2015年
1月
25日
日
どこまで行っても平行線
とある会合での事である。
隣の席になった方と挨拶を交わし、互いに自己紹介をした。
その方は、私が経営者だと分かると唐突に
「私は経営者に成る気もないし、経営自体も絶対無理です!」
「なぜならば経営は努力だけではどうしようもなく、天の理と地の利が味方してくれないと成功出来ないから、運を天に任せるような職業に人生を掛ける勇気もない」と仰った。
最初は謙遜の言葉なのか?と思ったが、どうもそうではないようで、経営という職業に批判的なのか?経営者という人種が嫌いなのか?
とにかく何が何だか解らず、不快な気持ちになった。
しかし大人気ない言葉を言う訳にもいかないし、
「百人いれば百人とも価値観も考え方もさまざまですからね」
とだけ返して、あとの言葉は呑み込んだ。
しかし、その方が発した「運を天に任せるような職業」という言葉への違和感が次第に私の中で耐え難いものになり、やはり私の考え方を述べさせて頂くことにした。
その時の話を、以下に簡単に書かせて頂く
■天の理
当社の経営理念にもあるように「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の「三方良し」の精神で事業をさせて頂くことにより、返ってくる反響なり評価なりが、平たく言うと社会からの「報奨」であり、まさに「天の理」ではないだろうか!?
■地の利
人口密度や人の流れに対する会社や店の立地条件から始まり、その地域の住民特性・市場性のリサーチ、果ては近隣住民や近隣企業・同業他社との交わりを含めた企業の持てる社会性全般から生まれる利益が「地の利」ではないだろうか!?
つまり多くの経営者は、ただぼんやりと運を天に任せているのではなく、事前調査、事前準備をし、緻密に計画を立て、真面目に取り組み、人との関係を大切にし、責任を負い、日々努力することで良い結果(運)が来てくれるように道筋を作っているのである。そして悪い運に襲われませんようにとただ願っているのではなく、危機に襲われないように、襲われたとしても最小限の被害で済むようにリスクマネジメントをしているのである。
人事を尽くして天命を待つという言葉があるように、経営者として出来る限りのことをし尽くした後の結果を天に任せているのである。
ここまでしても不運に襲われる事もあるが、それは経営者でなくとも、どんな職業でも同じだろう。
以上のような経営者としての私の信念を述べさせてもらった。
するとその方は、「あなたが述べたような事は、すでに学生時代に本を読んで学んだから理解しているが合理的でない。だから、卒業後の進路を考えた時、経営者というリスキーな選択肢は無かった」という事を仰った。
「明日が解らないからこそ、挑戦も出来ます」と私が言うと、「見ない明日に自分を任せていますね!」と返って来た。仕舞いには、「お金儲けが好きなんですね?」と言われ、お喋りな私も閉口してしまった。
気を取り直して、「儲ける」と「儲かる」の違いを説明しようかと思ったが、会の時間も終わりに近づいていたので結局、平行線のまま挨拶を交わして別れた。
会場を出るとドッと疲労感に襲われたし、討論している最中はカチンと来た瞬間もあったが、こういう方は、実は私にとって非常に有り難い存在なのである。
なぜならば、世の中には人それぞれに色んな考え方や価値観があることは事実だし、生きざまも様々であろう。それらを多く知ることが経営者としての自分自身のスキルアップに繋がる。
それに私の年齢になると、面と向かって批判や反論をぶつけてくれる人が少なくなる。そうなると自分の考え方や価値観に独善的に酔ってしまいがちになり「裸の王様」になる危険が待ち受けている。
人に批判や反論をぶつける行為は多大なエネルギーが要るものである。そうしてまでも、私にご意見を下さる人の事を有り難い人だと思う。
そこで私の周りの全ての人にお願いしたい。
賛同はしてくれても迎合はしないで欲しい!そして、どんなことでも異論反論があれば、是非とも私の為に、その考えを聞かせて欲しい。
今回の出来事は今になって思うと、神様が私に訓示を与えて下ったのではないか?
