ー2018年ー

2018年

6月

05日

「一生恨んで、大人になったら必ず仕返しするからね」

昔、こんな事があった。

ふと思い出したので綴ってみたい。

 

これまでに何度も書いて来たが、私の亡き母は病弱で、入院することも多く、退院して来ても寝付いていることが多かった。

そんな母を、父の姉は事あるごとに責めた。

小言が始まるのは、きまって父が不在の時。小言の内容は病気のことで、母にとってはどうする事も出来ない不条理な非難であった。

寝付くことが多い病弱な嫁に、夫の身内がキツク当たるのは、当時の時代的背景と環境を考えれば、よくある事で、母は父に愚痴一つこぼさず我慢を重ねていた。

父の姉も、悪気のない素振りで叱責を当たり前の事のような態度でいたが、母は辛い思いをして落ち込み、いつも苦しんでいた。

幼い私に対して母は、そんな姿をあまり見せないようにはしてくれていたが、たまたま見ていた私もすこぶる心が痛く、何度も酷く傷ついた。

今でも当時の母の気持ちを考えると、毎回、涙が出て震えが止まらなくなり、悔しかった想いが蘇る。

あまり弱音を吐かない母であるが、ある日、

「あの人と私は、人としてどれほど違うのだろう?」

「あの人は私よりどれだけ偉いのだろう?」

「私は、なりたくて、こんな病気になったのではない!」

と私に小声で漏らしたことがあった。

この瞬間の事は心に焼き付き、まるで映画のように鮮明に思い出すことが出来る。

あの時、私は、

「叔母さんを一生恨んで、大人になったら必ず仕返しするからね」

と母を慰める気持ちで言った。

すると母は、

「人を恨む事は絶対してはいけない。仕返しは必ずまた自分にいずれ返ってくる。それなら人を恨むんじゃなくて、人が羨む男になりなさい」

と教えてくれた。

母が亡くなって何年経っても、私の悔しい気持ちは消えず、父の姉が憎らしかった。腹が立っていた。しかし最後のところで、私は母の言い付け通り、父の姉を恨む事はしなかった。

父の姉が住むところに困った時には、振り子のごとく「憎らしい気持ち」と「許そう」という気持ちの間を行き来したが、結局、私が所有する空き家を提供した。

父の姉は、亡くなる寸前に病院に入るまで、その家で暮らした。

父の姉は鬼籍に入ったが、(他にする人がいない為)私が約20年間、父の姉の墓掃除と墓守をしている。

渋々ながらも許して手を差し伸べたことで、激しい怒りは少しずつ昇華され、凪いだ心を取り戻した気がする。

この世では、父の姉の前で小さくなっていた母が、今頃あの世では、大きな顔をしてくれていることだろうと願う。

当社シニア事業部が運営するサービス付き高齢者向け住宅フラワーホームが、

住宅新報様の2018年5月22日号に掲載されました。

 

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2018年

5月

23日

雨の日も心の持ち方次第

先月、当社のシニア事業部が運営するフラワーホーム(サ髙住)にて、花壇の花の植え替えを行った。定期的に春と秋の年2回、植え替えを行っているが、今回は芝生や植栽のリニューアルも含めて、それなりに大規模に行った。

植替えの翌日は雨で、その後も連続3回に渡り2日おきに降雨に恵まれたお陰で花の根が土にうまく定着してくれ、当初は元気の無かった花も活き活きとした姿を見せてくれたのである。

お手伝いいただきましたご入居者様に深謝申し上げます。また施設職員及び本社から応援に出向いたスタッフの皆さん、たいへんご苦労様でした。

 

さて本社では半数以上の従業員が、徒歩や自転車、バイクや電車通勤等の「自動車通勤以外」である。その従業員たちは雨降りの度に異口同音、「雨ふりの日は嫌やなぁ!鬱陶しいなぁ!車の人は良いよなぁ!」と、この言葉を朝のあいさつ代わりに出勤してくるのである。

もちろん体は濡れるし、気温も急に下がり寒いし、私ぐらいの年齢になると気圧の変化が体調に影響を及ぼして、低気圧が近づくとたちまちに体の深部が変調をきたす為、私も皆と同じように「雨ふりの日は嫌やなぁ」と愚痴を零してしまうのである。

個人にとっては「嫌な雨」でも、草木や花々や農作物にとっては「恵の雨」であろう。人間の暮らしにとっても雨が必要不可欠なことも、誰もが理解している。でもやっぱり雨の日になるとそういう理屈は頭の奥に引っ込み、「雨の日は嫌い・・!鬱陶しい・・!」という感情を言葉にして発してしまうのである。

そこで私は、冒頭に書いた連続3回の降雨の日以降より雨の日は、いつもの朝の従業員との挨拶を「おはよう!今日も一日、無事故で!」から「おはよう!今日は花も喜んでいるわ!」に変えた。

 

何事も前向きな受け止め方をし、プラスの言葉にすれば、自分自身の元気がみなぎってくるばかりではなく、その言葉を聞いた周りの人まで明るくなってくるのではないだろうか。

要は心の持ち方次第で、同じ現象がプラスに感じたりマイナスに感じたり変化するのである。それならば、プラスに捉えた方が良いに決まっている。

ちなみに私は「大切な物が壊れた!縁起が悪い!」などと誰かが言っているのを聞いた時は、「本来なら自分が事故に遭うはずだったのを、その大切な物が身代わりになってくれたんや!縁起が良い!」と言うようにしている。

