろうと決めたことですし、手伝ってもらうと時間外労働になってしまうので、「だいじょうぶ」と断りました。

ところが1年も過ぎると声を掛けて来る従業員もいなくなり、早く来た者でも「おはようございます」と言って、朝の「当たり前」の光景を見る様な顔をして、ただ通り過ぎるだけになりました。

最初は「皆に気持ち良く会社に来てもらえるように」と思って始めた行動でしたが、それを当たり前のことにされるのは嫌で感謝してくれる事を心のどこかで望んでいたのかもしれません。

「いつもすみません」くらいは言えないのかと思う気持ちが芽生え始めました。

そこからまた半年ほど掃除を続けましたが、腹の虫が治まらなくなり、私は朝の道路掃除を止めてしまいました。

「皆の為にやってあげているのに当たり前にされている」「掃除をしている自分だけが損している」と思いました。

要するに、とても恩着せがましくて、身勝手な意識があったに他なりません。

その後、掃除を再開するきっかけは、1か月ほどして突然に起こりました。

工場では繊維を大量に扱っている為、掃除をしないと工場周辺や道路の隅々はあっという間に糸屑だらけになります。なんとその積もった糸屑にスズメが足を絡めてもがいていたのです。すぐに救出し逃がしてやりました。

その糸屑の中には虫も絡まっていたので、スズメはこれを餌にしようとして自分も絡まってしまったのでしょう。

「私が掃除をやめた」これは小さなことですが、それが要因となり、バタフライ効果のようにスズメが苦しい思いをする事態が起きてしまいました。私は反省しました。

この1か月間ずっと、「掃除をしない事」への罪悪感や葛藤があったので、これをきっかけにスグに再開しました。

「喜んでもらうためにする」「誰かのためにする」この気持ちも大切ですが、「感謝される」という見返りを期待して、その見返りが貰えないと、自分ばかり損しているような気分になってしまうものです。

だから考え方を変えました。

 

“自分が「やった方が良いことだと思う事」はやろう

自分が「やった方が良いことだと思う事」をやれば、自分が気持ち良い!

やった方が良いことだと思っているのに実行しないと、心がしんどい”

 

そう考え、その後2年ほど朝の道路掃除を続けました。そのうち事業数が増え、会社の敷地も拡大した為、一人では追いつけず、現在は従業員が就業時間の中で掃除をしてくれています。

やった方が良いことだと思っているのに腰が重くなっている方は、自分の為に是非やってみてください。

やってみると身体は疲れるでしょうが、心は気持ち良くなると思います。

人に言われてからやる場合と、自らの意志でやる場合と、気持ちが全然違うと思います。それは自己肯定感の向上にも繋がるはずです。

 

本年もたいへんお世話になり誠に有難うございました。心より深謝申し上げます。 

来年も弊社社員一同、業務に精励してまいりますので、変わらぬご厚情を賜りますよう、伏してお願い申し上げる次第であります。 皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

<お知らせ>

11月11日、泉南市なみはやグランドにおきまして、 泉南市グラウンドゴルフ協会主催「泉南市グラウンドゴルフ大会 第7回フラワーホームカップ」を開催いたしました。

 

当社の「社会福祉の向上」と「地域社会への貢献」への取り組みの一環と致しまして開催させて頂いております。

 

詳しくはこちら1>> 2>>

第7回の大会レポートを、第8回大会で皆様にお配りしました

2019年

11月

01日

「理想的な経営者」≠「理想的な人」

先日ニュースで、小学校で思考実験「トロッコ問題」を資料にした授業があり、児童の保護者から「授業に不安を感じている」との指摘を受けて、校長が授業内容を確認していなかったとして、児童・生徒の保護者に文書で謝罪したというニュースを見ました。

 

トロッコ問題とは、以下のような問題です。

線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは猛スピードのトロッコが前方で作業中の5人に避ける間もなく衝突してしまう。

この時たまたま、あなたは線路の分岐器のすぐ側にいた。あなたがトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でも1人が作業しているため、5人の代わりに1人がトロッコに確実に衝突する。

さてこの場面で、あなたはどちらかを選ぶか?という問題です。

A. 何もしない。(トロッコは5人に衝突する)。

B. レバーを引く。(トロッコは1人に衝突する)。

考えただけでも、しんどくなるような問題です。

しかし長年経営をしていると、このトロッコ問題のような苦しい選択を迫られることが実際に何度もあります。

 

詳細は伏せますが、実はある出来事から1年間ほど、夢で魘されるほど悩み続けてきました。

私の中に「人としての自分の理想像」というものあり、それイコール「理想の経営者像」でもありました。羅列するのは恥ずかしいですが、義理や人情に厚く、人から頼られたらその期待に応え、言外の意味を汲み取って配慮してやり、人望が厚く、立場の弱い人にほど優しく、困った人が居たら手を差し伸べ・・・まぁつまり昭和の浪花節です。そういう男が私の理想の男で、理想の経営者でした。

しかしその「自分の理想像」イコール「理想的な経営者」ではないということは、合理性を重視した社会へと時代が進むにつれ薄々と、しかし次第にハッキリと理解できるようになりました。

義理人情に厚い経営者よりもムダを切れる合理的な経営者の方が求められている時代です。

いざという時には、経営者は冷徹になって義理や人情を切り捨てなければ会社の未来を守ることができません。

しかし「私個人の思い」と、「経営者としてしなければならない事」が相反すると苦しいです。

この件で相談や愚痴を聞いてもらった数名の方からの助言を要約すると、

「あなたの会社の企業理念は三方良しでしょう?あなた個人の思いやりで事を進めたら、もうそれは三方良しを逸脱してしまう。あなたと相手方以外の第三者の存在を忘れている。ビジネスにおいて第三者がこうむるかもしれない不利益と影響を考えていない」

というようなお話を頂き自分自身でもその通りだと思いました。

 

プライベートな問題ならば、自分が良い顔をしたければ良い顔をして、自分だけが不利益を被れば良いですが、ビジネスには多くの人が関わってきます。

ビジネスである以上、利益を生み出し従業員たちの暮らしを守って行き、社会へ貢献して、またお客様に良い商品やサービスで還元していかなければなりません。

その為には厳しい対応をしなければならない時もあります。

トロッコ問題じゃありませんが苦しい選択と向き合うこと、その選択の責任を負うことが公器を守る経営者としての務めなのでしょう。

 

2019年

10月

03日

承認欲求のデメリット

すでに何度か書いていますが、私が生後8か月目頃から母が大病を患い長期入院を繰り返しながら人工透析を行っていた関係で、私はあちこちの親類の家に預けられていました。

記憶が有るのは4~5歳くらいからですが、その頃、私の中心に常時あった感情は「不安」でした。

先ず思い出すのは、「大人の都合から見て良い子でなければ、親類の家では大事にしてもらえない」という不安を強く持っていたことです。

だから大人達の気持ちを読んで先回りして行動して喜ばせたり、言外の意味を汲み取って期待に応えたりすることに一生懸命になっていました。

この性質は今でも変わらずで、この歳になっても、例えば小さな連絡事項においてもすぐに返事が無かっただけで「もしかしたらどう取られたのだろうか?」とか様々な不安を抱いてしまい、相手の意に沿えるように必要以上の気遣いをしてしまったり、普段の会話の遣り取りにも神経をすり減らしたりしてしまう事があります。

