ー2018年ー

2018年

12月

28日

25年振りの気まずい再会

我田引水だった25年前の恥ずかしい自分を、否応なしに思い出すことになった再会があった。

最近、不動産の仲介に関する社用の案件があった。

人を通じ、社用でお会いしたその人は、25年前にちょっとした行き違いから、罵り合いと言っても過言ではない言い合いを行ったAさんであった。

Aさんは当時お勤めだった会社を変わられており、当社も社名を変更していた関係で、お互い再会の瞬間まで全く気付かなかった。

25年前の私は若気の至りもあり、積極的な野心もあり、何事においても物事を強引に進める事が多かったように思う。しかし当時はまだ会社も不安定で、若い経営者だったこともあってイニシアティブを取られまいと強気で前に進むしかなかったのも、恥ずかしながら事実である。

しかし25年という歳月は都合がいいものである。会談当初は若干の気まずさもあったが、罵り合った過去が嘘のように、わだかまりなく歓談させて頂くことが出来た。

 

Aさんとの偶然の再会は、我田引水だった過去の自分との再会でもあった。

気が短く、口が悪く、太く短く生きるのが男の生き方だと勘違いしていた若い自分。そんなアホな自分を思い出していたら、頭に浮かんで来た言葉がある。

「気は長く、心は丸く腹立てず、口慎めば命長かれ」

そして今現在を省みても、これら全てに配慮しながら謙虚に生きているかと問われれば否である。だからこそ、この偶然の再会を、単なる偶然で終わらせてはいけないと感じる。この再会は、経営者として自分を磨くための啓示なのかもしれない。

「気は長く、心は丸く腹立てず、口慎めば命長かれ」

来年はこの言葉を私個人の所信として自己革新を進めて行こうと思う。

会社としての所信は新年第一号のブログで書くつもりである。

 

本年もたいへんお世話になり誠に有難うございました。心より深謝申し上げます。

来年も弊社社員一同、業務に精励してまいりますので、変わらぬご厚情を賜りますよう、伏してお願い申し上げる次第であります。

皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

 

2018年

12月

12日

不機嫌な顔や態度

前回のブログに書いたように、今年はイレギュラーな出来事が多くあり、直接または間接的な影響を、それなりに当社も受けた。

当社に関わりのある皆様方の支えにより、最近になってようやく落ち着きを得たが、ここ半年間に思いを巡らせると、この言葉が脳裏に浮かんだ。

「嫌な事やしんどい事でも、やるからには不機嫌な顔をせず、笑顔でやりなさい。いつもそうしていたら幸せは向こうからやって来るから!」

亡き母の言葉である。

母が病弱だったせいもあるが、私は家事を、一般的な子供に比べてよく手伝っていた方だと思う。しかし子供の頃は母の病弱を理解しながらも、遊びたい気持ちの方が勝っていた日の方が多く、不機嫌な顔をしながら母の手伝いをしていたのであろう。幼少の頃に母から何度もこの注意を受けた。

実は今もあまり変わりないのが現状で、私は分かりやすい人間なので、気持ちが顔や態度に多く出てしまう方である。

しかし、「それじゃダメだ」と自省する私も居るので、酒席だけでなくビジネス全般において、雑談や笑い話を多く織り交ぜて、テンション上げ上げで話すように心がけている。

というのは、誰しも不機嫌な人とは長く話したくないであろうし、付き合いや取引もしたくないであろう。結果として、不機嫌な顔をしていると必要最低限の会話でしかコミュニケーションが成立しない。言い換えれば、会話が短い。

会話が短いと薄い人間関係しか築けないどころか、雑談から生まれる「未来のビジネスチャンス」や「問題解決のヒント」さえも逃がしてしまうことになるのである。

よく見受けられるのが、「反対意見や苦い指摘を言われると不機嫌になる人」であるが、それは特に心掛けている。

自分とは異なる意見も聞いて、多くの情報を集めながら内容を精査して行かなければ、中小企業の場合はワンマンになりやすい。忌憚のない意見を言ってくれる人は有り難く、貴重な存在なのである。

言いにくい事でも言いやすい状況を作る為にも、しんどい時でも不機嫌な顔を見せず機嫌良く居よう。・・・と、偉そうな事を書いてみたが、満足に出来ていないのが自分自身であり、またそれが分っていてもなかなかできないのが人間というものであろう。

私はけっこう愚かなところがあり、未だに稚拙さが否めないので、イレギュラーが続いたこの半年間、かなりの頻度で不機嫌な顔しか出来ていなかったと思う。それでも言うべき事を躊躇せず言ってくれた方々に心から深謝申し上げます。

そして前出の母の言葉を完璧に実行することは出来なくても、日々心がけて参ります。

日本赤十字社事業の進展に貢献したとして、平成30年11月26日、シェラトン都ホテル大阪にて、当社が表彰を受けました。

社会から歓迎される会社を目指し、少額ずつですが、30年間に渡り定期的に寄付を行ってまいりました。

今後も企業の社会的責任として、継続して社会貢献を行ってまいります。

 

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2018年

11月

30日

今年の後半は、しんどかったなぁ

今年は5月頃から、例えるなら「もらい事故」のような思いがけない事が多く起きて、ストレスの多い日々であった。

ストレスの最たるものは、台風第21号である。

9月4日に日本に上陸し、近畿地方を中心に大きな被害をだした。

当社が所在する泉南市でも多大な被害が随所に発生した。

当社においても倉庫2棟の屋根が丸々吹き飛ばされるなど、さまざまな被害が発生したが、会社の命でもある生産設備は被害に遭わずに済んだ。

しかし、その3週間後には台風24号が、21号と同じルートで泉南市に接近する進路予想が発表されて、工場の各所ブルーシートで応急処置をしただけの心もとない状態で台風を迎え撃つこととなった。

出来る限りの備えをした後は、「後は野となれ山となれ!」と静観の構えでいたが、結果ギリギリ台風の進路の左側に入ることが出来、被害が出ることはなかった。が、ストレスは、かなり溜まった。

21号の被害をきっかけに廃業を選んだ下請けさんもあり、その再編に追われたり、通常業務に加えて21号の被害の復旧作業に追われたりで、社員の皆が帰ったあと一人で書類を作っている時、突然、不整脈に襲われた。

首の動脈付近と左胸あたりに突然の鈍い痛みが有るような違和感が沸き起こり、息苦しさと喉のつかえを感じた。

不安症のうえ、自分の健康面に関してかなり過敏な私は、「心筋梗塞の前兆かもしれない?」との恐怖感を覚えて、りんくう総合医療センターの救急科に駆け込んだ。事前に連絡を取っていたお蔭で、到着と同時に点滴で投薬しながら様々な検査が始まった。

約2時間で検査が終了し、30分程安静にしていると、医師がデータを持って、病状の説明に来てくださった。

「生化学検査、心電図、胸部CT、その他すべての検査データを見ましたが、異常は一切ありません。」「過度のストレスが原因の自律神経の乱れでしょうね。心当たりは有りますか?」と仰った。思えば5月頃から、いつも以上のストレスだった私は「ハイあります」と答えると、医師は「たぶんそれが原因でしょうね。」とのことであった。

何もない事を確信すると、胸のつかえや息苦しさも何処かに消えて、丁寧にお礼を申し上げ病院を後にした。毎度のことながら、ほんとに人騒がせな奴である。

 

ところで私は、高島易断の本を毎年購入しているぐらい、九星本暦を参考にしている。

暦によると、この数年間、私の運勢は悪かったのだが、来年から上昇するらしい。

運勢が悪い時期も何とかやって来られたのは、皆さまのご尽力やお力添えがあったからだと感謝しています。そして現金なもので、医師から「異常は一切ありません」と言ってもらった後から、パーッと光が差したような気持ちになって、さらに良いニュースも入って来て、「おぉ?運気が良くなってきた兆しか?」なんて嬉しく思った。

良いニュースの一つが、こちら。

●公益財団法人 日本防炎協会様が開催された防炎協会関係者表彰(理事長表彰)選考委員会の審査の結果、永年にわたり防炎関係業務の発展に寄与したとして、寝具等部会推薦で、平成30年11月21日、明治記念館にて、当社が理事長表彰を受賞いたしました。

 

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2018年

11月

23日

ゴミ拾い

これまで掃除について何度記事を書いたかなぁ?と、ザっとタイトルに目を通すと5つほどあった。

どぶ川の神様>>

地獄掃除のその上>>

地獄掃除>>

掃除とおもてなし>>

トイレ掃除を侮ることなかれ>>

他の話の枝葉として掃除の話を差し込んだ記事なら、もっと数は増える。

それぐらい私は、掃除に重きを置いている(力を注いでいる)ということである。

 