 

余談だが先日の雨の日、若手の従業員に「おはよう!今日は花も喜んでいるわ!」と言うと、「社長!なんで今日は嬉しいのですか?雨が好きなのですか?」と聞いて来た。

私の苗字が立花であるが故に、「花も喜んでいるわ!」をどうも「立花も喜んでいるわ!」と聞き間違えたようだ。

雨降りだったが、職場が陽気な大爆笑に包まれた次第である。

植替えの様子
植替えの様子

2018年

5月

13日

外見で人を判断

ビジネスで着用するスーツや制服は、戦国時代に置き換えると鎧と同じで、また髪型も兜と同じあると思う。

「人は見た目ではなく中身」だと言われているが、プライベートにおいてはそうかもしれないが、ことビジネスシーンにおいては違う。

以前に何かの調査結果で見たことがあるが、ビジネスシーンでの初対面の場合だと、ほぼ100%(プライベートでも80%以上)の人が「外見」でその人を判断すると言われている。

という事は、社会人は「自分が人からどう見えているのか」を意識する必要がある。

自分が楽な恰好や、自分が好きな恰好を優先してしまうと、だらしない人、変わった人などと思われて、ビジネスチャンスを逃してしまうことにもなるだろう。

 

先日、新大阪駅のエスカレーターで、私の前にいた年配のサラリーマンが若手の後輩サラリーマンを叱責するのを見た。

「なんでお前リュックやねん!そんなの絶対アカンやろ」

言葉につられて視線を向けると、若手の方が確かにビジネスリュックを背負っている。

私はビジネスリュックが流行っていることや、もはや常識になりつつある事は知っていたので、(この年配のサラリーマンは、そういう事を知らないのかなぁ?時代遅れやなぁ)と一瞬思いかけた。しかし、この二人が新幹線に乗って今から商談に行く相手が、もしそういう流行りを知らない年配の人だったり、畏まった席だったりしたら、リュックはカジュアルでくだけたな印象を与えるから、やはり都合が悪い。

TPOに合った身だしなみが出来ていなければ、マイナス評価からスタートの商談となる。

そう考えれば、この年配のサラリーマンが腹を立てる気持ちも分かるのだった。

最近はクールビズとエコブームの関係からノーネクタイでもかまわない風潮になってきて、私もノーネクタイにする事が多かった。しかしネクタイをするのが常識であった高齢者の世代の方は、その風潮や流行りを「現代の常識」とは取ってくれないかもしれない・・・という懸念がなんとなく私の中であった。そういう事を懸念するぐらいなら最初からネクタイをしておこうと思い最近は、特にシニア事業関連でスーツを着る時は、ネクタイを着用するようにした。

 

身だしなみについて綴っている私も、実は15年ほど前までは「人からどう見えるか」よりも「自分がしたい恰好」を優先させていて、服装も派手好きで髪型もパーマを掛けたりしていた。ハッキリ言って、かなり印象の悪い人間だったと思う。笑

「第一印象が悪くても私という人間を知ってもらったら、見た目と違って真面目に仕事する人だと分かってもらえる、なんならギャップで、かえって好印象なんちゃう!?」と思っていた時もあった。

確かにそういう変わった人間を面白がり、可愛がって仕事をくれる業界の先輩方もいたが、そういう方達のパーセンテージは多くない。気が付けば、売り上げが頭打ちし伸び悩むようになっていた。

その頃、私は気持ちの変化もあり、髪型や服装をいわゆる一般的なものに変えた。もちろん身だしなみだけではなく、経営者意識の覚醒>>の影響もあったと思うが、それまでは相手にしてくれなかった企業が私の話を聞いてくれるようになり、色々な企業から仕事の声を掛けていただけるようになった。

もし私が金髪やモヒカンの経営者だったならば、どんなに真面目に仕事をしていても、今の半分もお取引先様やお客様はいなかっただろうと思う。笑

なぜなら身だしなみや服装・髪型には、その人物の思考や生活習慣や価値観の一端が現れる。

変わった格好をしている人は、やっぱり中身も変わっているし、だらしない恰好をしている人は、やっぱり中身もだらしない。

 

ところで私は約15年ぶりに髪型を変えた。今の髪型はヒチサンである。

 

2018年

4月

30日

苦労と葛藤を一番したのは誰?

ここ20数年、低迷していた我が母校の奈良県天理高校柔道部が最近、復活の兆しを見せて栄光を取り戻しつつある。日本武道館にて毎年開催されている春の全国高等学校柔道選手権大会で、本年度は決勝戦まで進出し、結果は大将戦で国士舘高校に惜敗、準優勝ではあったが、春の高校柔道選手権史上に残るであろう名勝負を展開してくれたのである。

 

私は仕事の都合で日本武道館へ応援に駆け付ける事が出来なかったが、当日は「プチOB会」も兼ねて、会場に行けなかった地元泉州の近隣OBが私を含めて7名T先輩宅に集まった。テレビ放送を見ながら一喜一憂し、技の名前や蘊蓄を叫び合い、またテレビの中の選手たちが仕掛ける技に合わせて、私たちも着ている服が破れんばかりに同じ技をT先輩宅の居間で掛け合った。

テレビ放送が表彰式に差し掛かる頃には、オッサンOB一同は疲れ果て、ガソリンを補給するべく予約していた岸和田の小料理屋のお座敷に繰り出した。

遅くまで年甲斐もなく、若干の記憶も喪失しかけるほど飲んだが、さすがにここでは技は掛け合わなかった。(笑)

