とつぜん勤め先が閉店

先般、「とつぜん繁盛店が閉店」という記事を書いたが、今回は、その続報についてである。

閉店の5日前、たまたま昼食を食べに中華料理店を訪れた時に、突然、閉店の話を聞かされた。

閉店することを教えてくれたのは、そのお店の接客係を(私が知っている期間だけで)約20年担当している番頭格の店員さんである。

いつも身を粉にして働く姿を見ていたので、経営者の親族かと思っていたのだが、そうではなく、いち従業員だった。

「君は、今後どうするの?」と尋ねると

「まだ分かりません。閉店してから身の振り方をゆっくり考えます。」と返って来た。

私は思わず、「これだけ繁盛して、たくさんのお客さんも付いているのに勿体ないな!君が続けてすれば良いのに!」と声を掛けた。

すると「僕は、接客の自信はあるけれど、料理の技術も無いし、資金も無いから無理です。」との答えであった。

その日は、それで終わった。

 

普段、私の昼食は給食弁当なのだが、例の中華料理店がいよいよ閉店の、その当日は、会社に来客があったので、中華を食べに行くことにした。

食事も終わり、レジで会計の際、くだんの番頭さんと再び話をする機会があった。

 

彼は、自分がお店を経営するのは、「料理の技術も無いし、資金も無いから無理です。」と先日言ったが、しかし、「門前の小僧習わぬ経を読む」で、約20年間働いているうちに、店の経営の仕方や、人の使い方、店の味、仕入先など、自然と頭に入っているのではないだろうか?

自分が調理出来なくても、味を覚えているのならば、雇った料理人に指示が出せる。

私だって、たとえば毛布の製造販売をしているが、自分がミシンで縫っているわけじゃないし、クリニックを経営しているが、医師と同じ知識を持っているわけじゃない。

資金の面は、賃貸の小さな店から始めれば不可能ではないのではないか?

20年間真面目に仕事をした、その経験の蓄積があれば、他のお店に就職しても即戦力になれるだろうが、自分で経営をするという選択肢もあるのではないか?

 

・・・というような話を、余計なお節介だろうと思いながらも、つい口にしてしまった。

今思えば、彼の一面しか知らない私がそんな事を軽々しく述べたのは、無責任だったかもしれないが、彼自身が「無理だ」と早々に選択肢を1つ減らしてしまうのが、とても惜しい気がしたのである。

勤め先が突然無くなって、「現在」という枠だけで考えれば、幸か不幸でいえば「不幸」の方かもしれない。しかし、人生のターニングポイントはどこに転がっているか分からないもので、後から振り返ってみれば、不幸だと感じた出来事をきっかけに、人生が良い方へ広がって行くこともある。

 

店の最終日の、この日、私が店を辞した後に、当社の社員も昼食を取りに中華店へ行ったそうだ。帰り際、くだんの番頭さんから私への伝言を預かって帰って来た。

「丸竹の社長さんの言葉で、開店も選択肢の1つに入れました。」とのことであった。

 

人生という道には、沢山の岐路がある。

この道が正解で、あの道は不正解、なんてない。

自分が選んだ道を一生懸命突き進んで行くのか、それとも、お座なりに行くのかで、行先が変わって来るのだろうと思う。