2013年

10月

27日

戦え!

久しぶりに柔道の夢を見た。
夢の中で、私は顔の分からぬ相手と試合をしていた。
この夢は、過去にもう何度も見ている。
けれども、ここ数年は見ることがなくなっていた夢を久しぶりにまた見た。
無我夢中で戦っている夢。

 

 

ところで書きながら一つ思い出した。
天理高校柔道部時代に恩師の松本薫先生(当時コーチ 5段、27歳)が、練習後の湯船の中で、こんな話をしてくれた。

 

「お前は闘争本能むき出しで練習や試合をしているが、あいつにだけは、あの学校にだけには負けたくない!と思っているうちは日本一には成れないぞ。」
「だれ某に勝つのを目標にするのでなく、自分自身と戦え!」
「例えばそれは、もうしんどいと思って諦める自分だったり、練習をサボってやろうと思う自分だったり、日本一になんて本当になれるのかな?と疑う自分だったり、そんな自分に勝て!」
「相手に試合で負けても、諦めない限りそれは本当の負けじゃなく、目標達成までの通過点だ。自分は出来ない・・・と自分で自分の可能性を諦めた時が本当の負けだ。」

最後に松本先生は、ちょっと照れ笑いしながら
「まぁ・・・この話は、俺がこの高校の生徒やった時、加藤秀雄先生がしてくれた話なんやけどな」と付け足した。

 

話はそれたが、柔道も経営も目標達成する為には、諦めず気が遠くなるまで繰り返すしかないのだ。

諦めないことは、自分自身との戦いだ。

 

今、事業部門の違う新しいプロジェクトを2つ立ち上げて、同時進行で軌道に乗せようと努めている。
それが今の大きな目標の一つでもある。
現在、自分自身の目標と戦っているから、久しぶりに試合の夢なんて見たのだろうか。
もしかしたら、いつも夢の中で戦っている相手は、自分自身なのかもしれない。

試合の夢なぞ見たからテンションが上がって来た。よし、今日も頑張ろう!

 

2013年

10月

20日

大阿闍梨 酒井雄哉(ゆうさい)師

先般、平成25年9月23日、天台宗総本山 比叡山延暦寺一山長寿院 大阿闍梨 酒井 雄哉(ゆうさい)師が享年87歳でご逝去されました。
比叡山に伝わる命がけの荒行「千日回峰行」を2度も満行された高名な大阿闍梨さまであるがゆえ、師の詳細は省かせて頂く。


さて、師とお会いさせて頂いたのは2回である。
1回目はお会いさせて頂いたというより、御見掛けしたという感じである。
22、3歳の頃(1983~4年ころ)だったと思う。
比叡山に参拝に立ち寄らせて頂いた折のこと。
突然まわりの人がざわめき立ち、道が開いた。
何かと思うと酒井雄哉師が、たまたまお通りになられたのである。
「生き仏さま」と手を合わせ拝む人もいて、漏れ聞こえて来た話でその方が「千日回峰行」の酒井大阿闍梨さまだと判った。
小柄で慈愛に満ちた優しそうな眼差しの中にも、当時、私のような若輩でも感じ取れるほどの凄いオーラ、そして何か底知れぬ深みを感じた。
そして何故かそのとき理由は解らないが、あらためて将来、この師とまたお会いさせて頂ける予感がした。

 

時は流れて約30年後、再びお会い出来る機会が巡って来た。
永正山 正通寺 16世 竹内彰典師が主宰をされている「無我の会」という異業種交流会がある。
私は、創設時より正会員として参加させて頂いているのだが、その総会において酒井大阿闍梨さまをお招きして講演を賜ることになったのである。
その事を知って以降は、総会の日を一日千秋の想いで待った。


 昨年であるが平成24年6月5日、その時は訪れた。当日、竹内師に願い出て、酒井大阿闍梨さまの控室にお伺いして御挨拶をさせて頂いた。
その際に少しばかりお話させて頂くことが出来た。

私が手を合わせると、数珠で頭を撫ぜて下さった。
30年前に予感した事が、現実となった瞬間だった。

 


「人は間違いを繰り返しながらも、諦めずコツコツと生きて行ったら、何とかなっちゃう!無理だと思うことも、やってみればできるものです。」


講演の中でお話されていたこの言葉は、光栄にも私の座右の銘である「諦めず気が遠くなるまで繰り返す」と共通するものがあり、強く印象に残っている。

最後にもう一つ、私が感銘を受けたお言葉を。


「一日を一生と考え、一日を中心にやっていくと、今日一日全力を尽くして明日を迎えようと思えるものです。」

 

今は只々、ご冥福をお祈りするばかりです。合掌

<中央>

天台宗総本山 

比叡山延暦寺一山長寿院 

大阿闍梨 酒井雄哉師

 

<右>

永正山 正通寺 16世 

竹内彰典師

 

<左>


2013年

10月

12日

歴史好きと自己暗示

私は子供の頃より歴史好きである。
こと日本史においては人から嫌がられるほどマニアックである。
今でも時間を見つけては、歴史本を読み漁っている。
歴史の研究は企業運営の戦略や企画を考える上において非常に有用なヒントが多く隠されている。