後輩たちが「天理柔道部復活」の兆しを見せてくれたおかげで、OB諸氏とも久しぶりに会えて、楽しく酒を酌み交わす事が出来た。

 

皆が集まると、会話はやはり学生時代の練習や寮生活の中での「苦労と葛藤」の想い出話となるのだが、そんな中でも今回は、「各学年で苦労と葛藤を一番した者は誰だろうか?」という話題に移行して行った。

私は即座に「選手・補欠メンバー入りせずに3年間を終えた生徒達」と答えた。すると集まっていた皆が言い方こそ違うが同じ趣旨のこと言い合った。

目標を全国優勝に置いている部であるから、言うまでもなく練習は大層厳しい。その練習を選手や補欠だけではなく、補欠入りしていない生徒も行う。

試合に出られるのはたった5人であるが、柔道というものは、この5人だけで練習をしていても強くなれない。

補欠入りを目指して大勢の部員が頑張れば、補欠はその座を奪われないようにそして選手入り出来るように更に努力する。選手も同じく補欠にその座を奪われないように一層努力する。

このように決して選手だけでは強くなれず、部全体の中での攻防から強くなっていくのである。言い換えれば選手の強さは補欠や補欠以外の者の強さも混在した上での強さである。

皆、一つでも上に登れるように頑張る。しかし次第に薄々と自分の実力が分かるようになり、3年生になる頃にはハッキリと自分の実力を知るだろう。

選手や補欠が頑張るのは当然として、補欠入り出来なかった部員たちが脱落せず選手と同じだけ頑張れるのは、一つでも上に登る!という向上心を最後まで持ち続けているからだろう。そして例え自分が試合に出られなくとも自分が所属する部や仲間が日本一になって欲しいと願う気持ちがあるからだろうと思う。

しかし、その心境に至るまでには苦労も葛藤も多かったはずである。不条理を感じることも多かったであろう。

けれども最後まで諦めず辛抱強く努力し続けた経験、自分の損得よりも全体の利益を優先した経験は、無自覚のうちにも人格形成に影響し、その後の人生にもプラスに作用するのではないだろうか。

●泉南市グラウンドゴルフ協会主催「泉南市グラウンドゴルフ大会 第4回フラワーホームカップ」を開催いたしました。

 

詳しくはこちら1>>  2>>

2018年

4月

20日

労働時間

私は外出の無い日には、一般的な就労時間の2倍くらい(16時間)は優に机に向かっているような気がする。しかしこれくらいの時間を掛けないと一日の案件がすべて終了しない。「すぐ!すぐ!すぐ!」「今!今!今!」でも書いたように「せっかち」なので、その日の事はその日に終わらせないと気が済まない。

と言っても、よくよく振り返って考えてみれば、16時間ずっと集中して仕事をしているわけではなく、疲れて来ると休憩の時間も増えて来るし、仕事のスピードも落ちて来る。

手を止めて、目の前の仕事とは違う事を考え込んで思考があちこち飛んだり、書類作りの途中にネットで調べ物をして、そのままネットを見続けてしまったりする。

もっと集中して取り組めば16時間も机に向かう必要は無いのである。

それでも私が机に向かってしまうのは何故なのだろう?と自問し、出た答えは「不安だから」である。いつも仕事に対して危機感を感じ、不安だから時間を重ねているように思う。

経営者である私が、人と同じだけしか仕事をしてないと会社は下向きになってしまうのではないか?と不安に襲われる。「これだけ頑張っているのだから大丈夫。努力は実る。」と思いたいから、効率が悪いのを分かっていても、いつまでも机に向かってしまっているような気がする。

こういう性分は変えられるものではないから、きっと私はこの先もこんな感じで人生を送っていくのだろうと思うが、社員に対する思いは別である。私と同じ働き方をして欲しいとは思っていない。

働き方改革や残業ゼロが喧伝されている時代である。これからはもっと合理的に効率よく仕事をして、仕事が終われば自分の時間を楽しむ時代になって行くのだろう。

過労で疲れた顔でいるより、リフレッシュして翌日は元気よく働いてくれる方が良い。

それに仕事以外のことが仕事のヒントになることもある。例えば同業者から得る知識や経験は似たり寄ったりな事が多く、同業から得たものだけでは「伸びしろ」が限界に達してしまいやすい。しかし異業種の方との会話がヒントになって問題解決が出来たり、新たな創造が出来たりする。

だから社員に対して、私のように机に齧り付いていて欲しいとは思わない。

かといってしなければならない仕事を放ったまま後回しにしていれば、付けが回って来て、いずれ会社の存続にも関わる。

生産性を上げて残業を減らすには、Alやロボットといった生産性を上げるためのツールを今後導入していかなければならないだろう。出張を少なくするためにWEB会議の導入なども良いだろう。

すでに行っているものでは、昔はFAXで送っていた仕様書を先方が自由に当社のアプリからダウンロードできるようにした。また(一部の部屋だが)当社のサ高住においては「人感センサー」「温湿度センサー」で入居者様の状態を把握できる最新式の見守りシステム機器の導入を行っている。

 

携帯電話が無い時代は不便であったが、出先にまで仕事の電話が追いかけて来ることは無かった。便利になった分、余計に忙しくなったと感じる。出張を少なくするためにWEB会議を導入したら会議の回数が途端に増えて逆に忙しくなった!なんて笑えない話もありそうだなぁ~と想像する。