但しこの感情は私だけではなく、一般的な社会生活を営む中ですべての方が多かれ少なかれ経験する感情でしょうし、相手の気持ちを慮ることによって、社会性と人間関係の秩序が生まれるというメリットがあると思います。

また社会生活を通して子供ながらに自分自身が成長して行く過程で「気遣い」や「大人の都合」を受け入れる事は、感情面で「人生のバランス感覚」を養う上でも大切な生活態度だと思います。

別の角度から考えると、他者から認められ大事にしてもらいたいという承認欲求の現れでもあり、今でもこの承認欲求は向上心や自分自身を成長させていくために努力を惜しまない為の原動力にもなっているような気がします。

 

しかしながら、デメリットもあります。

会社を経営していると、「当てにされる」「頼られる」ことが頻繁にあります。

上で記したような性格から、頼られるとNOと言いづらく、本音では嫌々ながらも引き受けてしまう事も多かったです。

しかし初めは遠慮がちだった相手も、次第に頼ることに馴れ、簡単に頼って来るようになります。すると私は「頼られているのではなく、利用されているのでは?」と感じ不満や負担を強く感じるようになってしまいます。そう感じながらも、そんな小さな器の男だと思われたくなくて、その感情を隠すのです。

しかし、ある時ふと思いました。これは幼い時に親戚の家を転々としていたトラウマなのではないかと?

親戚を喜ばせることで、「僕はこの家に居て良いんだ」「この家にいる価値のある人間なんだ」と安心した時と同じです。

先方の期待に応え、多少なりとも恩を感じてもらうことで自分自身の存在価値を無意識ながらに確認していたのだろうと思います。また相手に私を「価値のある人間だ」と感じて欲しいという私の中の承認欲求が、依存しがちな人達を引き寄せてしまっていたのかもしれないと思うのです。

また本来私がするべきではない事にまで手助けしてしまうと、長い目で見れば本人の為になりません。

経営者ならば、もっと客観的・大局的・合理的な視点を持たなければならなかったのに、一部の他者の反応や評価を意識し過ぎて、経営者として正しい選択が出来ていない時があった。未熟であった。

と煩悶しながら、このブログを綴っています。

<お知らせ>

この度、丸竹コーポレーション株式会社では、健康経営宣言を行いました。

全国健康保険協会大阪支部様と連携を図り、全ての従業員が健康で元気に仕事に取り組めるよう健康経営の推進に努めてまいります。

 

詳しくはこちら>>

2019年

9月

15日

ミス発生!チームワークでリカバリーを

先般、当社の営業の一人が、製品の受発注業務で、御得意さまの商圏にさえ影響を及ぼしかねない規模の大きな失敗をしてしまいました。(関係者の皆様には、ご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます)。

二度と同じミスの無いよう原因を調べ、再発防止策やその仕組み作りをする事が最重要です。

しかし今回このブログでは、ミス発生とチームワーク(組織力)に注目して書こうと思います。

 

たいていの場合ミス発生時、担当者は、かなりの叱責を受ける事を覚悟して悲痛な顔をしながら私の元へ報告にやって来ます。

私は、勤務態度、接客マナー、社内清掃、時間については大層うるさく叱責するので、厳しい社長という印象を従業員から持たれているかもしれませんが、実は業務上の失敗においては、どんなに大きな事例であっても従業員に対して叱責したことは一度もありません。

前述した勤務態度等の項目については本人の意識の高い低いの問題によるものですが、ミスは誰にでも起こりうる問題で、熱意を持って仕事に取り組んでいても発生してしまうからです。

 

ミス発生の報告があった場合に私が必ず行うことは、冷静沈着に心を落ち着けること、そしてそのミスに関する情報を担当者とすべて共有することです。

ミスが発生すると通常、担当者は動揺してしまうものですから、上手くまとめて状況説明をするのは難しいものです。ですから内容を3回以上、繰り返し聞き直し(軽微なものは除く)、状況把握の精度を高めるようにしています。

と言っても今の当社の場合、私に指示を求めるケースは少なく、すでに担当者はリカバリー案を用意している場合が多いです。

担当者から先方に報連相のあと、トップとして謝罪を間髪入れず行います。この時点でアポが取れた場合には、即座に担当者と共にご訪問もさせて頂きます。

トップが案件を把握して全社を挙げて対応に当たっていると知っていただく事で、多少なりとも安心感を覚えて頂けるのではないかと思います。

 

ミスが発生してしまった後は、お客様に迷惑をかけないように、どれだけフォローさせてもらうか、どれだけ迅速にリカバリーを行うかが重要になります。

その為には周りの協力が必要不可欠になって来ます。

一緒になってリカバリーに取り組んでくれる者、今日する予定だった仕事を代わりに引き受けてくれる者など人手が必要になります。

普段からコミュニケーションを図り、情報共有を行っていれば、皆が当事者意識を持ってスムーズに協力を得ることが出来ますが、普段のコミュニケーションが疎かになっているとフォローを頼みにくいですし、「自分には関係ないこと」のような顔をされるかもしれません。そしてそのような顔をすれば、今度は自分が失敗した時に返って来ます。

誰かの失敗をフォローすることは、一気に絆を深めることが出来る良い機会です。

 

一人で働いているわけではないので職場には信頼関係が欠かせません。

組織の力を最大限に引き出すためには、全従業員が交流を深め、気兼ねなく意見の交換が出来、風通しの良い、お互いを思いやれるような環境作りが大切です。

近年では飲みにケーションに批判の声も多く聞かれますが、一緒に飯を食うことは信頼関係や結束力を深めるための糸口になると思います。夜ではなくランチ会を選択肢に入れるなど、色々工夫しながら従業員同士でのコミュニケーションを深めて行ってもらいたいですし、そういう環境を整えることが経営者としての役割の一つだと思います。

 

2019年

8月

13日

あぁ早すぎ!価値観の変化

意識して情報収集するようになってからは特に、時代が凄いスピードで変化して行っている事を、恐怖心を覚えるぐらいに感じています。

 

【所有することへの価値観の変化】

トヨタは「脱・車メーカー宣言」をし、モビリティ(移動)サービス事業の会社に転換していくと宣言しました。その背景には、「成人になったら車ぐらい持っていて当たり前」といった価値観を持つ者が少なくなり、「必要な時にだけ借りれば良い」という「シェア文化」が広がっていることが背景にあります。

時代は、所有する時代からシェアする時代へと変化して行っているようです。

月額定額制(サブスク)で、洋服やバッグをレンタル出来るサービスなども流行しているようです。音楽や映画もそうです。CDやDVDを買うのではなくサブスクで視聴する人が増加していますが、これもレンタルのようなものです。

インターネットを通して個人が容易にモノ・場所・乗り物etcを貸し借り出来る「シェアリングエコノミー」は、もっと発展していきます。

そうなれば物を所有することへの価値観は変化します。

 

