2019年11月

2019年

11月

01日

「理想的な経営者」≠「理想的な人」

先日ニュースで、小学校で思考実験「トロッコ問題」を資料にした授業があり、児童の保護者から「授業に不安を感じている」との指摘を受けて、校長が授業内容を確認していなかったとして、児童・生徒の保護者に文書で謝罪したというニュースを見ました。

 

トロッコ問題とは、以下のような問題です。

線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは猛スピードのトロッコが前方で作業中の5人に避ける間もなく衝突してしまう。

この時たまたま、あなたは線路の分岐器のすぐ側にいた。あなたがトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でも1人が作業しているため、5人の代わりに1人がトロッコに確実に衝突する。

さてこの場面で、あなたはどちらかを選ぶか?という問題です。

A. 何もしない。(トロッコは5人に衝突する)。

B. レバーを引く。(トロッコは1人に衝突する)。

考えただけでも、しんどくなるような問題です。

しかし長年経営をしていると、このトロッコ問題のような苦しい選択を迫られることが実際に何度もあります。

 

詳細は伏せますが、実はある出来事から1年間ほど、夢で魘されるほど悩み続けてきました。

私の中に「人としての自分の理想像」というものあり、それイコール「理想の経営者像」でもありました。羅列するのは恥ずかしいですが、義理や人情に厚く、人から頼られたらその期待に応え、言外の意味を汲み取って配慮してやり、人望が厚く、立場の弱い人にほど優しく、困った人が居たら手を差し伸べ・・・まぁつまり昭和の浪花節です。そういう男が私の理想の男で、理想の経営者でした。

しかしその「自分の理想像」イコール「理想的な経営者」ではないということは、合理性を重視した社会へと時代が進むにつれ薄々と、しかし次第にハッキリと理解できるようになりました。

義理人情に厚い経営者よりもムダを切れる合理的な経営者の方が求められている時代です。

いざという時には、経営者は冷徹になって義理や人情を切り捨てなければ会社の未来を守ることができません。

しかし「私個人の思い」と、「経営者としてしなければならない事」が相反すると苦しいです。

この件で相談や愚痴を聞いてもらった数名の方からの助言を要約すると、

「あなたの会社の企業理念は三方良しでしょう?あなた個人の思いやりで事を進めたら、もうそれは三方良しを逸脱してしまう。あなたと相手方以外の第三者の存在を忘れている。ビジネスにおいて第三者がこうむるかもしれない不利益と影響を考えていない」

というようなお話を頂き自分自身でもその通りだと思いました。

 

プライベートな問題ならば、自分が良い顔をしたければ良い顔をして、自分だけが不利益を被れば良いですが、ビジネスには多くの人が関わってきます。

ビジネスである以上、利益を生み出し従業員たちの暮らしを守って行き、社会へ貢献して、またお客様に良い商品やサービスで還元していかなければなりません。

その為には厳しい対応をしなければならない時もあります。

トロッコ問題じゃありませんが苦しい選択と向き合うこと、その選択の責任を負うことが公器を守る経営者としての務めなのでしょう。