2014年

5月

25日

クレーマー学生

天理高校に在学当時、年に数回「ひのきしん」という行事があった。漢字で書くと「日の寄進」である。

簡単に内容を説明すると、感謝の気持ちを表現するために、今日1日は自分の都合を捨てて奉仕活動に専念するというものである。

平たく言えば「ボランティア活動」である。

 

入学後の初めてのお正月に、「日の寄進」で私は餅を焼く役目を与えられた。

当時の私の正直な気持ちを書くと「なんで俺が正月に、こんな事をせなアカンのや!!」と憤りを感じ、嫌々サボりながらやっていた。

そんな時、正月気分を満喫中の通りがかりの人から「君らは時給いくら貰ってるんや?」「正月返上やし、結構もらえるんか?」と聞かれた。

その人達は悪気があって聞いたわけではないのだろうが、元から不機嫌だったところに、貰ってもないお金目的で働いているともとれるような発言をされたわけだから、私の堪忍袋の緒が切れた。

しかしさすがに見ず知らずのその質問者たちに直接怒りをぶつけるわけにもいかず、私は、たまたま傍にいた教義科の北野博先生に怒りの矛先を向けた。

「なんで正月から俺がこんな事をせなアカンねん!!」と、食って掛かった。

するとどうであろう。

私の煮えたぎった思いとは裏腹に、北野先生は満面の笑顔で「素晴らしい!」というのである。

そのうえ先生は、こう続けたのである。

「君が、さっきの人達に文句を言わず、私に言ってくれたことが先生は嬉しい!」

「さっき君がした我慢は、将来の糧となる。」

「君が私を選んで文句を言ってくれたので、私は教師になって良かったと感じた。」

予想外の先生の反応に、私は拍子抜けしてしまった。

怒りがぶっ飛んだところで、先生は奉仕活動について丁寧に説明して下さった。

当時の私は天邪鬼だったこともあり、素直に「納得出来ました」とは言えず、「ふーん」で済ましたが、その後3年生になって、好きな講義を選択できるようになった時に、北野先生の講義を選択した。

 

私がこの事を今回書いたのは、奉仕活動について述べたかったからではなく、「先生の姿勢」である。

当時の私は、ガラが悪く、態度も口も悪いまさにクレーマーの学生であったろう。

そのクレーマーを煩わしがらず、怒ることなく、見捨てることなく、実に丁寧に、北野先生は説明(指導)してくれ、私の鬱積した心を解きほぐしてくれたのである。

 

実は私が事業を始めて間もない頃の話だが、

有名な口煩い部長さん(貫野さんごめんなさい! <(_ _)>笑)が居た。

その方は完璧主義者で、普通なら見逃すような些細な点にまで要求があるため、どこの業者さんも苦心していた。

そのような方と取引するのは、通常よりも多くの時間と労を要するゆえ、もちろん私も積極的に取引したいわけはなかったのだが、取引先の選り好みを出来るほどの余裕は無かったし、一つでも多くの仕事をしたいと思っていたので、取引を開始した。

案の定、物凄く細かい点にまで要求があり、やはり本音では難儀した。

しかし仕事であるからもちろん一つ一つ対応し、誤解があれば納得していただけるまで説明を重ねた。そうするうちに、どんどん取引量が増えて行き、軽口を言い合えるまでの仲になり、その当時の当社の一番のお得意様となった。

 

クレームをおざなりにかわすのではなく、真正面から受け止めた時、相手はどんな風に気持ちが変化するのか、北野先生との出来事を通して身をもって体験させてもらった事が大きな一因となっているのは言うまでもないのである。只々感謝!!

 

2014年

5月

18日

臥薪嘗胆

私には、学生時代から現在に至るまで30数年に渡り憧れ続けている方が居る。

その方の生きざまや理念、経営者としての手腕に傾倒しているし、また人間性に魅了されている。

先般その方と、いつもより長い時間お話させて頂く機会に恵まれた。

その時の話を今回は書かせて頂くのだが、その前にこのブログの題名に付けた「臥薪嘗胆」について簡単に辞典より引用し説明させて頂く。

 

*臥薪嘗胆の意味

臥薪嘗胆の「臥薪」は、薪(たきぎ)の上に寝ること。

臥薪嘗胆の「嘗胆」は、苦い胆(肝)を嘗めることで自身を苦しめ、志を奮い立たせることを表す。

転じて、目的を達成するために苦心し、努力を重ねる意味で用いられるようになった。

 

