「チップ」と「心付け」

先般、新聞で気になるこんな記事があった。

欧米の中でも特にチップ大国であるアメリカの話である。

サービス業等の基本的な給与形態において、貰えると予測されるチップ分をあらかじめ想定して、その分の金額を差し引くことで給料を安くしていることへの是非を問う議論が昨今、行われ始めたという内容の記事であった。

給料をアップし、実際にチップがなくなり始めているところもあるというようなことも書かれてあった。

しかしながら今のところアメリカではサービス業、特にホテル関連のドアマン・ボーイ、ウエター・ウエートレス、ルームキーパー、タクシードライバーなどチップを受け取ることのできる職業は、あらかじめ給料が安く抑えられているのが通常であるらしい。

 

高額のチップを払いそうな客と、チップの少なそうな客では、おのずと担当者のモチベーションは著しい上下の変化を伴い、安定した顧客サービスは期待できなくなるのではないだろうか?そうすると満足した客がいる一方、不満を持つ客も増えるわけで、客は無限にいるわけじゃないから、その結果、来店するお客さんも徐々に減って経営が成り立たなくなっていくのではないだろうか?などと、日本人の経営者の私は思ってしまう。

また労働者側にとっても、これほど不安定な要素を含む給与形態では、生活も気持ちも安定せず不安であろう。

いまさらに議論が遅すぎたのではないか?と、違和感を禁じずにはおれなかった。

 

ところで「所が変われば文化も変わる」であるが、日本には「心付け」というものがある。

報酬としてシステムに組み込まれているチップと違い、心付けは「感謝」や「お世話になります」という気持ちを表現するものである。

 

私は仕事柄、出張や旅行、外食が多いほうである。ゆえにサービス業の方々と接する機会も多い方であろう。そんな中で、素晴らしさを感じる瞬間がある。

そんな時、私は幾ばくかではあるが「心付け」を渡させて頂くようにしている。

去年、出張先の都内で食事をした時、素晴らしい店員さんと出会う機会があったので、その事を書きたい。

その店員さんは、とにかく気持ちが良い接客をするのである。

細かいことを上げるときりがないが、客が求めている物事を察知する能力が高く、例えば手に醤油が飛べばサッとオシボリを渡してくてたり、追加の注文をしたいが忙しそうなので店員さんを呼ぶのを躊躇ってると、それを察して、用がないかすぐさま自分から聞きに来てくれたりと、そんな風なのである。

ただ料理を提供するのが店員の仕事ではなく、お客様達が快適に過ごせるようにサービスを提供するのが店員の仕事なのです・・というような想いが伝わって来るような接客態度であった。

声のトーンや話し方、笑顔、声かけのタイミングなども、単に「労働」ではなく「情熱を持って働いている」ように見えた。

私は思わず、「オーナーの息子さんですか?」と聞いてしまったが、答えはアルバイトで2年の男子高校生であった。

私は思わず自身の名刺と心付けを包んで手渡した。そして勤務態度に感激した事と感謝の気持ちを伝えた。また大学卒業後に就職を考えるときは、ぜひ当社を訪ねてみてくれないか?と声をかけておいた。

どんな内容の仕事であっても、自分の仕事に情熱を持って一生懸命に働く人間は社会的価値があり、そのような人物は最高の人材である。