2014年

1月

25日

変わり者

立花克彦 5歳頃
立花克彦 5歳頃

自覚してないのだが、どうやら私は変わり者らしい。
私のどの辺が変わり者なのか?と知人を追及すると、「どこか一箇所、凄く変わっている部分が在るのではなくて、全体的に少しずつ変わっているから、トータルするとだいぶ変わり者」と言われた。
いつから変わり者になってしまったのだろう?と首をかしげていると、親戚の伯父さんが、「あんたは子供の時から変わり者やったで」と、こんなエピソードを聞かせてくれた。


私が2歳の時、母方の亀田家の曽祖父が98歳で永眠した。
そのお葬式の席で聞いた御経に私は大変心惹かれた様子で、目をパチクリさせながら御経に聞き入っていたそうだ。
それからというもの月参りで住職さんが来られると、アイドル歌手を出迎えるがごとく喜んで迎え入れ、住職さんの横という特等席に座って、御経に聞き惚れていたそうだ。
また、たまたま当時は一時期、般若心経のブームだったらしく、テレビやラジオから偶然御経が流れた時などは、寝ていても起き出して耳を傾けていたそうだ。
その他にも偶然どこかでお葬式をしているのを見つけると、まるで遊園地にでも行くように、「俺もお葬式に行きたいー!」とせがみ、「知らないお家だから」と祖母が断っても「連れて行ってくれー!!」と泣きながら手を引っ張っていたらしい。
3歳になる頃にはいろんな宗教の経文の一部と、般若心経の前文後文を含めた全文を暗唱できたらしい。その後、小中学生になっても御経好きは続いて、いつしか気が付けば神主さんの祝詞や祭文、また浄土真宗の阿弥陀経や真言宗のお経も大体一通りは暗唱出来るようになっていた。
まさに「小僧、習わぬ経を読む」で現在でもほぼ記憶が残っているので、法事の際には呼んで頂いたらアルバイトで御経を上げさせて頂きます。 笑

 

その他にも、大工であった母方の祖父の道具箱からこっそり金鎚やらノコギリやら持ち出し、コマ付き自転車の荷台に道具を括り付け、近所中の板塀や壁に釘を打って回ったそうだ。真向かいの安宮さん宅は一番被害が大きく、無断で上がり込んだ私に玄関の敷居をノコギリで切られ、続いて大黒柱に釘を打ち込んでいる私を発見して仰天したそうだ。

あと記憶にあるのが、自分のコマ付き自転車を道路の溝に投げ落とし、その自転車を見つめながら悲しげな顔でたたずみ、大人が声を掛けて来るのを待つ・・・という遊びを気に入ってよくやっていた。
心配した通りすがりの大人が「だいじょうぶか?落ちたんか、拾ってあげよ」と自転車に手を出すと、待ってましたとばかりに「俺の自転車に触るなー!俺は交通事故ごっこをしてるんやー!!」と怒りながら叫ぶのが一通りの流れなのだが、あまりに何回もやり過ぎて、そのうち「あの子の自転車に触ったらアカンで」と先回りして大人に警告するオバさんまで出て来て、つまらなくなって止めてしまった。


うんうん、思い返せば私はやはり変わり者かもしれない。
そしてなんて傍迷惑な悪ガキであろう。ご近所の皆様、謝ります!
しかし大人になった今、あの頃の心境を言い訳すると、母が病気で祖父母の家に預けられ、誰かに構ってほしくて、けれども実際に構われるとどうしていいか分からない天邪鬼であったのだ。ちなみに近所中に釘を打って回ったのは、大工の祖父に憧れて真似をしてみたかったからだし、御経が好きだったのは、リズムや文句が子供心ながらにカッコイイと思ったからだし、変わった事をするにも、一応私なりの理由があるのである。

