「させていただきます症候群」というものがあるらしい。
「させていただきます」を過度に使う人を総称して、「させていただきます症候群」と呼ぶらしい。
例えば「お送りします」を「お送りさせていただきます」だったり、「休んでおります」を「休ませていただいております」という風に言ってしまう人たちの事らしい。
その話を聞いた時、私はドキリとした。
なぜなら私自身、思いっきり「させていただきます症候群」に該当していたからである。
それ以降は、出来る限り気を付けるようにしていた。
話は一旦逸れるが、今年の夏、母校である天理高校から、卒業生向けの会報誌に寄稿して欲しいとのお話を頂いた。
その原稿を書く際も、させていただきます症候群に気をつけて書いた。
秋になり、会報誌が届いた。
卒業後、毎年届いていた会報誌であったが、くまなく目を通したのは、この時が初めてであった。
驚いた!!
させていただきます症候群だらけなのである。
「学ばせていただき」「気づかせいただき」「受賞させていただき」「働かせていただき」といった風である。
しかし、そこに掲載されていた、癌を克服された女性の一文で、私はハッと気づかされた気持ちになった。
『生きているのではなく、生かされているということに気づかせていただいた。』
生きることが出来るのも、気づくことが出来るのも、自分1人の力ではなく、天や周りの人々からの力添えがあるからだ、ということである。
つまり「させていただく」という言葉の中には、「感謝の想い」が含まれているのである。
感謝の想いがあるから、「生きている」ではなく「生かされている」であり、「学ぶ」ではなく「学ばせていただき」であり、「気づく」ではなく「気づかせいただき」であり、「受賞し」ではなく「受賞させていただき」であり、「働く」ではなく「働かせていただき」と、寄稿した同窓の皆さんは表現していたのである。
昨今の、揶揄に近いような「させていただきます症候群」を気にしていた自分がバカらしくなってしまった。もちろん、実体のない、都合のいい記号になってしまってはいけないが、感謝の想いを伝えたい場面でも、多用することを嫌って「させていただき」を削っていたのが、お笑いである。
自嘲したのと同時に、「させていただきます症候群」というものを知るまでは、自分が同窓の皆さんと同じように「させていただきます」という言葉を多く用いていた事実を嬉しくも思った。
私が天理で学んだのは高校生活の3年間だけであったが「何事にも感謝して生きて行く」という精神を教えて頂き、知らず知らずのうちに多少なりとも身についていたのだなと有り難く思った。