2018年7月

2018年

7月

29日

やらずに後悔していること

「やってみたい」と思った事を、やろうと思えば出来る時に、やらずに(挑戦せずに)終わってしまい、同じ事をやって(挑戦して)成功した人を見ると、必ずと言ってよいほど後悔の念が沸く。

 

私が、やらずに後悔している事は「英語」である。

あれだけ時間があった学生時代に、何故マジメに勉強しなかったのだ!?と昔の自分を思い出して悔しい気持ちになる。

今ほど世の中がグローバルになるとは、あの当時は思わなかった。もっと正確に言うと、そういう事すら考えた事が無かった。

海外の会社と、商社を経由してお取引をすることもあるのだが、私が自在に英語を話せたら、もっと違うビジネスの仕方もあっただろうし、また海外の船会社から突然問い合わせの英文FAXが直接送られて来た時にも、あんなに大慌てにならずに済んだだろうになぁと思う。(結局、英語が出来て輸出入に堪能な行政書士の先生に、コンサルを通じて丸投げした)。

 

人間万事塞翁が馬」の回に紹介した、同じ高校の柔道部の先輩達が、フランスやスペインに、柔道の海外普及のために派遣され、その後そのまま移住され、今ではペラペラに外国語を操っている様子を以前拝見し、本当に眩しく、羨ましい限りであった。

同じく「生涯の縁」の回に紹介した柔道部の先輩も、それなりにそれなりの英語を操りながら、大学の国際交流センター長として柔道の国際大会等に派遣されたり、留学生のお世話等をされている事を知る度に、

「なんで、同じ寮の、同じ部屋で、同じ時間を過ごしたあの先輩が英語喋れて、俺が喋られへんねん!?」と、妬ましい思いである。笑

英会話教室にでも通って、その結果、センスも才能も無くて喋られなかった・・・という始末ならば、今のように悶々とした後悔ではなく、カラっとした諦めが手に入ったのになぁと思う。

学ぶチャンスを狙っているのだが、「D」を「デー」と発音してしまう私には、なかなかその一歩が踏み出せず、「そんな時間も無いし」と言い訳を自分にしてしまう。

 

「やらずに終わった後悔」と、「やって、失敗に終わって、する後悔」。

どちらが正解かなんて無いだろうが、やらなかったことへの後悔は、いつまでもずっと残るものだなぁ・・・。

 

2018年

7月

14日

売って反省 クレームに感謝

私は青春時代の大半を費やして柔道を学んだが、その中で「投げて反省 投げられて感謝」という言葉を聞いたことがあった。

以前、中学時代の親友であり、国士舘大学剣道部出身で現在は教員をしているN君から聞いた話だが、剣道にも「打って反省、打たれて感謝」という言葉があるらしい。N君曰く、「剣道が先に言った言葉だ!マネするな」との事であった。しかしながら、私もそのまま引き下がるのは悔しいので、「柔道の方が先だ!」と返し、その後は柔道と剣道どちらが強いかの言い合いに発展し、結果たいへん楽しい時間を過ごした。(笑)

ところで改めてこの言葉を簡単に解説すると、

「投げて反省」とは、たとえ勝者になっても、本当に正しく出来たのか、常に自己反省することである。

「投げられて感謝」というのは、自分自身の隙や弱点を教えてくれた相手に感謝することである。

それに加えて講道館柔道での感謝には、試合や練習の開始終了のみならず、道場の出入りや先生や全ての相手に対しても必ず「礼」を行うことも含まれる。また道場以外の状況下においても講道館柔道の精神(精力善用自他共栄)に則り、常に自分自身の行動を反省し、置かれている立場に関わらずに常に相手に敬意を払うなど、「謙虚でなければならない」と言う意味が込められているのである。

この姿勢は経営にも通じる。

そこで頭に浮かんだ言葉が、表題の「売って反省 クレームに感謝」である。

毎回そうだが新商品の発売を開始した時、私の心の大部分を占める感情は、「売りたい!売れて欲しい!」で、どうやったらHITするのか必死である。

しかし売れれば売れるほど、私の心の大部分を占める感情は反省・・・と言いたいところだが、本当のところは「不安」である。主力になっているこの商品が売れなくなったらどうしよう、万全の注意を払っているがミスは無かっただろうかと不安になる。しかし、この不安こそが、「他の主力製品を開発しよう」だったり「ミス防止の仕組み作りを再構築しよう」だったり、次に進展するための原動力になるのだろうと思う。

だから何度も言っているが、経営者は、どこまで行っても不安と共に生きるしかないのだと思う。

またクレームに関しては、それこそ感謝である。

不満に感じていても、それを企業に伝えるには、それなりの労力が必要で、何も言わずに離れて行くお客様の方が多いであろう。そのためクレームは氷山の一角で、一つのクレームの陰には、同じく不満を感じた人が何人もいるということである。

経営側が見逃していた問題点(改善点)を教えてくれる大変ありがたい人である。