2015年

11月

22日

「すぐ!すぐ!すぐ!」「今!今!今!」

今回のブログのタイトルの「すぐ!すぐ!すぐ!」「今!今!今!」は、

年中、社員に言いまくる私の口癖である!

社員の方たちは、この口癖を聞く度にゲンナリしていることだろう。

 

私は、せっかちで短気である。

だから「あとで手が空いてからやろう」「明日やろう」「時間に余裕が出来た時にやろう」というのが出来ない性分なのである。

やらなければならない事を持ち越したまま布団に入っても、魚の骨が咽に残ったままのように気持ち悪く、それならば起きて、ちゃんと仕事を済ませてスッキリしてから眠りたいと思うのである。

体調が悪い時であっても、やらなければならない事を残したままだと、休む方が精神衛生に悪く、余計に体調が悪くなりそうなので休めない。

 

私は社員の方たちには、

「今日中にしなければならない事は午前中など時間の早いうちにしろ、

安全に係わることは後回しにするな、

ビジネスチャンスには賞味期限があるぞ、スピードが大事、

簡単な仕事だからと言って後回しにするな、簡単に終わるなら今すぐしろ、

お金に関することは後回しにするな」と言っている。

しかし体は1人につき1つしか無いのだから、どれもこれも後回しにするなと言ったところで、出来るはずが無いのも分かっている。

優先順位を付けて、順位の高い仕事から先に取り組んで行くのは、もちろんのことだが、

それでも私が、アレもコレも「すぐ!すぐ!すぐ!」と言うのは、

優先順位の低い仕事は「時間に余裕が出来た時にやればいいか」と思ってほしくないからである。

「時間に余裕が出来た時にやろう」と思っていても、そんなのいつになるやら・・・である。

時間に余裕が出来る時は、会社が下り坂になった時であろう。

 

時間は意識して作らないと出来ないものである。

どうしたら仕事の効率が上がるかを考え、ダラダラとなってしまわないように事務処理や書類整理などの仕事にも期限の目標を設けて、時間を意識しなくてはいけない。

そして優先順位の低い仕事は、暇になったらやればいい仕事ではなく、優先順位の低い仕事も、時間を作り出して、しなければならない仕事なのである。

後回しにしてしまった仕事というのは、視界に入らない状態にすると、そのままやるのを忘れてしまうことがある。

忘れないように大きく紙に書いて、やり終わるまで机の前に張り付けると良いのではないだろうか。

 

丁寧さが求められる仕事は丁寧に慎重にせねばならないが、ルーチンワークなどは効率やスピードを意識して、自ら時間を作りださなければならない。

重要度の高い仕事が優先順位の上位に来るのだから、それに注力するのは当然であろう。

しかし軽い羽でも多く積めば舟を沈めるという意味の「積羽 舟を沈む」という言葉があるように、

後回しにした優先順位の低い仕事が、いつの間にか積もって大きな事態になり、会社を沈めてしまう可能性だってあるのだ。

 

以上のような思いから、アレやコレやと、くちうるさい社長になってしまうのである。

 


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2015年

11月

15日

失敗談

人生には失敗はつきものである。

しかし失敗を通して学べることが多いというのも事実である。

また「失敗の繰り返しが人生である」と言っても過言ではないのが、人の一生ではないだろうか?

 

本日は、私の失敗談を紹介させて頂こうと思う。

それは今から25年程前の話である。

K株式会社というのがあった。(現在は業界再編と吸収合併がなされて、その名籍は無くなってしまった)

K社と当社は営業代行契約を結び、K社の担当T氏と私は、日本全国に当社の製品の代理店と販路を拡大すべくそれぞれ営業に飛び回った。

ところで当時は携帯電話が一般にも普及し始めたばかりの頃で、まだまだ高価なものであった。しかし当社は少ないギリギリの人数で営業していた関係上、業務の効率化を考え早くから導入していた。

K社は大手ということもあり、当社よりも数か月前には全営業マンが携帯電話をすでに手にしていた。

T氏と私は、まだ使い慣れない携帯電話を携えて、互いに競い合うように西に東へ出張を重ねる日々を過ごしていた。

 

それはT氏が仙台に居り、私が広島に居た日の朝に起った。

その日の午後、当社製品の入札があり、T氏より単価のオファーが私にあった。

私は事前に原価計算を済ませていたので、T氏に

「1枚当たり@2,000-/枚で入札してください。」と返答した。

T氏も「了解!」と手短に返事を返してきた。

当時の携帯電話の通話料金は今とは比べ物にならないくらい高額で、いつも出来るだけ要件を手短に話すようにしていた。

その後、夕方になりT氏より

「オファー通りに1枚当たり@1,000-/枚で入札して予定通りに落札しました。」と連絡が入った。

私は思わず自分自身の耳を疑い、青くなりながら何度もT氏に聞き直した。

しかし何度聞き直しても1枚当たり@1,000-/枚なのである。

そして結果、入札だったので単価を訂正することもできずに、この物件は赤字で納品することになった。

 