今秋にサ高住の本格運用が開始されると、利用者様や新たな社員や関連業者さんなど、関わる人数が急増する。
関わる人数が増えるという事は、価値観が大きく違う人とも出会うという事、そしてそういう人達とも関わり合って仕事をするという事である。
その前に神様は、「世の中には色々な意見があるのだぞ!」「みんなの意見に耳を傾けて独善的になるなよ!」「人が増えるともっと大変だと心しろよ!」と、平行線の人物を通して私に教えて下さったのではないだろうか?と思った次第である。
2015年
1月
18日
日
お洒落と高齢者
サービス付き高齢者専用賃貸住宅(以下 サ高住と記載)の開設に向けて、商工会や協力者の方々から御紹介頂いた他社のサ高住に何度か視察に行かせて頂いている。
先般、当社の開設準備室長からの視察報告書の最後に、気になる一文が添えてあった。
『手の爪にピンクのマ二キュアをして、生き生きと最高の笑顔のおばあちゃんに出会いました』
その一文が妙に気になって仕方なく、翌日、開設準備室長に施設の担当者さまから詳しい話を聞かせてもらうように頼んだ。
以下、その施設の担当者さまの話の概略である。
「当施設では月に一回くらいのペースで、ネイルサロンに出張してもらっています。毎回3時間くらいの時間です。」
「大変評判がよく、何日も前から楽しみにされている方も多くいます。」
「当施設では入所者の約7割が女性で、その女性のほぼ半数がネイルサロンを利用されています。」
「おばあちゃん達はオシャレをすることで、すごく元気になりますよ!」
とのことであった。
指先というのは四六時中、目に入るものである。その指先が手入れされ、綺麗な色のマニキュアで飾られていれば、ウキウキした気分になり、単なる手指のお手入れという枠を超えて、心まで元気にしてくれる!ということだろうか?!
そこで、思い付いたのが当社のリラクゼーション事業部が運営するエステサロンである。
このサロンはネイルの施術も行っている。
まさかサ高住とエステサロンで関連する部分が出て来るとは予想外であったが、新規事業と既存の事業とを連携させることによって相乗効果を期待出来そうだと考え、早速、リラクゼーション事業部長とも打ち合わせを行うと、「是非ともやらせてほしい」との事であった。
現在、収集した情報を精査し運営内容の資料化とマニュアル化を順次行っている。その会議の中で、訪問先の施設や情報番組などで生き生きとした高齢者を見かける度に、それぞれが話題に上げ、「その笑顔は何から起因しているのだろうか?」と話し合うことが度々あった。
笑顔が生まれる直接的な理由はさまざまでも、根本は
尊厳を持ち、尚且つ自分らしく余生に希望を持って楽しめる環境が、お年寄りに笑顔をもたらすのだと思った。
以前「酒と高齢者施設」の記事の中でも書いたが、体が不自由になって高齢者施設に入所しても、心は若いまま、時にはお酒を飲んでワクワクしたり、お洒落をしてウキウキしたり、それらは一例に過ぎないが、そんな風にして日々の出来事を楽しむ心が持てる施設を作りたい。そして、一人でも多くの方に「長生きして良かった」と思って頂きたい。
そこには当社の理念でもある「三方良し」の姿がある。
※三方良し=売り手と買い手がともに満足し、社会貢献もできるのがよい商売であるという意味
2015年
1月
12日
月
外国人選手・外国人労働者
昨年の晩秋の頃の話だが、旧知の仲である経営者の来訪を受けた。
来意は、「経営者としての取り組みも虚しく、社員の高齢化と求人難による人手不足で生産性が低下し、経営が苦しい。倒産して人に迷惑をかける前に廃業しようと思う。ついては会社や社員、お得意さまごと買い取ってほしい」
との申し入れであった。
既存事業の技術力や販売力などを有効活用できる分野であれば返答を悩んだかもしれないが、ノウハウも人脈もない業種であった為、丁重にお断りさせて頂いた。
その際、少しでもお役に立てればと思って、人手不足の解消策として、外国人の雇用はどうか?と提案させて頂いた。
ところで昨今、日本では野球、大相撲、サッカー、ラクビー、陸上競技、柔道をはじめスポーツ界全般において、以前にも増して外国人選手を多く見かけるようになってきた。
また彼らの活躍に伴い「外国人選手が強すぎて、日本人の活躍の場がない。外国人ばかりが活躍して面白くない」との意見をちょくちょく聞く。
また、日本人選手が出場機会を奪われることによって実戦経験が積めず、国内の選手が育たなくなるとの声も聞かれる。
