2017年4月のページ

2017年

4月

26日

片田舎の経営者が世界情勢について考える

いま新聞・テレビを始めとし、マスコミが朝鮮半島をめぐる緊迫した情勢を連日伝えている。

そこで本日は、第3次世界大戦も起こりかねないと言われ始めている情勢を、私の若干得意とする歴史の知識から、稚拙ではあるが紐解いてみたい。

 

いま金正恩を取り巻く情勢と、過去ヒトラーを散り巻いていた情勢は、似ているところがあると感じる。

それを説明するにはまず、第2次世界大戦について綴ってみたい。

私が学生時代に学んだ世界史の教科書では、ドイツのヒトラーの膨張主義と反ユダヤ主義が原因で、ヨーロッパから世界を巻き込んだ第2次世界大戦は始まったと書かれていた。もちろんヒトラーが危険な主義や発想を持った人物であることに間違いはないだろうが、もう1段掘り下げて考察してみると「ではなぜ?」この主義や発想が生まれて第2次世界大戦の開戦に結びついていったのかが見えて来る。

それは以前読んだ歴史書に書かれていたことだが、第1次世界大戦の責任をすべてドイツに負わせて莫大な賠償責任を課したベルサイユ条約が、ドイツ国民を徹底的に疲弊させ、その疲弊が国民に、ヒトラーの思想は危険だと気づきながらも付いて行かざるを得なくさせた。そして国のすべてを巻き込んだ膨張主義へと突き進み、第2次世界大戦の開戦へと結びついていったと書かれていた。

ここでヒトラーを金正恩に置き換えて今の情勢を考察すると、似ているところがあると感じる。

戦争の大義は双方にあり立場が変われば戦争の評価も変わるので、大義の善悪については横に置いておくとして、過去の朝鮮半島をめぐる対立の歴史を考えてみると、日清戦争は日本と中国による朝鮮半島の取り合いだし、日露戦争だって日本とロシアによる朝鮮半島の取り合いである。そして今なお朝鮮戦争は休戦しているだけで終戦はしていない。

他国の思惑によって振り回され、その結果 国が疲弊し、疲弊から脱却しようとして自分の国家と軍隊の優秀性を国民に信じ込ませ、軍隊によって解決を見いだそうとしたヒトラーが、私には金正恩と重なって見えるのである。

 

しかし戦争の一番の犠牲者になるのは、いつの時代だって一般人なのである。

武力を行使し、互いが傷付け合い殺し合う戦争は絶対にいけない。

日本には「おたがいさま」という言葉がある。

文化も価値観も何もかもが違う者同士が分かり合うのは難しいことだと思うが、各国が「おたがいさま」や「共存共栄」の精神で寛容さを持ち、譲り合えるところは譲り合い、武力ではなく話し合いで解決を図れないだろうか。

綺麗ごとだと言われるかもしれないが、私は心からそれを願っている。

 

2017年

4月

20日

知恵をしぼる

こんな出来事があった。

確か私が小学5、6年生の夏のある日の夕方、母の入院するN病院にお見舞いに行った時の事である。

母の病室のベッドのそばにゴキブリが現れた。

気の強い母であったが虫類にはめっぽう弱く、姿を見た瞬間に悲鳴を上げた。

私は即座に雑誌で叩きのめして退治したが、病室の隅々を見回すと、あちらこちらに小さなゴキブリがいた。

看護師さんに言いに行くと「明日、掃除のおばちゃんが来たら言っとくわ」と、にべもない返事である。

子供心にも怖がる母を思うと、このまま事を放置してはおけないと思った。同時に私は病気の母の「一大事」だと思った。

そこで私は殺虫剤を撒くかバルサンを焚こうかと考えた。

当時、私たち家族は、木造の古い長屋の賃貸住宅に住んでいたので虫の発生が多く、年に数回はバルサンを焚いていた。そのため子供ながらにも使用方法は熟知していたのである。

しかし当時は今のように遅くまで開いているドラッグストアは無く、時間も夕方と遅かったこともあって、今から薬局を探して物を手に入れるのは難しいと思った。

しかしゴキブリに悲鳴を上げた母をそのまま置いて帰るのは忍びない。

なんとかしようと私は知恵を絞った。

考え出したのが、燻煙材を手作りすることであった。

 