【会社というものの価値観の変化】

いま大企業が続々とリストラを打ち出しています。

みずほフィナンシャルグループが1万9000人の人員削減、損保ジャパンが4000人削減、日産が世界で1万2500人削減etc。

「大リストラブーム」と揶揄する新聞もあるほどです。

経団連会長ですら終身雇用の限界を公言する時代です。そして働き方改革で、政府が副業を推進している時代です。あまりの流れの変化に戸惑っている人も多いのはないでしょうか?まさに私もその一人です。

当社は田舎の中小企業ゆえに、従来の日本企業っぽい「社員は家族」のような想いで経営して来たので、合理的というかドライな雇用関係や働き方改革に戸惑う気持ちがあります。

私の世代では多くの人が、「この会社で定年まで勤めあげる」という希望を持って就職していました。

しかし、大手企業のリストラのニュースを恒例行事のように見て育った今の10代の若者たちが社会人になる時代には、会社に希望なんて持たないのが当たり前になっているかもしれないな・・・と悲観しています。

悲しいかな、利害関係の一致だけで結びつくドライな割り切った雇用関係が一般的になっていくのでしょうか。

 

【暮らし方への価値観の変化】

驚いたのですが、かつて標準世帯と呼ばれていた「夫婦と子」の世帯は、構成比で今や3割弱しかいないそうです。一番多いのは、単身世帯(一人暮らし世帯)で構成比の35%を占めています。

単身世帯より「夫婦と子」世帯のほうが上回る県は、2015年時点では、埼玉・奈良・岐阜・滋賀・群馬・富山の6県ありましたが、2040年にはゼロになるそうです。

 

今日は価値観の変化について綴って来ましたが、最後に私の母方の祖母(故・亀田マツ)について書かせてください。

祖母は、すさまじい程の大変な苦労を重ねて歩んで来た人で、晩年は、夏の暑い日に洗濯物を干している最中に倒れ、寝たきりとなりました。

そんな祖母の語録を紹介させて頂きます。

・人間は朝起きたら寝るまで座る暇はない。(祖母は一日中働いていた)。

・ご飯は座って食べるな!(時間短縮のため、祖母は立って食事していた)。

・ご飯は只の働くためだけの燃料補給だから、黙々と喋らず只々さっさっと食え!

・眠れない日は寝なくていいが、明日の仕事の為に横になったら体は動かすな!

・夜は最後に寝て、朝はニワトリを起こしに行け!(幼少時に預けられていた数年間、祖母が寝ている姿を一度も見たことがない)。

 

いかがでしょうか?今の時代では考えられないような価値観ですが、価値観は時代とともに変化して行くものだから、正しいも間違いも無いと思います。

ただ、こんな祖母に育てられたからこそ、あの時、乗り越えることが出来たんだと思えるような場面が、人生に何度かありました。

2019年

7月

17日

手紙・履歴書

先月、当社シニア事業部が運営するサービス付き高齢者向け住宅フラワーホームに、中学2年生の女子生徒さんが2日間に渡り、職業体験学習に来られました。(くわしい様子はこちら>>)。

体験後しばらくして、フラワーホームに手紙を送って来てくれました。

一文字一文字とても丁寧に書いたであろうことが推測できる折り目正しい文字で、職業体験のお礼と、将来はフラワーホームで働きたいといった内容のことが、4枚に渡り書かれていました。

まだ中学生の生徒さんですから、これから数多くの事を経験し、たくさん悩みながら夢を見つけ、将来の進路を決めることでしょう。

しかし、「ここで働きたい」と一時でも思ってもらえたこと、そしてそう思ってもらえるような働く姿を見せた従業員たちを誇らしく感じ、手紙を読みながら胸が熱くなりました。

 

ところで現在、深刻な人手不足が叫ばれています。その中でも特に介護業界は厳しく、介護施設の66%が人手不足なのだそうです。

当社でも波はありますが、現在のところ人手には困っていません。

有り難いことに、名前が浸透し始めてからは、予算をかけて募集をしなくてもHPを見て履歴書が送られて来ることが増えました。1か月に3通届いた月もあります。

届いた履歴書は、内容を丁寧に一つずつ精読させていただいています。

お互い無駄足にならない為にも、紙面の少ない情報に神経を尖らせると、そこはかとなく紙面内部から私に語りかけてくれることが多く有ります。

一つ例を挙げると、字の上手い下手ではなく、丁寧に書かれたものなのか、そうでないのかは直ぐに判断がつきます。上記の中学生の手紙のように、一文字一文字丁寧に書かれたものは心に響きます。しかし、もし雑な文字でザっと書かれていたら、同じ内容だったとしてもこんなに心へ響くことはなかったように思います。

 

誰かの、なにかの足しになるものならと思い、「面接時、意外とこんなところを見ています」という点を付言しておきます。

【脱いだ後の履物】

当社のオフィスは土足厳禁でスリッパに履き替えていただくのですが、緊張の為もあるのか脱いだ靴の存在を忘れてしまっていたり、面接後にホッとして、使ったスリッパをそのままの形で放置したまま・・・なんて方もおられます。もちろん、これだけでは判断しません。

【自家用車】

お見送りの際に、車の止め方や整備具合を見ています。斜めに止めていたり、車の傷や凹みをそのままにしていると、先ほどのスリッパの件と合わせて、この人は細かい事が苦手な大雑把な人なのかな?と判断します。去り際に、雑然とし車内が目に入ると、「あぁやっぱり」と確信に変わります。

ここで職種によっては不採用を選択せざるをえなくなります。

 

あとこれは合否に関係なく、ただの好奇心なのですが、祖父母の生年月日を尋ねることがあります。クールそうな、もしくは合理主義的風な若い応募者が、淀みなくスラスラと祖父母の生年月日を答えたりすると、違う一面が見えたような気がして、ほのかに頬が緩んでしまいます。

生徒さんからの手紙
生徒さんからの手紙

令和元年6月20日(木)、泉南市なみはやグラウンドにおきまして、 泉南市グラウンドゴルフ協会主催「泉南市グラウンドゴルフ大会 第7回フラワーホームカップ」を開催いたしました。

 

詳しくはこちら1>>  2>>

優勝者~3位までの男女
優勝者~3位までの男女
第6回の大会レポートを、第7回大会で皆様にお配りしました
第6回の大会レポートを、第7回大会で皆様にお配りしました

2019年

6月

25日

新しい制度を始めます

新しく始めた制度のことを書く前に、現在すでに行っている、「提案制度」について紹介させてください。

当社では、業務改善・新規企画・アイディアなど、何か良い提案をしてくれた従業員に報奨金を支給する制度を設けています。

社長賞の100万円の受賞者はまだいませんが、過去に50万円(1名)、30万(2名)、10万円(5名)、1~5万(多数)の実績があります。

正社員はもちろんのこと、パートやアルバイトであっても尻込みせず提出するようにお願いしています。そして審査や実施までのスピードは、中小企業の特性を生かして可能な限りスピーディーに行っています。

この提案制度の導入により、従業員の仕事へ取り組む姿勢(モチベーション)が飛躍的にアップしたと感じます。

採用されるような「新規企画案」を生み出すのは難しくても、「日々の業務についての改善案」などは思い付きやすく、改善すれば本人も仕事がやり易くなり、その結果、生産性が向上し、そのうえ賞金が貰えるというWin-Winです。

