2017年12月のページ

2017年

12月

27日

粋な物の買い方

永年にわたり毎年、お正月前になると正月飾りとして玄関に飾る「しめ縄」を送って来てくださる大変有り難い、少し年上の友人Yさんがいる。

今回はこのYさんの、しめ縄の購入方法が実に「粋な物の買い方」なのでご紹介したい。

 

奈良県にお住まいで販売業を営まれているYさんは、その事業の特性上たいへん多くの顧客をお持ちである。聞くところによると、Yさんは毎年お正月前になると、年間を通してある一定の金額以上購入してくれた顧客に対して、しめ縄を贈られているらしい。私は友人の一人として毎年その恩恵にあずかっている。

Yさんが、しめ縄を送る(贈る)ようになったキッカケは、10数年前に東京に仕入れに行った際に出会った浅草の神社の「酉の市」。それがキッカケだったらしい。

この酉の市の立つ日には、おかめや招福の縁起物を飾った「縁起熊手」を売る露店が何十軒も所狭しと立ち並ぶそうだ。

当時、Yさんは「よし、一つ買って帰ろう」と思い立ち、いざ露店で買うとなったら関西人魂に火が付いて当然のごとく値切った。

「おっちゃん!俺、九州の端から来てるねん!まけといてんか?」と声を掛けると、

「九州?お客さんコテコテの関西弁ですけど!?まぁいい。可笑しかったから半額にしちゃうよ!持ってけ泥棒!」と返って来た。

なに!半額!?

Yさんは値引き率に仰天した。

すると都内の同行の方から「ここでの縁起物の買い方をよくご存じなのですね」と言われて、初めて来た場所でもあり、まったく何も知らなかったので「どういう事か?」と聞き直した。

すると、支払は値切る前の定価通りの金額を差し出して、「ありがとよ!おつりはご祝儀でぇい!取っときな!」という習慣があり、それがここでの縁起を担いだ粋な物の買い方だと教わった。

この時Yさんは、この習慣が「凄くスマートでカッコイイ!」と感じ、痺れまくったそうである。

熊手を購入した御利益か!?翌年からYさんの事業は発展を続けて今日に至っている訳である。が、酉の市は関東なので地理的に遠く毎年行く訳にもいかず、そこで熊手の代わりとして正月飾りの「しめ縄」を年末の挨拶を兼ねて顧客に贈ることにしたとお聞ききした。

購入に際しては、しめ縄の業者さんに大量購入である旨を伝えて、「値切り倒す!」とのことである。しかし支払いは定価通りに、粋でいなせに買い物をするとのことであった。

私はYさんからしめ縄が毎年、年末に届く度、来年こそは浅草に行って私も粋な物の買い方を体験してみたいと思いながらも、まだ1度も行けていない。

有難いことに、また今年もYさんからしめ縄を賜った。

そのしめ縄を本社事務所の玄関に飾り、感謝の気持ちで新しい年を迎える。

 

本年もたいへんお世話になり誠に有難うございました。心より深謝申し上げ、縁起物のお話で本年最後のブログを〆させていただきます。

来る平成30年も変わりませぬご厚情の程、伏してお願い申し上げる次第であります。

 

2017年

12月

17日

大きなイタズラ

私は、とんでもない悪ガキだったので、数多くのイタズラをし、多くの方にご迷惑を掛けて来たが、今回はその中でも校長先生と謝罪に行くことになってしまったイタズラの話を書いてみようと思う。

 

神社の元宮が祀られている「天神の森」という場所が小学校の近くにある。防風林として植えられた松林を中心に、緑が広がる静かな森である。

小学3年生の時、同級生の男友達3人と私で、そこに落とし穴を作ることにした。

放課後、学校の用具室からスコップを盗み出した。もうその時点で楽しくて、スコップを肩に担いで意気揚々と現場に向かった。

森の道は舗装されていない土道だったので、小一時間でバスタブほどの大きさの落とし穴を掘ることができた。

皆で松の木にぶら下がって枝を折り、落とし穴に渡らせた。その上に用意していた新聞紙を広げ、土と枯れ葉を被せると見事に穴は隠れた。

テレビで見た落とし穴と同じようなものを、自分達の力で作れたことが誇らしく嬉しかった。

私たちはワクワクしながら木陰に隠れて人が通るのを待ったが、なかなか表れてくれなかった。

「あかんなぁ。誰も来―へん」

飽きて諦めかけたその時、木の陰から軽トラックが現れ、あっと言う間にこちらに向かって走って来た。驚いて皆で顔を見合わせた。その次の瞬間には「ガンッ」と大きな音を立ててトラックの左右の前輪は穴の中に落ちていた。

「うわぁ!!やばい!逃げろ!!!」そう叫んで一目散に逃げた。

息を切らして走りながら、鳩が豆鉄砲を食ったような先ほどの友人達の顔を思い出すと笑いが込み上げて来た。

落とし穴にトラックを落とした!

