2017年6月のページ
2017年
6月
30日
金
人智を超えたもの
先般、公益法人のAさんがご来社くださった。
業務に関するお話は10分程で終了し、その後2時間近く、超科学・超自然現象の話で盛り上がった。
通常は、先ず受付係が応接間にお通してお茶をお出しした後に、ご挨拶・名刺交換・本題へと行くわけであるが、Aさんは違った。
というのは、名刺交換が終わると同時に、応接間に飾ってある写真を見付けられて、
「あっ!阿闍梨!比叡山1,000日回峰行を2度に渡り達成された酒井雄哉大阿闍梨とお知り合いですか?」
と質問を投げかけてこられた。(関連記事:大阿闍梨 酒井雄哉師>>)
その眼差しが、場をつなぐ為の質問ではなく本当に興味津々のものだったので、私は同士を見つけたような気持ちになって、思わず膝を乗り出してしまった。
最初の10分間だけは業務に関する話をした。
この後、超科学・超自然現象について話が弾んだわけだが、その中でも、
酒井大阿闍梨の「堂入り」に関し、Aさんと最終的に共通認識に到達した事柄を書いてみたい。
堂入りとは、700日の山歩きを終えてから挑む死者も出るような難行で、山中のお堂に籠もり、9日間に渡り食事も水も絶って、また眠らず、横にもならず、一日3回御本尊様の前で火を焚きながら修法し、更に他の時間は、不動明王さまと蔵王権現さまのご真言を各10万遍、数珠と石を使って数えながら9日間唱え続けるというものである。
入堂前には阿闍梨は生きながらにして葬式を行ない、5日目からは一日1回のうがいが許されるが、空の茶碗にうがいで吐き出した水を入れ、それを測り、最初と同じ量の水が入っていないと、そこで行は失敗とみなされるらしい。
実は私は、この事実に不思議を禁じ得ず、医師に「こんな事が可能なのか?」と質問したことが過去にあった。Aさんも、私と同じく医師に尋ねたことがあるそうだが、どちらの医師の答えも次のようなものである。
「医学や科学的には、飲まず食わず眠らず横にならず、ましてや火の前では2~3日くらいが限界で、肉体的に不可能である。しかし、今の科学の力では解明出来ない不思議は沢山存在する。」という答えであった。
金縛りが解明されたのは20世紀中頃から後半にかけて少しずつである。それ以前は、金縛りは「科学では解明出来ない不思議」であった。
それと同じように、堂入りの不思議は、「今の、現在の、」科学では解明できないだけで、30年先の科学では証明出来るようになっているかもしれない。
科学史が学問として成立したのは、アメリカ合衆国で科学史専門論文誌ISISが発刊された1912年ごろがその成立と考えられているそうだ。
それからたった約100年間で世の中に存在する不思議全てを解明できるわけがないのは当然で、「科学で証明出来ないこと」イコール「真実ではない」と考える方がナンセンスであると私は思う。
UFO(未確認飛行物体)、心霊現象、UMA(未確認生物)、オーパーツ(場違いな出土品)等も今は単なるオカルト扱いであるが、その内に証明される日が来て、人類は畏敬の念を持って受け入れる事になるだろう
というのが、Aさんとの共通認識である。
私がこのような話を熱弁すればするほど、冷ややかな視線になる人が多い中、この日の談話は大変楽しいものとなった。
2017年
6月
24日
土
私の重いカバン(砲丸入り)
「最近、中学生のカバンが重たくなった!(平均約10㎏)」という話をテレビで観た。
2002年より始まった「ゆとり教育」の学習内容削減に伴う国際学力テストの順位低下やそれらに付随する諸々の弊害に気付いた政府が、2011年頃より今度はそれまでとは真逆の方針に転じ、学習内容を徐々に増加させたことにより、教科書が厚みを増し、副教材が増え、その結果、中学生のカバンが重くなったらしい。