今回はゴミ拾いについて書いてみたい。

以前にも「二人のがばいばあちゃん」の中で書いたが、私の祖母は、

「子供の時にゴミ拾ろたら、拾た分だけ大人になったらお金ひろうで」

「朝早く起きたら道にお金が落ちてるで」と私によく言って聞かせた。

その言葉を真に受けて、その当時の私は本当に一人で早起きをして、誰にも取られまいと目を皿のようにしてゴミを探し歩いていたので、私の本来の目的を知らない第三者が見れば良い子だったかもしれない。

私は常日頃から従業員の皆に、

「ゴミを見付けたらスグに拾ってくれよ!」と口やかましく言っている。

先般も午後、本社から出かけようとした際に、玄関前と前の道路が気になったので、仕事を中断してもらい、みんなにゴミ拾いをお願いした。

おかしいのは承知しているが、ホウキでは取り切れない細かな汚れがある時は、道路に掃除機までかける。

私がここまでするのは、神経質で綺麗好きという性格もあるが、仕事は生活(人生)の土俵でもあるのだから、その土俵である職場をいつも清浄に保ちたいという想いがあるからである。その他、自己成長のため。(地獄掃除で詳しく書いているので読んでみて欲しい)。

他には、来社されるお客様へのおもてなしの為、そして会社として良い第一印象を得たいためである。

余談だが、ビジネスの世界ではお客様が初めて来社された時、取引先としてどれだけ好感のある第一印象を勝ち取ることが出来るか否かが、その後の商談に大きな影響を及ぼす。これが悪いとどんなに良い商品を以てしても、なかなか良い商談に進みにくいものである。

話はゴミ拾いに戻るが、

「会社でもプライベートでも良いから、最低1日1回はゴミを拾って!」と従業員の皆にお願いしている。それは、ゴミを拾うことが習慣になっている者は、ゴミをむやみに捨てないからである。ゴミ一つであるが、捨てる者と拾う者の心には、小さくない差があるように思う。

人が見ていない所でゴミを拾えるような、そんな心の従業員が沢山いる会社は、やっぱり良い会社だと思う。

●泉南市グラウンドゴルフ協会主催「泉南市グラウンドゴルフ大会 第6回フラワーホームカップ」を開催いたしました。

 

詳しくはこちら1>>  2>>

2018年

10月

31日

今さらですが、話し上手より聞き上手

誰もが知っているようなセオリーを、なぜだか知ることなく、この年まで来てしまった。

本日のタイトルでもある「話し上手より聞き上手」のことである。

私をご存知の方はすでに承知してくださっているだろうが、私は人の5倍ぐらいお喋りな人間である。だからビジネスにおいても、コミュニケーションにおいても、会話を重要視していて、会話は他人から評価される事柄の一つだという認識であった。

そのため、会話の中に出て来たキーワードに反応して、はいその事には精通していますと自分の知識を披露してみたり、はい私も同じような事を経験していますと自分の体験談を長々と話してしまったり、不満や悩みを訴える人には、すぐさま解決策を提案したりしていた。要するに、自分が会話の主導権を握り、自分の言いたい事を一方的にマジンガントークする、大阪の社長にありがちなタイプの人間だったのである。

こういう自己中心的なトークをしてしまうようになったのは、元もとガキ大将的な物の考え方があったのと、私の一方的な話をニコニコと聞いてくれていた早逝した母からの溺愛が原因かもしれない。

しかしながら、新規事業でサ高住を運営するようになり、高齢者の方々や女性スタッフ達と接する機会が急激に多くなり、今までの自分のやり方だとダメだと感じるようになった。

私に足りてなかった部分は「共感」なのである。

いや、言い訳すると共感はしていたつもりなのだが、自分の経験や意見を述べる手法で共感していたのだが、しかし今思えば「共感していたつもり」だったのかもしれない。

共感する(相手の立場になって考える)には、まず相手の話に口を挟まずじっくり聞くことである。(←これが不十分であった)。

さらに相手が話してくれた状況や感情を、自分の言葉に置き換えて返すと、「あぁ、ちゃんと伝わった」と相手もひとまず安心してくれる。

こういう部分がこれまで私には欠如していた事を、恥ずかしながら近年知った。

 

最後に一つ、皆さまにクイズです。

Q、下の3つのコミュニケーションは、会話の際に相手に影響を与えますが、その影響の割合を答えなさい。

・言語的コミュニケーション(話の内容等)

・凖言語的コミュニケーション(声の大きさ・声のトーン・話すスピード等)

・非言語的コミュニケーション(表情・姿勢・態度)

 

A、

・言語的コミュニケーション(話の内容等)7%

・凖言語的コミュニケーション(声の大きさ・トーン・スピード等)38%

・非言語的コミュニケーション(表情・姿勢・態度)55%

なんと話の内容以外が93%なのである!

 

2018年

10月

07日

ふと回想

私が始めて格闘競技を習ったのは小学校4年生の時に少林寺拳法の門を叩いたのが始まりである。きっかけは近所の一つ上の友人である石野君が先に習い始めていて、私も話を聞くうちに興味を持つようになり、誘ってくれたからである。

私は小さい頃は、母からの結核の母子感染もあり、病弱であまり健康な方ではなかったような気がする。しかし私がやりたいと言ったことは何でもやらせてくれる両親であった。

少林寺拳法を始めた頃から前後して、結核は偽陽性になり、年々健康になっていった。

中学2年生まで少林寺拳法を習い、柔道に転向する時も両親は「自分の好きなようにしなさい」の一言であった。

今、思い返すと中学を卒業するくらいまでは、私は何事にも中途半端であり、両親もまた、そんな息子に兎や角言うこともなく、自由にさせてくれていた。

しかし天理高校柔道部に進学が決まった時、私は初めて、父から厳しい言葉をもらった。

「母の死に目には会えない覚悟で行け!」(不安の哲学>>)

この瞬間の事は今でも覚えており、はからずも実際そのようになった。

この時初めて「男の人生は中途半端な事ができない」という想いが私の中に湧いた気がする。

その後、高校3年間である程度の実績は残せたが、私は柔道で食べていけるほどの才能は無いという事実を薄々と、そして次第に切実に自覚するようになっていた。

それと並行して、左右田鑑穂社長(現:東建コーポレーション(株)代表取締役社長兼会長)との出会いがあり(天才たち>>)、強烈な憧れがあり、その結果、自分の中で進みたい道が明確になり、「高校を出たら社長の会社に就職させてください」と社長に申し出た。

しかし答えは「NO」であった。「高卒ではこれからの社会では通用しない。まずは大学へ進学しなさい」とのお言葉であった。

その後、大学へ進学したものの、一日も早く社長の下で学んで立派な経営者になりたいという思いが強く、中退し社長の書生をさせていただくことになった。

日本体育大学の寮から父に電話を入れ、大学をやめることを告げた。父から返ってきた答えは「自分が決めたことや。好きなようにしたらいい!」であった。

父は、私が大学を中退するため大学柔道部のH監督のところへの事情説明とお詫びに行くとき同行してくれた。

また、左右田社長と天理高校柔道部で同級生だったH監督も、「左右田に憧れてのことか!よし分かった!」の一言で中退を認めてくださったのである。

今日は徒然なるままに、私の半生を綴ってみた。

 

2018年

9月

18日

台風21号

最初に、この度の台風21号及び北海道胆振東部地震により被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 

新聞やテレビ等のマスコミで報道されたように、当社が所在する泉南市でも台風21号による甚大な被害が市内全域に渡り発生した。

当社においても倉庫2棟が全壊及び工場各所の屋根・その他に被害が発生した。

また、停電や電子機器の故障により、6日まで電話等の通信が不通になった。(この間お電話いただきました方々には大変ご不便ご心配をおかけしましたこと、お詫び申し上げます)。しかし一人の怪我人も発生せず、メインの製造施設や、2015年に開設したフラワーホームは無事で、お陰様で7日より平常どおりの業務を再開出来た。

まさに「大難は小難に、小難は無難」になったと感謝し、完全復旧に向かって従業員一同と共に邁進して行く所存であります。

何卒ご休心の程をお願い申し上げます。

 

さて今回の災害では、「自分一人で孤独に歩んでいるのではない」ということが、改めて身に染みた次第である。

心温まる励ましや物心両面に渡るお見舞い・支援を全国各地の多くの方からお寄せ頂いた。先ずをもって有り難く、心より厚くお礼を申し上げる次第であります。

また台風の通過直後の混乱の中で、急を要する案件も同時多発したが、社員たちは指示待ち族にならず、自己判断でそれぞれが最善を尽くして迅速に行動してくれた。

例えば自らの判断で懐中電灯や氷・土嚢を買いに走ったり、ネットで情報収集し有益な情報を報告してくれたり、御入居者様の食事の緊急手配をしてくれたりなど、私が工場の復旧に当たる裏で、同時進行で対応にひた走ってくれた。

またボランティアを申し入れしてくれる知人も複数いた。

柔道部の後輩でもある出入りの電気屋は、普段ならば同窓なのを良いことに私の依頼を後回しにして他のお客さんを優先し何日も来てくれないのに、台風通過後に電話をかけると15分で来てくれ復旧に向けての対応をしてくれた。