改善すべき点に気づいて、新しい方法を自分の頭で考えて、自分達で責任を持って実行する。その小さな積み重ねが、会社の発展に大きな貢献をもたらしてくれると思います。

ですから、思い付いたことはどんな些細な事でも、どんどん改善提案をしてもらっています。

大きな改善より小さな改善の方が、会社としてもすぐに実行できるので、数多く採用することになります。自分の提案が何度も採用されることで充実感を得ることが出来ると共に、従業員の改善意識も高まっていきます。

やってみてダメだったら直ぐに元に戻せば良い!ぐらいの姿勢で、まずはチャレンジしてみる事の方に重きを置いています。

 

前置きが長くなってしまいましたが、今月から「情報提供制度」を設けようと思います。

企業にとって情報は経営資源です。

今年最初のブログで、私はESGについて書きました>>

ESGとやらが世界で注目されていることや、当社がすでに行っている取り組みの数々がそのESGに値する等の情報を教えられた時、私は衝撃を受けました。すぐに当社HP上で、当社の取り組みについて>>情報発信を行いました。そうすることで様々な良い波及効果が生まれました。

情報というものの重要さを見た思いです。

私自身出来る限りアンテナを高くし、世の中に氾濫するさまざまな情報に触れながら、取捨選択を繰り返し、有効な情報は経営に取り入れ、またこちら側からも情報発信して行くということを心掛けて来ました。

しかし、情報量が爆発的に増えて行く現状では、1日24時間では自ずと限界が生じます。

そこで、より多くの情報を得るために、「情報提供制度」を設けようと思います。

最初に書いた「提案制度」と同様に、どんな小さな情報でも提供してほしいと考えています。

例えば、「備品は、あっちで購入した方が品質は同じなのに安い!」とか、そんな小さなことからで良いのです。

まずは、従業員一人ひとり、今よりも少しアンテナを高く設置してほしいです。

ということで、情報提供制度スタートします!

●当社は、大阪府から障がい者の雇用や就労支援に積極的に取り組む企業として、

大阪府障がい者サポートカンパニー」の中でも「優良企業」として、令和元年5月27日に登録されました。

 

詳しく見る>>

2019年

5月

25日

変容し続ける会社へ

おかげさまで、当社は今年で創業67年目になります。

会社HPに載せている沿革>>からお分かりいただけるように、時代の変化とともに取扱商品の付加価値を高めてまいりました。

例えば難燃毛布の製造開始や、エコマーク毛布の製造開始、その延長線上に毛布の真空パック加工業の開始や、クリーニング業の開始があります。

近年は、国際規格であるISO9001品質マネジメントシステムや、ISO14001環境マネジメントシステムの認証取得、

また、太陽光発電の導入や、次亜塩素酸水を使用したクリーニングを導入し、環境負荷低減による付加価値の向上へ取り組みを行っています。

また2013年からは、社会のニーズに合わせ、災害備蓄用衛生用品の取扱を開始いたしました。

近年では、高齢者住宅事業、介護サービス事業、医療事業へも進出させて頂くようになってきました。

単なる多角経営にならないように、各事業部を相互に連携し、相乗効果を生むビジネスモデルを創出し、身の丈を超えない規模内で、毎年のように様々な変革を繰り返しながら、会社を成長させて来ました。

しかし今、これまでの経験が役に立たないほどの大変な変化の時代を、日本は迎えようとしています。

新しい時代へ>>」でも書きましたが、日本はこれから凄まじい少子高齢化×人口減少社会へと向かって行きます。

資料によると2030年には人口の3分の1が65歳以上になるそうです。また2060年には日本の人口は30%も減少し、8700万人ほどになると予想しているメディアもあります。

これまで多くの企業は、大量消費や人口増加を基にした「売り上げ規模の追求の経営」を行って来たと思いますが、人口減少により経済の前提が変化して行くため、これまでの経営をそのまま続けて行くと、いずれ行く先に暗雲が垂れ込める事になると思います。

経営者は脳みそを「人口減少時代の経営」にガラリと変化させなければなりません。

少子高齢化×人口減少社会を、世界で初めて経験する国は日本です。

皆、初めての経験です。歴史や他国から学ぶことが出来ません。

こんな時代に、私のような田舎の経営者はどんな風にして会社を持続させて行けば良いのだろうか?と悩みます。しかし全員が未知な世界だからこそ、既成概念に囚われず、また恐れず、新しい事や良いと思う事を、スピードを持って次々と実行して行ってやろう!と思っています。

当社が運営するサ高住での「入居者様アルバイト制度>>」も、その一つです。

 

また労働人口の減少で、人材の確保が年々難しくなって行くでしょう。その為には生産性を上げなければなりません。

生産性を上げる為には自動化領域の拡大や、AIやロボットの導入なども考えて行かなければなりません。

スマホもろくに使いこなせていない私がAIなど可笑しな話ですが、世界はもう電力や車やインターネットの無い時代に戻れないのと同じように、デジタル化の流れは不可逆的に拡大して行くのみでしょう。

社会の変化から取り残されないように、会社も私も変容し続けて行かなければなりません。

●当社シニア事業部が運営する、サービス付き高齢者向け住宅フラワーホームが、

高齢者住宅新聞様2019年5月1日号に掲載されました。

 

※記事を拡大する(PDF)>>

2019年

5月

14日

甲子園

先月、45年来の親友だったN君が亡くなりました。

彼とは地元中学校の同級生で、同じクラスになったことは一度もありませんでしたが、中学1年生からの付き合いでした。

友人になったきっかけは、校内体育祭で騎馬戦をすることになり、隣のクラスにいた体格の良い彼に私の方から「騎馬戦の馬を一緒に作ってくれへんか?」と声を掛けたことが始まりでした。

あと一人、I君という同じくらい体格の良い子にも声を掛けて3人で土台の馬を作り、その上に学年で一番体重の軽かったU君に乗ってもらいチームになりました。

結果、校内体育祭で私たちの馬は3年間負け知らずでした。

 

当時のスポーツ少年の誰もが「巨人の星」や「柔道一直線」を観て憧れていたように、中学卒業後は、N君は当時の野球強豪校 和歌山県箕島高校の野球部で甲子園を目指し、私は奈良県天理高校の柔道部で日本武道館を目指しました。

学校は違いましたが共に一流選手を目指して頑張る者同士として、互いに励まし合いながら、高校生になっても付き合いは続きました

その後、彼は肘の怪我と肝炎を患い、甲子園出場の夢は断念しましたが、社会人になって以降も野球を続け、地元の強豪草野球チームでピッチャーとして大活躍しました。

卒業後の数年間、彼は父が営む精肉店を手伝っていましたが、平成元年にその関連性を生かして、泉南市で焼き肉店を開業しました。

その名もずばり、青春の夢を託した「焼肉 甲子園」です。

持ち前の何事にも一生懸命で明るく優しい人柄は、多くのお客さんに親しまれました。

また、精肉店に生まれ育ったこともあり、肉の品質に関してはたいへんな目利きでもあった為、あっという間に近隣の市町村からも大勢のお客さんが押し寄せる泉南で一番の繁盛店になりました。

