2015年

3月

30日

ブログの効用

ブログを始めて約2年半、記事数は100を越えた。

もともと手紙をよく書く方だったので、その延長線上ぐらいの気持ちで始めたのだが、手紙とは違って一つの記事に対しても様々な人たちから色んな反応が返って来るのがただ楽しくて続けていたというのが、当初の正直な気持ちだ。

しかしそれだけではない様々な効用があった。

 

大阪の南隅の一社長の私を社長TVに取り上げて下さったり、さすがに私では力不足なのでお断りしたが若手社長育成の講師を依頼して下さったりなどもあって、私自身の事業に対する取り組みや考え方(理念・方向性)に対して手ごたえを感じることが出来た。

また公共のWebの場に、自分自身の思いや考えをさらけ出すことによって、経営者としての評価を頂けることが嬉しかった。当然、批判やお叱りもあるので、改めて自分自身を律する機会にも恵まれる。それがとても有り難くて嬉しい。

言い換えればブログを書くこと自体が毎回、自分自身を律するチャンスなのである。

 

また自分の中に漠然と存在していた意識を整理し、文章化することで、目標や問題点、考えなどを明確にして再認識することが出来た。

また、ブログを書くということは「人に自分自身の考えを話す力」も養えると感じた。

「考え」を文章化するということは、頭の中の考えをまずしっかり観察することから始まっている。

断片的だった思考や錯綜していた思考を一つ一つ整理して、考えを纏めて行く。

一度その作業を終えたテーマは、思考の整理整頓が出来ているので、人にスムーズに話せる。

そうして口頭なりブログなりで私自身の考えを表明することで、考え方や方向性を社員たちと共有しやすくなったと感じる。

経営者が営業方針や考えを現場に落とし込む際には、一度や二度伝えただけで浸透しないことに嘆くことなく、何度も何度も語り掛けなければならないと考えているが、ブログはそれに一役かってくれていると感じる。

 

また、ブログを始めてから有り難いことに私の理解者が増えたと感じる。

外見の印象から誤解されていた部分も、腹の内側をブログに綴ることで解けたことも多い。

また最近はネット社会なので、初対面であっても先にブログを読んで私の考えや性質を知ってくれている場合も多く、その場合、短い時間で人間関係が作れる。

 

正直、週一回のペースでブログを更新するとなると、面倒だなと感じたり、書く暇があったら寝たいなと思ったりもするのだが、一人々々に個別に私の考えや私という人間を説明させて頂くとなると、膨大な時間と手間を必要とするだろう。

それに比べたらブログは効率的で生産性が高いなと思い、ブログを続けている次第であります。

 

本日もこのような稚拙なブログにお付き合い下さいまして、誠にありがとうございました。

m(_ _ )m感謝!


2015年

3月

22日

ゴールは無い

通常どこの学校も、高校3年生は8月のインターハイを最後に、クラブ活動を引退する。(※国体に出る選手は10月まで)

しかし私の在籍当時の天理高校柔道部は、入学式初日から稽古があり、それがなんと卒業式当日の朝まで続くのである。

ちなみに修学旅行中も柔道部は朝練があった。

 

高校生活最後の試合である8月のインターハイを優勝で締めくくり、

帰寮したその日の夜の話である。


監督の加藤先生より「3年生は全員、寮1階のテレビ室に集まるように」との指示があった。

その時、我々生徒たちの間で、ある噂が広まっており、その話題で持ちきりになっていた。

「今年の3年生は今日のインターハイをもって引退で、明日からは練習に参加しなくてもいいらしい」との「うわさ話」であった。

というのも、以前にも少し書いたが、それまでは無かった春の全国高等学校柔道選手権大会が、私たちが3年生の時に初めて開催されることになり、「記念すべき第1回目大会の優勝旗を天理に是が非でも持って帰る!」ということをスローガンに、朝の練習が約2時間半(通常は約1時間)に拡大されたのである。前述の大会の優勝旗を手にした後も拡大された練習時間は元に戻ることなく、今日のインターハイまでそのまま続いていたのだ。

「俺たちは歴代でNO,1に長い時間、稽古をして来た。それに春夏連覇の目標も達成した。だから、その褒美として明日からの稽古は免除されるらしいぞ!!」

そんな噂に期待して、みんな胸を躍らせ、はしゃいでいたのである。

 

ところが、である。

優勝後のお祭り気分でいる私たちの前に立つ加藤先生は笑顔の一つも無く、鬼の形相を作っているのだ。

その顔を見て、浮かれ気分でいた我々の顔も次第に真顔に変わる。

そして先生は、いきなりこう言うのである。

「先生はおめでとうとは一切言わない。今日のことは、人生のただの通過点の一コマでしかない。それにもう終わったことだ。」

予想外の言葉に、こちらは呆気に取られた。

この日の為に3年間必死で頑張って来たのではないのか?!