あまりの重さに、一つのカバンに入れるのは無理で、手提げとリユックの2個に分けて通学するそうだ。
その番組を観ながら思い出したのは、私の中学時代の通学カバンのことである。
重くなったと言われている現代の中学生のカバン(平均約10㎏)の約2倍の22㎏ぐらいあったのではないかと思う。
私のカバンの中身を羅列すると、「カバン1㎏、柔道着2㎏、弁当1㎏×2食、水筒1㎏×2本、教科書&ノート3㎏、砲丸投げの玉5㎏×2、木製砲丸ケース1㎏×2=合計約22㎏」くらいだったと記憶している。
お分かりのようにカバンが重い原因は、木製のケースに入った砲丸投げの玉2つなのだが、私は約1年弱、毎日このカバンをぶら下げて通学した。
陸上部でもない私がなぜ砲丸をカバンに入れていたのか
この経緯を話すとこうである。
私が中学3年生の時、大阪中学生柔道大会で好成績をおさめたことを聞きつけて、ある日、母の従兄妹が砲丸投げの玉を2個持って訪ねて来てくれた。
母の従兄妹は学生時代、高校・大学と陸上部に入り、砲丸投げの選手として近畿ではかなり活躍した人物である。
母の従兄妹曰く、「人と同じ練習量ではダメだ!」「人より少しでも多く練習しろ」「通学時間中も練習できる」「俺は中学&高校の6年間、カバンに砲丸を入れて通っていた」「そして近畿でも好成績を上げた」と教えてくれ、彼が学生時代に使っていた砲丸を私に譲ってくれた。
何事もすぐにしないと我慢できない単純な性格の私は、「善は急げ!」と翌朝から、木製砲丸ケースに入った砲丸×2個をカバンに入れて通学を始めた。
当時、まだ体も出来ていない中学生だった私にとって22㎏のカバンはたいへん重い物であった。
歩き始めて最初はたぶん200m(もっと少ないかもしれない)も進むと左右の手を持ちかえないと痺れて握力が無くなってしまうほどであった。
しかし3か月くらい経つと通学距離(約2㎞)の半分くらいで1度、左右持ち替えるだけで学校に着けるようになった。
そして迎えた近畿中学生柔道大会では優勝は逃したものの好成績を修めることが出来た。
その後、中学のクラブ活動も引退し天理高校柔道部への進学も決まったが、中学卒業まではこのカバンを毎日持ち、引退後は放課後、泉南市柔道協会の道場へ通い続けた。
卒業間近には近隣(約2㎞)ではあったが、行きは右手、帰りは左手で、手を変えることなく持ち続けられるようになっていた。
最初はとんでもなくしんどいと思った事でも、次第に体力もつき、慣れてくるものである。
その頃に感じていたことは、
「これだけ鍛練したのだから天理高校柔道部に行っても、誰にも負けないかも!?もしかしたら入学と同時に俺が1番強いかも!?」
という、ニヒヒとした自負であったが、入学後すぐさま、その思いは木端微塵に打ち砕かれたのであった。
その後のことは「私の大きな勘違い>>」にて記載。
2017年
6月
17日
土
失敗の連続
当社は一昨年の11月から、サービス付き高齢者向け住宅「フラワーホーム>>」を開設させて頂いているが、かなり特色のあるサ高住になっている。
業界初の異色な取り組みの1つとして、入居者様アルバイト制度がある。
少し説明すると、無理のない範囲で元気な日限定で、週2回2時間ほど、希望される入居者様をアルバイトとして雇用しようというものである。仕事の内容は、当施設の植物の水遣りや手入れ・共用部分の清掃の補助などである。(取り組みの目的や詳細などは、紙面の都合上こちらをご覧ください>>)
そのほか、他の施設にない特色としては、「電子タバコを居室で吸える」というものがある。(詳しくはこちら>>)
泉南市グラウンド協会と年に2回開催しているグラウンドゴルフの大会(詳しくはこちら>>)なども、サ高住が行うのは珍しいと思う。
また、同一の建物内にクリニックが併設しているサ高住も数は少ないのではないだろうか。