予想もしていなかった大きな戦果を得た気分で、皆で息を切らしながら笑った。

 

翌朝、全校集会が開かれ、校長先生が渋面で

「この学校の生徒の中で、落とし穴を掘ってトラックを落としたバカがいる。名乗り出なさい」と怒った。

当時の(今も?)樽井小学校は制服があったので、どうやら目撃者が小学校に連絡を入れたようだ。

バレたら、しこたま叱られることは分かっていたが子供ゆえ深刻には受け止めておらず、それより昨日の自分達の慌てふためきぶりを思い出すと可笑しくて、またその皆が今は素知らぬ振りを決め込んでいるのも可笑しくて、噴き出しそうになった。

一緒に穴を掘ったK君の後ろ姿に視線をやると、笑いを堪えて震えている肩が目に入った。同じく共犯者のT君もY君も肩を震わしながら、私を振り返った。

目が合った途端、私は我慢できず笑い声を上げた。我慢していた他の者も笑い崩れた。

その瞬間に何もかも悟った校長先生から「そこ、あとで校長室に来なさい」と呼び出されることになってしまった。

 

落とし穴に落ちたトラックは、近所のF石綿工業のものであった。

校長先生と担任のMしずよ先生と私達4人の計6名で会社に謝罪に行くことになった。

恐る恐る事務所に入ると、80歳ぐらいの白髪のお爺さんがソファーに座っていた。

その手には立派なステッキが握られているのが目に入った。今からそのステッキで順番に叩かれるのだろうかと、さすがに怖くなり萎れた。

校長先生に「謝りなさい」と言われ素直に「ごめんなさい」と頭を下げると、

お爺さんは「男の子は腕白な方が良いけど、でも次からは同じ事をしたらアカンで」と言って、4人全員に鉛筆を3本ずつ下さった。

以上が思い出である。

奈良の高校の寮に入る為に15歳で泉南を離れるまでは、私はこんな調子で地域の皆さまに迷惑を掛けまくった。今現在、私が会社を通して地域へ社会貢献活動>>をさせていただくのは、昔の罪滅ぼしもチョット入っているのである。

ちなみに一緒に穴を掘ったK君は、当社のフレスコ事業の代理店をしてくれており、今も一緒に仕事をしている。幼稚園から同じだったので、いつの間にやら50年以上のお付き合いである。

 

2017年

12月

11日

静かで質素な生活は――

『静かで質素な生活は、絶え間ない不安に縛られた成功の追求よりも多くの喜びをもたらす』

この言葉は物理学者アインシュタインが95年前に東京の帝国ホテルに滞在した際、書いた言葉である。

今年の10月、この言葉が書かれたメモがオークションで、約2億500万円で落札されたので話題になっていた。

私はこの言葉を読んだ時、意外に思い、そして厚かましくも親しみを覚えた。

アインシュタインのような天才は、不安とは無縁で、自分が信じた道を揺らぐことなく突き進んでいると思っていた。

しかし実際は、絶え間ない不安に縛られながら成功の追求をしていたようだ。そして時には、「私は誰の為に、何の為に、こんなにしんどい思いをしているのだろうか?成功なんていらないから静かで質素な生活を送りたい」と思った日もあるのだろう。だから上記のような言葉が書かれたのだろう。

それでもアインシュタインが成功の追求をやめなかったのは、やはり研究が好きで、挑戦が好きで、また社会に対して使命感を感じ、そして使命を果たす為に戦っている自分に喜びを感じていたからではないだろうか。

研究も、経営も、スポーツも、何でも、成功を追求しようと思えば、気が遠くなるような地道な事の連続でしんどい事の方が遥かに多い。それでも途中で諦めることはなく、地道に一歩一歩やり続けていれば成果は表れてくる。

人によって成功の定義は違うだろうけど、苦しめば苦しむほど成功した時の喜びは大きい。私は、そういう喜びの方が、静かな生活から得られる喜びよりも好きだ。

 

ところで上記のメモは、チップの代わりにホテルの関係者にアインシュタインが渡したものである。アインシュタインが小銭を切らしていたのか、それともチップの受け取りを関係者が断ったのかは定かではないが、手ぶらで帰すのを望まなかったアインシュタインが、その場で書いたメモだそうだ。

そして手渡す時に「もしあなたが幸運なら、このメモ書きは普通のチップよりもずっと価値が高くなるでしょう」との言葉を添えたらしい。

ノーベル物理学賞の受賞を知って間もなくの出来事であったらしいが、なんとも粋な計らいだと感じ入った。

アインシュタインは、今までの物理学の常識を超えて世界の歴史を変えた言われるほどの数式E = mc2(相対性理論)を生み出した天才でありながら、身近な人たちにも目を向け、律儀で温かな気配りが出来る機知に富んだ人であったのだなと改めて感服した。