 

ある日、こんなことがありました。

当社に東京から来客があり、その日の夕食(接待)を甲子園に予約させてもらいました。

予約時間に甲子園に行かせてもらいました。が、不思議な事に本来なら予約なしでは座れない繁盛店なのに、ましてや夕方の最繁時だというのに客は私達だけです。

そこで私は、「今日はお客さんが少ないから、飲食時間120分を超えてもいいか?」と聞くと、「明日の朝までかめへんで!今日の客はタッチャン達だけやから! 今日は定休日やから、久しぶりに誰も来ないから、ゆっくり食べてや!」と言うのです。

私はその言葉を聞いて初めて、この日が定休日だったことを知りました。

定休日にもかかわらず、私の東京からの来客の接待と聞いて、一言も定休日には触れず、予約を受けてくれていたのでした。

帰りに店先を見ますと、確かに、のれんが掛かっていませんでした。

申し訳なさと、そしてN君の人柄と、親友としての気遣いに頭が下がりました。

後日、N君に尋ねると「つれの仕事の接待やったら、店しめれるかいな!」と話してくれました。

この一つを取ってもN君の人柄が偲ばれますが、他にも沢山のエピソードが思い出されて、胸が一杯になります。

 

最後に「焼肉 甲子園」に行ったのは1月の末頃だったのですが、帰り際に店先で、N君が「タッちゃん、握手しよう?」と声を掛けて来ました。

体調の悪さを年末から聞いていたので、私は親友を励ます意味で、「お前が病気を克服して元気になったら、記念に握手しょうや!病気がなんぼや!野球の練習に比べたら軽いもんやろ!」と断わると、「ホンマやな!箕島の練習に比べたら屁でもないわ!よっしゃ分かった!待っといてくれ!」と返ってきました。

その後も何度か携帯電話では話しましたが、会ったのはこの日が最後になりました。

訃報を夜に聞いて翌日の朝に自宅へ伺い、静かに眠るN君の布団の中に手を入れて握手をしました。

N君は、野球で甲子園に行くという少年時代の夢は叶いませんでしたが、平成の始まりから終わりまで30年間の長きに渡り、野球を経営に置き換えて「焼肉 甲子園」と命名した自分の店を繁盛させ続けたことによって、その夢を達成したように思いました。

 

N君、長い間お疲れ様でした。そしてありがとう。

 

2019年

4月

28日

有ることが難しいもの

2004年6月、天理高校柔道部の一つ先輩である石井兼輔先輩(生涯の縁>>)が、国際武道大学 武道学科の教授に就任されました。

当時、そのお祝いの会が出身地(兵庫県洲本市・淡路島)で開催される為、先輩は帰島されることになりました。

私と、一つ後輩である兵庫育英高校柔道部 有井監督も、その帰島に同行させて頂きました。

関西空港にて3人で合流後、フェリーに乗りました。

淡路島の洲本港に船が到着すると、「祝 石井兼輔先生 教授御就任」と書かれた横断幕を掲げる人々が目に入りました。

大変な歓迎ぶりで、市議会議長、市教育長、市農協理事長、恩師、同級生等(約50名)の皆様方が、石井先輩の帰島を待ち受けていらっしゃいました。

下船と同時に先輩は握手攻めにあいながら、「ありがとうございます」と何度も手を握り返し、涙を浮かべられていました。

その様子に私や有井も涙が出ました。

その後、宿泊する旅館で暫くの休憩後、夕方から先輩の幼馴染の料亭で祝賀会が始まりました。

冒頭で石井先輩の就任報告があり、順番に御来賓の皆様方のごあいさつへと移行して行きました。

その時、乾杯の音頭をとられた御来賓のごあいさつが、未だに心に残っています。

要約してみます。

「普通の乾杯は、皆さまの健康と石井君の教授就任を祝して乾杯というのが普通かもしれませんが、今日は敢えて乾杯とは言わず、『石井教授ありがとう!』と言わせて頂きます。

なぜならば、ありがとうは『有り難い』から変化した言葉で、『有ることが難しいもの』であり、当たり前ではない奇跡だということです。

石井君は到着直後から『ありがとうございます』と何度も我々に言ってくれていますが、私は『有ることが難しい祝賀会に感謝しています!』と聞こえていました。

つまり私たちは『奇跡!(有ることが難しい)奇跡!(有ることが難しい)』と、寿ぎ合っているということだと思いました。

日常の出来事も、今生きていることも、自分という存在さえも、全て『当たり前ではない有り難いこと』の連続なのです。」

そう仰ると、高らかとグラスを掲げ「石井教授ありがとう!」と乾杯の音頭をとられました。

この後は例によって例の如く、来賓の西嶋先生(兵庫県柔道界の重鎮)を始め、ほとんどの方が柔道経験者だったので、体育会系によくある無礼講になったので内容は書けません。(笑)

最後は石井先輩の謝辞で締め括られました。

「自分を育ててくれた淡路島の皆さまに感謝の想いを伝えたく、戻ってまいりました。

明日、少年柔道教室の講師をさせて頂くことは、地元への恩返しだと思って一生懸命務めさせて頂きます。ありがとうございました」

と締められた瞬間に、一同割れんばかりの拍手が起こりました。

 

ちなみに、「有り難い」の反対語は何だと思いますか?

「当たり前」なのだそうです。

今、自分を取り巻くあらゆる事項を、「当たり前」と見るか「有り難い」と見るか、

その見方ひとつで、人生は冷え冷えとしたものにも、暖かなものにも、変わるように思います。

●当社シニア事業部が運営する、サービス付き高齢者向け住宅フラワーホームが、

週刊住宅様2019年4月15日号に掲載されました。

 

※記事を拡大する(PDF)>>

2019年

4月

14日

新しい時代へ

もうすぐ平成が終わり、令和という新しい時代を迎えます。

30年前、「新しい元号は『へいせい』であります」と、小渕官房長官が白木の額を掲げる様子を、私は不動産会社のテレビで見ていました。

 

1989年〈昭和64年〉1月7 日に昭和天皇が崩御されました。

私は当時26歳になったばかりで、朝一番から、父の会社の従業員や下請けさんが前日に生産した毛布用紡績原糸をトラックに積み込んで、営業活動を兼ねてお得さまへ配達に回り、午後は自分個人で開業していた不動産業の営業活動に回るのが日課でした。

天皇陛下の崩御を知ったのは、朝の配達中、トラックの車載ラジオの放送でした。

そして午後になり不動産業で訪ねた三栄土地建物(有)の事務所の中で観たテレビ放送で、初めて新元号の平成を知りました。

これが私の平成の幕開けです。

「昭和が終わるんだなぁ」と少しばかり感傷に浸る気持ちもありましたが、「あっけなく、あっという間に終わった」という感想が正直なところでした。

そしてその平成も、もう終わろうとしています。またしても私の感想は、「あっという間だった」というものです。

光陰矢の如ごとしで、月日が経つのは矢のように早いです。

 

