Netflix「サンクチュアリ-聖域-」を見ました。
北九州の不良が、才能と体格を見初められ相撲部屋に入門し、大相撲界でのし上がろうとする姿を描いたドラマです。
大変人気があるようで、日本だけではなく、世界で見られているとのことです。
私も一気見しながら、まさに天理高校、柔道部時代を思い出しました。
私が高校生だったのは、今から40年以上も前の昭和の話なので、現在とは大きく違うでしょうが、当時の天理高校柔道部の寮生活は非常に厳しいものでした。
早朝から夜の自主トレーニングまで、ほとんど毎日、休み無く稽古がありました。
柔道部は、入学式初日から稽古があり、修学旅行中も、そして卒業式当日の朝まで稽古がありました。(※関連ブログ:ゴールは無い>>)
寮での生活も厳密なルールがあり、掃除・洗濯・食事・練習の準備・夜の見回りまでが当番制で日課となっていました。
「サンクチュアリ」の主人公である猿桜も確か二度、相撲部屋から逃げ出そうとしましたが、私も同じく、あまりの苦しさに逃げ出すことを決め、同室の先輩に「今夜、夜の内に寮を脱走して身を隠します」と打ち明けました。笑(※関連ブログ:生涯の縁>>)
その後も、まぁ色々ありましたが、結果としては最後まで柔道を続け、結果を出すことが出来ました。
最近は、スポーツでも仕事でも「苦しいことから逃げるのは悪いことではない」などの意見を大変よく見かけます。また仕事選びについても「好き」や「嫌い」、「楽しい」「楽しくない」などの感情面が昔よりも重視されているなぁと感じます。
しかし私は、それには首を傾げてしまいます。
猿桜も最初は相撲をダサいと嫌がり、お金のために渋々始めました。
私も人生のターニングポイントとなった柔道は、飲食のツケが溜まり過ぎたため、渋々始めました。(※関連ブログ:人生のターニングポイント>>)
猿桜が相撲部屋から逃げ出そうとした時、「お前は相撲に向いているから、絶対に逃げるなよ」と、同じく相撲部屋から逃げ出した同僚に言われ、猿桜はお金が必要だったこともあり、悩んだ末、相撲部屋に戻りました。
その同僚は心から相撲を愛していましたが、体が小さく、相撲に向いていなかった為に力士になるのを諦めました。
猿桜は好きでも何でもなかった相撲に「向いていた」為、どんどん強くなって行きます。
そして強くなって行くと、どんどん楽しくなって行き、ある日、気が付けば「相撲たのしいー!」と叫んでいました。
そう!重要なのはこれだと思うのです。
好きや嫌い、楽しいや楽しくないよりも、重要なのは「向いているか、いないか」。
人より少し上手く出来るなにか、人より簡単に出来てしまうなにか。つまり、それが自分に向いている事。
向いている事ならば苦しくても続けることが出来、そのうち楽しく感じる「瞬間」がある。あくまで瞬間という「点」であり、継続的な「線」ではないのだけど、その「点」があるから続けていける。
私が30年間以上、経営を続けてこられたのは、人より少し経営に向いていたから。そして経営が楽しいか楽しくないかと聞かれたら、苦しいことは線、楽しいことは点、でもその「点」があるから続けてこられたのだと思います。
向いていないけど楽しいことは趣味。
向いていないことを仕事にすると苦しい。
自分に向いていることは、苦しくても続けよう!きっと、そこから何か生まれるはずです。
ここで、すでに鬼籍に入られていますが、今でも夢を見る日があり、思い出すたびに背筋が伸びる感覚に襲われる当時の天理高校柔道部監督 加藤秀雄先生の言葉を掲載させてください。今の時代には合わない言葉かもしれません。けれども最後の1行、それは真実なのではないでしょうか。
我々の目標
我々は如何に苦しむべきか
我々は苦しみを喜びとできる豊かな心と強い人間になろう
我々は苦しみを避けず勇気を以て立ち向かおう
その苦しみは我々に何をもたらすか
人生の栄光は苦しみの中から生まれるであろう
加藤秀雄
柔道部のあまりの練習の厳しさに、私はやる気を完全に無くし、母と共に退学を申し出に行きました。その時に私を引き留め「続けることの喜び」を教えてくれたのが、この加藤先生で、先生の講道館柔道九段昇段の記念品の湯飲みには「続けることの よろこび 九段 加藤秀雄」と書かれていました。
(関連ブログ:恩師 加藤秀雄先生を偲んで>>)