2015年

10月

25日

貯金

仕事だけに限らず、スポーツや学問や趣味にも通じることだが、「努力と結果」のパターンを上げると

①   努力以上の結果だった時

②   努力並みの結果だった時

③   努力以下の結果だった時

この3つに、大別することが出来ると思う。

時として「運」や「偶然」が結果に多大な影響を及ぼすことがあるのも事実であるが、今回は「運」や「偶然」が作用した場合は抜いて考えてみたい。

 

私は、努力を続けていれば必ず、心と体が健康である限り「良い結果」に結びつくという信念を持って日々、企業経営に携わっている。

まず①の「努力以上の結果だった時」の場合であるが、過去に③のような「努力以下の結果だった時」が度々起っていたはずである。その度に重ねた努力がたとえ結果に繋がらずとも経験として残るはずである。その経験は重ねれば重ねるほど、スキルという名前の貯金になって行くと思う。

つまり努力以上の結果に繋がったのは、スキルという名前の貯金を使用したからではないだろうか?と考えるのである。

次に②の「努力並みの結果だった時」の場合であるが、これは貯金に例えると増減が無く、プラスマイナス0状態であろう。

そして③の「努力以下の結果だった時」の場合であるが、たとえ上手くいかなくても心が折れる必要も腐る必要もない。

そうそう簡単に、努力がダイレクトに結果に繋がるはずがない。今は未来に向けて貯金中と思えば良いのである。

「今」という「点」で見れば失敗に終わった結果も、長い目で見れば、次の未来に繋がるスキルという名の貯金なのである。

「結果に結びつかなかった努力」を積み重ねた貯金があるからこそ、①の「努力以上の結果だった時」のような日もあるのだろう。

  

野球界の王貞治さんが、こんな風に言っている。

 

『努力しても報われないことがあるだろうか。

たとえ結果に結びつかなくても、努力したということが必ずや生きてくるのではないだろうか。

それでも報われないとしたら、それはまだ、努力とは言えないのではないだろうか。』

 

2015年

10月

18日

健康という責任

周りの皆に、「まだ、そんなものを使ってるのか!?」などと馬鹿にされながらも、約4年半に渡り使い続けていたガラパゴス携帯が先般ついに壊れ、

そして遅ればせながら、私もようやくスマホに買い替えることになり、やっと世間のデジタル化に追いついた。(笑)

実は先んじてスマホに買い換えた同年代たちからは、端末操作が上手く行かず

「壁に投げつけそうになるぞ」とか「床に携帯をおいて足で踏みつけそうになったぞ」などと脅されていたので、先入観が先走り、ただ単に「端末の操作を覚えるのが邪魔くさかった。」というのが古い携帯を使い続けていた理由である。

やっぱり実際に買い替えてみると皆が言う通り、慣れるまでは悪戦苦闘した。

しかし、それとは反対に良い面もあった。

私のスマホには便利なことに万歩計が内蔵されていたのである。

何事にも凝りやすい性格の私は、この機能を見た瞬間にヤル気に火が付いた。

その日以来、最低でも健康のために一日5,000歩(目標は一日10,000歩)以上は歩こうと心に決めた。

 

ところで私は、若いころから怪我は多かったが、特に大きな病気らしい病気はあまりした記憶がない。どちらかと言えば子供の頃から少林寺拳法や柔道で体を鍛えてきたという自負もあり、体力と健康には自信があると思って生きてきた人間である。

それでも50歳を目前にした頃から、健康について幾ばくかの不安を抱くようになった。

というのも、たとえ健康自慢の達者な方々であっても、やはり50歳を越えたぐらいからガンや脳梗塞・心筋梗塞・糖尿病等の成人病を患う様子を多く見てきたからである。

40代のうちは簡単な健康診断で済ませていたが、もっと精密な検査をする人間ドックを受ける必要があるのではないか?と考えるようになった。また、そう考えていたタイミングに知人から、会員制で中間検査や簡易検査も含めると約3か月ごとに検査するプログラムが組まれている健康管理クラブの存在を案内された。

そしてその健康への不安を払拭すべく入会を決意して、定期的な健診を受けるようになったのである。

 

近年になってようやくであるが、健康というものが一番大切だと年齢と共に心から思えるようになって来た。

万が一にでも私の身に何かあったら、お得意様をはじめ、スタートを切ったばかりの「新規事業 フラワーホーム」の計画や社員・関係者の方を含め、当社に関連するすべての方に多大な迷惑をおかけすることになるであろう。

今のところ加齢による血糖値の高さは若干あるが、さほど気になるところは無い。念のため遺伝子検査をしたが遺伝的な糖尿病リスクも無かった。

しかしそれでも年齢的に50歳を超えると油断はやっぱり禁物である。

健康管理はどれだけやっても、やり過ぎということはないはずである。

そのためにも毎日、最低5,000歩は歩くことを心掛けて、(まだ打ちっぱなし2回とハーフで回っただけであるが)約25年ぶりにゴルフも再開した。

 

経営者という立場にある自分自身にとって、健康であるということは「果たさなければならない最低限の責任の一つ」だと、この頃になって強く思うようになった次第である。


2015年

10月

11日

落し物

先般、当社の女子社員が翡翠(ヒスイ)を拾った。

見ると、指輪の土台から外れて落ちた翡翠であろうと思われた。

落ちていた場所は、当社のシニア事業部が入るビルの駐車場とのことであった。

同じビルの中には当社のリラグゼーション事業部(エステサロン)も入っているし、他社の福祉事業所や整骨院、高齢者の集うカラオケサロンなども入っていて、落とし主は、きっとこのビルを利用している高齢者の女性だろうと思い、「拾得物のお知らせ」のチラシを写真付きで作った。