 

2018年

4月

12日

どぶ川の神様

当社の製造部門の繁忙期のピークは1月から年度末までである。

目が回る忙しさの年度末が過ぎて新年度を迎えると、それまではピリピリとしていた空気が幾分か緩和されて、皆ホッと一息つく余裕が生まれて来る。

時間的にも気持ち的にも余裕が出来るこの時期になると、私には毎日「掃除の神様」が降りて来るのである。笑

あくまでも私は「掃除の神様が私に降りて来てくださる」と考えているのだが、従業員の間では私の事を「掃除の悪魔に取り憑かれた社長」と呼んでいるらしい。

私にとってこの時期は、掃除し過ぎによる全身を襲う筋肉痛とガサガサの指先を除けば、清々しい気持ちで毎日を過ごせる最高に嬉しい時期でもある。しかし従業員諸氏にとっては年度末の繁忙期よりも大変な時期かもしれない。

 

まず今年の「掃除の神様」は工場のど真ん中を南北に二分して流れるドブ川に舞い降りた。4月4日の朝にドブ川の上に渡した鉄板の隙間から「掃除!掃除!掃除!」と聞こえて来たような気がした。こうなると私はそれ以外の場所を含めて、約3,000坪ある敷地内のすべてを徹底的に掃除しないと気が済まなくなる。お得意様に迷惑を掛けない範囲で工場をストップして、数日間に渡り従業員をほぼ全員、掃除に投入するのである。

目指す掃除のグレードは「新築当時の美しさの再現と維持」である。

常日頃の掃除方法の詳細は以前にも記載したので省くが、毎日徹底した掃除をした上で、この期間は「超特大 大掃除期間」と銘打って、自らも先頭に立って、徹底的な清掃を目指すのである。

今年度の掃除始めは私が長靴を履いてドブ川に入り、溜まったゴミを取り除いた後、デッキブラシを使って川底を磨き上げた。他にも数え上げればキリが無いが、工場の主要外壁部分のペンキの塗り替え、社内各所の周辺道路の高圧洗浄、本社及び全倉庫・全駐車場周辺の草抜きと防草マットの張り替え、フラワーホームも含めたグループ全体の植栽の整備と植え替え、各社屋の全玄関とトイレの防汚・抗菌コーティングの塗り直し等その他である。

余談だが先般、約10年間乗った私専用の社用車を買い替えたが、ほぼ新車のグレードを10年間保ち続けた。また本社屋も内外装含めて改築後約8年経過しているが、未だに初めて来社された方は新築直後と見間違えられる。

 

ところで大掃除の理由を「掃除の神様が降りて来たから」と超自然的なことを綴ったが、合理的な理由がもちろんある。

先ずドブ川の掃除はこの時期に綺麗にすると夏場の蚊の発生を極端に抑えられるし、海に近い環境にある当社においてはペンキを塗り替えることにより鉄骨部分の潮風に依る錆や腐食を防げる。また周辺道路の高圧洗浄は社内への異物混入の防止対策になるし、防草マットにおいては花粉症対策も兼ねている。

また、一般社会では「見た目より中身」と言われるが、ビジネスの世界では先ず「第一印象」が良くなければそこで縁が切れてしまい、中身を知ってもらう段階まで行けないのではないだろうか?掃除の行き届いていない不潔な会社は、第一印象で落とされてしまうだろう。掃除がいい加減だと一事が万事で、他の部分までいい加減なのではないかと疑ってしまうものだ。

前にも書いたが仕事は生活(人生)の土俵でもある。人生の土俵でもある職場は常に清浄に保ちたい。

(関連記事:地獄掃除>>地獄掃除のその上>>

 

2018年

3月

31日

真面目に仕事に取り組む人材を評価します

どのような人材を評価するのかは、会社によって違う。

営業成績の良い人材、困難にチャレンジをする人材、新たな価値創造が出来る人材、人を動かすのが上手い人材、前向きな人材、人望のある人材。

どのような人材を評価するのかは会社によって様々で、それが会社のカラーになっていたりする。

新たに経営の基本方針>>を作成するにあたり、当社はどのような人材を評価する会社なのかを明記したいと思い、何の迷いもなく記したのが「真面目に仕事に取り組む人材を評価します」の一文であった。

経営者として30年以上やって来た経験上、長期的な視点で見れば、やはり「真面目」に勝つものは無いと私は感じる(それは会社経営についても同じである)。

スタート時の能力が低くても、真面目さがある人材は、コツコツ経験を積んで地道にスキルを磨いていけば、必ず会社にとって無くてはならない人材になってくれる。

例えば誰でもミスをする。度忘れだって誰にでもある。私のようにこの歳になると尚更である。私はミスを犯した従業員に対して「真面目に取り組んでいた結果」なら、すこぶる寛容である。しかし「横着をした結果」なら厳しい態度で臨む。

そしてここからが特に重要であるが、本人がミスを素直に受け止め、二度同じミスをしないように工夫(例えば忘れることを前提に行動する>>等)する真面目さが有るか無いか、その差を何年も積み重ねていけば、最終的には大きな能力の差になる。

