2014年

6月

25日

自分で自分の限界を決めてしまうな

「自分で自分の限界を決めてしまうな」

この言葉は天理高校柔道部時代に恩師の野村基次監督当時5段(五輪金メダル3連覇・野村忠宏の父)から、練習中に度々言われた言葉である。

当時の天理高校柔道部は、高校柔道界屈指の練習量であり、午前6時から朝練が始まり、午後10時の点呼後の自主トレまで分刻みでスケジュールが組まれ、まさに柔道漬けの毎日であった。

このようなスケジュールの中で、練習も終盤に近づくと、動作も緩慢になり、意識も朦朧となって、体力的にも精神的にもヘトヘトになって来る。

「もう無理!もう限界!」と、へたり込んでしまう、そんな時である。

「自分で自分の限界を決めてしまうな!」と、野村先生から一喝が飛ぶのであった。

当時のことなので正確には思い出せないが、概要はこんな感じである。

「限界までの練習は全国どこの強豪校でもやっている当たり前ことだ。全国優勝するためには、限界を超えたあとに、いかに練習するかだ。」

「そもそも、お前たちが勝手に限界だと思い込んでいるだけで、わしから見ると、まだ限界を超えてないぞ!」

そんな叱咤に(うるさいわ!オッサン!)と向かっ腹をバネに、満身創痍の体を起こし、最後の力を振り絞って練習を再開するのが常だった。

 

学生時代には腹を立てながら聞いていた野村先生の言葉が、真に心に響いたのは、経営者になって倒産の危機に襲われた時である。

どちらも20年以上も前のことだが、過去に2度、大きな不渡りを食らって倒産の危機を迎えた事があった。

一度目の時は、駆け出しの経営者だったこともあり、不渡りを食らうという初めての経験に面食らい、思いのほか動揺した。

感謝などと言う言葉では言い尽くせないが、結果的には巨星に二つ返事で救って頂き、窮地を脱することが出来た。

人間とは面白いもので、二度目の時は、一度経験済みということもあり、こんな事態でも気持ちには幾分余裕があった。

再び巨星に頼るという情けない事は出来るはずがない!との思いに至れるぐらいには、肝を据えて事態を受けとめることが出来ていた。

その日から金策に走り回った。

次の支払い期日までに自分が発行した手形の額面金額を用意せねば、今度はうちが不渡りを出してしまうかもしれない状況であった。

最初は「どうにかなる。どうにかしてみせる。」と気持ちを張っていても、一日一日と期日が近づくにつれて疲労困憊になり、体力的にも精神的にもヘトヘトになって来る。

「もう無理かも・・もう限界なんじゃないか・・・」と、へたり込んでしまう。

そんな時、野村先生の「自分で自分の限界を決めてしまうな!」の一喝が思い出された。

柔道部時代、もう無理だと思いつつも、満身創痍の体を起こし、最後の力を振り絞って、練習を再開すれば、バテバテながらも体は動いた。

「お前が勝手に限界だと思い込んでいるだけで、わしから見ると、まだ限界を超えてないぞ!」

野村先生の言葉を思い出し、その後も死に物狂いで金策に駆けずり回った。

結果、ぎりぎりのラインで苦境を乗り切り、会社を存続することが出来た。

 

経営者として約30年以上に渡り人生を歩んで来たが、この間には他にも色々な苦難が待ち受けていた。それを何とか乗り越えてくることが出来た理由の一つは、天理柔道の精神が心に宿っていたお蔭である。

 

「限界・・・」は、苦しい事や辛い事から、もう逃げ出し降参しようとする時に使う「自分自身への言い訳」であろう。

人間とは「もう限界!」と嘆いた以降にも、まだ余力が残っていることを、私は柔道から教えてもらった。

 

2014年

6月

19日

端境期に赤字を出さない社員数

当社の社員数(パート・アルバイト含む)は「端境期に赤字を出さない人数」が基本である。

言い換えれば「一番暇なときに、ちょうどよい人数」ということになる。

という事は、繁忙期には必ず人手が足りなくなるのだが、そこは残業で乗り切る。それでも足りなければ、派遣社員や短期アルバイトを入れて乗り切るという経営方針で長年、社業を営んでいる。