そして暫くの間、ビルの玄関にチラシを張り出すと共に、コピーをビル内の全店にお配りした。

なぜ?すぐに届けずに暫くお預かりすることにしたのかというと、泉南市には警察署が無く、隣町の阪南市にある泉南警察署まで高齢の方が取りに行くのは大変だと考えたからである。

しかし結果として落とし主からの連絡は無かったので、結局は警察署に届け出た。

 

このことがあって、実は子供の頃のある出来事を思い出した。

確か小学2~3年生の冬の夕方だったと思う。

近所の駄菓子屋さんに行った帰り道に家路を急いでいると、木枯らしに吹かれて何か丸まった紙のようなものが偶然、私の足元に転がってきた。

40年以上前の当時は道路も今ほど舗装も清掃もされておらず、一歩、路地裏へ入ればゴミが結構散らばっていた。そのため普段なら砂煙にまみれた紙クズなど気にも留めなかったと思うのだが、この時はなぜか気になった。

足元の丸まった紙をよく見てみると、それは千円札のようであった。

すぐさま拾い上げて確認し、本物だと分かると丁寧に折り畳み、ポケットの奥にしまい込んで、家へと走って帰った。

珍しく在宅していた父に

「千円札ひろったで!暫くの間は、おこずかいに困らんわ!」と得意満面で千円札を広げて見せた。

すると父は

「今日のお前は凄く運が良い日やな!良かったな!」

と言いながら、おもむろに自らの財布を取り出し、千円札を1枚引き抜いた。そして

「この千円札をお前にやるから、その拾った千円札は明日になったら交番に届けりや」と言った。

子どもの私にとって、父の言うことは絶対であったので、言われた通りに翌日、交番に届け出た訳である。拾得物預り書を警察から貰って、それを父に見せると、今度は

「半年たったら貰えるぞ。そしたらその千円札はお前のもんや。そしたら昨日渡した千円は返してや!」と言われた。

なんかややこしいな!と思ったが頷いた。

その後、半年経ってもう拾ったことさえ忘れかけてしまっていたころ、警察から引き取りのハガキが私宛に届いた。

翌日、父と共に警察署に千円札を受け取りに行った。

私が署員の方から千円札を受け取り父に渡すと、また父はおもむろに自分の財布から、もう1枚千円札を出して合計2枚で2千円にして、署員の方に

「赤十字か福祉か、何かに役立ててください」と言って差し出したのである。

子の前で良いところを見せようとする父の気持ちを察して、署員の方は私に向かって大層父を称えてくれ、私は素直に誇らしい気持ちになった。

実はこの話には後日談があって、大人になってから父とこの時の出来事を改めて話すと

「あれは俺が子どもの時に大人がやってるのを見て、俺も大人になったらいつかやってやろうと思ってたんや」

という事であった。 笑

 

2015年

10月

04日

ビジョンの確立

以前「3年先の利益」と言う題でブログを書いた。

今回はもう少し掘り下げて、「事業部ごとのビジョンの確立」について書きたい。

 

当社の場合は、テキスタイル事業部、フェルト事業部、フレスコ事業部、リラクゼーション事業部、シニア事業部の5つの事業部がある。

それぞれの事業部が各業界の中のどのランクに居るのか、消費者動向やニーズ、競合の情報を集めて精査のうえ、自社の事業部を分析しポジションを知る必要がある。

自社事業部のポジションによって、例えばこれからシェアの拡大を目指すのか、それとも差別化を図るのか、もしくは低コスト化を図り業界に存続して行くことを目標とするのか、あるいは業界の中の特定の狭い分野にだけ狙いを定め集中を図るのかなど、「どこへ行こう」としているのか営業戦略を立てて、「相応しい目的地」を決定していかなければならない。

またその次には「目的地までの道順と方法」の策定である。これもまた具体的に目に見える形としてしっかりと決めるべきであろう。

また共に同じ目的地を目指すメンバーと意識を1つにして力を結集させるためにも「すべての情報の共有化」が必要となってくる。

もしも目的地までの道順と方法がしっかりと共有化されておらず認識に相違が有ったとしたら、企業としてベクトルが分散化されてしまう。

そうなると目的地に到着するのは難しくなる。

ベクトルを1つにするために当社の場合は、具体的な方策に特化したレポートを、まず各事業部長から私に提出してもらい、それを基に事業部門別会議を重ねた後に、全体会議でさらに発表してもらい、そこでみんなの意見を集約し、改めて文書で中・長期ビジョンである事業計画の指針として配布することにしている。

また中・長期ビジョンである事業計画が進み出しても、絶えず「計画に対して進捗状況はどうであるか?」「今現在の経営環境と計画がマッチしているか?」等のチェックが計画の可否を左右するカギとなる。

 

今日の繁栄は明日の会社の繁栄を決して約束してくれるものではない。

私が若い時に、業界の先輩である故 小島清明氏(小島産業㈱元会長)から、

「貧しい会社は昨日の為に今日働き、繁盛している会社は明日の為に今日働く」

と教わったことがある。

この言葉(特に後半のくだりにおいて)から思うことは、ただ利益を出すだけでは企業に未来は無く、明日の繁栄の為に色々な費用(研究開発、人材教育、設備投資、販売促進等)を計上した上に、それらをまた適正に使った上で利益を生み出すことが、企業が生き残って行く道なのであろうと思う。

 

経営者そして各事業部のリーダー達が会社の未来を創造し、そして目に浮かんでいる会社の未来を、その他の社員やスタッフたち皆に可視化して示し、社内の皆が同じ景色を思い浮かべて同じ目的地を目指す、それが組織のあるべき姿なのだろう。

言葉にすれば数行のことだが、しかしなかなか難しいことである。