2016年11月のページ

2016年

11月

27日

とつぜん勤め先が閉店

先般、「とつぜん繁盛店が閉店」という記事を書いたが、今回は、その続報についてである。

閉店の5日前、たまたま昼食を食べに中華料理店を訪れた時に、突然、閉店の話を聞かされた。

閉店することを教えてくれたのは、そのお店の接客係を(私が知っている期間だけで)約20年担当している番頭格の店員さんである。

いつも身を粉にして働く姿を見ていたので、経営者の親族かと思っていたのだが、そうではなく、いち従業員だった。

「君は、今後どうするの?」と尋ねると

「まだ分かりません。閉店してから身の振り方をゆっくり考えます。」と返って来た。

私は思わず、「これだけ繁盛して、たくさんのお客さんも付いているのに勿体ないな!君が続けてすれば良いのに!」と声を掛けた。

すると「僕は、接客の自信はあるけれど、料理の技術も無いし、資金も無いから無理です。」との答えであった。

その日は、それで終わった。

 

普段、私の昼食は給食弁当なのだが、例の中華料理店がいよいよ閉店の、その当日は、会社に来客があったので、中華を食べに行くことにした。

食事も終わり、レジで会計の際、くだんの番頭さんと再び話をする機会があった。

 

彼は、自分がお店を経営するのは、「料理の技術も無いし、資金も無いから無理です。」と先日言ったが、しかし、「門前の小僧習わぬ経を読む」で、約20年間働いているうちに、店の経営の仕方や、人の使い方、店の味、仕入先など、自然と頭に入っているのではないだろうか?

自分が調理出来なくても、味を覚えているのならば、雇った料理人に指示が出せる。

私だって、たとえば毛布の製造販売をしているが、自分がミシンで縫っているわけじゃないし、クリニックを経営しているが、医師と同じ知識を持っているわけじゃない。

資金の面は、賃貸の小さな店から始めれば不可能ではないのではないか?

20年間真面目に仕事をした、その経験の蓄積があれば、他のお店に就職しても即戦力になれるだろうが、自分で経営をするという選択肢もあるのではないか?

 

・・・というような話を、余計なお節介だろうと思いながらも、つい口にしてしまった。

今思えば、彼の一面しか知らない私がそんな事を軽々しく述べたのは、無責任だったかもしれないが、彼自身が「無理だ」と早々に選択肢を1つ減らしてしまうのが、とても惜しい気がしたのである。

勤め先が突然無くなって、「現在」という枠だけで考えれば、幸か不幸でいえば「不幸」の方かもしれない。しかし、人生のターニングポイントはどこに転がっているか分からないもので、後から振り返ってみれば、不幸だと感じた出来事をきっかけに、人生が良い方へ広がって行くこともある。

 

店の最終日の、この日、私が店を辞した後に、当社の社員も昼食を取りに中華店へ行ったそうだ。帰り際、くだんの番頭さんから私への伝言を預かって帰って来た。

「丸竹の社長さんの言葉で、開店も選択肢の1つに入れました。」とのことであった。

 

人生という道には、沢山の岐路がある。

この道が正解で、あの道は不正解、なんてない。

自分が選んだ道を一生懸命突き進んで行くのか、それとも、お座なりに行くのかで、行先が変わって来るのだろうと思う。

 

2016年

11月

17日

常識に囚われるな

「常識」とは変化して行くものである。

この50年間を振り返ってみても、世の中の常識は、どんどんと変化し続けている。

いくつか例を挙げれば、ITの登場で、仕事の仕方、コミュニケーションの取り方も大きく変わった。昔は「運動中に水を飲んではいけない」のが常識だったが、今そんな事を言っていたら笑われる。

「常識」は、国によっても変わるし、地域によっても変わるし、年代によっても変わる。

 

「常識」を辞書で調べてみると、「健全な一般人が共通に持っている、普通の知識や思慮分別。」と書いてあった。

ビジネスにおいては、この『一般人が共通に持っている、普通の知識』の中だけで事業を行っていれば、月並みの、十人並みの、平々凡々の、魅力の無い会社になってしまう。

そしてそのような魅力の無い会社は、この経済的に厳しい時代には、いずれ赤字、廃業、倒産してしまうのではないだろうか?