仕事は1年や2年で終わるものではなく、定年まで20年、30年と続けるものだから好調な時期も不調な時期もある。

その上手くいかない理由が横着や手抜きをした結果ならば失望であるが、真面目に仕事に取り組んだ結果ならば、私は評価する。

ところで先日、会社の各所に設置している防犯カメラの映像を機器の点検も兼ねて久しぶりに観てみた。その中に従業員駐車場に車を停めた後、社内に入る前、始業前にも係らず歩きながらゴミをひらっている従業員の姿があった。

「一事が万事」で、一つの小さな事柄であるが、その姿勢が他の全ての事柄に現れるのはよくある事である。

上司が部下全員の万事を見る事は物理的に不可能だが、ふとした一事からその人材の仕事に対する姿勢は、ある程度は判断できる。

 

ところで私が考える今後の当社にとっての大きなテーマの一つは、有能な人材が能力を最大限に発揮でき活躍できる環境作りであろう。待遇や登用制度も含め改善のポイントはいくらでもある。

経営者として従業員各人のプライド・我・特性を見極め、個人と組織がうまく両立出来て行くシステム作りをして行かなければならないと思う。

そのために「公平な評価基準の作成」と「自分の将来に希望が持てる環境作り」を更に推し進めようと考えている。

そして今、取り組み始めているのが「社内独立制度」である。

今の時点では詳細は省く。

●竹中いさと大阪府泉南市長が、当社シニア事業部のサービス付き高齢者向け住宅フラワーホームをご視察に来られました。

詳しくはコチラ>>

2018年

3月

18日

旗印

前回のブログでは、丸竹の企業理念「三方良し」について記した。

しかし当初から企業理念があったわけではなく、少人数で会社をしていた頃は、三方良しと同じ種類の想いは漠然とあってもそれを言語化することはなく、経営理念と呼べるようなものは無かった。

毎日、社員皆が顔を合わせて、皆のその日の機嫌も、皆の長所も短所も腹の中も分かり合っていた頃は、企業理念などは必要無かったように思う。

しかし組織の人数が増えると、「この組織がどこに向かって行くのか」「この組織にとって一番大切なものは何か」という旗印を立てなければ、皆がバラバラの方向へ進んで行ってしまうような気がして、想いや目標を言語化し共通認識として社員全員が持っておく必要を感じた。

それが一番初めに企業理念を作成した時の想いである。

 

ところで私が青春を費やした講道館柔道の理念は「精力善用」「自他共栄」である。

説明を加えると「精力善用」とは「相手を打ち負かすことを目標に柔道をするのではなく、自己の完成の為に鍛錬し、そして柔道で鍛えたその心と体を、人や社会のために使おう」ということ。

「自他共栄」は「自分一人だけが栄えるのではなく、練習相手になってくれた人や、応援してくれた人、自分の周り、ひいては社会全体が栄えるということが社会生活の理想」ということ。

私なりに纏めると、

「今のあなたがあるのは、それは自分一人の力ではなく、周りの人たちの有形無形の力添えがあったお陰なのだから、自分の力を自分の利益の為だけに使うのではなく、自分も含めた社会や周りの人の利益の為に使いなさい」という事であると思う。

この言葉は、多くの柔道場の壁に掲げられている。

本音を書けば、柔道に打ち込んでいた当時は、そんな言葉など馬の耳に念仏で、「全国優勝」の張り紙の方に魅せられ心を燃やしていた。

しかし「門前の小僧習わぬ経を読む」と同じで(習っていたけど笑)、何度も見聞きしているうちに知らず知らず影響を受けるもので、特に経営をするようになってからは、「あぁこれは自他共栄だな」や「あぁこれは精力善用だ」などと思う事が幾度もあった。

「自他共栄」の「皆の繁栄、皆の利益、皆の良し」などは経営の基本にも通じるものであるし私の想いでもある。この想いを、何か別のもっと企業として相応しい言葉で表現したいと考え、たどり着いたのが、

近江商人の心得を言った「三方良し」である。

売り手良し・買い手良し・世間良しの三方良し

当社の言葉で言うなら、お客様の満足・従業員の幸せ・社会への貢献の「三方良し」。

 

2018年

3月

11日

本社HPリニューアルしました

5年ぶりに本社ホームページ>>の完全リニューアルを行った。

常に動きのあるHPにするために、これまでも細かに更新を重ねて来たが限界が来た。

というのも、取扱商品が拡大するにつれてHPがゴチャゴチャして来て、目的のページを探すのに時間がかかるようになっていたのが一つ目の理由。

二つ目の理由は、スマートフォンやタブレットなどの普及に伴いモバイル端末からのアクセスが増加しているので、スマホからでも見やすいようにモバイル端末対応HPにしよう!という事で、思い切って完全に一から作り直した。

思い立ったのが昨年の10月頃だったので約半年かかった。

まず今回のリニューアルに関わってくださった皆さんに深謝申し上げます。

私は基本、走りながら考えるタイプなので、あがって来たテストサイトを見て「ココは、こんな風に変更!」と指示を出した数日後、もっと良い案を思い付いて「やっぱりこう変更!」といった具合の連続なのである。そのうえ「せっかち」「イラチ」「神経質」であるから、対応する方はしんどい半年間であっただろう。しかしお陰で妥協のないHPが完成したと思う。改めて、お疲れ様でした!ありがとう!