他にも製パン工場さんは被災当日からパンを供給してくれたし、建設会社(東建コーポレーション株式会社)・工務店(MELEE)や機械メーカー(福武冷機工業所)(ヤンマー)(阪南防災)・関西電気保安協会等は、翌日から毎日のように来てくれて点検や復旧に向けてご尽力頂いた。

皆様の数々のご厚情に触れ、人生という道すがらが決して「自分一人で孤独に歩んでいるのではない」ということが、改めて身に染みた次第であります。

 

完全復旧にはまだしばらくの時間を必要とするが、当社に関わってくださっている皆様のお力を拝借し、従業員と共に励む覚悟であります。

まずは取り急ぎ、このブログでお礼方々のご報告と深謝申し上げる次第であります。

 

2018年

8月

23日

嬉し涙

平成30年8月8日に、母校の天理高校がインターハイ(高校総体)柔道競技で、実に27年ぶりに全国優勝を成し遂げた。

まず、指導者や選手の皆さんの栄誉と健闘を称えたい。

そして長年に渡り辛抱強く天理高校柔道部の活動を支え続けてくださっている全ての皆様にOBとして感謝申し上げ、皆様と共に母校の優勝を諸手を挙げて喜びたい。

 

さて私はインターハイが開催されていた三重県津市へ2泊3日の泊まり込みで、OB諸氏の数十名と共に応援に駆け付けた。

決勝戦の前日は興奮でなかなか寝付けないほどであった。

優勝の瞬間を目の当たりにした時には、柔道の応援で初めて、涙がこぼれた。

周りを見渡すと、応援に駆け付けたOBのオジサン達が皆、涙を浮かべていた。

 

ところで私は現役時代に、負けて悔しくて堪え切れず泣いた事が幾度かあった。しかし、嬉し泣きを経験したことは無かった。

地方大会で優勝しても、その次の大会で負けたらどうしようと不安で素直に喜べなかった。

春に全国優勝した時も、大きな喜びを感じながらも心の片隅では、次の夏の大会の事を考え不安であった。

3年生の最後の試合、夏のインターハイで優勝し春夏連覇した時は心の底から嬉しかったが、男が人前で泣き顔を見せるのは、自分をさらけ出すようで恥ずかしく感じた当時の私は涙をこらえた。

経営者になり、大きな仕事が決まった時も、喜びよりもその責任を感じて不安の方が大きかった。

うれし涙を流したことは記憶にない。

いつも、嬉しいと感じるのと同時に、責任や、その先の事が脳裏に浮かんで、諸手を上げて喜ぶことは出来なかった。

しかし年を重ねて涙もろくなったのか、それとも自分のこと以外(人のこと)なら、「混ざり物がない純粋な喜び」を感じられるのか、今回ばかりは嬉し涙がこぼれた。

 

ところで私を筆頭に、同世代のオジサンOB達のオジサンくさいことよ。

「あっちが痛い」「こっちが痛い」「どこどこの調子が悪い」「しんどい」「疲れたな」のオンパレードである。

生気に満ち溢れている高校生たちと、夏バテしているオジサン達のコントラストが強すぎて、ハッ!と自己反省である。

「あぁ暑い」「あぁしんど」と生気の抜けた顔をしていたらアカン!「生涯現役と長生き」を目指してオジサンOBも頑張るぞ!と改めて心に誓ったわけである。

当社シニア事業部が運営するサービス付き高齢者向け住宅フラワーホームが、

産経新聞様の2018年7月20日の朝刊に掲載されました。

 

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2018年

7月

29日

やらずに後悔していること

「やってみたい」と思った事を、やろうと思えば出来る時に、やらずに(挑戦せずに)終わってしまい、同じ事をやって(挑戦して)成功した人を見ると、必ずと言ってよいほど後悔の念が沸く。

 

私が、やらずに後悔している事は「英語」である。

あれだけ時間があった学生時代に、何故マジメに勉強しなかったのだ!?と昔の自分を思い出して悔しい気持ちになる。

今ほど世の中がグローバルになるとは、あの当時は思わなかった。もっと正確に言うと、そういう事すら考えた事が無かった。

海外の会社と、商社を経由してお取引をすることもあるのだが、私が自在に英語を話せたら、もっと違うビジネスの仕方もあっただろうし、また海外の船会社から突然問い合わせの英文FAXが直接送られて来た時にも、あんなに大慌てにならずに済んだだろうになぁと思う。(結局、英語が出来て輸出入に堪能な行政書士の先生に、コンサルを通じて丸投げした)。

 

人間万事塞翁が馬」の回に紹介した、同じ高校の柔道部の先輩達が、フランスやスペインに、柔道の海外普及のために派遣され、その後そのまま移住され、今ではペラペラに外国語を操っている様子を以前拝見し、本当に眩しく、羨ましい限りであった。

同じく「生涯の縁」の回に紹介した柔道部の先輩も、それなりにそれなりの英語を操りながら、大学の国際交流センター長として柔道の国際大会等に派遣されたり、留学生のお世話等をされている事を知る度に、

「なんで、同じ寮の、同じ部屋で、同じ時間を過ごしたあの先輩が英語喋れて、俺が喋られへんねん!?」と、妬ましい思いである。笑

英会話教室にでも通って、その結果、センスも才能も無くて喋られなかった・・・という始末ならば、今のように悶々とした後悔ではなく、カラっとした諦めが手に入ったのになぁと思う。

学ぶチャンスを狙っているのだが、「D」を「デー」と発音してしまう私には、なかなかその一歩が踏み出せず、「そんな時間も無いし」と言い訳を自分にしてしまう。

 

「やらずに終わった後悔」と、「やって、失敗に終わって、する後悔」。

どちらが正解かなんて無いだろうが、やらなかったことへの後悔は、いつまでもずっと残るものだなぁ・・・。

 

2018年

7月

14日

売って反省 クレームに感謝

私は青春時代の大半を費やして柔道を学んだが、その中で「投げて反省 投げられて感謝」という言葉を聞いたことがあった。

以前、中学時代の親友であり、国士舘大学剣道部出身で現在は教員をしているN君から聞いた話だが、剣道にも「打って反省、打たれて感謝」という言葉があるらしい。N君曰く、「剣道が先に言った言葉だ!マネするな」との事であった。しかしながら、私もそのまま引き下がるのは悔しいので、「柔道の方が先だ!」と返し、その後は柔道と剣道どちらが強いかの言い合いに発展し、結果たいへん楽しい時間を過ごした。(笑)

ところで改めてこの言葉を簡単に解説すると、

「投げて反省」とは、たとえ勝者になっても、本当に正しく出来たのか、常に自己反省することである。

「投げられて感謝」というのは、自分自身の隙や弱点を教えてくれた相手に感謝することである。

それに加えて講道館柔道での感謝には、試合や練習の開始終了のみならず、道場の出入りや先生や全ての相手に対しても必ず「礼」を行うことも含まれる。また道場以外の状況下においても講道館柔道の精神(精力善用自他共栄)に則り、常に自分自身の行動を反省し、置かれている立場に関わらずに常に相手に敬意を払うなど、「謙虚でなければならない」と言う意味が込められているのである。

この姿勢は経営にも通じる。

そこで頭に浮かんだ言葉が、表題の「売って反省 クレームに感謝」である。

毎回そうだが新商品の発売を開始した時、私の心の大部分を占める感情は、「売りたい!売れて欲しい!」で、どうやったらHITするのか必死である。

しかし売れれば売れるほど、私の心の大部分を占める感情は反省・・・と言いたいところだが、本当のところは「不安」である。主力になっているこの商品が売れなくなったらどうしよう、万全の注意を払っているがミスは無かっただろうかと不安になる。しかし、この不安こそが、「他の主力製品を開発しよう」だったり「ミス防止の仕組み作りを再構築しよう」だったり、次に進展するための原動力になるのだろうと思う。

だから何度も言っているが、経営者は、どこまで行っても不安と共に生きるしかないのだと思う。

またクレームに関しては、それこそ感謝である。

不満に感じていても、それを企業に伝えるには、それなりの労力が必要で、何も言わずに離れて行くお客様の方が多いであろう。そのためクレームは氷山の一角で、一つのクレームの陰には、同じく不満を感じた人が何人もいるということである。

経営側が見逃していた問題点(改善点)を教えてくれる大変ありがたい人である。

 

2018年

6月

23日

自分の稼いだお金でご飯を食べる事

近年、ますます若者たちが夢や志を持たなく(持てなく)なってきているように思う。

そこには、社会の仕組みや環境など様々な要因があるだろう。

関連記事:減点法か加点法か>>  若者たちのチャンスの時代>>

 

