2013年

12月

21日

私の大きな勘違い

本年も残すところ後僅かとなりました。公私に渡り、何かと御厚情を賜りました由、心より御礼申し上げる次第であります。また来る平成26年も、重ねて御厚情の程、伏してお願い申し上げる次第であります。
一年間の反省の意味を込めて、今年最後のブログは、「私の大きな勘違い」で締め括らせて頂こうと思います。


今考えれば嗤ってしまうのだが、中学3年生の時の私は厚かましくも「俺は日本一柔道が強い」と本気で思っていた。
私の周りには私より強い者が居なかったし、大人にも勝った。
だから「全国大会で優勝出来なかったのは、たまたま運が悪かっただけで、本来の実力で言えば、俺がやはり日本一だ。」と自信を持っていた。
そんな私がスカウトを受け、天理高校柔道部に入学した。
入部初日に私は、自分が大きな勘違いをしていた事を嫌というほど理解させられた。
誰一人、私が勝てる先輩など居なかった。同級生の中ですら私は一番ではなかった。私レベルの一年生はごろごろ居た。そして皆が皆「俺は日本一柔道が強い」と意気揚々と天理に入学し、結果練習に付いて行くことさえままならなかった。
「井の中の蛙、大海を知らず」とはまさに俺たちのこと!!と、この時ほど痛感したことはなかった。

 

そんな私も上級生になり、再び慢心し始めた頃のこと。
たまたまその日は天理大学の柔道部で、私たち高校生は出稽古をさせて頂いていた。
練習が始まり暫くして私は、金義泰先生(当時6段 東京オリンピック中量級 銅メダリスト)に稽古をつけてもらうことになった。
開始直後、私が先生の道着を掴みかけた瞬間、気が付けば私は呆然と天井を見上げ倒れていた。
何がなにやら分からないまま立ち上がり、再びそりぁー!!と向かって行くと、また私は天井を見上げ倒れているのである。

普通はなぜ自分が投げられたのか、どんな技で投げられたのかは分かるものなのだが、この時は結局最後まで、どんな技で投げられたのかも判断が出来ないまま、5分間の間、数え切れないぐらい投げ飛ばされるだけで終わった。
柔道を分かっていた気になっていたが、自分が習得したと思っていた柔道は氷山の一角で、その氷山の下には遥かに大きく深い世界があるのだという事を痛感し衝撃を受けた。

 

仕事もそうだが、人は同じ世界に長くいて経験を積むと、その世界を知ったような気になって慢心してしまいやすい。

けれどもそれは井戸の中の世界を知っているだけであって、大海ではないかもしれない・・・という不安を常に忘れず、慢心することなく2014年も精進して行こうと、今年最後のブログを綴りながら、新たに身を引き締めている次第であります。

 

2013年

12月

15日

8割の力で勝負する

先般、長野五輪のスピードスケート男子で金メダルを取った清水宏保さんの記事を新聞で見かけた。その中の清水さんの語録で、「大舞台で勝つには8割の力で勝負することが大切になる」とあった。
「全力で頑張ります」という言葉が多用される中で、「8割」という数字に興味を引かれた。

実は私も同じような趣旨の事を、学生時代に天理高校柔道部監督 野村基次先生(当時5段、現8段 オリンピック柔道金メダル3連覇の野村忠宏選手の父)から教わった。
たまたま1年生の時のクラスの担任も体育の授業も野村先生だったので、結果として柔道部の練習以外の時間にもたくさん話す機会に恵まれ、多くの事を教えて頂いた。
野村先生曰く「本番で実力の100%を出すのは難しい。せいぜい実力の80%であろう。それならば初めから実力の80%で勝負をすると考え、残りの20%は余力として突発的なアクシデントや変化に対応する為に残せばいい。」と仰った。
36年前の話なので言い回しは変わってしまっていると思うが、言わんとしていることは清水宏保さんも野村先生も、きっと同じだろう。

 