世の中は今、ものすごいスピードで変化して行っていると感じます。情報収集すればするほど、インターネットが登場して以降の変化の凄まじさを感じます。

いま世界は、第四次産業革命の中にあります。

そのうえ日本は、どんどん少子高齢化・人口減少社会へと変化しています。つまり「経済の前提」が変化して行っています。

私のような田舎の中小企業の経営者は、まだダイレクトには、その変化を受けていませんが、起こりうる経済の変化を想定し、新しい施策を講じ続けなければならないという危機感は感じています。

私が過去の30年で経験し積み重ねて来た「経営の知識」が、これから先の10年、20年にも通用するかと考えれば、通用しないと思います。なにしろ「経済の前提」が変化して行っていますから。

ですから時代遅れの経営者にならない為にも、勉強し続けること、情報を取り入れ続けることが大切だと感じています。

 

IT社会になり、今は様々な情報が即座に手に入るようになりました。

あらゆる分野から様々な情報を取り入れて、取捨選択を繰り返しながら、良いと思うことはスピーディーに実行に移して行くつもりです。

また情報を発信していくことにも、近年は注力しています。

新年一発目のブログで書いた「ESG課題への取り組み>>」についても、当社HPに追加でページを作成し、フッターにもロゴを配置するなど、より多くの方の目に留まるように工夫しました。

https://www.marutake-corp.co.jp/company/esg.php

過去私は、陰徳こそが美徳だという価値観を持っていましたが、今は違います。

自分達の行動や考えを情報発信することが大切だと身にしみて感じています。

 

令和まで、あと2週間と少しです。令和はどんな時代になるのでしょう。

今後も健康に気を配りながら精進を重ねる覚悟です。

本ブログを持ちまして平成30年度の御礼と新年度のごあいさつとさせて頂きます。

昨年度は、多くの御協力を頂きまして誠にありがとうございます。

どうぞ変わらぬお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。

 

2019年

3月

31日

ご住職との一期一会

御朱印を収集するのが、数年前からブームになっているらしいです。

「御朱印女子(ガール)」という言葉まで生まれて、神社や仏閣とは程遠かったイメージの若い女の子も、今ではあちこちとお参りに伺う中で多く見かけるようになりました。

しかし「スタンプラリー感覚で集めるのは本末転倒」などの排他的な批判もあるみたいです。けれどたとえブームであっても、今まで神社仏閣に興味が無かった人たちが各地を訪ね歩き、積極的に一期一会の経験をする事は、喜ばしいことだと私は思います。

 

さて前置きが長くなってしまいましたが、私の、ご住職との一期一会を紹介させていただきます。

実は私もご多分に漏れず、掛け軸や御朱印帳を持ってあちこちを駆け巡る御朱印オッサンです。

ただし一時のブームに乗ったのではなく、両親の実家が共に信仰の厚い家系だった影響もあって、よちよち歩きの前くらいから、あちこちの神社仏閣を巡ったと聞いています。

このような環境の中で、私が中学3年生の頃、徳島県の四国八十八か所六番札所の安楽寺へ母方の叔父と一緒にお参りに行った際の話です。

本殿でお参りをさせて頂いた直後、「何をお願いしましたか?」とご住職に声を掛けられました。

私はその時期、天理高校柔道部に入部する事がほぼ決まっていたため、「天理に行って柔道日本一になりたい!」とお願いしたことを迷わず打ち明けました。

するとご住職は、「天理は野球や柔道の強い所やね。素晴らしい誓いやね!努力して日本一になるぞ!という自分自身への宣言を本殿でした訳ですね?」とおっしゃいました。

私は「日本一にしてください!」とお願いしたつもりだったので、「ちょっと違うけど!?」と心の中で突っ込みを入れながら、急に話しかけられたこともあり言葉を継げずにいました。

するとご住職は、

「柔道が出来る環境の全てに感謝し、努力を惜しまず精進すれば道は必ず開かれますよ」

「神仏の前では、まず自分自身が置かれている環境への感謝を伝えなさい。そして神仏に対して誓いなさい。そして日々安全にお守り頂けるようにと願いなさい」

「また難儀や事情や病気や不自由のある人は、自身も努力しますが不思議なお力も貸してくださいと願いなさい」といったような内容のお話をしてくださいました。

 

40年も前の記憶なので不正確な点もあるかとおもいますが、このご住職との一期一会の会話により、仏壇や神棚を始めとし、手を合わす際の心の在り方が変化しました。まさに「神頼み」から「感謝と誓い」に変化しました。

2012年に書いた「努力を極めてからじゃなければ運は来ない>>」のお話も、この時の会話が起因しています。

 

2019年

3月

18日

大地震と地方創生

ご存知のとおり、日本は北米プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレート、ユーラシアプレートの4つのプレートがぶつかりあっていて、世界的にも地震が多い地域です。

地震と噴火が有ったからこそ出来たと言っても過言では無い成り立ちを持つ列島です。また今もプレートは活発な活動を休みなく続けており、世界で発生する大地震の大半が日本周辺で起こると言われています。そんな地震大国である日本に住む限りは、いつ大地震や噴火に見舞われてもおかしくないというのが現状です。

さて各種の観測網整備や学術データにより関西方面では30年以内に南海トラフでは最大でM9クラスが70%の確率で発生するといわれています。また関東・中部方面においては過去の地震周期と観測を勘案しますと関東大震災・東海地震・富士山大噴火についても、いつ来ても不思議では無いと言われています。

 

そこで地震は「忘れた頃にやってくる」ではなく、「明日にでも起こるかもしれない」事を前提に、早急に準備を進めて行かなければならないと思います。各家庭や各企業レベルの対策はいうまでもありません。

 

とりわけ私が恐怖感さえ禁じえないのは、一極集中している関東での大震災です。

首都周辺には全部で4つのプレートが入り組んでいます

今の東京一極集中型の状態で、もし関東大震災が発生したら、想像も出来ない程の壊滅的な打撃を受けて、国としての機能を最低でも数年間は失い、国が再生し再び立ち上がるまでには20~30年の歳月を要するのではないかと思います。

中央省庁や大企業の多くは東京に本社を置いています。

人口においても首都圏に約4千万人(日本の総人口の約3分の1)が暮らしています。

第2次安倍政権で掲げられた、東京一極集中を是正し、地方の人口減少に歯止めをかけ、日本全体の活力を上げることを目的とした「地方創生」も進みつつあると思いますが、なかなか是正を実感できないのが現状ではないでしょうか。

まず地方に安定した雇用がなければ人は転入して来ません。大企業の地方移転、または地域産業が活性化し、地元の中小企業が元気になり、安定した雇用を創出することが必要です。

安定した雇用を創出することは、地方創生うんぬん以前に、経営者の務めでもあります。

 

「大震災、いつかは来ると思っていたが、まさか今日来るとは思はなかった」では遅いと思います。

次世代の人達のためにも、一刻も早く東京一極集中を是正し、地方創生を進めていただきたいです。

私は私の場所で私なりに出来ること(盤石体制の企業を作り安定した雇用を創出すること)に一生懸命取り組む所存です。

 

2019年

2月

27日

日の丸・君が代のイメージを変えませんか?