2014年

1月

19日

不思議な感覚

高校時代の恩師である天理高校柔道部元監督の加藤秀雄先生がお亡くなりになられてから早いもので1年が過ぎた。
いつもは厳しい加藤先生が、私達部員を大層褒めてくれ、そのうえポケットマネーで夕飯をご馳走して下さった事がある。
たしか昭和53年10月頃だったと思うが、近畿各種団体対抗柔道大会という大会が京都の武徳殿であった。その大会は強豪社会人実業団も参加している大会だったのだが、前評判を覆して我々高校生のチームが優勝することが出来た。
加藤先生はたいへん喜んで、寮への帰り道に、近鉄奈良線西大寺駅前の中華料理店に連れて行ってくれた。

その大会で私は、実業団の中でもトップクラスの選手で階級別では日本一も取られたMという大先輩の柔道家と対戦することになった。
実力の差は歴然で、会場中の誰もが当然のように私が負けるものと思っていた。
私自身も勝てる気がしなかった。
適切な表現が見つからないが、それは天理高校に来て初めて「負けても許される試合」であった。「絶対に勝たなければならない」というプレッシャーが無いために、私は初めて「勝ったら儲けもの」ぐらいのリラックスした状態で試合に挑むことが出来た。
この時、不思議な感覚を体験した。
自分の心臓の鼓動だけが聞こえていて、まわりの声が消え、試合をしているという意識さえない、試合中にまるで白昼夢を見ているような感覚になった。
もの凄く緊張した時も人はそのようになるが、そのような場合は体が固くなって動かなくなるのに対し、この時は体が軽やかに自然に動き、体が勝手に試合を続行しているような感覚があった。
その結果、自分でも驚いたことに皆の予想を覆し、私が大先輩に勝った。

 

この不思議な感覚を前記の食事の中の歓談で加藤先生にお話しすると、先生も同じような経験があるとおっしゃられ、その正体は「究極の集中であり、究極のリラックス」だと教えてくれた。
「プレッシャーや緊張が無かった為に、体の余分な力が抜けて動きがスムーズになれ、また脳や筋肉がリラックスしていた為に、日頃の反復練習で身体が覚えていた事を正確に出せたのだろう。また金メダリストや全日本選手権を優勝するクラスの選手になると緊張を強いられる場面でも、トレーニングにより脳や心をリラックスさせる事が出来る。そのため逆に高い集中力を持続する事が出来る」というような内容のお話を聞かせ頂いた。

 

その話を聞きながら、一番嫌いだった反復練習がいかに重要な事であったか、そしてやはり「技と体」だけではなく「心技体」が揃ってこそ最大限の力が発揮出来るのだと当時の私は理解した・・・かどうかは定かではないが、上機嫌の加藤先生や、部員たちの嬉しそうな顔、そして目の前に並べられた山盛りの唐揚げとラーメンが、高校時代の幸福な日の思い出として、印象深く私の心に残っている。

 

2014年

1月

12日

経営環境の変化に対応する

昨今の経営環境は消費税のアップに始まり、TPPへの参加交渉、アベノミクスの不透明さと話題だけの独り歩き、日本政府やアメリカ政府の財政破綻状態(借金まみれ)、またユーロ圏の不安定さ、アラブ諸国の革命や政情不安等を考慮しながら全体像を見渡してみると、その先に待ち受けるのは有史以来の未曾有の不景気か、またその先には第三次世界大戦ではなかろうか?
これまでも「激動の日本経済」であったが、グローバル化や様々な技術の進歩により、これから先の経営環境はもっと激しく変化して行くであろう。

 