失敗は誰にでもあると思う。

しかし大事なことは、同じ失敗を二度繰り返さないことである。

その為には「なぜ自分達が失敗をしてしまったのか?」を厳密に検証する必要がある。

その失敗の原因が解れば後は簡単である。

「失敗した原因」を排除してしまえばいいだけのことなのである。

私たちが失敗した原因は、当日の朝、私は「にせんえん」と言ったが、携帯電話の電波を通してT氏に伝わったのは「せんえん」だったのである。

つまり「にせんえん」の「に」の部分の電波が飛んでしまっていて、T氏の耳に聞こえたのは「せんえん」だったのである。

この後、猛反省した私とT氏は、例えば2,000なら「にまるまるまる」と置き換えた上、互いに3回ずつ復唱を繰り返すことにした。

今ではメール等もあり、このような失敗は皆無であるが、当時は他社でも類似した失敗があったと幾度か耳にした。

さて皆さん!いかがでしたでしょうか?

これが私の数多い失敗談の中でも大きめであるが、ほんの一例である。


そしてこの話には後日談があり、「失敗仲間」となったT氏とは「失敗」という事柄を共有することによって近しくなり、その後も一緒に仕事をしていくうちに、同じ体育会系だったせいもあるが人生観を同じくする部分が有り、共感が生まれて、

K社を定年退職後に一昨年まで、当社の嘱託社員として65歳まで一緒に仕事をして頂いた。

「失敗は成功のもと」とよく言われるが、これはまさに「失敗から生まれた人の繋がりであろう」

  

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2015年

11月

08日

祖父との思い出、刀作り

今年も奈良国立博物館で第六十七回 正倉院展が先般より開催されている。

正倉院展とは、東大寺の正倉院に収蔵されている8000点以上のお宝の中から、毎年約60点ずつ一般公開される人気の展覧会で秋の風物詩のようなものである。

毎年心待ちにしておられる方も多いのではないだろうか。

 


正倉院展のニュースを見て、祖父とのこんな思い出が脳裏に蘇えった。

私の子どもの頃の夢は、刀鍛冶であった。

きっかけは5~6歳の頃、刀鍛冶のドキュメンタリー番組を見て、まず刀鍛冶の装束に一目で心を奪われた。そして火花を散らして鉄と戦う姿を、戦隊ヒーローとダブらせ憧れを抱いた。

やってみたいと思えば、実際にやってみなくては気が済まないのは、子どもの頃からであった。

早速、刀作りをするために「何かいい材料がないかなぁ?」と勝手に探したのが、祖父の商売道具である大工箱だった。

一時期、私は母方の祖父の家に預けられていたのだが、祖父が工務店を経営していた関係で、五寸釘と言われる長さが15センチ以上はゆうにある大きな釘が、祖父の大工箱の中に沢山あった。

そのうえ辺りを見渡せば、祖父の大工倉庫には金槌、大きなハサミ型の釘抜き、おまけに火を起こすための薪(たきぎ)も揃っている。

私は早速、祖父の家の前の溝渠に渡してある鉄板の上に薪を山積みにして、五寸釘を中に入れ、マッチで火を起こした。

新聞を丸めた紙筒で息を吹きかけつつ、轟々と燃える火を気長に見守った。

そろそろだろうか?と見当をつけて釘抜きを使い、恐る恐る火の中から五寸釘を取り出すと、テレビで観た通りに真っ赤になっていた。

それを鉄板の上で金槌を使い叩くと、子供の力でも徐々に形が変わっていく。

しかしもちろんすぐには刀のような形には、ならなかった。

ようやく、なんとなく刀のような形のものが出来たのは、約1ヶ月後である。その間、10回以上は焚火を起こした。

現代では考えられない、恐ろしいレベルの近所迷惑者であった。

それでもおおらかな時代であったのか、もしくは孫可愛さか、祖父は私を叱るどころか手伝ってくれ、

「かっちゃんは良い刀屋さんになれるなぁ」と褒めてくれた幸せな記憶がある。

話はそれたが、これで刀作りは完成ではなく、まだまだ工程は続くので、まだまだ焚火も続くのである。

上記のように約1ヶ月をかけて、なんとなく刀の形が出来ると、今度は焚火に何度もまたソレを入れて赤くしてから、横の川溝の水の中に入れて冷やすことの繰り返しである。

これもテレビで繰り返し同じ作業をしていたのを真似た。

それから次は、研ぐことである。

これも幸いにして、祖父の大工倉庫には様々な砥石があった。

しかし子供の力では、そう簡単に研げるものでもなく、完成したと納得出来るまでには、そこからまた1か月くらいかかったような気がする。

祖父に手伝ってもらいながら合計約3ヶ月以上をかけ、苦労の末ついに作りあげた私の刀は、やっとこさ新聞紙が切れるようなものであった。

 