さて先般、代理店の20代若手社員から、こんな質問を受けた。

「社長さんにとって経営とはなんですか?」

私は即座に「三方良しの実現」と答えた。

続いて「経営は楽しいですか?苦しいですか?」と質問があり、

「苦しい事の方がほとんどだけど、経営というプロセスが好きなんです。それと、志の貫徹」と答えた。

「好きだという事は理解できますが、社長の志は何ですか?」と問われた。

39年前、私が17歳の時に東建コーポレーション(株)の左右田鑑穂社長に出会い憧れて、左右田社長のような経営者になろう!と思ったことが志だと答えた。

すると、「みんなから夢を持ちなさい、志を抱きなさい、とよく言われますが、僕は夢も志もありません。取り敢えずは毎日、自分の稼いだお金でご飯を食べる事と仕事を休まない事です」と返って来た。

その答えを聞いて私は彼に充分な伸び代を感じた。志は何も立派なものである必要はなく、「こうしようと心に決めたこと」が志なのだから、

「君は一番の基本である自分の金でご飯を食べる事と仕事を休まない事という志を持つことが出来ているじゃないか!」と言った。

すると「夢や志はもっと大きな事だと思っていました。」と返ってきた。

「大きな夢や志を持つことは大事な事だけど、基本がしっかりしていないと、いくら大きな志を持っていても只の夢物語にしかならない。基本を継続しながら人生を進んで行けば、

その道すがら、これぞという志が見つかるかもしれない」といった内容の事を私は答えた。

20代の彼が言った「毎日、自分の稼いだお金でご飯を食べる事と仕事を休まない事」というのは、生きて行く為の基本で、これを毎日継続していても褒められことも無い。社会人なら当たり前のことだからである。しかし、この当たり前を継続し続けることは全然簡単ではない。しんどい。

私も過去に何度も、仕事がしんどくて、この基本を継続する事に心折れそうになった。その度に踏ん張り続けて軌道を元に戻したが、56歳の今であっても経営をしている限り不安がゼロになる事なんてないし、責任やリスク、不条理や葛藤にもさらされる。しかしそうした負の物全てを常に心に内包し共存しながらも、諦めず継続して行った先にこそ、今よりも少し良い未来があるのではないだろうか。

 

2018年

6月

05日

「一生恨んで、大人になったら必ず仕返しするからね」

昔、こんな事があった。

ふと思い出したので綴ってみたい。

 

これまでに何度も書いて来たが、私の亡き母は病弱で、入院することも多く、退院して来ても寝付いていることが多かった。

そんな母を、父の姉は事あるごとに責めた。

小言が始まるのは、きまって父が不在の時。小言の内容は病気のことで、母にとってはどうする事も出来ない不条理な非難であった。

寝付くことが多い病弱な嫁に、夫の身内がキツク当たるのは、当時の時代的背景と環境を考えれば、よくある事で、母は父に愚痴一つこぼさず我慢を重ねていた。

父の姉も、悪気のない素振りで叱責を当たり前の事のような態度でいたが、母は辛い思いをして落ち込み、いつも苦しんでいた。

幼い私に対して母は、そんな姿をあまり見せないようにはしてくれていたが、たまたま見ていた私もすこぶる心が痛く、何度も酷く傷ついた。

今でも当時の母の気持ちを考えると、毎回、涙が出て震えが止まらなくなり、悔しかった想いが蘇る。

あまり弱音を吐かない母であるが、ある日、

「あの人と私は、人としてどれほど違うのだろう?」

「あの人は私よりどれだけ偉いのだろう?」

「私は、なりたくて、こんな病気になったのではない!」

と私に小声で漏らしたことがあった。

この瞬間の事は心に焼き付き、まるで映画のように鮮明に思い出すことが出来る。

あの時、私は、

「叔母さんを一生恨んで、大人になったら必ず仕返しするからね」

と母を慰める気持ちで言った。

すると母は、

「人を恨む事は絶対してはいけない。仕返しは必ずまた自分にいずれ返ってくる。それなら人を恨むんじゃなくて、人が羨む男になりなさい」

と教えてくれた。

母が亡くなって何年経っても、私の悔しい気持ちは消えず、父の姉が憎らしかった。腹が立っていた。しかし最後のところで、私は母の言い付け通り、父の姉を恨む事はしなかった。

父の姉が住むところに困った時には、振り子のごとく「憎らしい気持ち」と「許そう」という気持ちの間を行き来したが、結局、私が所有する空き家を提供した。

父の姉は、亡くなる寸前に病院に入るまで、その家で暮らした。

父の姉は鬼籍に入ったが、(他にする人がいない為)私が約20年間、父の姉の墓掃除と墓守をしている。

渋々ながらも許して手を差し伸べたことで、激しい怒りは少しずつ昇華され、凪いだ心を取り戻した気がする。

この世では、父の姉の前で小さくなっていた母が、今頃あの世では、大きな顔をしてくれていることだろうと願う。

当社シニア事業部が運営するサービス付き高齢者向け住宅フラワーホームが、

住宅新報様の2018年5月22日号に掲載されました。

 

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2018年

5月

23日

雨の日も心の持ち方次第

先月、当社のシニア事業部が運営するフラワーホーム(サ髙住)にて、花壇の花の植え替えを行った。定期的に春と秋の年2回、植え替えを行っているが、今回は芝生や植栽のリニューアルも含めて、それなりに大規模に行った。

植替えの翌日は雨で、その後も連続3回に渡り2日おきに降雨に恵まれたお陰で花の根が土にうまく定着してくれ、当初は元気の無かった花も活き活きとした姿を見せてくれたのである。

お手伝いいただきましたご入居者様に深謝申し上げます。また施設職員及び本社から応援に出向いたスタッフの皆さん、たいへんご苦労様でした。

 

さて本社では半数以上の従業員が、徒歩や自転車、バイクや電車通勤等の「自動車通勤以外」である。その従業員たちは雨降りの度に異口同音、「雨ふりの日は嫌やなぁ!鬱陶しいなぁ!車の人は良いよなぁ!」と、この言葉を朝のあいさつ代わりに出勤してくるのである。

もちろん体は濡れるし、気温も急に下がり寒いし、私ぐらいの年齢になると気圧の変化が体調に影響を及ぼして、低気圧が近づくとたちまちに体の深部が変調をきたす為、私も皆と同じように「雨ふりの日は嫌やなぁ」と愚痴を零してしまうのである。

個人にとっては「嫌な雨」でも、草木や花々や農作物にとっては「恵の雨」であろう。人間の暮らしにとっても雨が必要不可欠なことも、誰もが理解している。でもやっぱり雨の日になるとそういう理屈は頭の奥に引っ込み、「雨の日は嫌い・・!鬱陶しい・・!」という感情を言葉にして発してしまうのである。

そこで私は、冒頭に書いた連続3回の降雨の日以降より雨の日は、いつもの朝の従業員との挨拶を「おはよう!今日も一日、無事故で!」から「おはよう!今日は花も喜んでいるわ!」に変えた。

 

何事も前向きな受け止め方をし、プラスの言葉にすれば、自分自身の元気がみなぎってくるばかりではなく、その言葉を聞いた周りの人まで明るくなってくるのではないだろうか。

要は心の持ち方次第で、同じ現象がプラスに感じたりマイナスに感じたり変化するのである。それならば、プラスに捉えた方が良いに決まっている。

ちなみに私は「大切な物が壊れた!縁起が悪い!」などと誰かが言っているのを聞いた時は、「本来なら自分が事故に遭うはずだったのを、その大切な物が身代わりになってくれたんや!縁起が良い!」と言うようにしている。

 

余談だが先日の雨の日、若手の従業員に「おはよう!今日は花も喜んでいるわ!」と言うと、「社長!なんで今日は嬉しいのですか?雨が好きなのですか?」と聞いて来た。

私の苗字が立花であるが故に、「花も喜んでいるわ!」をどうも「立花も喜んでいるわ!」と聞き間違えたようだ。

雨降りだったが、職場が陽気な大爆笑に包まれた次第である。

植替えの様子
植替えの様子

2018年

5月

13日

外見で人を判断

ビジネスで着用するスーツや制服は、戦国時代に置き換えると鎧と同じで、また髪型も兜と同じあると思う。

「人は見た目ではなく中身」だと言われているが、プライベートにおいてはそうかもしれないが、ことビジネスシーンにおいては違う。

以前に何かの調査結果で見たことがあるが、ビジネスシーンでの初対面の場合だと、ほぼ100%(プライベートでも80%以上)の人が「外見」でその人を判断すると言われている。

という事は、社会人は「自分が人からどう見えているのか」を意識する必要がある。

自分が楽な恰好や、自分が好きな恰好を優先してしまうと、だらしない人、変わった人などと思われて、ビジネスチャンスを逃してしまうことにもなるだろう。

 

先日、新大阪駅のエスカレーターで、私の前にいた年配のサラリーマンが若手の後輩サラリーマンを叱責するのを見た。

「なんでお前リュックやねん!そんなの絶対アカンやろ」

言葉につられて視線を向けると、若手の方が確かにビジネスリュックを背負っている。

私はビジネスリュックが流行っていることや、もはや常識になりつつある事は知っていたので、(この年配のサラリーマンは、そういう事を知らないのかなぁ?時代遅れやなぁ)と一瞬思いかけた。しかし、この二人が新幹線に乗って今から商談に行く相手が、もしそういう流行りを知らない年配の人だったり、畏まった席だったりしたら、リュックはカジュアルでくだけたな印象を与えるから、やはり都合が悪い。