これは中小企業の製造業の経営としては基本中の基本であるが、たぶん「残業が多くて嫌だなー!」と思っている社員はいるだろう。

社員にしてみれば、一年中では無いにしろ、たとえ繁忙期の3か月間でも休みが通常より少ないのは苦しい限りであろう。

しかしである。

繁忙期(1-3期)にちょうどよい人数の社員を雇うとなると、端境期(4-6期)には人員が余るうえ、人件費が経営を圧迫することになる。

当社の場合、たとえば端境期に1か月の赤字期間を出すと、平均実績で試算して、最低でも取り戻すのに約3か月の黒字の期間を必要とする。もし端境期の3か月赤字期間を出してしまうと、9か月の黒字期間を必要とするが1年は12か月(黒字9か月+赤字3か月)しかないので、その年の決算はイーブンか赤字に転落してしまう。

もし、はからずも赤字になってしまうと融資格付けが低下し、たちどころに色々な面で企業運営がスムーズに行かなくなる。

たとえば運転資金の調達が厳しくなると、会社を維持するには支出を抑えねばならず、そうなると経費の半分以上を占める人件費の削減が必要不可欠になり、まずはボーナスカット、それでも苦しい場合は、給与の削減を行わざるを得ない。それでも経営困難な場合は、社員のリストラを行わざるを得なくなる。それを数年に渡り重ねてしまえば自転車操業に陥り、最悪の場合「倒産」の2文字も視野に入って来るようになる。

 

当社は「一番暇なときに、ちょうどよい人数」で運営しているために、社員の皆さんには常々忙しい思いをお願いすることになっているので、「もっと社員数を増やして欲しい」と不満に思う時もあるだろう。

しかし事業というものは一年のうちでも繁忙期もあれば端境期もあり、もっと長い周期で考えれば、好調な時期もあれば必ず低迷する時期も来る。

「一番暇なときに、ちょうど良い人数」で運営を行っていれば、低迷な時期が予想外に長く続いたとしても、それで通常運転なので給与の削減やリストラを行わずに済む。

赤字を出さないようにするためには、やはり余剰人員を抱えないことなのである。

 

当たり前のことであるが、残業時間は、もちろん労働基準法内で行っている。

申し訳ないが、管理職の社員たちは法定労働時間の適用除外者であるため、繁忙期には骨を折ってもらっているが、サービス残業は決してさせないので、「繁忙期は自分の蓄えを増やす期間」と考えて、たくさん残業代を稼いでほしいと思っている。

 

では社員数を増やすタイミングであるが、忙しい時期が長く続くと、このままずっと繁忙期が続くのではないかと錯覚して社員数を増やしたくなるものだが、社員数は「現状」よりも「先を見据えて」決めるべきだと思っている。

現在好調であっても、それがいつまでも続くとは限らない。現状が好調で忙しいからという理由だけで、安易に社員数を増やしてしまうと、業績が落ちたら余剰人員が発生し、簡単に赤字に転じてしまう。

地デジ移行時の家電メーカーが良い例だ。

社員数を増やす決断をするには、自社だけではなく業界や景気の動向、国際競争なども含め、長期的な視点で考えなければならない。

仕事は人生を左右するほど大きなウエイトを占めるものであるから、簡単に雇って、簡単に切り捨てるわけにはいかない。

 

当社の経営方針は、「社員数は端境期に赤字を出さない人数で、そして繁忙期は残業で乗り切れる会社に成ること。」である。

そのため残業が多く、社員の皆には骨を折らせているが、しかしそれは、当社の企業理念である「すべての社員が物心両面で豊かな生活を送り、自分の将来に安心感を持てるようにする」を実現するためなのである。

 

2014年

6月

10日

「チップ」と「心付け」

先般、新聞で気になるこんな記事があった。

欧米の中でも特にチップ大国であるアメリカの話である。

サービス業等の基本的な給与形態において、貰えると予測されるチップ分をあらかじめ想定して、その分の金額を差し引くことで給料を安くしていることへの是非を問う議論が昨今、行われ始めたという内容の記事であった。

給料をアップし、実際にチップがなくなり始めているところもあるというようなことも書かれてあった。

しかしながら今のところアメリカではサービス業、特にホテル関連のドアマン・ボーイ、ウエター・ウエートレス、ルームキーパー、タクシードライバーなどチップを受け取ることのできる職業は、あらかじめ給料が安く抑えられているのが通常であるらしい。