ところで今回、「企業理念」「経営の基本方針」の見直しも行った。

基本的な部分は変わっていないが、事業が製造業のみだった時に作成した理念や方針だった為、現在の事業内容に対して不十分になっていたように感じたのである。

新たなものは以下である。

 

企業理念

 

三方良し

 

一、お客様の満足を、最大の誠実さと強い責任感をもって追求する

 

一、従業員が物心両面の幸せと希望ある未来を得られる企業を創る

 

一、 社会の発展と福祉の向上に事業活動を通じて積極的に貢献する

 経営の基本方針

 

・既成概念にとらわれないより良い商品やサービスを開発・提供します。

 

・聖域を設ける事無く、何事に対してもたえず見直しを行い、変わり続ける経営環境の変化に柔軟に対応します。

 

・各事業部を連携させたビジネスモデルを創出し、多角経営を強みにした持続的成長を実現します。

 

・真面目に仕事に取り組む人材を評価します。

 

・全ての従業員がポテンシャルを最大に生かして活躍できる仕事場を作ります。

 

・社会的貢献性の高い事業を行います。また社会貢献活動にも積極的に取り組み、社会から歓迎される会社を目指します

企業理念である「お客様の満足」「従業員の幸せ」「社会への貢献」の「三方良し」を実現させるために、私は社長として先頭に立って皆を牽引して行く覚悟であります。

あらためまして、なにとぞ皆様方の倍旧のご支援ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

2018年

2月

28日

賭け事はしない

先日、会話の中で「競馬やパチンコなど、何かギャンブルはされないのですか?」と尋ねられることがあった。

私は、酒も飲むし、煙草も長い間やめていたが今はアイコスのみではあるが吸う。けれどもギャンブル系は一切しない。しかし「今は」である。

と言うのは、まったくギャンブル系に興味がないというのではなくて、若い頃には世の中にあるギャンブル系のほぼ全てと言っても過言では無いくらい、2~3か月ぐらいの短いスパンずつではあったが一通りの事を興味本位で試してみた。しかしどれ一つをとっても、ギャンブル好きの方が言う快感は得られなかった。

快感を得られない理由はズバリ、勝てないからである。

たとえば私が学生時代にやっていた柔道ならば、自分が頑張れば頑張っただけ強くなり勝率は増すが、ギャンブルは運である。そのギャンブルについて一意専心に研究をすれば、多少は勝率が上がるかもしれないが、基本的にギャンブルは胴元が儲かる仕組みになっているので、お金を儲けられる可能性はかける労力に対して僅かなものであろう。

そのように勝つか負けるか運任せのものに、お金と時間と労力を費やすのが嫌だなと思ったのである。これが私の気持ちの半分。

残り半分の気持ちは、ハマってしまうのが怖かったのである。元来、私は負けん気が強く、自分が勝つまで諦めたくない。

2012年に書いた、このブログの第1回目の記事>>にも、勝つまで諦めず挑み続けるぞ!といった内容の事を書いた。そして私の座右の銘は「諦めず気が遠くなるまで繰り返す」である。こんな私がギャンブルにハマってしまえば悲惨である。笑

だからギャンブルの面白さを知ってしまう前に、さっさっと撤退したのである。

 

しかし私は、投資は好きである。投資と言っても株式投資やファンド等の金融商品の話ではない。設備投資や人への投資の話である。

一番最近の設備投資では、次亜塩素酸水衛生環境システムをフレスコ事業部に設置し、自然環境に配慮したクリーニングを可能にした。

人への投資については、それぞれの事業部の社員がスキル面でも賃金面でも今よりワンランク上のステージに行けるように、資格を取りに行かせたり、講習会に参加させたりしている。

身も蓋もない言い方をすれば、投資した設備に見合う収益をあげられなかったり、投資した人材が退職したりなどすれば投資したお金がパァ~である。

しかしこれらの投資は企業発展には欠かせない投資で、これこそ生きたお金の使い方であると思う。

 

2018年

2月

18日

手段を目的と勘違いしてはいけない

「何のためにするのか?」「目的は何か?」

例えば掃除一つにしても、目的を意識する者と、しない者では出来映えが違ってくる。

掃除の目的は、小さい目的は「職場を清潔でキレイにすること」、大きい目的は「顧客様に気持ち良くご来社頂けるよう、そして社員の皆が気持ちを良く働ける職場にすること」である。

それが目的で、掃除は手段である。

そんな事は分かっていても毎日の事になってしまうと目的を意識しなくなり、掃除の時間だから単に掃除をする、上司に言われたから掃除をする、といった風に「掃除をしたという事実を作ること」だけが目的になってしまう時もあるのではないだろうか。

「気持ちを良くご来社や気持ちよく働ける職場にすること」を目的で掃除していた時は、工夫しながらより良い環境にする為に掃除していても、「掃除をしたという事実を作る事」が目的になっている時は、四角い部屋を丸く掃いてしまっているのではないだろうか?

人間は、新しく何かに挑戦する時や、特別な事をする時は、目的意識を持つものだが、ルーティンワークに目的意識を持ち続けるのは難しいものだと思う。

だからこそ折々に「何のためにするのか?」「目的は何か?」と何度も何度も繰り返して伝えることが、上に立つ物の役割であろう。

 

また、イレギュラーな事が発生して判断に迷った時にも、目的を今一度思い出してそれを軸に考えると、答えが出しやすい。

小さい事だが例を挙げると、前回に詳細を書いたが>>グラウンドゴルフ大会 フラワーホームカップ>>の特別賞として男女合計20名様に抽選でパン(お一人様お好きなパン10個)の引換券を贈呈させて頂いた。その引換券には、もちろん引換期限があり、それは券に記載している。

しかし、その期限を過ぎてから引換に来られる方が何名かおられた。

そんな時にどうするか?

