2013年

11月

24日

同業他社

合気道の始祖で、植芝盛平翁という方がおられる。この方の本を学生時代に読んだことがある。
その中に、合気道の最大の奥義は「たとえ自分を殺しに来た人とでも友達になる事」と書いてあった。
柔道にも同じような意味の言葉がある。
講道館柔道の理念である「精力善用」「自他融和共栄」
これは、相手を敬い感謝をすることで信頼し合い、助け合う心を育み、自分だけでなく他人と共に世の中を繁栄させようという意味合いである。
私が初めて学んだ武道は少林寺拳法なのだが、その創設者である宗道臣翁の言葉にも同じようなものがあった。
「不殺活人」という言葉だ。
拳法は人を傷つけたりする為のものではなく、己の身を守り、他人を助けるため、そして社会に貢献するためのものであるという言葉だ。
柔道、合気道、少林寺拳法の理念に共通しているのは、競合相手を排除するのではなく受容し、共存し、共に栄えることによって、社会に貢献しなさいという事だ。

学生時代に柔道をしていた頃は、これらの言葉の意味は理解出来ても「ただの理想論だ」ぐらいにしか思えず、たいして深くも考えずにいた。
現役時代はとにかく「勝つ」ということしか念頭に無く、これらの言葉は自分自身にとって深い意味を持つものではなかった。
実際にこれらの言葉が、私にとって意味を持ち始めたのは、社会に出てからである。
ましてや身に染みて理解できたのは社会に出てから10年以上経って30代に入ってからである。

  

30数年に渡り、経営者として歩ませて頂いていると、何度も好況不況の波を経験することになる。
私が30代だった頃の日本は、バブル経済の崩壊に伴い、ほとんどの産業が不況の真っただ中だった。
当社も御多分に漏れずイーブンポイントぎりぎりで、毎年なんとか年度末を乗り越えている状態であった。
そんな折、誘われて嫌々ながら参加した異業種交流会の席で、私は「自他融和共栄」の意味を初めて本当に理解することになった。
中小規模の外食店のオーナー同士が、食材の「共同買い付け」をして、仕入れ値を下げているという話を聞いたのだ。
また中古車販売業者のオーナー同士がチラシや広告を共同で作り、お互いを販売促進しているという話も教えてもらった。
まさに「敵対した競争」ではなく「融和した共栄」である。
同業他社は「すべて敵」であり、「一生交わることもない」くらいにしか思っていなかった私にとってこの話は雷に打たれたような衝撃だった。
善は急げ!で思い立ったらすぐ行動するのが私である。
翌日には、敵対する同業他社のN専務に思い切って連絡をして訪ねて行った。
N専務の最初の一言は「よう敵のところに一人で来たな」だった。
先制パンチとも取れるお言葉を頂いたので、どうなる事かと思ったが(笑)、その後は敵?である私の話を真摯に聞いて頂け、受け入れて頂いた。
そして共同買い付けやパンフレットの共同制作を一緒にさせて頂けることになった。
それどころか、若手の私を「応援してやろう」と仕事も沢山回して頂いた。
20年以上経った現在も共同での買い付けやパンフレットの制作は続いていて、有難いことにスケールメリットを生かした生産が出来ている。

柔道の現役時代は理想論だと感じていた「自他融和共栄」という言葉だが、今の私にとっては身にしみる程、大きな意味を持つ言葉である。

 

2013年

11月

17日

清須会議

現在、三谷幸喜監督の映画「清須会議」が、巷で話題になっている。
何度も書いているが、私は子供のころから日本史、その中でも特に戦国時代が大好きだ。
それ故この作品は見逃せない!

 

ところで私が初めて歴史に触れたのは、たぶん小学1~2年生頃にNHKの人形劇で見た南総里美八犬伝だったと思う。子供の頭なので難しい部分は理解出来なかったが、ただ単純に八犬士を「カッコいい」と感じていた。
小学5年生の時、日本史の教科書に戦国武将が登場した以降は、私のヒーローは戦国武将達になった。
歴史に本格的に興味を持ち始めたのは、その頃からである。
高校生の頃には、柔道の試合の度に自分を戦国武将に置き換えて、気持ちを奮い立たせていた。(→コチラ
そして社会に出て独立してからは、歴史本をビジネス本として読むようになった。
リーダーの姿や組織作り、戦略や戦術、外交術、内政などは企業運営の参考になるものが実に多い。

 

さて清須会議に話題を戻そう。
これまでの日本史は全て「戦」の勝敗が歴史を動かしていた。
そんな中、初めて「会議」により歴史が動いた、それが「清須会議」である。
もちろんただ純粋に話し合いが行われた訳もなく、会議が始まるまでには「根回し」があり、智謀、策謀が渦巻いた激烈なる頭脳戦があった。
この会議での勝利を足掛かりに、秀吉は「天下統一」への道を切り開いて行くのだから、歴史好きの私としては、この会議がどのように描かれているのか楽しみで仕方ない。

 