 

高額のチップを払いそうな客と、チップの少なそうな客では、おのずと担当者のモチベーションは著しい上下の変化を伴い、安定した顧客サービスは期待できなくなるのではないだろうか?そうすると満足した客がいる一方、不満を持つ客も増えるわけで、客は無限にいるわけじゃないから、その結果、来店するお客さんも徐々に減って経営が成り立たなくなっていくのではないだろうか?などと、日本人の経営者の私は思ってしまう。

また労働者側にとっても、これほど不安定な要素を含む給与形態では、生活も気持ちも安定せず不安であろう。

いまさらに議論が遅すぎたのではないか?と、違和感を禁じずにはおれなかった。

 

ところで「所が変われば文化も変わる」であるが、日本には「心付け」というものがある。

報酬としてシステムに組み込まれているチップと違い、心付けは「感謝」や「お世話になります」という気持ちを表現するものである。

 

私は仕事柄、出張や旅行、外食が多いほうである。ゆえにサービス業の方々と接する機会も多い方であろう。そんな中で、素晴らしさを感じる瞬間がある。

そんな時、私は幾ばくかではあるが「心付け」を渡させて頂くようにしている。

去年、出張先の都内で食事をした時、素晴らしい店員さんと出会う機会があったので、その事を書きたい。

その店員さんは、とにかく気持ちが良い接客をするのである。

細かいことを上げるときりがないが、客が求めている物事を察知する能力が高く、例えば手に醤油が飛べばサッとオシボリを渡してくてたり、追加の注文をしたいが忙しそうなので店員さんを呼ぶのを躊躇ってると、それを察して、用がないかすぐさま自分から聞きに来てくれたりと、そんな風なのである。

ただ料理を提供するのが店員の仕事ではなく、お客様達が快適に過ごせるようにサービスを提供するのが店員の仕事なのです・・というような想いが伝わって来るような接客態度であった。

声のトーンや話し方、笑顔、声かけのタイミングなども、単に「労働」ではなく「情熱を持って働いている」ように見えた。

私は思わず、「オーナーの息子さんですか?」と聞いてしまったが、答えはアルバイトで2年の男子高校生であった。

私は思わず自身の名刺と心付けを包んで手渡した。そして勤務態度に感激した事と感謝の気持ちを伝えた。また大学卒業後に就職を考えるときは、ぜひ当社を訪ねてみてくれないか?と声をかけておいた。

どんな内容の仕事であっても、自分の仕事に情熱を持って一生懸命に働く人間は社会的価値があり、そのような人物は最高の人材である。

 

2014年

6月

01日

新規事業について

私が診療介護サービス付き高齢者専用賃貸住宅(以下 サ高住)を事業として展開しようと思ったきっかけを今回は少し書こうと思う。

 

ところで当社のメイン事業は「繊維」と「土木資材」である。

しかし経営の安定、企業の成長、リスク分散の為には、メインの柱をあと一つ増やして三本柱にし、大きな揺れに襲われても崩れない強固な骨組みを作りたいと常々考えていた。

そんなおり、十数年ほど前に、とある経済雑誌に『このままの人口推移で進んで行くならば、少子高齢化に拍車がかかり2030年を過ぎる頃には人口の約3分の1が65歳以上の高齢者になると推計される。』と書かれてあったのを目にした。

私自身も2030年には68歳である。その当時この記事を読んで、少なからず衝撃を覚えた。

他業種に参入するのならば、人口密度が最も高い世代向けの商品もしくはサービスの分野にするべきだとの考えはあったものの、この時はまだ具体的なアイディアは浮かばなかった。

その後、新規事業に関心を寄せつつも進展は無く、本業に特化し専門性を高めることで、生き残りを模索しながら事業を展開して行った。

 

そして今から8年ほど前、テレビの報道で初めて「サ高住」の存在を知り、強く心が惹かれた。

家族の手を煩わすことなく、お年寄りが安心した暮らしをおくれる賃貸住宅とサービスの提供、これはまさに現代そしてこれから先の時代のニーズに沿う事業である。

それに地元に住み続けたいと願うお年寄りは多いはず。そこで初代立花屋から数えると61年間、地元に根をおろさせて頂いている当社が、地元のお年寄りに向けてサービスを提供させて頂こうと考えた。