さて私の人生はたくさんの方に応援して頂き、また支えられて今日が在る。

いつも感激と感謝の念に堪えることない。そして特に前記のその方からは天理高校柔道部の学生時代の出会いに始まり、人生の岐路の度に多くのご指導・ご意見・ご厚情を未だに賜っている。賜ったご指導・ご意見を手がかりにしながら人生を歩んでこさせて頂いる。その結果として、また今日が在る。

 

少し前置きが長くなってしまったが、先日お会いさせて頂いた時に衝撃的なお話を聞かせていただいた。

というのは、この方はかれこれもう10数年以上に渡り執務室で寝起きをされ、そのうえ毎日の睡眠はベッドでは取らずに、ソファーで寝られているのである。

理由をお聞かせいただくと、「服のまま寝れば、起きて直ぐに仕事ができる。」

「ベッドだとグッスリと眠り込んでしまうので起きてスグに仕事ができないからソファーで寝ている。」

「出張先以外は、もう思い出せないくらいベッドで寝てない。」

「仕事を始めると、食事をとることさえも忘れる」と仰った。

そういえばこの方の執務室の電気が消えているのを、たとえ早朝でもほとんど見たことがない。

その奮励努力の賜物で事業は年々大きくなり、基盤は益々強固なものになったのである。

20代前半でスコップ1本から創業され、その後株式を公開する大会社に成長させ、60数歳になられた今日においても、たった一部の隙も無く「戦い」を常とされ、寝る間や食べる間も惜しんで思考を巡らせて、挑戦し続けておられるのである。

 

私は30数年来、この方とお会いさせて頂くたびに胸が一杯になると同時に、自分自身にかなり深い猛省を覚える。

自分なりには「頑張った」と思っていても、この方にお会いすると、それは「頑張ったつもり」であった事に気付かされる。

都度々々に深い猛省をしながら、「気を引き締め直し改めて襟を正す」を繰り返えすことにより、今日が在るわけである。

この方からの御恩とご指導に少しでも報いるためには、私自身が経営者として精進を重ねて、自社を社会・お客様・社員にとって価値あるものにすることだと思うのである。

このことを胸に、日々邁進していく覚悟である。

まさにこの方の生きざまは現代版の「臥薪嘗胆」なのである!

 

2014年

5月

11日

諦めなかったらどうなる?

この「立花克彦ブログ」を始めて約1年半が過ぎた。

さすがに㈱中広の後藤一俊社長のように数年来に渡り、欠かすことなく毎日更新出来るほどの豊富な話題を私は持ち合わせていないのだが、それでもおかげさまで読者の方が徐々に増えてきた。

それにともない様々な方から色々な感想や批評・質問を賜れるようになってきた。

皆様からご意見を頂戴することは、自分自身をたえず見直し、時代環境に即して再構築する上において大きな利益になっている。

本当に有り難いことである。

 

ところで先般、私の座右の銘である「諦めず気が遠くなるまで繰り返す」について質問を受けた。

「諦めず気が遠くなるまで繰り返したら、その先には何がありますか?」との質問であった。

確かに「継続は力なり」や加藤先生の「続けることの喜び」であれば、続けていれば「力」や「喜び」を得ることが出来るという「結果」が句の中に含まれているが、私の座右の銘は過程のみであって結果が含まれていない。

その質問には「私は、経営者という道のまだまだ半ばに居るため、諦めず続けた結果どうなるのか、実は私自身も分からないんです」と答えた。

しかし、「諦めず続けていれば、何かしらの成果が現れ、その成果が未来を切り開く力になる」という確信的な気持ちは、たえず心の中に持っている。

それは一番多感で何でも吸収することのできるポテンシャルを持った青春時代に学ばせて頂いた「天理柔道」が礎にあるからに他ならない。

 

また柔道の話になってしまうが、当時の天理柔道の練習時間は膨大で、とにもかくにも「練習に次ぐ練習」であった。

特に1年生の入学当初は、親元より離れて寮生活に移行するという生活環境の劇的変化もあり、只々、訳も分からず、道場と寮と学校の3箇所の行き来を繰り返すばかりである。

1年生の時はレギュラー選手でもなかったので、試合に出て達成感を味わうこともなく、とにかく「練習に次ぐ練習」のみである。

自分はレギュラーになれるのか?そしてこの練習を続けていれば本当に日本一になれるのか?何も先が見えないのである。

ただただ一日一日がもう精一杯なのである。

逃げ出したい辞めたいという気持ちが大きく、実際に「辞める」と先生に願い出たこともあった。

しかし嫌々でも辞めずに続け2年生になると、徐々に実力も付き始めて、生活環境にも慣れ、後輩もでき、精神的にも少し余裕ができ、自覚も生まれ始めてきた。

その頃には試合に出場する事も出来るようになり、新人戦(第19回近畿高等学校新人柔道大会)の団体戦で優勝することができ、個人でも5戦5勝の戦績により優秀選手に選んで頂けた。