TPOに合った身だしなみが出来ていなければ、マイナス評価からスタートの商談となる。

そう考えれば、この年配のサラリーマンが腹を立てる気持ちも分かるのだった。

最近はクールビズとエコブームの関係からノーネクタイでもかまわない風潮になってきて、私もノーネクタイにする事が多かった。しかしネクタイをするのが常識であった高齢者の世代の方は、その風潮や流行りを「現代の常識」とは取ってくれないかもしれない・・・という懸念がなんとなく私の中であった。そういう事を懸念するぐらいなら最初からネクタイをしておこうと思い最近は、特にシニア事業関連でスーツを着る時は、ネクタイを着用するようにした。

 

身だしなみについて綴っている私も、実は15年ほど前までは「人からどう見えるか」よりも「自分がしたい恰好」を優先させていて、服装も派手好きで髪型もパーマを掛けたりしていた。ハッキリ言って、かなり印象の悪い人間だったと思う。笑

「第一印象が悪くても私という人間を知ってもらったら、見た目と違って真面目に仕事する人だと分かってもらえる、なんならギャップで、かえって好印象なんちゃう!?」と思っていた時もあった。

確かにそういう変わった人間を面白がり、可愛がって仕事をくれる業界の先輩方もいたが、そういう方達のパーセンテージは多くない。気が付けば、売り上げが頭打ちし伸び悩むようになっていた。

その頃、私は気持ちの変化もあり、髪型や服装をいわゆる一般的なものに変えた。もちろん身だしなみだけではなく、経営者意識の覚醒>>の影響もあったと思うが、それまでは相手にしてくれなかった企業が私の話を聞いてくれるようになり、色々な企業から仕事の声を掛けていただけるようになった。

もし私が金髪やモヒカンの経営者だったならば、どんなに真面目に仕事をしていても、今の半分もお取引先様やお客様はいなかっただろうと思う。笑

なぜなら身だしなみや服装・髪型には、その人物の思考や生活習慣や価値観の一端が現れる。

変わった格好をしている人は、やっぱり中身も変わっているし、だらしない恰好をしている人は、やっぱり中身もだらしない。

 

ところで私は約15年ぶりに髪型を変えた。今の髪型はヒチサンである。

 

2018年

4月

30日

苦労と葛藤を一番したのは誰?

ここ20数年、低迷していた我が母校の奈良県天理高校柔道部が最近、復活の兆しを見せて栄光を取り戻しつつある。日本武道館にて毎年開催されている春の全国高等学校柔道選手権大会で、本年度は決勝戦まで進出し、結果は大将戦で国士舘高校に惜敗、準優勝ではあったが、春の高校柔道選手権史上に残るであろう名勝負を展開してくれたのである。

 

私は仕事の都合で日本武道館へ応援に駆け付ける事が出来なかったが、当日は「プチOB会」も兼ねて、会場に行けなかった地元泉州の近隣OBが私を含めて7名T先輩宅に集まった。テレビ放送を見ながら一喜一憂し、技の名前や蘊蓄を叫び合い、またテレビの中の選手たちが仕掛ける技に合わせて、私たちも着ている服が破れんばかりに同じ技をT先輩宅の居間で掛け合った。

テレビ放送が表彰式に差し掛かる頃には、オッサンOB一同は疲れ果て、ガソリンを補給するべく予約していた岸和田の小料理屋のお座敷に繰り出した。

遅くまで年甲斐もなく、若干の記憶も喪失しかけるほど飲んだが、さすがにここでは技は掛け合わなかった。(笑)

後輩たちが「天理柔道部復活」の兆しを見せてくれたおかげで、OB諸氏とも久しぶりに会えて、楽しく酒を酌み交わす事が出来た。

 

皆が集まると、会話はやはり学生時代の練習や寮生活の中での「苦労と葛藤」の想い出話となるのだが、そんな中でも今回は、「各学年で苦労と葛藤を一番した者は誰だろうか?」という話題に移行して行った。

私は即座に「選手・補欠メンバー入りせずに3年間を終えた生徒達」と答えた。すると集まっていた皆が言い方こそ違うが同じ趣旨のこと言い合った。

目標を全国優勝に置いている部であるから、言うまでもなく練習は大層厳しい。その練習を選手や補欠だけではなく、補欠入りしていない生徒も行う。

試合に出られるのはたった5人であるが、柔道というものは、この5人だけで練習をしていても強くなれない。

補欠入りを目指して大勢の部員が頑張れば、補欠はその座を奪われないようにそして選手入り出来るように更に努力する。選手も同じく補欠にその座を奪われないように一層努力する。

このように決して選手だけでは強くなれず、部全体の中での攻防から強くなっていくのである。言い換えれば選手の強さは補欠や補欠以外の者の強さも混在した上での強さである。

皆、一つでも上に登れるように頑張る。しかし次第に薄々と自分の実力が分かるようになり、3年生になる頃にはハッキリと自分の実力を知るだろう。

選手や補欠が頑張るのは当然として、補欠入り出来なかった部員たちが脱落せず選手と同じだけ頑張れるのは、一つでも上に登る!という向上心を最後まで持ち続けているからだろう。そして例え自分が試合に出られなくとも自分が所属する部や仲間が日本一になって欲しいと願う気持ちがあるからだろうと思う。

しかし、その心境に至るまでには苦労も葛藤も多かったはずである。不条理を感じることも多かったであろう。

けれども最後まで諦めず辛抱強く努力し続けた経験、自分の損得よりも全体の利益を優先した経験は、無自覚のうちにも人格形成に影響し、その後の人生にもプラスに作用するのではないだろうか。

●泉南市グラウンドゴルフ協会主催「泉南市グラウンドゴルフ大会 第5回フラワーホームカップ」を開催いたしました。

 

詳しくはこちら1>>  2>>

2018年

4月

20日

労働時間

私は外出の無い日には、一般的な就労時間の2倍くらい(16時間)は優に机に向かっているような気がする。しかしこれくらいの時間を掛けないと一日の案件がすべて終了しない。「すぐ!すぐ!すぐ!」「今!今!今!」でも書いたように「せっかち」なので、その日の事はその日に終わらせないと気が済まない。

と言っても、よくよく振り返って考えてみれば、16時間ずっと集中して仕事をしているわけではなく、疲れて来ると休憩の時間も増えて来るし、仕事のスピードも落ちて来る。

手を止めて、目の前の仕事とは違う事を考え込んで思考があちこち飛んだり、書類作りの途中にネットで調べ物をして、そのままネットを見続けてしまったりする。

もっと集中して取り組めば16時間も机に向かう必要は無いのである。

それでも私が机に向かってしまうのは何故なのだろう?と自問し、出た答えは「不安だから」である。いつも仕事に対して危機感を感じ、不安だから時間を重ねているように思う。

経営者である私が、人と同じだけしか仕事をしてないと会社は下向きになってしまうのではないか?と不安に襲われる。「これだけ頑張っているのだから大丈夫。努力は実る。」と思いたいから、効率が悪いのを分かっていても、いつまでも机に向かってしまっているような気がする。

こういう性分は変えられるものではないから、きっと私はこの先もこんな感じで人生を送っていくのだろうと思うが、社員に対する思いは別である。私と同じ働き方をして欲しいとは思っていない。

働き方改革や残業ゼロが喧伝されている時代である。これからはもっと合理的に効率よく仕事をして、仕事が終われば自分の時間を楽しむ時代になって行くのだろう。

過労で疲れた顔でいるより、リフレッシュして翌日は元気よく働いてくれる方が良い。

それに仕事以外のことが仕事のヒントになることもある。例えば同業者から得る知識や経験は似たり寄ったりな事が多く、同業から得たものだけでは「伸びしろ」が限界に達してしまいやすい。しかし異業種の方との会話がヒントになって問題解決が出来たり、新たな創造が出来たりする。

だから社員に対して、私のように机に齧り付いていて欲しいとは思わない。

かといってしなければならない仕事を放ったまま後回しにしていれば、付けが回って来て、いずれ会社の存続にも関わる。

生産性を上げて残業を減らすには、Alやロボットといった生産性を上げるためのツールを今後導入していかなければならないだろう。出張を少なくするためにWEB会議の導入なども良いだろう。

すでに行っているものでは、昔はFAXで送っていた仕様書を先方が自由に当社のアプリからダウンロードできるようにした。また(一部の部屋だが)当社のサ高住においては「人感センサー」「温湿度センサー」で入居者様の状態を把握できる最新式の見守りシステム機器の導入を行っている。

 