そんな我々の不満顔をものともせず、続いて先生から出て来た言葉が

「明日からは、第2回全国高等学校柔道選手権大会に向けて練習を始める!気を抜くな!3年生は今まで学んだ事を1・2年に教えてくれ。」

(おいぃ!!嘘だろー!!今日で引退できるんじゃないのかよー!!)

私たち3年生は膝から崩れ落ちるような気分を味わった。

いや実際に崩れ落ちていた者も居たかもしれない。天国から地獄とは、まさにこの事である。

うな垂れる私たちを見て加藤先生は

「先生の事を思い出すたびに生涯、先生を怨め!」

と言うのである。すごい言葉を言うものである。

先生の気勢に圧倒されて、不服を申し立てる気力は失った。

「柔道にゴールはない。柔道とは道衣を着て練習することだけではなく、その後も死ぬ日まで生涯に渡り精進するということだ。」

一同、加藤先生を見つめるだけで声も出ず・・・

 

30数年前の記憶を辿りながら書かせて頂いたので、表現には多少の相違点が含まれると思うが、こんな感じであった。

 

社会人になった後でも30代後半くらいまでは、先生の顔を思い出すと怖かった。

しかし40代に入ると、なぜか先生の顔を思い出すと嬉しくて、会いに行きたい気持ちになった!

しかし実際にお会いすれば、いつも私は直立不動であった。

 

経営者の私には定年がない。会社経営にもゴールはない。

目標や夢は有るが到達してしまえば、それもただの通過点に過ぎない。

野村豊和先輩がオリンピックで優勝され、金メダルを見せに来られた時も、加藤先生は、

「それがゴールではないのだ」という意味の事を仰って、金メダルを見なかったそうだ。

 

『生きている限り、大きな成功も失敗もそれはゴールではなく、通過点に過ぎないのだ。

だから良い時も怠慢にならず、悪い時にも諦めず、死ぬまで精進し続けよ!』

今そう心から思えるのは、卒業式の朝まで稽古をさせてくれた鬼の加藤先生のお陰なのである。

10代の時には分からなかった先生の想いが、今頃よく分かる・・・。

 

2015年

3月

15日

走りながら考える

平成27年2月12日にサービス付き高齢者専用賃貸住宅「フラワーホーム」の地鎮祭が行われ、同20日に建設着工と相成りました。

  地鎮祭の様子>>

 

また3月1日より「サ高住建設準備室」を改め、新規に「シニア事業部」と致しましたことをご報告申し上げます。

ご支援・ご厚情並びにご指導を賜りました各位また皆様方に、「お蔭さまと感謝の気持ち」を持ちまして心より御礼申し上げる次第であります。

また来る本年11月の開設に向けて役員・社員一同、益々の精進を重ねて邁進して行く覚悟であります。今後も引き続きのご支援・ご厚情・ご指導を改めてお願い申し上げる次第であります。


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さて、今回の「シニア事業部」であるが、このような新規事業部の立ち上げは約10年ぶりである。

今までにM&Aや既存事業部の再編、また新規事業部の立ち上げを随時行ってきたが、その都度、社員に絶えず言う言葉がある。

「走りながら考える」

誤解して欲しくないのだが、「走りながら考える」とは、いきなりスタートを切って、行き当たりばったりで突き進んで行くという意味ではない。

計画が頓挫したり失敗したりするリスクを極力小さくするために、まず徹底した事前リサーチを重ね、綿密な計画を立てる。そうした上で初めてスタートを切る。

そしてその計画から外れだした部分は、その都度たえず見直し、軌道修正をしながら臨機応変に対応していくということが「走りながら考える」の意味である。

私の経験上、スタート前に机の上でいくら完璧な計画を立てても、それをそのまま遂行することは、ほぼ不可能である。なぜなら計画は、ある一定の条件で算出された仮説にしかすぎないからである。

「計画時に考えていた条件」と「現実」に差異があるなんてことは日常的にある。

事業は生き物だから当然である。

だから計画を常に見直し軌道修正しながら臨機応変に対応して行くことが、事業運営にとって重要なのであると私は考えている。


あと一つ、私が新規事業の立ち上げの度に心している事がある。

それは「事業スタート時に無欠を目指そうするな」ということである。

旅支度と同じで、アレやコレやと揃えたくなる。「あれがあった方が便利だろう、もしもの時の為にこれも持って行こう、そうだ予備もあれば安心だ。一級品を買えば間違いない」と、装備が備わるほど心強くなる。また旅への思い入れが強ければ強いほど、色々こだわりたくなる。自分が納得するまで装備を車に詰め込み、「さぁこれで万全!安心だ!」とスタートを切る。