今月の11日は建国記念日でした。

最近、国民の祝祭日に「日の丸」の旗をほとんど見かける事が無くなったように思います。私が子供の頃には祝祭日になると町のあちこちで日の丸の旗をよく見かけました。商店街や店舗、個人宅の玄関前でもよく掲げられていました。また小学校には国旗掲揚台があり様々な式典での掲揚はもとより、講堂の正面には日の丸の旗が額に入れて飾られてあり、校長先生が演壇に上がられる様な式典の始まりには君が代斉唱は当たり前のことで、「日の丸や国旗の強制をするな」というような昨今の議論も皆無だったように記憶しています。

 

さてそれでは最近、なぜ日の丸を見かけなくなり、君が代を聞かなくなったのでしょうか?

まず思い浮かぶのは、ずばり単に、日の丸や君が代に対してのイメージが「嫌悪感」とまでは言いませんが少なからず悪いからではないかと思います。

その原因はさまざまな要素が複合的に関連していると考えますので、羅列することをあえて避けますが一つ挙げるのならば、日の丸や君が代が、「軍国主義」=「戦争」=「恐怖」へとナーバスなイメージに繋がって行くからではないでしょうか。

先般、「会社の玄関に日の丸の旗を掲げて、朝礼で君が代を斉唱しようかな」と従業員に冗談半分で言ってみると、「そんなことしたら今の時代、従業員募集しても人が集まらなくなり、お得意さんも順番に離れていきますよ!」と返って来た次第です。

私は戦争反対ですし、個人よりも国家を優先するナショナリズムな考えはありません。ただ単純に自分が生まれた国である日本が好きなだけですが、自分の国の国旗や国歌を身近にすると、人が離れて行くなんて悲しい限りです。

 

また別に、日の丸を見かけない原因は「日本国民の愛国心が薄れて来たからだ」という意見もよく聞きますが、そうでしょうか?

愛国心を表に出す機会が昔に比べて少なくなっただけで、それぞれの心の奥底には愛国心は在ると思います。

例えば、今も昔もスポーツ全般(私の場合は柔道でした)をする者にとっては、日の丸を胸に海外選手と戦うことは最高の憧れですし、オリンピックやワールドカップの中継を見ても、応援している観客の皆さんは、ニッポンコールと日の丸の旗の嵐であり、勝てば君が代の大合唱ではないでしょうか。日本人が海外で受賞したり活躍しているニュースを聞いて喜んでいる人は大勢います。日本の活躍を嬉しく思うのは愛国心が在るからでしょう。

 

そこで提案ですが、過去の戦争で日の丸や君が代を道具にしてしまいイメージを悪くしてしまったのならば、今度は皆でイメージを良くする行動を取って行けばよいのではないかと思います。

例えば昨今、日本全土で発生する自然災害等の現場において御活動くださるボランティアの方に日の丸のシールをお配りして、胸や背中ににつけて活動を行ってもらうようにすれば、「日の丸」=「共助」の象徴となってイメージも上がっていくでしょう。

紅白のような歌番組で歌手が国歌斉唱するのも良いと思います。余談ですが、君が代の音程は、どんどん高くなって行くので、歌手の方でも上手に歌うのが難しいそうです。難しい曲である君が代で、歌手が技術を競い合う様子を鑑賞するのは楽しそうです。

 

「軍国主義」や「戦争」がよくないのは勿論です。

しかし君が代を歌ったり日の丸を掲げたりすることと戦争云々やナショナリズムとは切り離して考えなければならないと思います。

もうすぐ平成が終わります。

世の中は、どんどんグローバル化して行きます。

そんな時代だからこそ、次の時代の子供たちにも自分の国を好きでいて欲しい、日の丸や君が代にも良いイメージを持って欲しいなと思います。

 

2019年

2月

12日

離職率と人材育成

本日は、今後の経営に活かすために、離職率と人材育成について考えてみたいと思います。

【離職率】

厚労省のデータによると3年以内の離職率が、中卒で7割、高卒で5割、大卒で3割となっています。

中卒、高卒の割合の高い中小企業においては、離職率の高さが経営の根幹に関わり、最悪廃業につながります。

私自身、製造業と介護サービス業の両方を営んで分かったことですが、業種によって離職率にかなり違いがあります。

当社の製造業の離職率は低いです。一度技術を習得すると定年まで働いてくれる方が多いです。介護サービス業については当社に限らず業界としての課題だと思いますが離職率が高いです。

 

【離職率を下げるために】

離職の理由の一つに「人間関係」があります。人間関係の濃密さを考えれば、機械を相手にする製造業よりも、人を相手にするサービス業の方が離職率が高いのも頷けます。

当社ではコミュニケーションを深めるための方法として、「ありがとうカード活動>>」を行っています。

また昨年より、全体の忘年会とは別に、事業部ごとの忘年会も開催しています。

そして今年からは、従業員それぞれの趣味に応じたクラブを作り、そのクラブ活動費を会社で助成しようと考えていたのですが、「そういう活動自体が若い人はストレスを感じる」との意見も教えてもらい、人間関係を潤滑にすることの難しさを改めて感じたところです。

他には、安心して働いてもらう為に、全社員に対して決算書を公開しています。また就業規定・給与規定をいつでも閲覧出来るようにしています。

 

【新入社員を育てる環境】

まず中小企業では、新入社員を育てる為の人員も時間も充分ではありません。そのため当社も「ポイントは教えるが、後は目で見て盗め」のような社員教育の時代もありました。

しかしこの方法は非効率でした。目で見る範囲だけでは情報が少な過ぎて、一人前になるまで長い時間がかかります。

また先輩を教育担当者として付けて、その担当者に一から十まで仕事の方法を説明させるやり方もありますが、人に物を教える能力も一人ひとり違います。(ちなみに私は人に物を教えるのは、とても苦手です)。

新入社員に「仕事ができる人・できない人」の差ができるのは、個人の能力やスキルの差ももちろんありますが,教育する側の教える能力の差も関係があります。

そこで当社は約十年前にISO9001技術シリーズ取得を機に、業務の完全マニュアル化を進めてまいりました。介護サービス業の方もマニュアルの整備を進めています。

仕事を教える際に重要なポイントとして、「なぜ」それをするかという仕事の「目的」を伝えることに注力してきました。「なぜそうしなければいけないのか?」「もしそうしなければ、どんなマイナスが起こるのか?」という「理由」も教えると、マニュアル外の事が起きた時にも自分で考えて行動しやすいと思います。

しかしやはりサービス業の難しいところは、マニュアルだけでは及第点しか取れないところです。お客様に満足してもらうには、従業員一人ひとりがその瞬間瞬間、それぞれのお客様に合ったサービスを臨機応変に対応しなければなりません。

 

話は逸れましたが人手不足が叫ばれている今、従業員の離職率を下げ、定着率を上げるために、上記で記載したこと以外にも、休暇を取得しやすい環境や、多様性のある働き方が出来る環境を整備していかなければ・・・と考えています。

 

