2015年

2月

22日

親は尊敬しない!?

昨年、求人応募で履歴書を見る機会があった。

その履歴書には「尊敬する人」は「両親」と書いてあり、その理由は「私を生んで育ててくれたから」とあった。

私はそれを見て、なんだか「うーん・・・」と言いたくなるような、もどかしい想いに襲われた。と同時に、ある思い出が脳裏に蘇えって来た。

 

私が中学2年生の時、T君という同い年の少年が近所に引っ越して来た。

T君の家は母子家庭で、当時の私の自宅近くにあった大手スーパーの男子寮の寮母さんとして住み込みで働くために、高知県から大阪へ、母と息子の二人で引っ越してきたのだ。

近所だったこともあって、クラスは違ったがすぐに友達になった。

多感な時期でもあり、「好きなタレントはだれか?」「好きな女性のタイプは?」「大人になったら、何になりたいか?」など、たわいもない話題で盛り上り、よく夜中近くまで、互いの家を行ったり来たりした。

T君の話の中に頻繁に登場するのは「うちのおかあさん」だ。

「尊敬する人はだれか?」という私の問いかけに返って来た答えも、迷わず「おかあさん!」だった。

母子家庭になった理由は解らないが、女手一つで頑張る母親の苦労を見ながら育ったT君の素直な感情から出た言葉であったろう。

 

ある日、遊びに誘うために私はT君の家を訪れた。

玄関に母親が出て来て、まだT君は帰宅していない事を告げられた。それから少し学校の事などを聞かれ話した。

その会話の流れの中で、私はT君の母親に喜んでもらおうと単純に考え

「T君は、おかあさんの苦労を見ているので、おかあさんを尊敬している・・・」

みたいな話をするとT君の母親は、

「ありがとうの気持ちを持つのは大切なこと。親だけに限らず誰に対してでも持たないとアカンよ。でも、親が子供の事を思って苦労するのは当たり前のことだよ!当たり前のことをしている親を尊敬しなくていい!」

と言った後、私に横顔を見せて

「子供に親を尊敬させたら親は(子育ては?)失格やな」と独りごちた。

当時、私はT君の素晴らしい思いを代弁するような気持ちでお母さんに伝えたつもりだったが、その場の雰囲気が重たいものに変わり、よく分からないが何か悪いことを言ってしまったのだろうか?と、自宅に戻ってからも心が塞いだ。

結果、その言葉は今も耳に残っている。


けれど今になってみればT君の母親の想いは、私なりの解釈だが分かる。

親の姿を見て子供が感謝する、その事は嬉しい。

しかし自分の子が、親の姿しか見えないような視野狭窄になってしまっては悲しい。

もっと遠くを世界を見渡せば、仰ぎ見るような大きな事をやり遂げた人物や、憧れるような人物が沢山いるはず。しかし苦労している親の姿が子供の心を占めてしまって、他に目が向かないのでは申しわけない。子供には、もっと大きな世界を持って欲しい。

と、こんな感じだったのでは、ないだろうか?

きっと母親の想いが通じたのだろう。現在T君は、関西の某所で美容室を2店舗構え、立派に成功されている。

 

余談だが、感謝の気持ちと素直な敬意の表現方法として、両親の誕生日を記憶してほしい。

私は両親の誕生日には、「おめでとう」の一言も言わずに電話をかけるくらいだが、長年たとえ出張先からであっても声くらいは掛けるようにしている。

しかし、社員の誕生日には必ず簡単な昼食会を開催させて頂いているので、親不孝な子供である(笑)。

 

2015年

2月

15日

自分改造計画

昨年末、「最近、おまえ元気無いなぁ!?」「どこか体調でも悪いのか!?」「心配事でもあるのか?」と聞かれることが何度かあった。

確かに私は心配症であるから、不安の芽は常に心の中にある。

新しい不安の芽が顔を出すたびにリスクマネジメントに追われ、一つ芽を摘み取っても、また次の新しい芽が顔を出す。365日その繰り返しである。

しかし経営とは、そういうものなので、それで心の元気を無くすようなことはない。

体調の方も、50歳から人間ドックを欠かしたことがなく、血液によるストレス度チェックでは自分の予想と全く違って、お医者さんから

「ストレス ゼロですね」と伝えられ、ものすごくビックリした!

