2014年

4月

27日

無駄な努力はない

少し前の回(秘訣は習慣化)で、「大外刈り」を習得した際の話を書き、「諦めず続けることで、人間たいていの事は出来るようになる!」と書いたが、今回は「大内刈り」を習得出来なかった際の話を書こう。


天理高校時代に「大内刈り」という技を、松本薫先生(当時コーチ5段)から教わったことがある。
ほんの数度の練習で自分の物にしてしまい、試合で得意技として使う同級生も居る中、私はいつまでたっても習得出来ないので、その惨めさから柔道自体を嫌いになりかけた。
同級生が出来るこの技を、何ヶ月経っても、ちっとも出来ない自分は柔道には向いてないのではないか?とまで思う時もあった。
結果を言うと、高校3年間に渡り諦めず「大内刈り」の練習を続けたが、とうとう最後まで自分のものにする事は出来なかった。
結果は「不成功」であったが、では大内刈りの練習に費やした時間や努力が無駄だったか?と聞かれれば、決してそんな事はない。

それは違う形で効果をあらわした。
嫌々でも大内刈りを練習して一年ほど経つと、今まで無かった場所に筋肉が付き始めた。
思わぬ箇所に筋肉が付いたお陰で、相手の出端をくじいたり、相手が技を仕掛けてくるタイミングを外す為くらいにしか使っていなかった「支え釣り込み足」という別の技の精度が格段に増して、試合で決まるようになってきた。

その上、大内刈りの練習で鍛えた筋肉とタイミングで「支え釣り込み足」を掛けるものだから、技を受ける相手も一般的な通常の支え釣り込み足のタイミングとは異なるため、相手の運動神経の反応が咄嗟に追いつかずに面食らってバランスを崩すという効果まで生み出した。

こうなると支え釣り込み足をフェイントに使い、元来の得意技である「大外刈り」や「払い腰」「内また」の精度も格段に向上した。
本来の目的であった大内刈りは習得出来なかったが、諦めず続けていた事により、違う形で努力は実を結んだのだ。

 

他にも、こんなことがある。
もう十数年も前の話だが私は、とある建設会社の土木担当の方に「排水材」の営業をする為に頻繁に通っていた。
毎度つれない態度を取られていたが、腐らずめげずに、沢山パンフレットを抱えて通っていた。

結局その方とは最後まで縁がなかったのだが、私が頻繁に営業しに来る姿を目に留めていてくれた隣の列の緑地造成の担当の方が私を呼び止め、パンフレットを見せるように声を掛けてくれた。

その結果、パンフレットに掲載していた「防草マット」を、ほとんど即決のような形で販売する事が出来た。
土木担当者に「排水材」を営業しに通う私を、緑地製造の担当者が見込んでくれて、「防草マット」を購入してくれたのである。
当初の目的は叶わなかったが、努力は違う形で実を結んだ。

 

上記の柔道の話も営業の話も、本来の目的は不成功に終わったが、意図せず良い結果に結びつく事が出来たという話だ。

しかし一生懸命に努力しても、それが何の結果にも結びつかず、不条理を感じる時も多い。
けれども必ずや「経験値」はアップしている。
それに「努力出来た事実」を自分自身は知っているし、それが自信の素にもなる。
点で見れば、何の結果にも結びつかず終わったかのように見える努力も、線で見れば、現在の自分の糧になっているのである。
だから人生に「無駄な努力」は決して無いのである。