ちょっと物騒な事を書いてしまったが、しかし私は悲観もしていないし恐れてもいない。
なぜなら、経営環境が変化するのならば、こちらもそれに合わせて変化すればいいからだ。
今売れている商品が3年後にもニーズがあるとは限らない、今のシステムが1年後にも最適とは限らない、今の技術が5年後にも通用するとは限らない、昨日までと同じ事を続けていても会社が存続出来るとは限らない。
そんな激動の世の中に対応するには、こちらも常にアップデートを繰り替えして最新鋭でいなくてはならない。
そのためには「たえず見直す」ことが必要だ。
ただ「たえず見直す」ことを常々行っていると組織自体の変化が多くなり、組織がどうしても不安定になりやすい。しかし不安定さは新鮮さと引き換えの功罪になるので、多少の部分は気にせず、それよりも時代の変化に適応することの方に重点を置くべきだ。

また世の中の変化に柔軟に対応するためには、単一事業より多角経営だと私は考えている。
経営環境の変動の早さを恐れて、保守的になっていては時代の流れに取り残され衰退してしまう。
従来の事業をアップデートしつつ、その一方で社会のニーズを読み取り、新たな事業分野へも進出することが、激動の今の時代に企業が勝ち残っていく手段ではないだろうか。

この激動の世の中で経営者が新事業への進出を決断したり、会社の改革を行ったり、進むべき道を見つけ出したりするのは大変苦しい事であるが、その点、私は恵まれている。
なぜなら私には「道しるべ」が居て下さるからである。
この30年間、私の師匠である東建コーポレーション㈱左右田社長の経営方針を手本にしてマネさせて頂いたり、また教えを頂いたりすることで、目まぐるしく変化する激動の経済情勢の中なんとか生き抜いて来られている。

 

「時代に取り残されている!」と気付いて困ってから改革しようとしても、すぐにはどうする事も出来ないし手遅れなのだ。

そのためには常日ごろから見直しをし、準備や体制を整えておく事が重要なのだ。

 

2014年

1月

03日

人材 人財 人在 人罪

新年、明けましておめでとうございます。

旧年中、公私ともに賜りました御厚情に深謝申し上げますと共に、本年も変わらぬご愛顧の程、重ねてお願い申し上げる次第であります。

 

さて企業運営の要諦は「人、金、モノ」と言われている。
「人」の字が最初にあるように、やはり「人」が企業の命運や永続性を左右する一番の大きな要素であることに間違いはない。そこで今年の初ブログということもあり、今回は企業運営の要諦の第一義である「人」に焦点をあてて考察してみたい。

 

先般、ビジネス雑誌に「人材 人財 人在 人罪」というものが載っていた。

うろ覚えだが書き記してみると
・人材・・・きちんと仕事が出来る人。これから成長する可能性のある人。
・人財・・・会社の宝のような人。自ら考え行動する人。周りを成長させてくれる人。
・人在・・・なんとなく仕事をしている人。成長意欲がない人。自ら動かない人。
・人罪・・・愚痴を言ったり、規則違反をしたり、周りに悪影響を与える人。会社の足を引っ張る人。

 

ここに一つ、私のオリジナルの「じんざい」を付け足すとしたら「人戝」だ。
辞書で調べると、「戝」は「賊」の異体字で音読みは「ゾク」で「盗むこと」と書いてある。
・人戝・・・上司の技術やノウハウを盗める人。
柔道の稽古の中ででも「教えてもらおうとするのではなくて、目で見て、自分の頭で考えて、技を盗め!」とよく叱られた。

 

以前にも書いたが私の信念は、「社長自ら先頭に立って仕事をさせて頂く!」である。
だから私の背中を見て、そこから色んなものを盗んでほしいと願っている。
しかし背中ばかりを見せられていては、意欲が下がってしまう時もあるだろう。
だから顔を突き合わせコミュニケーションをとり、信頼し、仕事を任せ、結果が出たらしっかり評価する事も平行して重要だと感じている。


最後に私が人材教育の規範としている格言を紹介する。

やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、 ほめてやらねば人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

上記の格言は、日本海軍 連合艦隊司令官 山本五十六元帥のお言葉である。
この言葉の中には人材教育のすべてが詰まっていると私は常々に考え、机の正面に貼り付けて、日々社員に接するときの規範としている。