「8割の力で勝負する」
これは事業計画や日々の業務にも通ずる。
■例えば、会社の余力。
社運を掛け10割のパワーを使って取り組んだ事業計画が失敗した時には、もう目も当てられない。しかし余力があれば、計画を変更することも、立て直すことも出来る。
■例えば、精神力・体力の余力。
仕事とは一生に近い年月続けるものであるが故、ある一時期にだけ奮闘して、その後燃え尽きては困る。40年50年とコンスタントに戦えるように余力を残しておく必要がある。
■例えば頭の中の余力。
熱意を持って仕事に取り組む事はもちろん大切だが、猪突猛進した結果、木を見て森を見ずの間違った方向に進んでしまう事もありえる。熱中している時であっても、頭の隅では冷静な抑え部分を保っておかなければならない。

 

ここで誤解して欲しくないのが、「8割の力で戦う」という事は、2割手を抜いて良いという事ではなく、本番で8割の力しか出せなくても勝てるように自身の分母(余力)を増やせという事なのである。

 

ところでビジネスの本番とは何だろうか?
プレゼンだったり、重要な会議だったり、大切な方の接待だったり、色々とあるだろうが、緊張もあり本番で100%の実力を出せる人というのは、なかなか居ないだろう。
しかし、「実力の80%しか出せない」ことを前提にして入念に準備をすれば、もし100%の力が奇跡的に出れば大満足の結果を得られるだろうし、80%の力しか出せなくても想定どおりだ。
自分の分母を増やすには大きな努力が必要だが、分母が増えれば本番で10割の力が発揮出来なくても、勝つことが出来るのだ。
それはどんなに心強く、気持ちに余裕を与えてくれることだろう。

2013年

12月

08日

コンプレックス

先般、父の家を訪ねた際に、父が「この本、持って帰ってくれ!」と一冊の本を差し出してきた。
その時は、たいして中身の確認もせず持ち帰ったのだが、帰宅後に本のタイトルを見てみて驚いた。「数学序説」と書いてある。

大層なタイトルだと思いながらページを開けてみると、「この本は大学教養における数学の教科書とする意図を持って書かれ-」と前書きに書いてある。

本論を少し読み進むと、まず私が高校3年生で学んだ数ⅡB最終の基礎解析程度は常識的に知っていることが前提に書かれているようで、私はすぐにページを閉じ、本を投げ出した。
どうやら父は、この本を買ったものの撃沈し、私に寄越したようだ。

中卒の父にコレが理解出来るはずがない。
私も以前に「心理学大全」いう本を買ってページを開けると「この本は大学教養・・・」から始まった難解な論説が書かれており、そっとページを閉じた経験がある。
さすが親子、行動が似ているなと呆れながらも感心した。


実は「心理学大全」だけではなく、他にも買ったものの少し読んだだけで放置している本が沢山ある。買ったことすら忘れている本も入れれば相当な数だろう。
どうして私はこんな馬鹿ばかしい行為を繰り返してしまうのか?と突き詰めて考えた時、やはり学歴の事があるように思う。
高校時代は柔道しか頭になく、勉強は二の次にしてしまった。

そして大学も中退だ。
やはり学歴に対するコンプレックスはある。
コンプレックスがあるから、少しでも難しい知識を身に着けようと日頃から思っている。
だから難しいタイトルの本を見ると、そこには新しい知識が一杯書いてあると思い、探究心にスイッチが入る。そして私は元来せっかちな性格なので、ろくに内容を確認せずに早々と買ってしまう。しかし買ってみたものの、そこには自分のスキルを遥かに超えた事が書かれていて撃沈する。

この繰り返しなのである。
その上、恥ずかしながら私は、ええ格好しいなので、難しい題名の本を読んでいる人は恰好良い、イコール、人が知らない事を知っていると、もっとカッコいいと思い、その結果として、本屋で難しい題名の本を見つけると、ついつい購入してしまうのである。
「難しい本を買った」ということと「本の題名」に自己満足するが、実際に本を読み始めると自分自身のスキルの無さに自己嫌悪に陥るのだ。


調べてみると、私のこのような行為は「欲求」なのだそうだ。
「成長への欲求」や、「承認への欲求」なのだそう。
そして欲しいものが手に入らないと、人は代わりの物や行為で埋めようとするのだそう。
私の場合、学歴が手に入らないので、代わりに難しい本を買う行為で欲求を解消しようとしていたようだ。もしかしたら父も、そうだったのだろうか? 笑

 

