お中元でチームワークを考える

7月からお中元のシーズンが始まったが、私も例に漏れず、上半期の「感謝」と「御礼」を込め、そして知らず知らずの間に積み重ねてしまっているであろう「御無礼」「御無沙汰」に対して謝意を表す為に、出来る限りの方々に、お中元を送らせて頂いている。

また有り難いことに、多くの方々からお中元の品を賜る。(ありがとうございます!)

当社では、頂いたお中元お歳暮の品は、私が個人的に頂戴したものを除き、その他の品は全て、社員、パート、アルバイト、派遣、下請け企業の従業員の皆さんに、一人まるまる1箱ずつ分配するようにしている。

熨斗と送り状だけを外すと、あとは中身の品の良し悪しや金額の高い低いは全く考慮せず、総務が機械的に、お中元の箱に従業員の名前を順番に記入していき、それを各部署に持って行き配布する。

だから社員に配布された品より、パートさんに配布された品の方が高額の場合もあるので、クジみたいなものなのである。

その事について、毎年のように冗談とも本気ともつかないボヤキが私の元に寄せられる。

「社員と、出勤日数が少ないパートや派遣とが、同じ1箱ずつなのはどうだろうか?出勤日数の少ない人には配らなくてもいいのでは?」

「社員に先に中身を選ばせて欲しい」

などといった内容である。

そのことについて、私なりの想いを書いてみたい。

 

学生時代の柔道部の監督である加藤秀雄先生 (講道館柔道九段)>>が部員を集めて何度となくおっしゃられた話がある

「柔道は一人では出来ない。試合も練習も相手になってくれる人がいるからこそ出来る。だから柔道は練習や試合の前後には必ず相手への敬意を表すための『礼』を行うだろ。

長年、監督をしていて感じることだが、強い選手が揃っていてもチームワークが悪い年は早々に敗退したりする。それとは逆で、一人ひとり見れば強い選手じゃなくても、選手も補欠も関係なく皆の仲が良い学年は良い成績を残している。

選手は練習相手になってくれる補欠に感謝し、補欠は選手に対して、我らの代表として少しでも強くなってほしいという想いが強い年ほど良い成績を残している。

選手も補欠も関係なく全員で『全国優勝する!』という想いを共有している年は強い。」

 

実際に私は、このお話を、身をもって体験した。

仕事でも同じである。一人では部分的な仕事しか出来ない。

社員だけでも、パートだけでも、部分的な仕事しか出来ない。

それに自分一人で目標と対峙するより、チームワークを以って目標を共有する方が、大きな実績が得られる。

「お中元を山分けする!」ということは小さなイベントながら楽しいことだと思う。

その楽しいことに社員もパートも派遣も関係ないのではないだろうか?

良い出来事についても、悪い出来事についても「自分には関係ないことだ」と従業員の誰にも思ってもらいたくない。

皆が皆、丸竹の当事者である意識を持って欲しいと願っている。

丸竹という船に共に乗った者同士、スタメンもサブメンバーも互いの存在に感謝しながら、目標を共有できる「チーム」でいてほしい。

そんな想いから、お中元お歳暮に関しては、先出の方式を取っているのである。