心身ともに健康であるはずなのに、ではなぜ?「元気ないなぁ!?」と数人に言われたのだろうかと考えてみると、実は思い当たることがあった。

 

昨年「おしゃべり」のブログを書いたあと、自分でも反省して、

「自分ばかりが一方的に話したてないようにしよう!相手が話しに入りやすいように、間を空けるようにしよう!」と心がけていたのである。

そうすると、いつもはマシンガンな私の口数が少なくなる。

それが原因で「元気がない」と心配されてしまったのかもしれない

と思いついた後、おしゃべりの自己規制は、ほどほどにする事にした。笑

(規制解除の後は、元気がないとは言われなくなった)

 

それと、ふと思う所があり、自分は今まで元来からの「せっかち」な性格が高じて、人の話を最後まで聞かないうちにスタートを切ってしまったり、自分の意見を言ったりしてなかっただろうか?と自問すると、思い当たる節しかなかった。

今のところ大きな失敗は無いが、今後大きな失敗をしない内に

「相手の話を最後まで聞いて、全部完全に理解してから、自分の意見や話を言おう」と今さらながら反省した。

 

この「せっかち」な性格も出来れば改善したいものである。

エレベーターのボタンは扉が開くまで連打してしまうし、定食屋では最後の一口を飲み込まないうちに席を立ってしまうし、のど飴は口に入れた瞬間に噛んでしまって無くなるし、録画は早送りで見てしまうし、電話では、まだ相手が出ないうちから話し始めてしまうし・・・って、最後の一つは冗談ですが。笑!


2015年

2月

08日

連鎖

私の母校である奈良県天理高校は全寮制の学校である。

柔道部専用の寮があり、当時は3年生、2年生、1年生の1名ずつ計3名で一部屋を割り当てられていた。

体育会系は上下関係が厳しい。その厳しい縦社会の中で24時間体制の寮生活は、1年生にとってなかなか大変なものである。新入社員が課長と部長と一室で暮らしているようなものである。

部員達は、この規律ある寮生活を通して、我慢を覚え、社会性を養い、思いやりを知り、自立の精神を学び、その過程で色々な壁にぶつかりながらも乗り越えて、逞しくなって行くのである。

社会に出ても戸惑わずに縦社会の人間関係を築いて行ける術を寮生活から学ぶのだ。(⇒体育会系新入社員

私自身も、寮生活を経験していなければ、今とは違う自分であっただろうと感じている。

 

高校1年の真夏の日のこと。

普段は授業をしている昼間の時間も、夏休みの間は柔道の稽古が延々と続く。

大量の蝉がうるさく鳴き、柔道場の中はサウナのように蒸し暑く、息苦しい。

汗が噴き出て、油みたいにヌメヌメして、少し動くだけでもどんどん体が重く感じ、体力が消耗して行く。次第に足腰に力が入らなくなって、体がフラフラと揺れる。

疲労の極みの中、自分では精一杯やっているつもりでも、先生や先輩たちの目から見れば、手を抜いているように思われ、激が何度も飛ぶ。

「おい!コラ!立花!表に出ろ!!」

ついに同じ部屋の先輩に腕を取られ、柔道場の外に引っ張り出された。

座るように言われ、しぶしぶそれに従うと、後ろ首に向かって冷たい水が落ちて来た。

熱く火照っていた体がスッーと冷えて、気持ちが良い。

それから先輩は「体冷やせ」と言って、お茶を持って来て与えてくれた。

当時は稽古中に水分を取るのは良くないという風潮で禁止されていた。

だから内緒の水分補給である。

もちろん私は大喜びで一気に飲み干した。

こうして生気を取り戻した私は、先輩と一緒に道場に戻って、再び稽古を再開した。

動きが良くなった私を見て、先生は、「活を入れられたのだろう」と思ったのか、「水を飲んで来たな」とバレていたのかは分からないが、先生は何も言わなかった。

自分が先輩になった時は、後輩に同じことをした。

 