しかし新規事業に進出するにはタイミングと情報の量が重要である。

この時点では人・モノ・金・情報などの経営資源を考慮すると、時期尚早だと判断し、時期が来るまではリサーチ期間とする事にした。

空き時間を見つけて大阪府内のサ高住を視察し、話を聞いたりする中で、高齢者向け施設で大変なものの一つが、排泄などで汚れるリネン関係であることを知った。

リネン類、特に布団の丸洗いなら当社の得意中の得意である。もし当社が「サ高住」の事業を始めたら、お年よりの方々に、いつでも清潔な良い布団で寝てもらう事を約束出来る。

そのように本業との相乗効果が期待出来る部分もある事が分かった。

 

新規事業進出には既存の事業が好調な時に進出する「前向きな進出」と、本業不振の打開策として進出する「後ろ向きな進出」があるが、後者の場合だと焦りが出るし、後にひけないし、軌道に乗せるまでに体力が切れてしまう場合もある。

前向きな進出の場合でも、業界内の法律や制度など規制緩和、規制強化の流れ、経営資源(人・モノ・金・情報)を考慮しなければならない。

現状を分析し、「時期が来た」と私が判断したのが、今から2年ほど前である。

ちょうどそのタイミングで土地購入の話が来て、地元泉南の土地を購入することが出来た。また幸運にも、医療福祉に約30年携わり、豊富なノウハウと経験を持った専門家と再会する縁に恵まれた。

長時間に渡る面談・相談を何度も繰り返すうちに、志が同じであることに互いに理解を深め、方向性の摺合せを重ねた結果、執行役員として参画してもらうことになった。

また長年当社ISOコンサルティング業務に携わりご指導頂いている先生の参画と事業連携が実現した。

 

以上が現在まで流れである。

新規事業の構想を持ってから、実行に移す良いタイミングが来るまでが長かったが、現在はスピードと最大限のレスポンスを持って準備進行中である。

 

ここからは理念的な話になるのだが、当社の企業理念の一つに『社会から歓迎される会社でなければならない』というものがある。

皆から愛され歓迎してほしいー!というよりは、私は会社を長く存続させたいと考えているし、お金儲けだけが目的の会社が社会に歓迎されるはずがなく、そのような会社が長年に渡り存続出来るはずもないので、結果「三方良し」が信条となった。

現在、泉南市の高齢者はどんどん増加して行っているのに、「サ高住」はたった1件だけなのである。

現在準備を進めている「サ高住」は、年金だけでも入れるような低料金の部屋の設定も予定している。

費用面が理由で、これまで介護を受けることができなかった方々や自宅介護で苦労されている方々に利用して頂き、喜んで頂きたいと考えている。

また地域の活力が失われてしまえば、企業の繁栄はないと私は考えている。

「サ高住」を開始すれば相当な数の雇用が地元で発生する。

また常日頃よりそうしているが、「サ高住」の建設に際しても地元大阪の業者さんにも参加してもらっている。

企業と地域が密着することにより、少しでも地域が活気づいてくれれば、それは巡り巡っていずれは自社の利益となると思うのだ。

 

当社の新規事業が福祉関係という事で驚かれる方も多いのだが、実は当社は福祉と元より関連が深い。

力不足であるが私は、府立砂川厚生福祉センターの雇用促進協力会の役員をさせて頂いてたし、当社は1995年から障がい者の雇用を開始し、現在は5名の障がい者(身体・知的・精神)の方が勤務してくれている。

障害者の方たちと共に働いているこの経験ノウハウは、「サ高住」に活かせる部分が多い。

 

サ高住は、当社の3本目の柱としての事業でもあるが、地域への貢献という側面も持っている。ここから先は、読み流して頂いたら結構なのだが、私は「人のためになる事なら、天にも歓迎されるはず」と常々思っている。

サ高住を建てる土地を買えたのも実は奇跡的な展開であったし、さまざまな協力者の方や支援者の方たちとの巡り合せや、福祉の専門家との再会も幸運であった。

なんだかまるで天が「世の中の役に立たせてもらえ!」と、私の背中を押してくれているような気がするのである。

 

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