2019年

1月

29日

「会社も立派やで!」

お正月休みが明けた後、取引関係にあるS社様が、ご丁寧にも5名(女性2名を含む)で当社へ年始の挨拶に来てくださいました。

その帰り際、玄関先でお見送りをしている時、S社の女性の方々が、

「専務、ちょっと待ってください!こちらはトイレが綺麗ので、コンビニに寄ってもらうのを止めてここで借りていきます」と言って、私とS社専務にことわりの言葉を掛け、再度本社の中に入られました。

最初に自慢話では無い事を先にお断りしておきますが、実は「トイレが綺麗」とか「ここは掃除が行き届いている」とお声掛け頂いたのは初めてではありません。

その中でも、私の繊維業の大先輩で恩人でもある、三共毛織株式会社の今は亡き中野勇三専務(※業界の大先輩からのバトン>>)から若い頃に掛けて頂いた言葉がきっかけで、私はトイレ掃除に今まで以上にこだわるようになりました。

改装前の旧本社の頃、中野専務に来社頂いた折、

「あんたの会社の建物はボロいけど、トイレだけは掃除も綺麗やな!」

「岐阜の長谷虎紡績株式会社さんみたいやな!長谷虎さんは何回か行かせてもろたことあるけど、あそこの会社はトイレ掃除も行き届いて綺麗やで!」

「トイレが綺麗なところは決まって社員もよく教育されとるしな、会社も立派やで!」というお話を聞かせてもらいました。

単純な私は、「うちもいつか長谷虎さんのように、世間様から立派な会社と言われる会社になりたい!」と憧れのような想いを持ち、その日以降、特に念入りに掃除をするようになりました。

元来、父方の祖母(※掃除とおもてなし>>)の影響や、武道(少林寺や柔道)をしていた関係、また生まれ付きの神経質さから、掃除にはマメな方でしたが、掃除という行為の先にあるものを具体的に意識するようになったのだと思います。

従業員に対しても掃除!掃除!と口うるさく言っていますが、現在も、本社の玄関とトイレは自分自身で毎日掃除をしています。

トイレの便器にワックスを施してピカピカにし、玄関のガラスは無いと勘違いしてオデコをぶつけるほどに掃除しています。

今では、高速道路のパーキングエリアや飲食店等、出先のトイレを使わせて頂いた後は、次の方に気持ち良く使って頂けるよう、簡単ですが掃除をしています。

自社の掃除をするのは、もう習慣になっていますから何も苦はありません。しかし、よそのトイレを掃除するのは、「実行力」「社会への奉仕の精神」がそれなりに必要になります。

「まぁいいか」と思ってしまう気持ちと、いつも戦っています。

 

関連記事:トイレ掃除を侮ることなかれ>>

 

2019年

1月

05日

ESG課題へ取り組んで参ります

2019年 新年あけましておめでとうございます。

旧年中は格別のご厚情を賜りありがとうございました。本年も、より一層尽力をしてまいりますので相変わらぬご指導、ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

さて、当社の本年の所信ですが、ESG課題へ取り組んで参ります。

ESGご存知でしょうか?

過去、企業は短期的な財務評価に固執するあまり、無理な事業展開を強行して環境汚染・労働問題・不祥事といった周囲との軋轢を引き起こし、結果として企業経営に致命的なマイナス影響を及ぼす事態が数多く発生しました。その反省として、持続的成長を目指す上で、企業経営において非財務のESGにも目を向けるべきとの考えが世界的に普及し始めています。

ESGとは、Environment(環境)、Social(社会)、Governance(企業統治)の三つの言葉の頭文字をとったもので、企業の長期的な成長のためには、ESGが示す3つの観点が今後ますます必要になりそうです。

現段階での当社の取り組みは以下です。

 

■環境面 Environment

<認証、認定>

ISO 14001環境マネジメントシステム認証取得、 (財)日本環境協会エコマーク認定取得、PETボトルリサイクル推奨マーク取得、大阪府リサイクル製品(なにわエコ良品)認定取得、大阪府登録廃棄物再生事業者(古繊維適正処分事業者及び製造加工工場)

 <CO2排出量削減&省エネルギー>

太陽光発電導入、カーボンオフセット、環境省「Fun to Share」へ参加、全社完全LED化、Noマイカーデーの実施等

<資源の有効活用>

再生繊維を使用した商品の製造、使用済毛布のリニューアルパックシステムを構築、業務で使用する紙製品は全て再生紙を使用等

<化学物質等の環境負荷低減>

次亜塩素酸水を使用したクリーニングを導入

 

■社会面 Social

<品質マネジメント活動>

ISO 9001品質マネジメントシステム認証取得

<ダイバーシティ>

重度障害者多数雇用事業所の認定取得、高齢者の雇用、入居者様アルバイト制度を構築

<働きやすい環境・人材の育成>

社会保険制度の適正運用(全国労働保険事務組合連合会 大阪支部より表彰歴あり)、従業員の資格取得サポート制度、業務改善及び優秀開発提案者への表彰制度等

<社会貢献>

年に2回150名規模の泉南市グラウンドゴルフ大会を開催、各種スポーツ大会・地域イベント協賛、各種寄付(日本赤十字社大阪府支部より表彰歴あり)、中学生の職業体験学習の受け入れ等

 

■企業統治面 Governance

決算書の公開、財務のチェック体制(外部金融機関)、弁護士・税理士・コンサル等との顧問契約、社長直行便ポストの設置(匿名での内部通報や意見書の提出が可能)、専務取締役及び常勤監査役がコンプライアンスマネージャーとして日常業務を監査等

実は恥ずかしながら私がESGという言葉を知ったのは最近なのです。

地球の環境問題、社会貢献、労働環境の改善、情報開示、公正・透明な統治体制など、その一つ一つが企業運営にとっておろそかに出来ない課題である事は理解していましたが、それらを一まとめにした言葉 (ESG) があった事は知らずにいました。そして、ESGが企業の価値を測る新しい評価項目として関心を集めていると、遅ればせながら知った時には、「当社の次の未来を決めるのはこれだ!」と体に電流が走りました。

当社の企業理念である三方良し(お客様の満足・従業員の幸せ・社会貢献)の実現の為に、すでに行っていた取り組みの多くが、そのままESGに繋がるのです。ESG評価を上げるために1からスタートを切らなくても、知らないうちに、すでにコースを走っていたのです!

しかし、売上高や利益など過去の実績を表す財務指標で企業が評価されるのが今現在の本当のところだと思います。

けれども、これから先は分かりません。もっとESGが浸透すれば、国からの補助金や、金融機関の融資、取引先の選定などの際に、中小企業も財務指標よりもESGで評価されるようになるかもしれません。

ESG、平たく言えば三方良しです。三方良しについては、このブログで何度も書いて来ましたし、当社の企業理念です!気づかぬうちに自然に、世界の流れと同じ方向を向くことが出来ていたようです。

しかし、まだまだここからです。経済的なメリットを得られる事業としての社会貢献活動は経営者のマネジメント力が問われるでしょうし、まだまだ手探り状態ですが、100年先も持続可能な盤石体制の企業を目指して、ESGに取り組んで行く覚悟です。

 

ところで私は年末のブログにも書いたように自己革新の最中なのですが、「志は高く頭は低く」の一端として、今年からブログの書き方を変更してみました。

今までの「~である」から「ですます調」に変更してみたのですが、皆様いかがでしょうか?