これまでは練習をこなす事だけで精一杯で、その先に何があるのか見えていなかったが、この時にようやく初めて、「諦めず練習を続けていけば必ず強くなれる。全国優勝も夢じゃない!」と確信することができた。

そして3年生の時には、先生方の指導や、支えてくださる方々の応援もあり2度日本一という結果にも恵まれた。

また「自分は最後まで諦めず努力することが出来た」という自信が、その後、経営者として事業をする上で重要なものになっている。

この経験があるから、「嫌でもなんでも、諦めることなく続けていれば、日々の成果は微々たるものであっても、必ず何かしらの成果が現れ、その成果が未来を切り開く力になる」と確信が持てるのだ。

 

私にどんな未来が待っているのかは分からない。

けれども、無抵抗で受け入れた未来と自分で切り開いた未来とでは、違う未来が待っていると思うのだ。

 

2014年

5月

04日

中小企業の生き方

会社組織の良し悪しは、売上高や利益、会社の資産内容及び社内留保金、社員数などだけを一概に一括りにして、容易に論ずる(判断する)ことが出来るものでもない。

それならば、会社組織の良し悪しの判断基準とはいったい何だろう?

これは、あくまでも私見であるが、会社組織全体が一つの目標に向かって、いかに心を一つに合わせて結集し、一丸となって突き進んで行くことが出来るか否かが一つの判断基準になるのではないだろうか!?

その点においては、中小企業は少人数であるが故、一人一人のポテンシャルを結集することが容易で、目標に対して一丸となることが大企業ほど難しくは無い。

 

中小企業には中小企業の長所がある。

当社には、商品開発だけを専門にしているチームはないが、私だけでなく社員全員がいつも「見直すべき点はないか?」「ビジネスチャンスはないか?」「世の中のニーズは何だろうか?」と社内外にアンテナを張っている。

そこで新分野を見出した場合、スピーディーに意思決定し、素早く新商品の投入を図る。

中小企業は組織の規模が小さい分、経済環境の変化にも素早く柔軟に対応が出来るのである。

昨今の当社の場合であれば、新商品は『災害備蓄用生理用品』であり、新規事業は『診療介護サービス付き高齢者専用賃貸住宅』である。

 

中小企業の本質と特徴を理解し、「環境変化への適応力の高さ」「結束のしやすさ」「スピーディーさ」など中小企業の長所を活用し、また伸ばしていく事が生き残る道であると思う。

自社の社会性・方向性を見極めながら、大局に立って自社が置かれている経営環境を加味し、適時適切な状況判断をしながら運営していかねば継続と発展はないと思うのである。

そして中小企業であっても、企業は社会の公器であるのだから、決断の判断基準や運営の目的を「利潤追求のみ」にしてはいけない。

そのためには、自分はどんな視点で経営を行っているのか、常に自問自答を繰り返すことである。

そして、自分自身の経営理念や目的・方針を明確にして、同じビジョンを持つ集団をつくり上げることが重要であると思うのだ。

 最後に、経営の目的と手段を、自分自身と社員たちに再認識させるために、下記のものを明記しておく。

 

当社の企業理念

丸竹COの最大の目的は、すべての社員が物心両面で豊かな生活を送り、自分の将来に安心感を持てるようにする事である。

その為には

1、信頼される会社でなければならない。

2、社会から歓迎される会社でなければならない。

3、自社だけではなく、自社に関わる全ての人達の繁栄を追求しなければならない。

4、すべての社員が自分に社会的価値を感じられる会社でなければならない。

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経営方針

(1)独自で開発した商品を持ち、その商品の価格決定権がある会社になること。

(2)社員全員が一丸となって、すべてに渡り「たえず見直し」のできる会社になること。

(3) 社員数は端境期に赤字を出さない人数で、そして繁忙期は残業で乗り切れる会社に成ること。

 

※私は「従業員」という言葉が嫌いな為、使用していません。当社では「社員」という言葉の中に、契約社員、パート、アルバイトも含まれています。

 

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