長年の友人に「なぜ?おまえの会社はどの部門も、よそと違う事ばかりするの?」と不思議そうに尋ねられたことがあるが、その言葉通り、製造部門の事業についても、いくつか、当社が業界で最初に始めたものがある。
例えば近年では、それまでは官公庁向けに販売するだけだった災害用備蓄毛布を、災害が発生して使用された後や保存期限が切れた後に、自社でクリーニングしてから再び真空パックし返却するシステム、
またはペットボトル(PET再生糸)から業務用ポリエステル毛布を製造、
他には10年間の長期保存を可能にした災害備蓄用の生理用品や紙おむつの販売など、当社が先駆けて行った。
誰もやっていないことに自分(自社)が挑戦するのには、やはり度胸も根気もいる。失敗するか、成功するのか分からない。法や条例・JIS規格に違反していないか調べたり、まさに手探り状態からのスタートである。
しかし私は、当社は、失敗を恐れず挑戦していく企業でありたいと常日頃から考えている。
電気メーカーが次々と新しい家電を開発して、人々の暮らしが便利になったように、
また自動車メーカーが環境に優しいECO車や自動停止ブレーキの車を開発して、地球や人に優しい車社会に一歩近づいたように、
現状で良しとせず、少しでも現状より世の中が良いもの(便利・進化・役立つ・環境に優しい・人に優しい・楽しい)となるように挑戦して行くのが企業の務めであると考えている。
今述べた電気メーカーや自動車メーカーと比べると本当に小さな小さな一歩だが、前出の当社の取り組み(挑戦)は全て、「便利・進化・役立つ・環境に優しい・人に優しい・楽しい」が基盤になっている。
私が10代の頃より師と仰ぐ東建コーポレーション㈱ 左右田鑑穂社長は、起業された時から現在に至るまで、次々と独自の新しい発想を形にされ、建設業界のパイオニアとなられた。
しかし、ただ斬新な発想というだけではない。
師が度々おっしゃられることだが
「時代の波に先駆けて社会に奉仕することが出来みんなに喜ばれる未だかつてだれも聞いたことのないビジネスの発想」である。
その発想が無ければ企業の成長は無いとご教示頂いた。
左右田社長は、少しでも現状より世の中が良いものとなる「何か」を発想し、その発想を形にする為に挑戦してこられた、その積み重ねがあるからこそ、ツルハシ1本から始められた小さな会社を、今のような大企業にまで成長させることが出来たのだと思う。
私は約40年間に渡り、「たとえ少しでも左右田社長の経営者としての有り様に近付いていこう」と日々心掛けながら精進を重ねて来たが、やはり左右田社長のような天才的な経営者とは違い、私は失敗の連続である。
一例をあげれば、「抗菌・防臭」をはるかに上回る「制菌・消臭」の毛布があれば喜ばれるにちがいないと、病院向けに制菌・消臭毛布を開発したり、「難燃」(燃えにくい)をはるかに通り越した「不燃」(燃えない)毛布を開発したりしたが、どちらもコストが高くなってしまい、めったに売れない商品になってしまった・・・
新しいものを作るということにあぐらをかき、コスト計算を甘く見た結果である。
たとえば私の場合、100の発想を形にしたとして、「完全に成功した!」と言える例は5つぐらいであろうか?しかし、そのほとんどが失敗例であっても、一定の期間を経て成功に結び付いたことも多々ある。それらを入れると「まぁまぁの成功」と言える例は100分の20~30くらいだろうか!?
私の経験値から言わせてもらうと、「事前リサーチを重ねた上」で、「自社の身の丈を超えない金額での投資や計画」ならば、2~3割の成功率が有れば、何とか経営は成り立つものである。(関連記事:臨機応変か朝令暮改か>>)
失敗を恐れず、良いと思うことは全てやってみよう!(身の丈を超えない範囲で!)
が、当社の社風である。