2014年

4月

20日

社長直行便

十数年ほど前のことだが、ある日突然、社員が理由も告げずに退職していったことがある。
社員の数が少ないうちは私が面接を行っていたのだが、その頃にはもう幹部社員採用の面接以外は、各現場の責任者に任せるようになっていた。
だから私は前記の社員のことは履歴書に書かれていることぐらいしか知らないまま、そして、ろくに話しも出来ないままに、彼は退社して行った。
恣意的な理由で退職していくのなら、それは仕方のない事だ。まさに憲法で保障された「職業選択の自由」である。
しかし仕事内容や人間関係もしくは組織全体に何らかの瑕疵があり、それが退職に至る原因であるならば大きな問題である。
彼がある日突然退職した理由は何だったのだろうか?私が、もっと気に掛けておくべきだったのだろうか?と反省もしたが、アンテナを張り巡らせるにしても限界があるし、社員全員と向き合えるほどの時間もない。
私に何か訴えたいことや、相談したいことがあったとしても、私が慌しくしている時は声をかけづらいだろうし、工場によっては、何日も顔を合わさない社員や、パートやアルバイトに至っては、ほとんど顔を合わす機会すらない人もいる。
そこで考えた末、この件のすぐ後に「社長直行便」というポストを設置した。
今ならEメールで良いだろうが、その当時は現在ほど普及していなかったので、誰でも投函出来るようにポストにした。
ポストの鍵は私しか持っていないので誰に遠慮することなく、会社の問題点や改善すべき点、相談、提案、私に対する意見など、どんな内容の事でも書いて投函出来るようにしてある。

無記名でも可であるし、構えず、休憩時間に投函出来るように、屋外にある喫煙スペースの横に設置してある。そこには自動販売機も置いてあるので、タバコを吸わない人でも皆が行き易い場所だ。

 

経営者は会社組織の全体を包括的に、かつ危機感を持って見渡し、全てに渡り細心の注意を払うことを常々から要求されるのである。
おまけに私は元来から不安症であるが故、常日頃はもとより、突然社員が辞めるなどのように何か想定外のことが起こったときには、より一層に不安に駆られて、もしかしたら、社内に問題が在ったのかも・・・?適材適所に配置することが出来なかったのかも・・・?などと、あらゆること事を推測してしまう。
たとえ小さな問題でも放置していると、中小企業はその脆弱性から「アリの一穴でも堤は崩れる」のである。
アリの一穴(弱点・欠点・盲点)は、どこの会社にも誰にもある。
しかしそれを改善しないまま放っておけば、穴はどんどんと大きくなるだろう。
そして最も恐ろしい事は、穴が開いていることに、いつまでも気付かずにいることだ。
私は不安症ゆえ、アリの一穴であってもいち早く気付きたい。

そう思って十年以上前から社長直行便を設置している。

 

しかし一番最近入れられて手紙は「会社で花見をしたいです」であった。笑

 


2014年

4月

13日

業界として若手を育てる

約30年前の話。
師匠である東建コーポレーション(株)の左右田鑑穂会長兼社長のご自宅の4階にしばらくの間、企業家見習いの修行を兼ねてお世話になり、その後、私は不動産業の会社を立ち上げた。
将来的には、いずれ私が父の会社の繊維産業を引き継ぐことになるだろうという心積もりがあったので、不動産業の傍ら、繊維の仕事も手伝いながら勉強することになった。
繊維産業の中で物を作って売るからには、まず繊維材料の仕入れだと単純に考えた。
そこで、仕入れ方法と仕入先を勉強したいと思ったが、将来会社を成長させる為には自社よりも大きな会社、出来れば地元泉州でNO,1の会社の社長のやり方を学びたいと思った。
地域で一番の会社は、当時のカネボウ㈱防府工場を買い取る話が出る程の力を持った会社で、丸竹繊維工業所(丸竹COの前身)より何十倍も大きな会社であったが、幸いなことに父とその会社の経営者である小島社長とは知り合いだった為、私は直接の面識は無かったのだが、思い切って電話をかけて訪ねていった。
不躾なお願いであったが主旨を説明すると有難いことに、「面白い子やなぁ!」「よっしゃ分かった!明日仕入に行くから朝8時に車で来てくれるか?運転手してくれ!」と快諾してもらえた。
翌朝、当時の大阪梅田(ダイビル)にあった日本合繊株式会社へアクリル原料を仕入れに行くのに同行させて頂き、仕入れ方法を教えて頂いた。
その当時の丸竹繊維工業所はアクリル原料をファイバーメーカーから直接仕入れできるような規模の仕事はしていなかったのだが、そうような仕事が出来る会社にしようと若造の私は意欲を高めた。
帰りの車の中で、小島社長は経営について話をして下さった。