私が二十歳の頃の話しだが、私の師匠である東建コーポレーション㈱左右田鑑穂社長は新聞に「徳川家康」の研究を投稿されていたり、東海ラジオの「屋号あれこれ」という番組で屋号を鑑定する傍ら、歴史の検証や解説をしたりされていた。
ラジオ局の収録に何度かお供させて頂くうちに益々歴史に興味が湧いてきて、いつか私も本を書こう!と思っていたくらいである。

 

ところで人生には、勝負しなければいけない「ここぞ」という時があるが、そのような時には、私は自分を武将に置き換える。
私は見た目とは違い、意外と繊細な面もあるので(笑)、不安になったり考え過ぎたりしてしまうのだが、腹を決めて突き進まなければならない時には、「自分は戦国時代の武将だ!」と自己暗示を掛けることにより、肝が据わり一意専心出来るのである。
この方法は近年始めたわけではなく、子供の時分から、このような精神構造を持っていた為に、私の「自己暗示」は並外れて強烈で、思い出せばこんな事があった。

 

柔道の大会での事である。
私は完全に武将になりきっていた。
相手校の選手が明智光秀、亡き主君の織田信長が加藤秀雄先生。
私は主君のかたき討ちをして天下を取る羽柴秀吉。
試合が始まるとここが試合会場だという事も忘れ、柔道の試合をしているという事も忘れ、ただただ「主君の敵討ちー!!!」とばかりに攻めたその結果、柔道にはないような技を興奮のあまり使ってしまった。
審判の先生(伊藤剛先生 当時 大阪産業大学監督 当時6段)に「あまり無茶なことはしないように!」と注意をうけた。

それにより我に返り試合をなんとか続行出来たが、今のルールなら確実に反則負けである。

当時、その試合はテレビ朝日の中継があり、審判の先生に怒られる私の姿が全国放送されてしまった。
さらに試合後には、コーチの松本薫先生(当時5段)にも「お前の勝手やから誰の設定でも構わんけどアホな技をするな」と怒られた。
その印象がよほど強かったのか未だにOBの集まりでは、「お前は確か空手部やったよな?」とからかわれる始末である。

 

2013年

10月

04日

「怠慢」「誤算」「事故」

私は1度不安を感じると、もう何をしていても頭からずっと不安が離れず、不安で不安でたまらなくなる性質である。
不安が現実にならないように対策をして、初めてようやくホッと一息つける。
しかしそれでもまた別の不安が芽を出す。また対策をし、不安の芽を摘み取る。万全を期したと思っても、また新たな不安が目を出す・・・
私の会社経営の歴史は、不安との戦いと言っても過言ではない。

 

私は常々、経営者の頭の上には「怠慢」「誤算」「事故」という名前の3本の剣が、細い一本の糸で釣りさげられていると思っている。
そしてどれか1つでも重量が増せば細い糸は切れ、経営者にナイフが突き刺さる危険をはらんでいると思う。
「怠慢」は誰もが持っているだろうから、いかにそれを増長させないが大切であり、「誤算」と「事故」は、どんなに優れた人にでも発生する可能性があるわけだから、いかに被害を最小限に食い止められるか?が、その後の回復や発展へのカギとなる。
そこで、この3つに対する私なりのリスクマネージメントを書いてみる。

 

*まず怠慢である。
「怠け心」に打ち勝つための私の方法は、先日書いたガンジーの言葉を思い出すこと、そして柔道部時代の難行苦行の日々を思い出すことである。くたびれて怠けたい気持ちが湧いて来ても、「あの時よりマシ」と考えて乗り切るのである。

今になって思えば、柔道の修行では「人に勝つ」という事よりも、「怠けたい自分や諦めそうになる自分に勝つ事」を教えてもらった。

 

*次に誤算である。
誤算とは、誰の人生においても付き物である。おそらく誤算の無い人生なんて皆無であろう。

これは誤算した時のその後の対応が成否の分かれ目となる。
適応力を持って誤算に対応するには、初めから「誤算パターン」をいくつも想定し、その場合の対策も考えておくことである。

もちろん「最悪パターン」も想定する。そして「最悪パターン」が現実になった場合に、対応出来る余力もなく倒産の危機に陥るような案件ならば、初めから手を出さない方が良い。

また誤算が発生した場合は、「世間体」や「意地」に捕らわれず、中止する勇気も必要である。

 

*最後は事故である。
社用車での交通事故や労働災害や、果てはデーター消失などがあるが、これについては、運よく一度も起こらないかもしれないし、明日起こるかもしれない、神のみぞ知る分野である。
しかし経営者は、「これらは必ずいつか起こること」と前提にするべきである。
私は不安症であるから沢山の保険に入っている。実際それで大変助かったことがあるし、「備えあれば憂いなし」なのである。
私のように最悪を想定したリスクマネージメントは、時として単なる臆病と勘違されやすいが、私にとっては「転ばぬ先の杖」そのものである。


先月の話であるが、パソコンが壊れてデーターが飛んでしまった。
しかしその一日前に定期的なバックアップをしていたので、悲劇的なことが起こらずに済んだ。
私は、バックアップが消えてしまう事も考えて、記憶媒体の種類を変えてバックアップのバックアップもしている。
笑われるかもしれないが、杖は多い方が安心だ。

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