2020年12月

2020年

12月

28日

対立する世界から、譲歩する世界へ

今年はさまざまなモノが「対立」した年であったと感じます。

・米中間では、貿易、テクノロジー、産業、知的財産権、コロナ発生の責任問題など、多くの領域で対立が深まっています。

・米国内では、白人警官により殺害された黒人のアフリカ系コミュニティの不満が爆発し、大規模な抗議活動が起こりました。

・米大統領選挙でも、南北戦争を彷彿させるような対立が起きています。

・日本の政治も右左の二極化が生じています。

・パンデミックの歴史の中で何度も繰り返されたことですが、経済を優先させたい者と、ウイルスの封じ込めを優先させたい者との間で意見が対立しています。

「公益のためには経済活動が必要だ」「公益のためには強力な自粛要請が必要だ」

これらの「公益」の中身も、一人一人イメージしているものが違うであろうと思います。

たとえば、経済的に豊かなことであったり、健康なことであったり、職があることであったり、安定した医療サービスが受けられることであったり、子供達がリモートで安全に教育を受けられることであったり、通常の学校生活を送れることであったりetc・・・

立っている場所が違えば視点も違う、見えている光景も違います。

互いが自分の主張を大声で言い合って、相手の話には耳を塞ぐことを続けていると、やがて本格的な諍いが始まり、それが「分断」へ「戦争」へと、より最悪な世界に突き進んで行くように思います。

それぞれ「正義」があっての主張で、だから譲れないのかもしれません。

しかし、どこかの時点で頭の熱を下げて、聞く耳を持ち、謙虚さを持って、相互の立場を尊重しながら折り合いをつけなければ、社会不安の脅威が拡大して行くばかりです。

 

ところで、車を運転しているとよく見かける看板があります。

『あおるより ゆずるあなたが かっこいい』と書かれた看板です。

この看板を見るたびに、自分自身の若いころの運転を思い出して恥ずかしくなります。

運転免許証を取得してから30代初めくらいまでは全てに渡り余裕がなく、若気の至りと元来の「せっかち」な性格が相まって、「たとえ3秒でも早く進みたい」と、他人様に不快感を与えてしまうような交通法規ギリギリの運転マナーだったように思います。(現在はゴールド免許を取得し、安全運転を心がけています)

運転に限らず多くの面で「アメリカファースト」ならぬ「自分ファースト」でした。

しかし「経営者意識の覚醒>>」の回でも書いたように、自分ファーストではなく譲ることを覚え、全てのステークホルダーの「良し」を追求するようになってからの方が、協力してやろう助けてやろうとしてくださる方が有り難いことに増えたので物事がスムーズに進みます。

冒頭で述べたような世界中で発生している対立も、あと少しだけでも人に譲って「折り合いをつける」ということが出来れば、今より良い社会が実現していくのではと思う次第です。

 

さて本年も稚拙なブログをお読みいただき、大変有難うございました。心より深謝申し上げます。

来る令和3年も引き続き精進を重ねてまいる所存でございますので、変わらぬご厚情を賜りますよう、伏してお願い申し上げますとともに、皆様のご健勝とご多幸、またコロナ禍の終息をお祈りいたします。

<お知らせ>

当社シニア事業部が運営するサービス付き高齢者向け住宅「フラワーホーム」が、WEBサイト「老人ホームの図書館」様にて紹介されました。

インタビュー記事が掲載されています。

 

詳しくはこちら>>

2020年

12月

06日

「当たり前」に感謝

【当たり前だったことが、当たり前でなくなる今】

今回のコロナ禍における状況を振り返ると、これまで「当たり前」だったことが「当たり前」で無くなってしまったことが数多くあります。

まず例えば日常の業務において様々な制限が加わったり、仲の良い友達やお客様との食事や会話を楽しめなくなったり、行きたい出張に自由に出かけることができなくなったり数え上げればきりがありません。

日ごろは「当たり前」と思っていたことも、当たり前では無いのだと気付かされました。

数ある思い浮かんだ気持ちの中から一例を挙げると、病院で診察や治療を受けることは「有り難い」と思うのと同時に、こちらは費用をお支払いし病院もそれで報酬を得られている訳ですから「医療サービスを受けるのは当然の権利」という気持ちもあります。

言い方を変えれば、お金さえ支払えば、誰でも当たり前に医療サービスを提供してもらえると思う気持ちがありました。

ところが現状は医療崩壊が叫ばれています。救急車を呼んでも、お金を沢山支払っても、医療サービスを受けられない未来が迫っています。

約1年に渡るコロナ禍で医療従事者は肉体的・精神的にも大変な負荷がかかっていると思います。

もうやめたー!と全てを放り出して楽になりたい気持ちと、使命感や責任感で踏ん張る気持ち、その両方を抱えながら、それでも毎日職場に向かうのだと思います。

当たり前に受けていたサービスは、多くの人達のそういう頑張りにより成立しているのだと改めて感じました。

 

 

【〇〇してもらって当たり前、この気持ちが相手の心を疲弊させる】

コロナ禍、命がけで働いている医療従事者と並列に語るのは違うかもしれませんが、それでもやはり世の中の全てのサービスや商品は、それに従事する1人1人の頑張りや責任感で成立しているのだと思います。そしてサービスを提供する側と受ける側との相互の尊重を基調にしたシステムの中で成立していると思います。

だからサービスを受ける側が感謝の気持ちが無く「お金を払うのだから、当たり前や当然の権利」だと思う気持ちばかりが強くなると、心を込めて一生懸命にやっている人ほど拭いきれない徒労感が蓄積し、必要最低限の割り切ったサービスの提供で、心の折り合いをつけるようになってしまうのではないでしょうか。

「〇〇してもらって当たり前」、この気持ちが相手の心を疲弊させるのは、家族間、友人間、従業員同士、会社と従業員など全ての人間関係にも共通することだと思います。

当たり前にしてしまっているけど、本当は当たり前ではない。

他者への感謝の気持ちを、いつでも忘れないようにしたいものです。

 

現在も継続中のコロナ禍の中でも、なんとか日本社会全体の機能が維持できているのは、様々な人々が様々な持ち場で自分の役割を担っているからであって、全ての人々の「支え合い」で社会は形成されているのだと、改めて心に留め置きたいと思います。