しかしこれでは初期投資は増加し、そこには不要な労力も発生するのである。

アレコレ揃えたものの、結局旅先で使わず無駄になったなんてこともよくある。

それとは逆で、その土地に行ってみて初めて分かることも多くあり、出発前には想像もしていなかった物が必要になったりする。

旅支度で資金を使い過ぎては、旅本番の資金が減ってしまう。旅先で計画外の出来事に襲われたのに、それに対応出来る資金はあと少ししかない!などの事態になってはいけない。

大企業であればトラクターにたっぷりの装備と資金を積み込み、万全の体制でスタートを切れるだろうが、資金に限りのある中小企業は身軽な状態でスタートを切った方が良い。

そして旅をしながら必要に応じて臨機応変に装備を整えて行けば良い。

その方が机で考えるより、はるかに正しい見極めが出来る。

会社経営には倒産か廃業という「終り」があっても、「ゴール」「完了」「完成」というような決まった形があるものでは無い。また運営は「いつまでも続けなければならない旅」のようなものである。

だから常に余力は温存しておかなければならないのである。


しかし旅行保険は必ず掛けておく。旅行保険は旅の前にしか掛けられない。トラブルが起こった後から保険を掛けることは出来ない。

事業を始めるタイミングでしか出来ないリスクヘッジというものもある。そこには惜しまず資金を投入するようにしている。

例えば当社の新規事業であるサ高住の場合、建築基準法で定められている基準以上の高層マンション並の耐火性能を有する構造で建設する。

そうする第一の理由は、もちろん利用者さまの安全を守り、安心して暮らして頂けるようにしたいからである。

第二の理由は、建築基準法は大きな災害や事故があるたびに改正されるからである。

耐火性能を上げればその分建築コストは高くなるが、法が改正されてから改修するとなると、遙かに高額な費用を要してしまう。後悔してもすでに時遅しである。

また当サ高住はストレッチャーに対応できる大型エレベーターを設置する。

その分建築費は大きくなるが、緊急時に即座に対応出来るようにしておきたい。

上記のように、後から簡単には備える事が出来ないものは、先の先まで考えて慎重に取捨選択しなければならないと用心している。

スタートしてしまってからでは、もう遅い。


2015年

3月

08日

営業とは?

30数年来の古い友人から、「営業とは何か?」と質問を受けた。

この友人は、大学を卒業後に営業とは全く無縁の職業を30年間勤めた人物である。

訳あって、52歳になってから営業の仕事をするようになった。

「立花にとっては何を今さらの話かもしれないが、俺は営業という仕事は生まれて初めてなんや!どうしたら売れるのか秘訣を教えてくれ!?」と言われた。

友人の声からは、彼が営業での行き詰まりを感じている状況なのが即座に伝わって来た。

「実は俺も未だに営業とは何かよくわからないというのが現状や!刻々と変化していく顧客のニーズや社会情勢また商材の流行り廃りについて行くために、自社の営業戦略を随時タイムリーに考えるだけで精一杯なんや!それに今日うまくいったことでも、明日はもう役立たないことがほとんどなんや!」

と答えた。

しかし本人の鬼気迫る気迫を前に、それだけでは納得してもらえないことは感じていたので、

「お前の役に立つか解らないが・・・」と、断りを入れてから話を始めた。

 

その時の内容に付け加えて、ここで改めて営業についての自説を書こうと思う。

情報の集積・把握、分析、顧客への伝達方法の工夫など、そういった具体的な内容はココでは省き、ヒューマン的なことに限定して述べたい。

 

ずばり営業とは、製品を売る前に「己自身」を売ることではないだろうか。

「買いたい」と最初から思ってくれているお客様は別として、私は営業に行っても8割以上が世間話だ。訪ねた先で仕事に全然関係のない世間話で盛り上がってしまい、結局仕事の話を一切しないまま予定時間が過ぎてしまって帰る時もある。

要は、はじめは様々なコミュニケーションの舞台を通して、まず自分に関心を持ってもらうこと。

ちなみに、私の場合は特に、柔道で潰れた両耳とマウンテンゴリラ並みのデカい図体がキャラクターとして、すこぶる役に立つ。

初めてのお客様との会話は、ほぼここから始まると言っても過言でない。

私に無関心なお客様は、私がどんなに熱心に商品説明をしても、関心の無い相手の説明などほとんど頭に入れてくれない。

逆に、私という人間に興味を持ってくれて、信頼関係が築けたお客様は、「あんたの商品なら、だいじょうぶ」と、商品の説明すら遮られたりすることもある。


それとコメツキバッタみたいにペコペコしながら媚びるような態度で契約してもらうのは、本当の営業ではない。そこに信頼関係は無いので、良い条件を提示する他社が現れれば、すぐに契約が終了してしまう。