小さな事だが、やはり現場で対応する職員は判断に悩むシーンだと思う。

しかし特別賞を贈呈した目的は、カップに参加してくれた人に喜んで頂く為であり、フラワーホームを知って頂く為であるから、ここで「引換期限が切れています」とシャットアウトしてしまうとガッカリされるであろう。それにすでに賞の分の予算は取ってあり、さらに追加で費用がかかるという事も無かったので、その日の訪問販売のパンをプレゼントしましたと報告が現場からあった。

 

私は常々、各事業部長には「最後は私が責任を持つから、自分で考えて良いと思うことは何でもやってみろ」と言っている。

『目的』を見失わなければ、そう大きく道を間違えることは無いだろうと思う次第である。

 

2018年

2月

07日

感動の再会

その感動の再会があったのは、当社の「社会福祉の向上」と「地域社会への貢献」への取り組みの一環として開催させて頂いているグラウンドゴルフ大会 フラワーホームカップ>>に関連して起こった出来事である。

今大会より導入した特別賞というのがある。この賞は男女合計20名様に抽選で特別賞としてパン(お好きなパンお一人様10個)の引換券を贈呈させて頂くというものである。

この賞品のパンは、泉南市の障害者施設「デイセンターせんなん」の製菓製パン販売部門プチソレイユさんのパンである。

プチソレイユさんは毎週火曜日にフラワーホームへパンの訪問販売に来てくれているので(くわしく>>)、その日をパンの引き換え日とした。

 

さて感動の再会は、そこで起った。

特別賞を抽選にて当てられ、パンの引き換えに来られた方の中にO田Y子さんと言う方がおられる。

この方は戦時中に長野県の師範学校を卒業され大阪に来られた後、小学校の教員として定年まで特別支援クラスの担任をされ、その後は泉南市の市議会議員を務められた方である。

現在はご隠居されグラウンドゴルフを楽しまれている毎日である。また高齢で一人暮らしという事情も有り、何度かフラワーホームを見学に来られ、ご入居の予約をしてくださっている方でもある。

このO田さんが賞品のパンを、どれにしようかと選んでいると突然、「せ、せんせいー!!」と声を掛けられた。

声の主は、「デイセンターせんなん」のインターシップとしてパンの販売助手をする為に来所していた障害者の方である。

なんとその方は、O田さんが教員をされていた時代の支援クラスの「教え子」だったのである。しかもなんと6年間に渡り担任を受け持っていたらしい。

20数年の時を経ていたが、顔を見た瞬間に分かったそうだ。

O田さんは、販売助手をしているその方の成長した姿を見て、大変感動されたそうだ。そして交換会が終了するまでO田さんもその場に留まり、元教え子の働く姿を、涙を零しながら見守られたとの事だった。

 

私が上記の出来事を知ったのは、フラワーホームの職員から話を聞いたのが一番先であったが、実はその後、O田さんご本人から本社に電話を頂き、事の顛末を聞かせていただいたのである。そして最後に「このような機会を作ってくれて、ありがとうございました。」とのお言葉を頂いた。

私にとっても思いがけない事で、大変うれしい出来事であった為、O田さんにご了承を得てブログに書かせて頂いた。

プチソレイユさんのパンの訪問販売 フラワーホームにて
プチソレイユさんのパンの訪問販売 フラワーホームにて

2018年

1月

28日

社内規定の整備

ここ数年来、事業内容が多角化したことに伴い社員数が増加したことで、労働関連法規のカテゴリー(規制枠)が社員数49人以下から社員数50人以上枠へと昨年4月から変更になった。

社員数が50人以上になると、労働基準法はもちろん労働安全衛生法の義務が増える。

例えば産業医の選任や、衛生管理者の選任や、社員たちのストレスチェックの実施etc.である。それらの実施に加えて、私はカテゴリー変更以来、社内規定とくに就業規則の整備を進めてきた。

 

さて本日は、社内規定について、田舎の経営者である私らしいアナログな方法での整備の仕方を、恥ずかしながら綴ってみようと思う。

まず始めに、大手企業に就業経験のある社員を片っ端から呼び出しては、「他社さんはどうだった?」が口癖になるほどヒアリングをして比較検討した。

内容は当社の現在の社内規定を叩き台にして、不足している所、規定の度合いが他社より低い所、新規に追加した方が良い所などである。

私はキーボードを早く打てないので、社員たちから聞き取った内容はすべて鉛筆で叩き台のペーパーに手書きした。

次にヒアリング終了後は、鉛筆で書いたペーパーの字を消しゴムで消しながらすべて筆ペンで清書した。

清書したものをこの後に数度の役員会議にかけて、若干の訂正を経て社内的には完成した。それから社会保険関連の業務をお願いしているコンサルさんに社内規定が法律的に照らし合わせて瑕疵がないか精査を依頼した。

約2週間で精査も完了し、ほぼ訂正なしに完成し、社員代表と共同捺印の上、労働基準局に提出したのである。

過程を綴ってみたら、なんともアナログやなぁ~と自分で苦笑いである。

社員数が少人数だった時は、社内規定や就業規則はここまで厳密に整備されておらず、

「残業手当たっぷり出すから、なんとしても今日中に仕上げてくれよー!」「よっしゃぁー!」の世界であったし、ボーナスも経営者の匙加減で、「彼はまだ結果は出してないけど、一生懸命がんばっていたから弾もうか」など浪花節も出来たが、今は何でも合理的に細部まで規定が存在するので、もうそんな事は過去のことである。

義理や人情で経営できていた頃の方が私の性分には合っていたなぁと思うが、

いつまでも過去を美化して懐かしんでいたら、アナログ人間から抜け出せない時代遅れの経営者になってしまう。デジタル人間にならねば!