なぜ正倉院展の話から、このような話になったのかというと、

天平時代の約1200年前は、今と違って電気も高度な工具もなく、おそらく道具は、私が子供時代に刀を作ろうとした時のそれと同程度か、それ以下の物であろう。

手作業で砂鉄から鉄を溶かして型に流し込んで作る鋳造(ちゅうぞう)すること自体だけでも凄いが、それを金槌で叩いては延ばし、冷えては固めて何度も焼入れを繰り返して強度を高めて作品に仕上げていくのである。

それは私の子供だましのような経験から考えただけでも大変な時間と手間のかかる作業である。オマケに正倉院の宝物には、その他にもさまざまな宝物に透かし彫があり、その硬い鉄を鏨(たがね)で彫って雅で繊細かつ精緻な模様を作るのである。

今のように電動工具がない時代にである。

まさにほとんどが、鏨と金槌とヤスリだけで作られたのである。

その作業も想像を絶するものであろう。それに、今の技術を持ってしても解明できない工程までもが施されたものもあるという。

一つの作品を作るのに数年かかった物もあると言われている。

まさに「天平の甍(いから)は技術にあり」と言われる所以であろう。

 

今のような何でも便利になった時代に、電気も高度な工具も無かった悠久の天平人の生活や技術に思いをはせ、また浸ってみるのもたまには心が素直さを取り戻し良いものであると思った次第である。


2015年

11月

01日

獅子奮迅

「仕事に取り組む姿勢」を社員たちに理解してもらうには、自分の背中を見せることだと考えている。

そのため獅子奮迅の働きを先頭に立ってしなければならないと常日頃から心掛けている。簡単に言えば日中の業務のみならず、朝の掃除から夜の戸締りまでである。

 

天理高校柔道部時代にこんな事があった。私が1年生の時のことである。

秋の国体が無念な結果で終わってしまい、3年生が戦列を離れて、1、2年生中心の新チームに変わり、来年度の全国大会を目指して練習を始めた矢先の出来事である。

当時の監督 故 加藤秀雄先生(9段)が、寮の一階の大広間に1、2年生の部員を集めて訓辞を述べられた。

「お前たちが全国優勝を目指すなら、執念を持ってとことんまで練習をやり抜くしかない」

「執念とは自分自身との戦いということだ」

「徹底的に練習をやり抜くことでしか全国優勝は見えて来ない」

「そのためには先生も、先生自身の執念というものをお前たちに見せてやる!」

というような内容であった。

加藤先生が話されていた時の鬼気迫る形相は忘れることが出来ない。

某大学で教鞭をとる、ある先輩(当時2年生)と今年になってこの話をしたが、その先輩もこの日の出来事を忘れていなかった。

そしてその日以来、加藤先生の指導は、指導者の先頭に立って、極限を私たちに求めるのに近い厳しさになった。

来年こそは!と並々ならぬ決意をされたことの一端なのか、大好きな酒も煙草も一切止められた。

そして生徒よりも早く道場に立ち、生徒よりも遅くまで道場におられた。その上、朝6時のトレーニングのみならず、夜10時以降の自主練習まで毎晩のように見に来られた。

まさに獅子奮迅とはこのことである。

 

自分は楽をして口ばかりの先生であったならば、私たち生徒は、あの苦しい練習を最後までやり遂げることなんて絶対に出来なかったであろう。

目標を達成することも出来なかったはずだ。

けれども先生の本気を鼻先に突きつけられたら、こちらも本気で対峙するしかなかった。

 

当時はただただ無我夢中で、言われたことに従っているばかりであったが、社会に出て、経営者となって働くようになり、あの当時私たち生徒が悲壮なまでに本気になれたのは、先頭に立つ加藤先生という獅子奮迅な牽引者がいたからであろうと思った。

 

当社の各事業部のリーダーたちには、逞しい牽引者になってもらいたいと願っている。

そのためにも私は誰よりも獅子奮迅な牽引者であろうと心掛けている。