61歳 一生成長する気持ちで一生勉強

【過去の自分の経験が役に立たなくなっている】

近年のIT関連の発展のスピードは日進月歩という表現では追い付かず、秒進分歩です。

それにともなって、社会は早いスピードでありとあらゆるものが変化していると感じます。

新しいテクノロジーやビジネスモデルが次々と登場し、そのため従来のスキルや知識だけでは対応できなくなってきているため、昨年、岸田内閣は個人のリスキリング(学び直し)の支援に5年で1兆円を投じると表明したほどです。

私は、このようなビジネス関係のブログを10年ほどやっていることもあり、若手経営者向けの会で話をしてくれと頼まれることが時々ありますが、現在の社会では過去の自分の経験が役に立たなくなっていると感じているため、人様に教えられることが無いのです。

たとえば昔は新商品開発の資金調達は銀行融資ぐらいでしたが、最近ではクラウドファンディングで調達するなど、私の分からない世界です。

終身雇用・年功序列の日本的経営の昔と、スキルアップのための転職が普通の今では、会社と従業員との関係性も違います。

働き方改革により、働き方も変わり多様化しました。(当社では人手不足に備えるために、そして多様な働き方に対応するため、週4日正社員の採用枠を現在準備中です)

お取引先とのコミュニケーションの取り方も私と若い社員とでは違います。

 

【ネットから学ぶことができない重要なこと】

それに今の時代、年長者の経営者にわざわざ教えてもらわなくても、ネット検索すれば、ありとあらゆる専門的な情報がすぐに出てきます。

けれどもネットから学ぶことができない重要なこともあります。でもそれは教えることが出来ないものです。

たとえば「第六感」などです。材料的にはGOサインであっても、第六感でNOの経営判断をすることや、その逆で、材料的にはNOであっても、第六感でGOサインを出すことなども結構あります。

しかしこれも、純粋な感というよりかは経験値から無意識に感じるもののような気がします。

また一つ一つの問題に対しての意思決定や行動などはケースバイケースな為、「これをやっていれば成功する!」という定石のようなものは経営には無いと思います。

 

【この石を踏むと確実に失敗する】

しかし、この石を踏むと確実に失敗するというものは存在しています。

成功は運などの要素も関係してくるため再現性は低いのですが、失敗は原因があるので再現性が高いです。

私が思うに「運と縁(えにし)」を大切にしない場合は、色んな面で失敗する確率が高いです。

運については11年前に詳しく書いていますので、そちらをご覧ください。(努力を極めてからじゃないと運(天命)は来ない>>

縁については、人との縁が大切なのは耳タコだと思いますので、縁の生み方・育て方を、身も蓋もなく書いてみます。

それはズバリ「我慢と謙虚と感謝」です。

世の中の上手く行っている夫婦関係もそうではないですか?親しい友人であってもそうではないですか?

人は一人ひとり違う価値観や考え方や生活習慣を持っているため、人間関係の中で、少しのストレスも我慢も無い関係は存在しないと思うのです。

だから時には不満に感じたりイライラしたりもします。しかしそこで「この人とは合わないなぁ」と感じるたびに疎遠にしていると、自分の社会的なネットワークがどんどん減少してしまいます。また自分と違う価値観や考え方を知る機会を失って、自分の成長も止まってしまいます。

ですから人間関係の中でストレスを感じても、まず我慢。そして次に自分の意見や考え方が絶対的なものではないから、相手の意見に否定的になったり、反論したりするのではなく、「学びの機会」として捉えると素直に相手の話に耳を傾けやすくなると感じます。

現に、この年齢になると意見してくれる人が少なくなるので、自分と違う視点を持った人の意見は有難いのです。とくに若い人の意見や価値観は自分と全然違っていたりするので、私が教えるどころか逆に「今の世の中」を学ばせてもらうことが多いです。

そして一番大切なことは、感謝。

〇〇してもらって当たり前、この気持ちは相手の心をとても疲弊させます。

当たり前や当然の権利だと思う気持ちばかりが強くなり、要求ばかりしていると、心を込めて一生懸命に提供してくれている人ほど拭いきれない徒労感が蓄積し、最後は離れていくものです。

どんなに親しくても、金銭が発生するビジネスの関係性であっても、人間関係の全ての関係性において、お互いに感謝する気持ちは必須だと思います。

(関連ブログ:「当たり前」に感謝>>

これらをお座なりにしていると失敗の確率は確実に高まると感じています。

 

最後にこのブログを書きながら、好きな作家の「あいだみつお」先生の、「一生勉強 一生青春」という言葉を思い出しました。