ところで秀吉は「戦わずして勝つ」事が多かった。
有名なところでは高松城の水攻めや鳥取城の兵糧攻めなどがある。和睦で勝った戦も多かった。秀吉は、もともとお百姓の出身である為、あまり戦は好まなかったようだ。今でいうところの草食系男子であったのだろうか?(笑)
冗談はさておき、「戦に勝つよりも戦わずに勝つことの方が上策」という考えの武将だったのだろう。
どんな強い者も戦えば互いに消耗したり怪我したりする。無用な戦は避けたいものである。
ちなみに講道館柔道には「自他融和共栄」という理念がある。
これは「戦わずして勝つ」よりも、もう一段掘り下げたもので「勝つ」のが目的ではなく「共栄」が目的である。
次回は、この事について書こうと思う。

2013年

11月

10日

明けない夜は無い

「スランプ」 これは仕事においてもスポーツにおいても、ある一定の成長期間を経過すると、誰もが体験する避けられない事であろう。
私がスランプを初めて本格的に経験したのは、やはり柔道であった。

 

スランプには原因の解っているスランプと原因の解らないスランプとの2種類がある。
原因の解っているスランプは原因がはっきりしているのだから、まずその原因を取り除くことに全力を注げばいい。
たとえ、それが一朝一夕に解決できないようなことであっても、あまり人のアドバイスや周囲の目を気にせず、最初は自分なりの考え(信念)でやってみることである。
誰しも直感があるので案外それで解決することが多々ある。
自分の考え通りにやってみて、それでもスランプを抜け出せないのであれば、その方法は間違っているのだから、貰ったアドバイスを参考にやってみる。
この順序が私のやり方であり、まず最初に自分の信念を通してみないと気がすまない。
最後の責任は自分自身に有るのだから、まずは自分の考え通りにやってみたいのである。
その為、先生や先輩が私にアドバイスを与えても、私はいつも半分聞き流しているように見えたらしく「体を斜めにして人の話を聞くな!」とよく怒られた。
そこで「先生!誤解です!左側ばかり鍛えたので、体が自然と斜めになるんです!」と言い訳していたデタラメな私である。
誤解の無いように申し添えるが、先生や先輩からのアドバイスや叱責には、納得した時には丁寧に「ありがとうございます」と頭を下げた。

 

次に原因の解らないスランプについてであるが、原因が解らないだけすごく厄介である。
しかし人の一生には何度かの肉体的・精神的な変わり目があって、それを境にして上り調子になる時と下り坂になる時があるようだ。
言い方を変えれば肉体的・精神的な「調子」が狂ってしまう時であろうか?
そして肉体的・精神的な変わり目は、ほぼ本人には自覚がない。
一年二年……と相当長期にわたってスランプが続くことがある。
そういうときは、何とかしようとアレコレ手を出して動き回るよりは、じっくりと腰を据え、肉体的・精神的な調子が回復するのを待つ方が良いと思う。
ジタバタしないことである。

丸竹コーポレーションの前身、初代「立花屋」の立花きくえおばあちゃんが、「明けない夜は無いし、必ず春はくる」と、よく言っていた。
人生には四季があり春夏秋冬と移り変わりを繰り返す。
何もかも上手くいく時期もあれば、何をやっても裏目に出る時期も人生には必ずある。
手が、かじかむような真冬には、本当に春なんてやって来るのだろうか?と信じられなくなるが、それでもやっぱり時間が経てば、春はやって来るのである。

2013年

11月

03日

三代目という十字架

現在の丸竹コーポレーションは、父の会社である繊維関係の会社と、私が立ち上げた会社である不動産事業(当時)&土木資材の会社、これらを合併させたものである。
以前にも書いたように、父が高齢になった為、私の会社が父の会社の事業も引き継ぐことになった。
私からしてみれば「吸収合併」であり、また私の代で事業規模の躍進を見させてて頂きつつあるという自負があるのだが、よく事情を知らない世間一般の方から見れば、やはり私は「三代目」なのである。
「三代目は身上を潰す」などの諺があるように、三代目という響きには、苦労知らずで軽薄なイメージが付き纏う。
会社を大きくさせても、「先代の基礎があったから」で済まされる。
事業に失敗すれば「やっぱり三代目は・・・」と馬鹿にされる。
どちらに転んでも良い評価を受けることが出来ない歯がゆさもあれば、創業者に優るとも劣らない重責を感じるのである。
これは、まさに三代目という「十字架」である。
しかし継がずに、自分が立ち上げた会社の事業にのみ専念するという選択肢を選ぶことも出来たはずなのに、最終決断をしたのは自分自身である。
だから先代からの事業を引き継ぐ決心をした時、 初代、二代の「徳と信用」を預からせて頂きながら三代目という十字架を戒めとして背負い、死に物狂いになろうとも会社を守って行こうと心に決めた

 

ところで現在の中小企業を取り巻く経営環境は、グローバル化とも相まって、日々変化を続けている。
時代の変化が穏やかだった頃は、昨日と同じことを真面目に今日も明日もこなせば何とかなっただろうが、色んなものが急速に変化する今の時代は、同じことをずっと続けているだけでは時代から取り残される。
先行きがますます不透明になって来ている昨今、経営者は、自社が今の業種で10年後も存続しているだろうか?という危機感を常に持っておくべきだ。
当社の主力商品は毛布だが、遠くない未来には、毛布の代わりになるテクノロジーが発明され、世の中の人達は毛布を必要としなくなるかもしれない。
極端な話だが、ありえることだ。

世の中は移り行くものだと認識して、常に「時代の先を読む」ことが、今の経営者の責務であると肝に命じなければならない。
あぁ、恐ろしい時代である。