2016年12月のページ

2016年

12月

28日

天才たち

今回のブログが2016年の締めのブログとなります。 

本年も多くのご厚情を賜りました上にも、格別のお引き立てを頂戴いたしまして誠に有難うございました。心より御礼を申し上げる次第であります。深謝!

来る2017年も益々の精進を重ねる覚悟でございます。

重ねてのご指導・ご厚情の程、よろしくお願い申し上げます。

 

エジソンの『天才とは、1%のひらめきと99%の努力である』という言葉がある。

努力が最重要だという事を説いた言葉のように伝わっているが、実は、それは誤訳で、本来の意味は「1%のひらめき」の重要性を説いた言葉だったらしい。

「持って生まれた天才としての素質が無ければ、どれだけ努力しても天才になれない」ということだと私は解釈している。

 

ところで私の人生を振り返ってみると、それぞれの年代ごとに、天才と呼ばれる人たちが身近にいた。

当時、神童と呼ばれていた小学校のクラスメイトは、某国立大学を卒業し、現在は製薬会社で世界的な薬の研究員として活躍されている。

天才と呼ばれていた中学校のクラスメイトは、その後、独学でコンピュターソフトを2,000本以上開発した。

高校時代は柔道をしていた関係で、のちに五輪の金メダリストや世界選手権や日本選手権の覇者になった天才が同窓に、あまた居た。

私は、元来 負けず嫌いの性格であるために、彼らが周りの人たちから「天才」と賞賛されるのを目にする度に、密かに悔しい思いをしていた。

小中学校時代は、ただ漠然とやっかむばかりであったが、高校時代の柔道については、努力を積み重ねれば積み重ねるほど、薄々と、そして次第に切実に、天才との差を思い知らされた。凡人の私が血の滲むような努力をして得た技を、天才は1日2日で習得した。

サラリと追い抜いて行かれる度に、「凡人の限界値」を鼻先に突きつけられているような気分であった。

例えば高校野球で日本一のチームになったとしても、プロ野球に入ることが出来るのは、チームの中の天才だけ。「私は、そこへ入る事は出来ないだろうな」と、諦念や嫉妬が何かある度に湧きあがった。

 

17歳の冬に、とある経営者の方と出逢える幸運に恵まれた。

この方を、その後38年間、現在進行形で師事させて頂いている。

最初に師匠に出逢った瞬間から、昂揚し、胸が一杯になり、全身全霊で憧れた。

出会った当時、師匠は社員100名ほどの中小企業の社長であった。

しかし事業を一つまた一つと成功させ、会社を成長させ続け、株式を店頭公開し、その後、東証二部に上場、その1年後には東証一部に上場し、社員数 約6,600名の誰もが知る大企業へと会社を成長させた方である。

そう、私が出会った師匠は、「企業経営の天才」だったのである。

私は今まで天才と出会う度に、努力してもしても超えられない「凡人の限界値」を思い知らされ、やっかんでいた。天才と自分を比べるたびに、諦念が顔を出した。

しかし、師匠という企業経営の天才に出会ってからは、

「天才と同じ場所に立てないからといって諦めたくない。たとえ100分の1でも、それがもっと少なくても、ほんの少しでも努力して近付きたい。」と思うようになった。

 

冒頭でエジソンの言葉の真意を

「持って生まれた天才としての素質が無ければ、どれだけ努力しても天才になれない」と書いたが、べつに、天才になれなくたっていいじゃないか。

凡人でも努力すれば、望む場所に、たとえ少しでも、今より近づけるはずである。

諦めないことで、はじめて物事は動き出すと思うのだ。

 

座右の銘である「諦めず気が遠くなるまで繰り返す!」を胸に現在も精進を重ねているが、来年もその先もずっと、目標に向けて、諦めず気が遠くなるまで走り続けて行く覚悟である。

この覚悟を持って本年の締めのご挨拶とさせて頂きます。

ありがとうございました。

 

2016年

12月

18日

良いじゃないか!「させていただきます症候群」

「させていただきます症候群」というものがあるらしい。

「させていただきます」を過度に使う人を総称して、「させていただきます症候群」と呼ぶらしい。

例えば「お送りします」を「お送りさせていただきます」だったり、「休んでおります」を「休ませていただいております」という風に言ってしまう人たちの事らしい。

その話を聞いた時、私はドキリとした。

なぜなら私自身、思いっきり「させていただきます症候群」に該当していたからである。

それ以降は、出来る限り気を付けるようにしていた。

 

話は一旦逸れるが、今年の夏、母校である天理高校から、卒業生向けの会報誌に寄稿して欲しいとのお話を頂いた。

その原稿を書く際も、させていただきます症候群に気をつけて書いた。

秋になり、会報誌が届いた。

卒業後、毎年届いていた会報誌であったが、くまなく目を通したのは、この時が初めてであった。

驚いた!!