まず、病院のお風呂場に行ってアルミ製の風呂桶を手に入れた。そして病院の裏庭に行ってヨモギの葉を風呂桶にたくさん集めた。(ヨモギが虫除けになるのは、祖父の戦時中の話から知っていた。)

病室に戻る途中にあったゴミ箱から覗くミカンの皮もついでに手に入れた。(煙を上げても良い匂いがするかな?と考えた私のアレンジである。)

それらと割り箸や雑誌を細かく引き裂いた物を混ぜ合わせ、新聞で包んだ。

空気が入りよく燃えるように風呂桶に割り箸を敷いて、その上に新聞紙で包んだ自家製燻煙材をセットした。

適当に理由をつけて母を廊下に出した後、自家製燻煙材にマッチで点火したのち、更によく燃えるように残りのマッチも散らばせて一緒に全部入れたのである。(焚火の仕方も、祖父に空き地で何度も焼き芋を焼いてもらったので知っていた。)

何分ぐらいの時間を空けたかはもう忘れてしまったが、結果、母の病室からゴキブリは1匹もいなくなった。

 

今考えると、叫びたいぐらい大迷惑な悪ガキである。

しかしその当時は、なんとしてでも母の病室からゴキブリを駆除したい一心だったのである。

(N病院の皆さま、非常識なことをしまして、今更ながらお詫びいたします。)

 

「知恵をしぼる」で、もう一つ。

私の母方の祖父は若い時から大変なコーヒー好きであった。

祖父は従軍中、戦地でも知恵をしぼってコーヒーを自作し飲んでいたそうだ。

祖父は昭和12年の日華事変(支那事変)から従軍し第二次世界大戦へと続き、昭和20年の終戦まで中国大陸や南方の戦線をあちこち渡り歩いたらしい。

南方のジャングルでは天然のコーヒー豆の木がいくらでも自生していたそうだ。その木から生豆を取り、食料の缶詰の空き缶を使って焚火を利用し焙煎した後に豆を石で潰して、それにお湯を入れて上澄みを飲んでいたのだと教えてくれた。

 

今回は「無いと諦める前に知恵をしぼろう」という事をテーマに書きたかったのだが、それ以前に「非常識過ぎる!」と怒られそうな内容になってしまった。

 

2017年

4月

09日

人生あっという間

つい先日、桜が散るのを惜しんだような気がするのに、いつの間にか、また桜の季節がやって来ていた。

50代になって、ますます時間の流れが速く感じる。

以前読んだある月刊誌の中に書かれていた、フランスの心理学者ジャネーの法則を思い出した。

その説によると「時間経過の心理的感覚は加齢に伴い、その年齢に反比例して短くなっていく」といったことが書かれてあった。

例えば40歳になると10歳の時に比べて4倍、また50歳になると10歳の時に比べて5倍も時間の流れを早く感じるらしい。

今年の誕生日で私は56歳になる。

10歳の時の1年間は、56歳の私にとっては2か月半に感じ、60歳になると2か月に感じ、70歳になると1か月と3週程度に感じ、80歳になると1か月と2週程度に感じるらしい。

そう考えると、「人生あっという間」と皆が口々に言うのも分かる気がする。

日本の男性の平均寿命である80歳まで生きると考えて、私に残された時間は24年。

数字だけ見れば、そんなに短くも感じないが、ジャネーの法則に当てはめて、10歳の心理的感覚で計算すれば『5年弱』が私に残された時間である。

ドキリとするぐらい短い。

過去に戻って、無駄に過ごした時間を取り戻したい気持ちである。

と言っても、光陰矢のごとしで、過ぎ去った月日は決して戻ってこない。

これまで良い事も、悪い事も、一生懸命にやった事も、無駄に時間を過ごした事も、数多くあり、その積み重ねの上に現在の私がいるのだが、過ぎてしまえば何もかも一瞬の出来事だったように思う。

この50代もきっと、あっと言う間に過ぎてしまうのだろう。

60代70代になって、今のこの50代の時間の過ごし方を間違えた!無駄にした!と後悔しないように、「今日という一日は、 明日という日の二日分の値打ちがある」と思いながら何事においても精一杯やっていこう思った次第である。

精一杯やった先の未来と、無駄に過ごした先の未来が同じはずがないのだから。

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