携帯電話が無い時代は不便であったが、出先にまで仕事の電話が追いかけて来ることは無かった。便利になった分、余計に忙しくなったと感じる。出張を少なくするためにWEB会議を導入したら会議の回数が途端に増えて逆に忙しくなった!なんて笑えない話もありそうだなぁ~と想像する。

 

2018年

4月

12日

どぶ川の神様

当社の製造部門の繁忙期のピークは1月から年度末までである。

目が回る忙しさの年度末が過ぎて新年度を迎えると、それまではピリピリとしていた空気が幾分か緩和されて、皆ホッと一息つく余裕が生まれて来る。

時間的にも気持ち的にも余裕が出来るこの時期になると、私には毎日「掃除の神様」が降りて来るのである。笑

あくまでも私は「掃除の神様が私に降りて来てくださる」と考えているのだが、従業員の間では私の事を「掃除の悪魔に取り憑かれた社長」と呼んでいるらしい。

私にとってこの時期は、掃除し過ぎによる全身を襲う筋肉痛とガサガサの指先を除けば、清々しい気持ちで毎日を過ごせる最高に嬉しい時期でもある。しかし従業員諸氏にとっては年度末の繁忙期よりも大変な時期かもしれない。

 

まず今年の「掃除の神様」は工場のど真ん中を南北に二分して流れるドブ川に舞い降りた。4月4日の朝にドブ川の上に渡した鉄板の隙間から「掃除!掃除!掃除!」と聞こえて来たような気がした。こうなると私はそれ以外の場所を含めて、約3,000坪ある敷地内のすべてを徹底的に掃除しないと気が済まなくなる。お得意様に迷惑を掛けない範囲で工場をストップして、数日間に渡り従業員をほぼ全員、掃除に投入するのである。

目指す掃除のグレードは「新築当時の美しさの再現と維持」である。

常日頃の掃除方法の詳細は以前にも記載したので省くが、毎日徹底した掃除をした上で、この期間は「超特大 大掃除期間」と銘打って、自らも先頭に立って、徹底的な清掃を目指すのである。

今年度の掃除始めは私が長靴を履いてドブ川に入り、溜まったゴミを取り除いた後、デッキブラシを使って川底を磨き上げた。他にも数え上げればキリが無いが、工場の主要外壁部分のペンキの塗り替え、社内各所の周辺道路の高圧洗浄、本社及び全倉庫・全駐車場周辺の草抜きと防草マットの張り替え、フラワーホームも含めたグループ全体の植栽の整備と植え替え、各社屋の全玄関とトイレの防汚・抗菌コーティングの塗り直し等その他である。

余談だが先般、約10年間乗った私専用の社用車を買い替えたが、ほぼ新車のグレードを10年間保ち続けた。また本社屋も内外装含めて改築後約8年経過しているが、未だに初めて来社された方は新築直後と見間違えられる。

 

ところで大掃除の理由を「掃除の神様が降りて来たから」と超自然的なことを綴ったが、合理的な理由がもちろんある。

先ずドブ川の掃除はこの時期に綺麗にすると夏場の蚊の発生を極端に抑えられるし、海に近い環境にある当社においてはペンキを塗り替えることにより鉄骨部分の潮風に依る錆や腐食を防げる。また周辺道路の高圧洗浄は社内への異物混入の防止対策になるし、防草マットにおいては花粉症対策も兼ねている。

また、一般社会では「見た目より中身」と言われるが、ビジネスの世界では先ず「第一印象」が良くなければそこで縁が切れてしまい、中身を知ってもらう段階まで行けないのではないだろうか?掃除の行き届いていない不潔な会社は、第一印象で落とされてしまうだろう。掃除がいい加減だと一事が万事で、他の部分までいい加減なのではないかと疑ってしまうものだ。

前にも書いたが仕事は生活(人生)の土俵でもある。人生の土俵でもある職場は常に清浄に保ちたい。

(関連記事:地獄掃除>>地獄掃除のその上>>

 

2018年

3月

31日

真面目に仕事に取り組む人材を評価します

どのような人材を評価するのかは、会社によって違う。

営業成績の良い人材、困難にチャレンジをする人材、新たな価値創造が出来る人材、人を動かすのが上手い人材、前向きな人材、人望のある人材。

どのような人材を評価するのかは会社によって様々で、それが会社のカラーになっていたりする。

新たに経営の基本方針>>を作成するにあたり、当社はどのような人材を評価する会社なのかを明記したいと思い、何の迷いもなく記したのが「真面目に仕事に取り組む人材を評価します」の一文であった。

経営者として30年以上やって来た経験上、長期的な視点で見れば、やはり「真面目」に勝つものは無いと私は感じる(それは会社経営についても同じである)。

スタート時の能力が低くても、真面目さがある人材は、コツコツ経験を積んで地道にスキルを磨いていけば、必ず会社にとって無くてはならない人材になってくれる。

例えば誰でもミスをする。度忘れだって誰にでもある。私のようにこの歳になると尚更である。私はミスを犯した従業員に対して「真面目に取り組んでいた結果」なら、すこぶる寛容である。しかし「横着をした結果」なら厳しい態度で臨む。

そしてここからが特に重要であるが、本人がミスを素直に受け止め、二度同じミスをしないように工夫(例えば忘れることを前提に行動する>>等)する真面目さが有るか無いか、その差を何年も積み重ねていけば、最終的には大きな能力の差になる。

仕事は1年や2年で終わるものではなく、定年まで20年、30年と続けるものだから好調な時期も不調な時期もある。

その上手くいかない理由が横着や手抜きをした結果ならば失望であるが、真面目に仕事に取り組んだ結果ならば、私は評価する。

ところで先日、会社の各所に設置している防犯カメラの映像を機器の点検も兼ねて久しぶりに観てみた。その中に従業員駐車場に車を停めた後、社内に入る前、始業前にも係らず歩きながらゴミをひらっている従業員の姿があった。

「一事が万事」で、一つの小さな事柄であるが、その姿勢が他の全ての事柄に現れるのはよくある事である。

上司が部下全員の万事を見る事は物理的に不可能だが、ふとした一事からその人材の仕事に対する姿勢は、ある程度は判断できる。

 

ところで私が考える今後の当社にとっての大きなテーマの一つは、有能な人材が能力を最大限に発揮でき活躍できる環境作りであろう。待遇や登用制度も含め改善のポイントはいくらでもある。

経営者として従業員各人のプライド・我・特性を見極め、個人と組織がうまく両立出来て行くシステム作りをして行かなければならないと思う。

そのために「公平な評価基準の作成」と「自分の将来に希望が持てる環境作り」を更に推し進めようと考えている。

そして今、取り組み始めているのが「社内独立制度」である。

今の時点では詳細は省く。

●竹中いさと大阪府泉南市長が、当社シニア事業部のサービス付き高齢者向け住宅フラワーホームをご視察に来られました。

詳しくはコチラ>>

2018年

3月

18日

旗印

前回のブログでは、丸竹の企業理念「三方良し」について記した。

しかし当初から企業理念があったわけではなく、少人数で会社をしていた頃は、三方良しと同じ種類の想いは漠然とあってもそれを言語化することはなく、経営理念と呼べるようなものは無かった。

毎日、社員皆が顔を合わせて、皆のその日の機嫌も、皆の長所も短所も腹の中も分かり合っていた頃は、企業理念などは必要無かったように思う。

しかし組織の人数が増えると、「この組織がどこに向かって行くのか」「この組織にとって一番大切なものは何か」という旗印を立てなければ、皆がバラバラの方向へ進んで行ってしまうような気がして、想いや目標を言語化し共通認識として社員全員が持っておく必要を感じた。

それが一番初めに企業理念を作成した時の想いである。

 

ところで私が青春を費やした講道館柔道の理念は「精力善用」「自他共栄」である。

説明を加えると「精力善用」とは「相手を打ち負かすことを目標に柔道をするのではなく、自己の完成の為に鍛錬し、そして柔道で鍛えたその心と体を、人や社会のために使おう」ということ。

「自他共栄」は「自分一人だけが栄えるのではなく、練習相手になってくれた人や、応援してくれた人、自分の周り、ひいては社会全体が栄えるということが社会生活の理想」ということ。

私なりに纏めると、

「今のあなたがあるのは、それは自分一人の力ではなく、周りの人たちの有形無形の力添えがあったお陰なのだから、自分の力を自分の利益の為だけに使うのではなく、自分も含めた社会や周りの人の利益の為に使いなさい」という事であると思う。

この言葉は、多くの柔道場の壁に掲げられている。

本音を書けば、柔道に打ち込んでいた当時は、そんな言葉など馬の耳に念仏で、「全国優勝」の張り紙の方に魅せられ心を燃やしていた。

しかし「門前の小僧習わぬ経を読む」と同じで(習っていたけど笑)、何度も見聞きしているうちに知らず知らず影響を受けるもので、特に経営をするようになってからは、「あぁこれは自他共栄だな」や「あぁこれは精力善用だ」などと思う事が幾度もあった。