 

ビジネスでは「常識を打ち破る」ことが成長へのカギだと考えている。

たとえば当社から小さな例を挙げると、製造事業部では毛布の製造販売を行っているが、「毛布を毛布として販売しない」ことにより市場が増えた。

具体的に書くと、官公庁向けの難燃毛布を、家具の梱包資材としてロールのまま販売するのである。それにより、引越し業界という市場が増えた。

 

昨年、開設したフラワーホームでも、過去の常識や価値観・既成概念に囚われない「異業種からの参入」だからこそ思い付く施策と経営方針に基づいて、次々に新しく斬新なアイデアを実施している。

入居者様アルバイト制度>>などは、まさに常識を打ち破るような施策であろうと思う。

 

常識を打ち破ると言っても、ただ単に、誰もしていない事をすればいい訳ではない。

ビジネスの核部分に、お客様の満足、従業員の幸せや会社の利益、社会への貢献の三方良しがなければ、その施策は発展しないであろう。

「泉南市グラウンドゴルフ大会 第2回フラワーホームカップ」開催いたしました。

 

詳しくはコチラ>>

2016年

11月

06日

とつぜん繁盛店が閉店

本社の近所にあり、よく利用していた中華料理店が、突如閉店した。

約30年近く続いてきたお店で、常に繁盛していたお店である。

市内の官庁街の近くにあり、立地もすごく良いところにある。

現在進行形で繁盛しているお店の突然の閉店であった。

 

閉店の5日前、たまたま昼食を食べに中華料理店を訪れた時に、そのお店の接客係を担当していた番頭格の店員さんから突然聞かされた。

店員さんいわく、「私も経営者から閉店の知らせを突然聞いたし、閉店の理由も分からない。」「今後、どうするのかも分からない」とのことであった。

 

経営者が突如として繁盛店を閉めた気持ちを、私は瞬間的に理解できるような気がした。

閉店を決める引き金になった具体的な理由(病気・体力の限界・転居etc)は分からないが、それだけが理由ではなく、複合的な理由であることは想像がつく。

その複合的な理由の中には、長い年月をかけて澱のように蓄積された経営者としての苦悩から来る疲れがあったのは間違いないだろう。

 

経営者であれば誰しも当たり前の話ではあるが、たとえ繁盛していても常に不安に苛まれて、苦しく様々な葛藤を抱えているものである。

順調であればあるほど、手抜かりがないか?落とし穴はないか?と、暗雲が立ち込めるように不安が追いかけてくるものである。

眠る直前まで仕事のことを考え、夜中にふと目覚めて一番に脳裏に浮かぶのは仕事のことである。

経営を長年維持して行くには、そのために多大な努力を強いられることになる。

前にもこのブログの「仕事は楽しい51% 仕事は苦しい49%>>」で書いたが、自分自身が背負う「責任」を考えると私自身も常に苦しくなる。

しかし経営者として生きるからには、常に責任の重さを感じ、それに苦しみながら生きて行くしかないのである。

しかしその苦しみの上に、他の問題がいくつも複合的に重なり合うと、自分自身の限界を超えて疲れ果ててしまい、閉店・廃業を決めてしまうのであろう。

 

突然の繁盛店閉店の話が広まるにつれて、地元のみんなは不思議がったり残念がったりしていた。

しかし同じく経営者である私は、この店の経営者の苦悩を想像し、共感し、そして少し考えさせられた。

 

自分自身に置き換えて考察すると、もし将来、私が経営から急に退くことがあるとすれば、引き金を引く理由は、心理的な事ではなく、体力的な事が原因であろうと思う。

社員の数が増えても、中小企業であるが故、自分自身が最前線で先頭を切って全事業部を統括しながらカジ取りすることになり、毎日が長時間労働である。純粋な意味での年間の休日は10日も有れば良い方である。

こんな生活を体力が衰えた以降も続けるのは難しいであろう。

よって、現在、「100年以上続く企業」を目指して、後継者の育成に心血を注いでいる。

私自身の健康面についても、健康であることも経営者の責任だと考え、細心の注意を払うように心がけている。(詳しく>>

 

最後になりましたが、某中華料理店さん

長年に渡り美味しい中華料理を味わわせて頂き有難うございました。深謝