① 「社員を持つなら厳しいばかりではアカンで!一人では限界がある。会社の拡大は人材次第やで!」
② 「支払いの信用は大事やで!」
③ 「売り先より仕入れ先の方が大事である!」
④ 「相手を儲けさせんと自分も絶対に儲からん!」
⑤ 「諦めんと長く続けることや!」

 

これらは今でも、私の経営の根幹をなす考えだ。
当時、駆け出しの私にとって、これから目指す泉州の社長の姿というものを見せて頂いた。
「まあ詳しくは、これからあんたが実戦で自分自身の道を切り開いて学んで行くことや」
最後に社長は、そう言って車を降りられた。
若さゆえの図々しさで押し掛けて行った私に、小島社長は経営者業について本音でアドバイスをして下さった。

それは自社や他社、敵や見方の関係なく、業界として若手を育ててやろうという心意気だったのではないか?と、今になって思う。

TPP参加や新興国の台頭で、日本の繊維業界が衰退してしまわぬ為にも、若手の成長は必要不可欠である。
私が多くの方々に育ててもらったのと同じように、年長者は自社社員だけではなく「業界の若手」を育てる責任を担っているのではないだろうか?
微力な私が出来る事はそう多くはないが、私が師匠や先輩方に教えて頂いた事や、私の経験、考え方など、失敗も含めブログに記していこうと思っているので、それが誰か一人でもこれから成長して行く若い人の参考または反面教師になればいいと思っている。

 

2014年

4月

06日

秘訣は習慣化

天理高校柔道部には、卒業後に世界選手権覇者や金メダリストになる生徒が沢山いた。
そのような生徒達は優れた才能やセンスを生まれつき兼ね備えている為、新しい技をほんの数日で習得出来てしまう。

それに比べて、私は技の習得が遅い方であった。
なかなか習得できない私を見かねて、ある日、松本薫コーチ(当時5段)から、「学校の授業中に椅子に座ったままでも柔道の練習はできる。」

「お前は左利きだから、まず左足を指先までまっすぐ延ばして、つま先を全力で下向きに曲げる。」

「そして右足も同じくまっすぐ延ばして、今度はつま先を上向きに全力で曲げる。」

「歩くときは、つま先に力を込めながら足を引きずるように歩く」

「この3点を毎日続けてみろ」と教えてもらった。

つまりこの足の形は、「大外刈り」の基本動作である。


早速、翌日から授業中に教わったようにしてみると、すぐに足が疲労のため攣りそうになって長く続かないわ、くたびれて授業に身が入らないわで・・・いや元々授業には身を入れてなかったので、まぁそれはいいとして・・・、先生に言われたような歩き方をすると、何度もつまずき転んでしまうわ、柔道を知らない友人達からは、ふざけていると思われて笑われるわで、散々であった。
けれど先生のアドバイスを信じていた私は、それを毎日続けた。
1か月を超える頃には、私のおかしな歩き方を笑う者が無くなり、気が付けば椅子に座ると無意識に足がその形になっていた。
この頃になると練習で「大外刈り」が少し掛かるようになってきた。
それまでは「払い腰」と「内また」だけでやってきた柔道だったが、3年生になると「大外刈り」が私の得意技の1つになった。

 

人が何か新しい事を習得しようとする場合、慣れてない事に挑戦をする訳だから苦しい。

けれど、苦しい、しんどいと思いながらも、一日一日と挑戦を繰り返していると、いつしかそれは習慣に変わり、特別な行為ではなくて、日常の行為へと変わり、ふと気付いた時には苦しさは薄れ、ある時、習得出来ている自分に気付く。
そういう事の積み重ねで人はステップアップして行くのだと思うが、新しい事を習得出来ない人は、その才能が無いのではなく、習慣化する前に諦めてしまったり、飽きてしまったりしているのではないだろうか?
自分にはハードルが高いと思うような困難な事の習得や苦手な事でも、習慣化させる事により、いつしか苦しさは薄れ、そうして諦めず続けることで、人間たいていの事は出来るようになる!と私は信じている。