「自他共栄」の「皆の繁栄、皆の利益、皆の良し」などは経営の基本にも通じるものであるし私の想いでもある。この想いを、何か別のもっと企業として相応しい言葉で表現したいと考え、たどり着いたのが、

近江商人の心得を言った「三方良し」である。

売り手良し・買い手良し・世間良しの三方良し

当社の言葉で言うなら、お客様の満足・従業員の幸せ・社会への貢献の「三方良し」。

 

2018年

3月

11日

本社HPリニューアルしました

5年ぶりに本社ホームページ>>の完全リニューアルを行った。

常に動きのあるHPにするために、これまでも細かに更新を重ねて来たが限界が来た。

というのも、取扱商品が拡大するにつれてHPがゴチャゴチャして来て、目的のページを探すのに時間がかかるようになっていたのが一つ目の理由。

二つ目の理由は、スマートフォンやタブレットなどの普及に伴いモバイル端末からのアクセスが増加しているので、スマホからでも見やすいようにモバイル端末対応HPにしよう!という事で、思い切って完全に一から作り直した。

思い立ったのが昨年の10月頃だったので約半年かかった。

まず今回のリニューアルに関わってくださった皆さんに深謝申し上げます。

私は基本、走りながら考えるタイプなので、あがって来たテストサイトを見て「ココは、こんな風に変更!」と指示を出した数日後、もっと良い案を思い付いて「やっぱりこう変更!」といった具合の連続なのである。そのうえ「せっかち」「イラチ」「神経質」であるから、対応する方はしんどい半年間であっただろう。しかしお陰で妥協のないHPが完成したと思う。改めて、お疲れ様でした!ありがとう!

ところで今回、「企業理念」「経営の基本方針」の見直しも行った。

基本的な部分は変わっていないが、事業が製造業のみだった時に作成した理念や方針だった為、現在の事業内容に対して不十分になっていたように感じたのである。

新たなものは以下である。

 

企業理念

 

三方良し

 

一、お客様の満足を、最大の誠実さと強い責任感をもって追求する

 

一、従業員が物心両面の幸せと希望ある未来を得られる企業を創る

 

一、 社会の発展と福祉の向上に事業活動を通じて積極的に貢献する

 経営の基本方針

 

・既成概念にとらわれないより良い商品やサービスを開発・提供します。

 

・聖域を設ける事無く、何事に対してもたえず見直しを行い、変わり続ける経営環境の変化に柔軟に対応します。

 

・各事業部を連携させたビジネスモデルを創出し、多角経営を強みにした持続的成長を実現します。

 

・真面目に仕事に取り組む人材を評価します。

 

・全ての従業員がポテンシャルを最大に生かして活躍できる仕事場を作ります。

 

・社会的貢献性の高い事業を行います。また社会貢献活動にも積極的に取り組み、社会から歓迎される会社を目指します

企業理念である「お客様の満足」「従業員の幸せ」「社会への貢献」の「三方良し」を実現させるために、私は社長として先頭に立って皆を牽引して行く覚悟であります。

あらためまして、なにとぞ皆様方の倍旧のご支援ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

2018年

2月

28日

賭け事はしない

先日、会話の中で「競馬やパチンコなど、何かギャンブルはされないのですか?」と尋ねられることがあった。

私は、酒も飲むし、煙草も長い間やめていたが今はアイコスのみではあるが吸う。けれどもギャンブル系は一切しない。しかし「今は」である。

と言うのは、まったくギャンブル系に興味がないというのではなくて、若い頃には世の中にあるギャンブル系のほぼ全てと言っても過言では無いくらい、2~3か月ぐらいの短いスパンずつではあったが一通りの事を興味本位で試してみた。しかしどれ一つをとっても、ギャンブル好きの方が言う快感は得られなかった。

快感を得られない理由はズバリ、勝てないからである。

たとえば私が学生時代にやっていた柔道ならば、自分が頑張れば頑張っただけ強くなり勝率は増すが、ギャンブルは運である。そのギャンブルについて一意専心に研究をすれば、多少は勝率が上がるかもしれないが、基本的にギャンブルは胴元が儲かる仕組みになっているので、お金を儲けられる可能性はかける労力に対して僅かなものであろう。

そのように勝つか負けるか運任せのものに、お金と時間と労力を費やすのが嫌だなと思ったのである。これが私の気持ちの半分。

残り半分の気持ちは、ハマってしまうのが怖かったのである。元来、私は負けん気が強く、自分が勝つまで諦めたくない。

2012年に書いた、このブログの第1回目の記事>>にも、勝つまで諦めず挑み続けるぞ!といった内容の事を書いた。そして私の座右の銘は「諦めず気が遠くなるまで繰り返す」である。こんな私がギャンブルにハマってしまえば悲惨である。笑

だからギャンブルの面白さを知ってしまう前に、さっさっと撤退したのである。

 

しかし私は、投資は好きである。投資と言っても株式投資やファンド等の金融商品の話ではない。設備投資や人への投資の話である。

一番最近の設備投資では、次亜塩素酸水衛生環境システムをフレスコ事業部に設置し、自然環境に配慮したクリーニングを可能にした。

人への投資については、それぞれの事業部の社員がスキル面でも賃金面でも今よりワンランク上のステージに行けるように、資格を取りに行かせたり、講習会に参加させたりしている。

身も蓋もない言い方をすれば、投資した設備に見合う収益をあげられなかったり、投資した人材が退職したりなどすれば投資したお金がパァ~である。

しかしこれらの投資は企業発展には欠かせない投資で、これこそ生きたお金の使い方であると思う。

 

2018年

2月

18日

手段を目的と勘違いしてはいけない

「何のためにするのか?」「目的は何か?」

例えば掃除一つにしても、目的を意識する者と、しない者では出来映えが違ってくる。

掃除の目的は、小さい目的は「職場を清潔でキレイにすること」、大きい目的は「顧客様に気持ち良くご来社頂けるよう、そして社員の皆が気持ちを良く働ける職場にすること」である。

それが目的で、掃除は手段である。

そんな事は分かっていても毎日の事になってしまうと目的を意識しなくなり、掃除の時間だから単に掃除をする、上司に言われたから掃除をする、といった風に「掃除をしたという事実を作ること」だけが目的になってしまう時もあるのではないだろうか。

「気持ちを良くご来社や気持ちよく働ける職場にすること」を目的で掃除していた時は、工夫しながらより良い環境にする為に掃除していても、「掃除をしたという事実を作る事」が目的になっている時は、四角い部屋を丸く掃いてしまっているのではないだろうか?

人間は、新しく何かに挑戦する時や、特別な事をする時は、目的意識を持つものだが、ルーティンワークに目的意識を持ち続けるのは難しいものだと思う。

だからこそ折々に「何のためにするのか?」「目的は何か?」と何度も何度も繰り返して伝えることが、上に立つ物の役割であろう。

 

また、イレギュラーな事が発生して判断に迷った時にも、目的を今一度思い出してそれを軸に考えると、答えが出しやすい。

小さい事だが例を挙げると、前回に詳細を書いたが>>グラウンドゴルフ大会 フラワーホームカップ>>の特別賞として男女合計20名様に抽選でパン(お一人様お好きなパン10個)の引換券を贈呈させて頂いた。その引換券には、もちろん引換期限があり、それは券に記載している。

しかし、その期限を過ぎてから引換に来られる方が何名かおられた。

そんな時にどうするか?

小さな事だが、やはり現場で対応する職員は判断に悩むシーンだと思う。

しかし特別賞を贈呈した目的は、カップに参加してくれた人に喜んで頂く為であり、フラワーホームを知って頂く為であるから、ここで「引換期限が切れています」とシャットアウトしてしまうとガッカリされるであろう。それにすでに賞の分の予算は取ってあり、さらに追加で費用がかかるという事も無かったので、その日の訪問販売のパンをプレゼントしましたと報告が現場からあった。

 

私は常々、各事業部長には「最後は私が責任を持つから、自分で考えて良いと思うことは何でもやってみろ」と言っている。

『目的』を見失わなければ、そう大きく道を間違えることは無いだろうと思う次第である。

 

2018年

2月

07日

感動の再会

その感動の再会があったのは、当社の「社会福祉の向上」と「地域社会への貢献」への取り組みの一環として開催させて頂いているグラウンドゴルフ大会 フラワーホームカップ>>に関連して起こった出来事である。

今大会より導入した特別賞というのがある。この賞は男女合計20名様に抽選で特別賞としてパン(お好きなパンお一人様10個)の引換券を贈呈させて頂くというものである。

この賞品のパンは、泉南市の障害者施設「デイセンターせんなん」の製菓製パン販売部門プチソレイユさんのパンである。

プチソレイユさんは毎週火曜日にフラワーホームへパンの訪問販売に来てくれているので(くわしく>>)、その日をパンの引き換え日とした。

 