同じ釜の飯を食う仲なだけあって、上下関係が厳しい中でも根底には強い絆があり、困ったことがあれば先輩に相談して助けてもらったり、仕送りが先輩の誰かに届けば、それで私たち後輩は飯に連れて行ってもらえたりした。

先輩たちに施してもらった親切に、お返しをした事は一度も無い。

そのぶん自分たちが上級生になった時、後輩たちに同じ事をすることで恩返しとした。

 

卒業後30数年が経つが今でも天理OBの集まりで「部屋人会」(同室になった上下の者の集まり)というのが、年に数回ある。その時、ある後輩から

「先輩にしてもらったことを後輩にした。」

という話を聞いて凄く嬉しい気持ちになった。

そうやって、先輩に返すのではなく後輩に返していく事で、伝統という連鎖が今も繋がってきているように思う。

そうする理由は単純で、全国優勝という目標に向かって柔道部全体が共に強く、そして皆が共に良くなって行けばいいと思っているからである。

確かに全寮制の柔道部は厳しいが、そこに講道館柔道の最大の教育目標である「自他融和共栄」が、意識せずとも自然に生まれてくる仕組みと環境が寮生活にはある。

すなわち身近な「家族意識」の共有から「絆」が生まれて、その絆からみんなで強くなろうとする「目的意識」が芽生えて、ひいては柔道部全体への「集合体意識」へ変化していくという波及効果である。

 

苦しい事の方が多かった寮生活だったが、今思うと社会に出てから役に立つ多くの事を寮での暮らしで学ばせて頂いたと感謝の念に堪えない。

 

2015年

2月

01日

「あたりまえ」と「おかげさま」

法事が終わり、ご住職さんをお寺まで送らせて頂いた際の話である。

私が法事のお礼を述べると、ご住職さんは

「私の方こそお礼を言います。宗教離れが進む中、あなたのようにきっちりと作法通りの事をする人は大変ありがたい。私も毎日三食、食べて行かないと死にますからね」と笑いながら仰った。

その飾らないお言葉を聞いたとき、寺院経営も会社経営もプロセスは同じなのだろうなぁと感じ、つい失礼にも

「所詮、お寺も会社も飯を食っていけないと続けて行けませんからね」と返した。

すると

「その通りです。あなたの商売もなかなか難しいと思いますが、私の商売も難しいですよ。あなたは形のあるものを売りますが、私は形の無いものを売らなければならない」と仰った。

住職さんとの会話に興味を惹かれ、熱が入った私は

「実は私も形の無い物を売っているのですよ。まず会社と経営者である私を買ってもらわないと商品は売れません。あの会社ならだいじょうぶ、あの人から買った商品ならだいじょうぶ。そう思って頂けるように『信用』を売っています」と申し上げた。

するとお寺までもう間近だったこともあり、住職さんが

「あなたと少し話したいですね。もし時間があれば、上がってお茶でもどうですか?」と仰って下さった。

私は喜んでお言葉に甘えることにした。

以下、お茶を頂きながら住職さんから伺ったお話を、記憶を頼りに要約した。

 

住職さんは『教え』という形の無いものを売っている。

その教えの中の一つが、「あたりまえ」と「おかげさま」

たとえば五体満足である。健康である。する仕事がある。毎日食事が出来るなど今当たり前になってしまっている全てのことは、直接的、間接的な誰かの尽力があってこそのもの。

何気ない当たり前一つ一つに関心を寄せて、感謝しよう。

まず神様や仏様に手を合わすことから始めよう。

「おかげさまで毎日を過ごせています。ありがとうございます」

と心の中で唱えるだけでよい。

慣れてきたら、周りの人達に対しても簡単でいいから「おかげさまです」と感謝を伝えていこう。

これらは小さな行動かもしれないが、「あたりまえ」と思っていたことを「おかげさま」と感じる人が増えて行けば、世界はもっと良いものになり、平和へと繋がっていく。

お話は、このような感じであった。

 

今日も一日、私が仕事を出来たのは、私の周りの全ての方々のおかげであります。

おかげさまです! ありがとうございます!!

明日も頑張ります!!

 

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