また当社には営業だけを専門にやっている者は居ない。

普段は製造業務に就いていて、必要に応じて営業マンになる。

はじめは製造部門の人間に営業が務まるだろうか?と心配もあったが、商品の事を熟知しているだけあって、どんな質問にも即座に答えることが出来、そういった面が信用に繋がるのか、大変よく売って来てきてくれるので驚いたほどである。

 

ここからは経営者としての考えだが、経営者は営業マンが営業しやすいように、部下を信頼して権限を委譲することが必要である。

例えば当社の場合、能力のある社員には

「失敗してもいい。失敗したら私が全部責任を持つから、自分の思うようにやってみろ」

と常々言っている。(ここでの失敗は実は単純な失敗ではなく次へのステップなのである。)

権限を委譲する理由の一つは、金額や納期を初めとしたお客様の要望を「一旦、社に持ち帰って相談・・・」と度々なってしまえば、その営業マンは単なる伝書鳩という位置づけになってしまい、お客様と営業マンの間に信頼関係が築けなくなってしまうからだ。

 

最後に、『当社の商品を大変よく売って頂いたお得意様の営業マンの話』を2年ほど前にブログに書いたので、もう一度ここで紹介させて頂きたい。

お節介な人ほど有難い


2015年

3月

01日

幸せの共鳴現象

先般、会合(と言っても実は飲み会)があり、その日は、出発前に急な来客があった関係で時間ぎりぎりに最寄りの駅に着いた。

駅から目的の場所までは徒歩圏内であったが、歩きでは開始時間に間に合わない。

そこで「タクシー」と思ったのだが、見ればロータリーには客待ちをするタクシーが30台以上も並んでいる。

先頭のタクシーが客を乗せるまでには、1時間以上の時間を要したであろう事が、容易に想像がつく。

運転手さんの待機時間を考えると、1メーターの距離で利用するのは悪いなあ・・・と一瞬ためらったが、先輩諸氏を待たす訳にもいかず、やはりタクシーへ乗り込んだ。

そして肩身の狭い思いをしながら「近くの○○まで」と行先を告げた。

するとどうだろう。

舌打ちでも返って来たら、こちらも応戦していたが、運転手さんは笑顔で

「有難うございます」と言うのだ。

思いがけず快い反応が返って来たことに驚きながら

「長い待機時間なのに1メーターですみません。」と、とっさに返した。

すると運転手さんは、こうである。

「いえ!なぜか不思議と、1メーターのお客さんを乗せると、次は長距離のお客さんに当たるんですよ!だから私にとったら1メーターのお客さんは縁起の良いお客さんです」

営業トークであったかもしれないが、私はその言葉を聞いて運転手さんの心の在り方に感服した。

と同時にその言葉のお陰で、心苦しかったマイナスの気持ちが一転し、「そんな風に言ってくれて、ありがとう」と言いたくなるような温かい気持ちになった。

 

この運転手さんとの出会いで、天理高校時代に谷口先生という物理の先生から受けた素晴らしい授業のことを思い出した。

いきなりだが皆さんはテレビのチャンネルが変わる仕組みを御存じだろうか?

たとえばNHKの1chに例えて簡単に説明すると、まずテレビ側から1chの周波数の電波を、アンテナを通して空中に送信する。そうすると空中にある色々な種類の数千万と言われる電波の中から同じ周波数の電波は響き合いながら、引き寄せ合うのだ。その集まった同じ周波数の電波を今度はまたテレビ側が受信して1chを見る事が出来るのである。

物理的な言葉で言うと周波数の共鳴現象というそうである。

この授業の最後のまとめで先生は、人間にたとえて下記のような話をしてくださった。

 

谷口先生のお話

優しい気持ちを持っていると、 体から「優しい電波」が出ているので「同じ気持ちの電波」が引き寄せられて集まってきます。

この共鳴現象は「物理」でも「人の感情」でも同じです。

普段から「優しい電波」を出していると、自然に優しい気持ちの人がまわりに集まって来てくれます。そのことにより次から次へと「優しい電波」が人から人へと繋がり、そして、だんだん全体が幸せな状態になっていくのです。

これが「幸せの共鳴現象」です。


(100%の再現は出来ないが、大まかには、こんな感じです。謝<(_ _)>)

 

自分の些細な行動の積み重ねが、自分を取り巻く世界を作っている。

世界は自分の鏡であると再認識させられた次第である。

 

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