させていただきます症候群だらけなのである。

「学ばせていただき」「気づかせいただき」「受賞させていただき」「働かせていただき」といった風である。

しかし、そこに掲載されていた、癌を克服された女性の一文で、私はハッと気づかされた気持ちになった。

『生きているのではなく、生かされているということに気づかせていただいた。』

生きることが出来るのも、気づくことが出来るのも、自分1人の力ではなく、天や周りの人々からの力添えがあるからだ、ということである。

つまり「させていただく」という言葉の中には、「感謝の想い」が含まれているのである。

感謝の想いがあるから、「生きている」ではなく「生かされている」であり、「学ぶ」ではなく「学ばせていただき」であり、「気づく」ではなく「気づかせいただき」であり、「受賞し」ではなく「受賞させていただき」であり、「働く」ではなく「働かせていただき」と、寄稿した同窓の皆さんは表現していたのである。

昨今の、揶揄に近いような「させていただきます症候群」を気にしていた自分がバカらしくなってしまった。もちろん、実体のない、都合のいい記号になってしまってはいけないが、感謝の想いを伝えたい場面でも、多用することを嫌って「させていただき」を削っていたのが、お笑いである。

自嘲したのと同時に、「させていただきます症候群」というものを知るまでは、自分が同窓の皆さんと同じように「させていただきます」という言葉を多く用いていた事実を嬉しくも思った。

 

私が天理で学んだのは高校生活の3年間だけであったが「何事にも感謝して生きて行く」という精神を教えて頂き、知らず知らずのうちに多少なりとも身についていたのだなと有り難く思った。

 

2016年

12月

11日

電化製品が次々壊れる時

早いもので、今年も残り約3週間。

忙しいながらも、まずまずの師走を送っているが、実は今年の秋はトラブルの連続であった。

まず、毎日のように電化製品が故障した。

故障したものを挙げてみると、事務所の監視カメラ、掃除機、空気清浄器、換気扇、LED電球複数、投光器、カーステレオetc・・・

工場の機械も連続して故障した。

故障した製品の対応に追われる中、毎週のように知人の訃報が入った(3名)。

私自身の注意力も低下していたようで、初めて訪れた土地で車を脱輪させてしまった。同じようなことが社員にも起こった。

両親が相次いで入院した。(現在どちらも退院し快気)

そして私自身も皮膚疾患と背中の痛みが、なかなか治らなかった。

イレギュラーな出来事が続くと嫌なものである。「神社かどこかでお祓いをしてきたら?」と冗談とも本気ともつかない進言が出るほどの有様であった。

しかしもちろん悪いオバケの仕業なんてわけもなく、1つ1つを分析してみると、特別なことが起きたわけではなく、長期的なスパンで考えると誰の人生にでもほぼ確実に起こりうる御馴染みの出来事ばかりである。

それがたまたま今回の場合、短期間に集中して起こっただけである。

運気のバイオリズムは誰にでもあり、幸運な時も低迷する時もある。一生という長いスパンでも、一年、一か月、一日という短いスパンの中にも、幸運な時も低迷する時もある。

あぁ今、運気が低迷しているなと感じた時には、ジタバタしないことである。動揺したり騒ぎ立てたりせず、落ち着いていつも通り、淡々と過ごすのが一番である。

初代「立花屋」の経営者であった私の祖母が、

「そんな時はな、川の底にじっと身を隠して、水面の激流をやり過ごすことが一番や」

と話してくれたことがあった。

また、こんな時は、「警告の時期」と捉えて、予防措置や善後策を講じたり、保守・点検作業を今まで以上に慎重にするなど、次にイレギュラーな出来事が発生した時の為の備えを固めるようにしている。

 

秋の終わりと共に、激流の日々も去った。

忘れてはいけないのは、あのような運気の低迷期にも、同じ数だけ「幸せな良い出来事」も起こっていることである。

私は経営者として常に感謝を持ちながら、いかなる時でも落ち着いてジタバタすることなく、起こってくる出来事や出逢う人や物に、しっかりと、きめ細やかに、誠意を持って向き合って行こうと改めて思った次第である。