さて感動の再会は、そこで起った。

特別賞を抽選にて当てられ、パンの引き換えに来られた方の中にO田Y子さんと言う方がおられる。

この方は戦時中に長野県の師範学校を卒業され大阪に来られた後、小学校の教員として定年まで特別支援クラスの担任をされ、その後は泉南市の市議会議員を務められた方である。

現在はご隠居されグラウンドゴルフを楽しまれている毎日である。また高齢で一人暮らしという事情も有り、何度かフラワーホームを見学に来られ、ご入居の予約をしてくださっている方でもある。

このO田さんが賞品のパンを、どれにしようかと選んでいると突然、「せ、せんせいー!!」と声を掛けられた。

声の主は、「デイセンターせんなん」のインターシップとしてパンの販売助手をする為に来所していた障害者の方である。

なんとその方は、O田さんが教員をされていた時代の支援クラスの「教え子」だったのである。しかもなんと6年間に渡り担任を受け持っていたらしい。

20数年の時を経ていたが、顔を見た瞬間に分かったそうだ。

O田さんは、販売助手をしているその方の成長した姿を見て、大変感動されたそうだ。そして交換会が終了するまでO田さんもその場に留まり、元教え子の働く姿を、涙を零しながら見守られたとの事だった。

 

私が上記の出来事を知ったのは、フラワーホームの職員から話を聞いたのが一番先であったが、実はその後、O田さんご本人から本社に電話を頂き、事の顛末を聞かせていただいたのである。そして最後に「このような機会を作ってくれて、ありがとうございました。」とのお言葉を頂いた。

私にとっても思いがけない事で、大変うれしい出来事であった為、O田さんにご了承を得てブログに書かせて頂いた。

プチソレイユさんのパンの訪問販売 フラワーホームにて
プチソレイユさんのパンの訪問販売 フラワーホームにて

2018年

1月

28日

社内規定の整備

ここ数年来、事業内容が多角化したことに伴い社員数が増加したことで、労働関連法規のカテゴリー(規制枠)が社員数49人以下から社員数50人以上枠へと昨年4月から変更になった。

社員数が50人以上になると、労働基準法はもちろん労働安全衛生法の義務が増える。

例えば産業医の選任や、衛生管理者の選任や、社員たちのストレスチェックの実施etc.である。それらの実施に加えて、私はカテゴリー変更以来、社内規定とくに就業規則の整備を進めてきた。

 

さて本日は、社内規定について、田舎の経営者である私らしいアナログな方法での整備の仕方を、恥ずかしながら綴ってみようと思う。

まず始めに、大手企業に就業経験のある社員を片っ端から呼び出しては、「他社さんはどうだった?」が口癖になるほどヒアリングをして比較検討した。

内容は当社の現在の社内規定を叩き台にして、不足している所、規定の度合いが他社より低い所、新規に追加した方が良い所などである。

私はキーボードを早く打てないので、社員たちから聞き取った内容はすべて鉛筆で叩き台のペーパーに手書きした。

次にヒアリング終了後は、鉛筆で書いたペーパーの字を消しゴムで消しながらすべて筆ペンで清書した。

清書したものをこの後に数度の役員会議にかけて、若干の訂正を経て社内的には完成した。それから社会保険関連の業務をお願いしているコンサルさんに社内規定が法律的に照らし合わせて瑕疵がないか精査を依頼した。

約2週間で精査も完了し、ほぼ訂正なしに完成し、社員代表と共同捺印の上、労働基準局に提出したのである。

過程を綴ってみたら、なんともアナログやなぁ~と自分で苦笑いである。

社員数が少人数だった時は、社内規定や就業規則はここまで厳密に整備されておらず、

「残業手当たっぷり出すから、なんとしても今日中に仕上げてくれよー!」「よっしゃぁー!」の世界であったし、ボーナスも経営者の匙加減で、「彼はまだ結果は出してないけど、一生懸命がんばっていたから弾もうか」など浪花節も出来たが、今は何でも合理的に細部まで規定が存在するので、もうそんな事は過去のことである。

義理や人情で経営できていた頃の方が私の性分には合っていたなぁと思うが、

いつまでも過去を美化して懐かしんでいたら、アナログ人間から抜け出せない時代遅れの経営者になってしまう。デジタル人間にならねば!

 

2018年

1月

14日

感謝傾聴

年末にトイレの神様の夢を見た。

トイレと玄関は風水において大切な場所なので、本社事務所のトイレと玄関は、必ず毎日私自身が掃除をしている。(地獄掃除>>

神様の夢を見て以降は、いつも以上に清掃に気を配り、トイレの神様に心の中で手を合わせている。

ところがつい先日、真空パック工場の男子トイレが詰まり、水が流れなくなってしまった。

修理業者が来るまでの間、男子トイレには「使用禁止」の紙を貼り、女子トイレを使用することにした。ところで工場には5名、障害を持った社員が働いてくれているのだが、その中には知的障害を伴っている人もいる。そういう社員にイレギュラーな対応を求めるのは難しく、気が付いた時には詰まった男子トイレの方を大で使用してしまい、溢れ出て来て大騒動!という事があった。

しかし、このような事は一端で、これに類似するような事はよくある。

イタズラ的行動(本人はイタズラと思ってない?)で、トイレや手洗いの排水管に考えられないような物を流して詰まらせてしまうことは再三あって、その度に業者を呼んで修理する手間や費用などのことを思うと溜息が出てしまうこともある。しかしそれと同時に感謝の念も沸いて来る。

というのも、ブログにも書いてあるが、私の信念は三方良し>>(売り手と買い手がともに満足し、また社会貢献もできるのがよい商売であるという近江商人の心得をいったもの)である。

現在複数名の障害者を雇用できる環境があるということは、三方良しが少しずつ形になっていると感じるからである。

もちろんそれは社員や職員、そして当社に関連する皆さまのご尽力とご支援があるからこそであり、ありがたい。

そこで今年の私のテーマは、平身低頭をモジって?!(モジってない?!)「感謝傾聴」にした。

平身低頭のように腰も頭も低くして追従するのではなく、共に仕事をする人達やお客様に感謝し、そしてその方たちの声に積極的に耳を傾けていこうと思う。

その声には、これから会社を安定して経営して行くためのヒントがある。

 

ところで「社会貢献」と書くと、なんだか良い恰好しぃのような気もするし、一度も耳にした事は無いが「社会貢献に使う経費を給料の方へ・・・」と内心では思っている社員も、もしかしたらいるかもしれない。

しかし、社会から歓迎され必要とされる会社にならなければ企業の未来は無いと私は考えている。

 

2018年

1月

05日

ゴールド免許

2018年 新年あけましておめでとうございます。 

旧年中は大変お世話になり誠に有難うございました。 賜りましたご厚情に深謝致しますと共に、また本年も変わらぬご指導・ご厚情のほどよろしくお願い申し上げます。 

 

さて昨年10月「夢の中のご先祖さまに誓って」の記事の中で書いた「ゴールド免許取得の可否」について結果を御報告したい。

免許更新の度に、ゴールド免許取得を楽しみにしているのだが、いつも更新日のギリギリで違反を犯してしまい、運転歴も約40年に差し掛かろうとしているのに、ずっとブルー免許だった。

更新通知が届く頃になると、事務所のポストにハガキが届いていないか日に何度も確かめに行った。更新期間が近づいているのにハガキが届かないので、泉南警察の交通課に「まだ届かないのですが」と電話を入れると「そろそろ届くでしょう」と教えてもらった。

その後も届かないので何度か連絡を入れていると「御主人!毎日、安全運転をされていたら、そう心配されずとも必ずハガキは到着しますから!」と、警察署の方から笑い声で諭され、その笑いを受けてハッと我に返り、私も思わず照れてしまった。

その方の言葉通り、更新期間の初日の約1週間前にはゴールド免許の更新通知が届いた。

56歳にして、ようやく初のゴールド免許である。

張り切っていたので、免許の更新にはスーツを着て行った。1時間の一般運転者講習ではなく、30分の優良運転者講習の方へ行けるのも嬉しく、そのテンションのまま講師の話を頷きながら聞いていると熱心な人と勘違いされたのか、いつの間にかマンツーマン授業のように目線が来るようになり、今更サボれず学生時代には一度も経験したことの無いほどの真面目さで最後まで講習を受け、無事ゴールド免許を取得した。

 

今更かもしれないが、長年に渡り私がゴールド免許を取得できなかった原因は、運転者として順守しなくてはならない当たり前のルールを、自分自身の気の緩みやせっかちな性格から順守出来ていなかった事が主因である。

幸いにも大きな怪我や事故を起こすことも無く、無事に来させて頂いたことは「奇跡」に準ずるレベルであったかもしれない。八百万の神々の加護に深謝すると共に、猛省することしきりである。

今後は日々、安全運転を心掛けることを誓います。

最後になったがどんなに安全運転の心掛けを徹底しても、それでも事故は起きるときには起きてしまうと思う。そうなった時に社会的責任を果たせるよう、少々コストは掛かっても、今後も出来る限り「まさかの為」に保険関係はしっかりしておこうと思う。