ところで、やはりコンプレックスをオープンにするのは、弱さを見せることでもあり、恥ずかしいし勇気がいる。「弱みは見せるな!」という考えもがあるが、私はこうしてオープンにした方が、気持ちがスーっとするのである。

 

2013年

12月

01日

試合前夜

私の人生の中で昭和54年3月31日(土)の夜ほど、緊張のあまり寝付けなかった夜は、かつてなかった。
というのは、翌日の4月1日(日)が第一回全国高等学校柔道選手権大会の当日だったからである。
この大会は、高校柔道において戦後初めて行われる春の全国大会であり、前々年の昭和52年に開催が決定してからというもの、全国の柔道強豪校が優勝を目指して火花を散らしていたのである。
ご多分に漏れず天理高校柔道部でも加藤秀雄・野村基次・松本薫の三名の先生の指導のもと「どんなことが有っても第一回の優勝を飾り、さらっぴんの優勝旗を絶対に持って帰るぞ!!」と、猛練習をスタートさせたのであった。

 

当時の練習を思い出すと、今でも体が震える気がする。
35年近くも前の話なので、私の学生時代と現在とではもう随分違うだろうが、あの当時は1年間の内に355日くらい練習があり、休みは10日くらいしかなかったように記憶している。
平日はまず朝5時55分に起床、6時から立ち技を1時間・寝技を30分、準備体操と打ち込みを入れると合計約2時間弱みっちり練習するのである。
その後、朝食を取り掃除をしてから登校するので、毎回始業時間にギリギリ滑り込むような生活であった。
帰寮すると今度は午後3時30分より打ち込みを約30分間、また立ち技・寝技を各1時間、研究を30分、その頃には気力のみで体を動かして筋力補強を30分と合計4時間余り繰り返すのである。
この時点で、準備体操を入れると約6時間すでに練習している訳で完全にヘトヘトなのだが、これではまだ一日の終わりを迎えることが出来ず、午後10時の点呼後には、最後の力をなんとか振り絞って、また約一時間の自主筋トレを行うのである。
しかし平日は学校が有るのでまだこれくらいなのだが、土・日や長期の春・夏・冬休みは朝練を入れると3部練習になり、朝から晩まで練習漬けである。
当時、学校が休みの日は楽しみの日では無く恐怖の日であり、休みなど来てくれるな!と真剣に思ったものである。ちなみに修学旅行先ですら、柔道部は朝練があった。

 

話しを始めに戻そう。
全国大会を翌日に控え、私は布団の中でまんじりとも出来ずに居た。
心が奮い立って武者震いをしたかと思えば、次の瞬間には緊張して足が竦んだりした。
明日の為にも早く寝なければならない!と焦れば焦るほど、逆に目が覚めていく。
他の選手たちも同じ気持ちだったのか、あちらでも、こちらでも寝返りを繰り返している。
「おーい。起きてるか?」
そう声を掛けると「起きてるで」「俺も」「俺も起きてる」「寝られへん」と次々に声が上がった。
結局、誰一人寝れずにいた。
早く寝なければ・・・と思いながらも、気を紛らわす為に雑談していると、それに気づいて松本薫先生が部屋に入ってこられた。
「おまえら!緊張で寝られんのか?」
喋ってないで早く寝ろ!そう叱られると思って身構えたが、続く言葉は予想と違った。
「眠られんのやったら、別に眠らんでもええやないか!」「朝まで適当に遊んでたらええのや!」「お前らは、あれだけ練習したのやから、もう一日や二日くらい眠らんでも絶対に優勝できる!」「心配せんでいい!先生が保証してやる!」と言い残して部屋を去って行かれた。

その言葉を聞いて一瞬にして自信を取り戻したことを、今も鮮明に思い出す。
「そうか、俺たちは1日ぐらい寝なくても、優勝出来るほどの練習をして来た!」
「だいじょうぶ。俺たちは日本一練習をした!」
そう安心すると眠気が襲って来た。
その後は、みんなが催眠術に掛かったように朝まで爆睡出来た。
そのお蔭もあり翌日は冴えた頭と体で全国優勝をさせて頂くことができた。

 

あの苦しい練習漬けの日々を、逃げ出さず最後まで遣り通したという経験は、今でも私の自信になっている。その経験があったから今でも、どんなに苦しい時や忙しい時でも諦めず、毎日繰り返せるのである。