しかしそのことを嘆くよりも、今の日本人がどこかに忘れて来てしまったハングリー精神を彼ら外国人選手から見習うことに、価値があるのではないか。
スポーツ選手だけではなく、日本に働きに来ている外国人労働者についても同じことが言える。
母国を離れ日本で一旗あげてやろう!と思う外国人たちは、現代の過保護に育った日本人と比べると、モチベーションが高い。
出世なんて興味がない、いい車なんて必要ない、休みが多くて、早く帰れるラクな仕事に就きたいというようなハングリー精神を失った日本の若者にとって上昇志向の強い外国人の存在は良い刺激になるのではないだろうか。
実を言うと、ある時まで私は、外国人労働者は日本人に比べると勤勉さでは劣るだろうと、島国根性で偏見を持っていた。
しかし実際に外国人労働者を採用している知人の会社で、彼らが一生懸命に働く姿を見て以来、外国人労働者に対する意識が変わった。
しかしそうは言っても日本人にも色んなタイプの人間がいるように、外国人労働者にも色んなタイプの人間がいる。
しかし日本で出世できる外国人に共通していると思うのは、日本語を習得して、日本の文化に積極的に馴染もうとする人である。
卵が先かニワトリが先かのような話で、
日本語が出来たから出世できたのか?出世できるような努力家だったから日本語も習得出来たのかは分からないが、言葉を話せるということは、上司からの話やアドバイスも、言葉が話せない人より深く理解出来るということであるし、技術の習得も、そのぶん早く出来るという事である。
つまり、話せる人(出世する人)と話せない人(出世しない人)の差の一つは、情報量の違いなのではないだろうか?
そして情報量の違いが出世に現れる・・・というのは、もちろん日本人にも通じることである。
2015年
1月
05日
月
第二の創業
謹賀新年
2015年 新年あけましておめでとうございます。
旧年中に賜りましたご厚情に深謝いたすと共に、本年も変わらぬご指導ご厚情のほど伏してよろしくお願い申し上げる次第であります。
さて本年、第一号のこのブログでは、当社の経営方針と抱負について書きたい。
当社は、本年から3年間という期間を定めて「第二の創業」をスローガンに革新を行う。
新規事業である「診療介護サービス付き高齢者専用賃貸住宅」の本格運用開始を本年の10月に控えて、変化の多いこのタイミングを最高の機会と捉えて、社内の制度や経営システムの精査も含め、なおざりになっている事項を思い切って全て見直して行くつもりである。
多くの方々のご支援の賜物で、当社は創業60周年を超え、企業のライフサイクルでいえば、成熟期に差し掛かろうとしているところだと思う。
「成熟期」の特長として、市場成長に陰りが出て売上は横ばい、利益は一定という状態であろう。
企業が成熟期に入ってしまえば挑戦者では無くなり、安定の裏返しで様々な「企業病」の症状が徐々に表れ始めるものである。
例えば、創業期のような「自分がやらないと誰もやってくれない。すべて自分がするのだ!」というような強い責任感と使命感が、社員数が増えれば増えるほど薄れ始め、「誰かがやってくれているだろう」と皆が他人任せになって行く。
次にはチャレンジして失敗する事を恐れ、平穏無事であることをなにより優先する「事なかれ主義」になる。
そして去年はこうだったから今年もこうだという「前例主義」が蔓延し始める。
こうなってくると、業績や結果を目的とするのではなく、去年と同じように無事に仕事を終わらせる事が目的になる。
金太郎飴のような一年一年に、次第に熱意も真剣さも減り、最後は企業全体のレスポンスの低下やスピードの鈍化が進行してくるであろう。
経営方針も今ある経営資源を守ろうとするあまり消極的になって行くであろう。
こういった成熟期の次に訪れるのは衰退期であり、何もせずにいれば、いずれは廃業か倒産に追い込まれてしまうのが道理である。
そうはならない為にも、今年から3年間は経営スローガンを「第二の創業」と位置付け、「創業以来のことだから」などに代表されるあらゆる聖域にも徹底してメスを入れて、革新を行う。
そして自社の強みを生かした経営戦略を立てて、「社会と顧客が求めるもの」にどう応えて行けば「三方良し」になるのかということを念頭に事業を構築する。
そして二度目の創業を行う心構えで、環境変化に積極的に対応することの出来る強い会社作りを社員とともに一丸となって行う決意である。
文末になりましたが、本年も、より一層のご支援を賜りますよう、社員一同心よりお願い申し上げます。