先日、お盆前に久しぶりに亡き母のお墓にお参りしました。
高校生の時に母を亡くして以来、大学や書生の為に泉南を離れていた時以外は、30年以上に渡り週一回のペースでお墓参りを続けていましたが、昨年8月に感染性心筋内膜炎で入院したことをキッカケに(現在は完治しております)、自分の健康を最優先にして、最近は月に1回程度に控え気味になっています。(関連ブログ:入院しておりました>>)
それまでは、ほとんど毎週のように墓地に通っていたので、同じように毎週通っている方々と顔なじみになり、墓参り仲間として親しくなったりしていました。
また、ポリッシャーを持ち込んで墓石を磨いていた時には「精が出ますね。ご一基おいくらですか?」と業者さんに間違えられて「えっ?!身内の墓です」と大笑いしたこともありました。
また、墓地の花屋さんとは顔見知り以上の長年のお付き合いになり、「もう年なので、近々花屋を廃業しようと思っているから、この店を買ってくれないか?」と声をかけてもらったこともありました。
では私がなぜそんなに頻繁に墓参りをしていたのかといいますと、まず亡き母に対する感謝の気持ちから。そして、墓前で手を合わせると、聞こえるはずもない亡き母の声が聞こえるような気がするからです。
もし母が生きていたら、こんな時、母は私にどんなアドバイスをくれるだろうか?と自問自答をするのです。
すると「俺はこう思っているけど、母ならこう言うかもしれない」などと、距離を持った目で自分を見ることが出来るのです。
複雑な感情に囚われた時も、母のフィルターを通して物事を解釈すると、さまざまな思いも後方に退き、心が落ち着きます。
私にとって墓前で手を合わせる時間は、内省の時間で、それにより自分で自分にブレーキを掛けたり、アクセルを踏めたり、心を整理したり出来るのです。
詳しいことは以前このブログで書きましたが、私が生まれて8か月の時に、母は腎臓結核にかかってしまいました。
最後は人工透析を繰り返しながら、私が高校生の時に亡くなってしまいました。
今振り返ってみると、亡き母の人生は闘病以外のすべてを私に捧げたと言っても過言ではありません。
私は亡き母との間にたくさんの思い出がありますが、特に印象が深いのは、病院から体調の良い時に一時退院して自宅に戻っている時は、いつも私と手をつないで寝てくれたことです。
私が寝ている間に母が再入院してしまったことがあり、それがトラウマで、私が寝ている間にまた母が居なくなってしまうのではないかと不安に駆られて、いつもなかなか眠れなかったのですが、母は手を繋いで一緒に居てくれることで私を安心させてくれました。
母の私への愛情は言葉では言い表せないほど深くて強かったと思います。
私は人との会話の中でよく亡き母の話をしますが、相手の方は悪気は無いと思いますが、「社長さんはもしかしたらマザコンかも?」「社長さんはマザコンですよね」とか、茶化されたり、からかわれたりすることがあります。
私は自分でもマザコンだと思いますし、それを否定しません。
人生は予測できないことばかりですから、今できることを頑張って、後悔しないように心がけ、ご縁あるすべての方々へ感謝して生きて、いつの日か再び母に会った時には
「いろいろあったけど良い人生だった。お母さん生んでくれて本当にありがとう」と言える自分でありたいと思います。
というわけで、61歳、本日ここに堂々とマザコンを宣言いたします。
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