定年・終活

先般、同級生のお父上が86歳でご逝去された。

私が子供の頃から、遊びにお伺いすると「おっ!立花君か!勝手に上がり!」と、いつも気さくに声を掛けてくださるお父上であった。

通夜と葬式には多くの同級生が参列し、中には40年以上ぶりに顔を見る旧友も数名いて、まるで同窓会のようになった。

皆そろって齢55歳という事もあり、精進上げでの話題は、第一に「健康状態」・第二に「体力が落ちた」・第三に「定年・終活」といったテーマが中心であった。

図らずも友人のお父上がご逝去されたことにより、人生の後輩である我々に、改めてこれらの問題を再考する機会を与えて頂いたように思う。

本日は上記の3つのテーマについて、私の取り組みを書いてみたい。

 

まず「健康状態」についてだが、50歳になった年から、健康管理のサポートをしてくれる会社の会員になり、精密検査を定期的に受けている。これはズバリ病気への恐怖そして経営者としての社会的責任からである。(関連記事:健康という責任>> 経営者に終わりは無い>>

次に「体力が落ちた」についてだが、若い頃に比べて確実に衰えてきていることは自覚しているので、近年はなるべく体重をコントロールし(難しい・・・)、歩くようにしている。

さて3つ目の「定年・終活」についてであるが、これが本日のメインテーマである。

しかし私は、経営者という事もあり、健康状態が良いという事もあり、「人生の終わりについては、まだ何も見据えていない」というのが現状である。

しかしただ一つ、自分の中で決めていることがある。

経営者としての引き際のことである。

率直な気持ちを書くと、社会が私の経営者としての資質を必要とし、その存在を認め、働かせて頂けるのなら、健康管理に注意を積み重ねながら、頭と体が健全である限りは「必要とされる喜び」を胸に、幾つになっても働き続けて行きたいと考えている。

しかしその想いに反して、いずれは年齢の増加に伴い頭も体も老い、経営者として賞味期限の切れる日が遅かれ早かれ到来するのは避けられない事実である。

そして賞味期限が切れているのに、会社の舵を取り続けることは、まさに「老害」以外の何ものでもないのである。

そこで実は、引き際を見誤らない為に、いつでも株主様の総意に基づいて、経営者である私に引導を授けて頂けるシステムを構築しつつある。

それは私の65歳の誕生日までに、今の私の持ち株比率70%の状態を49%まで下げる事である。

社長を解任する人事権を株主様に委ねることで、

自分が衰えているにも関わらず、それを自覚せず、過信し行動し、会社をあらぬ方向に導いて行く癌にはならずに済むだろう。

人生をかけて、創ってきた、守ってきた会社の癌に自分自身がなるほど悲しいことはない。

また、世代交代が図れず老朽化した組織にならないためにも、「私から社会へ問いかけること」「私に対する査定を社会から頂戴すること」が必要である。

 

数十年ぶり会った同窓生が葬式の帰りに言った「次回、またみんなに会えるのは、病院か葬式か墓くらいやね!?」という言葉に爆笑しながらも不安を覚え、今年の人間ドックの予約をすぐに入れた次第である。