 

2018年

1月

14日

感謝傾聴

年末にトイレの神様の夢を見た。

トイレと玄関は風水において大切な場所なので、本社事務所のトイレと玄関は、必ず毎日私自身が掃除をしている。(地獄掃除>>

神様の夢を見て以降は、いつも以上に清掃に気を配り、トイレの神様に心の中で手を合わせている。

ところがつい先日、真空パック工場の男子トイレが詰まり、水が流れなくなってしまった。

修理業者が来るまでの間、男子トイレには「使用禁止」の紙を貼り、女子トイレを使用することにした。ところで工場には5名、障害を持った社員が働いてくれているのだが、その中には知的障害を伴っている人もいる。そういう社員にイレギュラーな対応を求めるのは難しく、気が付いた時には詰まった男子トイレの方を大で使用してしまい、溢れ出て来て大騒動!という事があった。

しかし、このような事は一端で、これに類似するような事はよくある。

イタズラ的行動(本人はイタズラと思ってない?)で、トイレや手洗いの排水管に考えられないような物を流して詰まらせてしまうことは再三あって、その度に業者を呼んで修理する手間や費用などのことを思うと溜息が出てしまうこともある。しかしそれと同時に感謝の念も沸いて来る。

というのも、ブログにも書いてあるが、私の信念は三方良し>>(売り手と買い手がともに満足し、また社会貢献もできるのがよい商売であるという近江商人の心得をいったもの)である。

現在複数名の障害者を雇用できる環境があるということは、三方良しが少しずつ形になっていると感じるからである。

もちろんそれは社員や職員、そして当社に関連する皆さまのご尽力とご支援があるからこそであり、ありがたい。

そこで今年の私のテーマは、平身低頭をモジって?!(モジってない?!)「感謝傾聴」にした。

平身低頭のように腰も頭も低くして追従するのではなく、共に仕事をする人達やお客様に感謝し、そしてその方たちの声に積極的に耳を傾けていこうと思う。

その声には、これから会社を安定して経営して行くためのヒントがある。

 

ところで「社会貢献」と書くと、なんだか良い恰好しぃのような気もするし、一度も耳にした事は無いが「社会貢献に使う経費を給料の方へ・・・」と内心では思っている社員も、もしかしたらいるかもしれない。

しかし、社会から歓迎され必要とされる会社にならなければ企業の未来は無いと私は考えている。

 

2018年

1月

05日

ゴールド免許

2018年 新年あけましておめでとうございます。 

旧年中は大変お世話になり誠に有難うございました。 賜りましたご厚情に深謝致しますと共に、また本年も変わらぬご指導・ご厚情のほどよろしくお願い申し上げます。 

 

さて昨年10月「夢の中のご先祖さまに誓って」の記事の中で書いた「ゴールド免許取得の可否」について結果を御報告したい。

免許更新の度に、ゴールド免許取得を楽しみにしているのだが、いつも更新日のギリギリで違反を犯してしまい、運転歴も約40年に差し掛かろうとしているのに、ずっとブルー免許だった。

更新通知が届く頃になると、事務所のポストにハガキが届いていないか日に何度も確かめに行った。更新期間が近づいているのにハガキが届かないので、泉南警察の交通課に「まだ届かないのですが」と電話を入れると「そろそろ届くでしょう」と教えてもらった。

その後も届かないので何度か連絡を入れていると「御主人!毎日、安全運転をされていたら、そう心配されずとも必ずハガキは到着しますから!」と、警察署の方から笑い声で諭され、その笑いを受けてハッと我に返り、私も思わず照れてしまった。

その方の言葉通り、更新期間の初日の約1週間前にはゴールド免許の更新通知が届いた。

56歳にして、ようやく初のゴールド免許である。

張り切っていたので、免許の更新にはスーツを着て行った。1時間の一般運転者講習ではなく、30分の優良運転者講習の方へ行けるのも嬉しく、そのテンションのまま講師の話を頷きながら聞いていると熱心な人と勘違いされたのか、いつの間にかマンツーマン授業のように目線が来るようになり、今更サボれず学生時代には一度も経験したことの無いほどの真面目さで最後まで講習を受け、無事ゴールド免許を取得した。

 

今更かもしれないが、長年に渡り私がゴールド免許を取得できなかった原因は、運転者として順守しなくてはならない当たり前のルールを、自分自身の気の緩みやせっかちな性格から順守出来ていなかった事が主因である。

幸いにも大きな怪我や事故を起こすことも無く、無事に来させて頂いたことは「奇跡」に準ずるレベルであったかもしれない。八百万の神々の加護に深謝すると共に、猛省することしきりである。

今後は日々、安全運転を心掛けることを誓います。

最後になったがどんなに安全運転の心掛けを徹底しても、それでも事故は起きるときには起きてしまうと思う。そうなった時に社会的責任を果たせるよう、少々コストは掛かっても、今後も出来る限り「まさかの為」に保険関係はしっかりしておこうと思う。