後になって気づくこと

プロフィールやブログにも何度も書いているが、私は15歳の時に地元大阪を離れて奈良の天理高校に柔道をする為に入学した。

それまでは実家の大阪で、やりたい放題の自由気ままな生活を送っていたわけだが、入学した瞬間からそれはそれは厳しく管理された生活が待っていた。

約40年前の話であるから、現在はもう大きく違うであろう。

柔道部専用の寮に入寮し、自室や道場の掃除はいうに及ばずトイレ掃除や廊下の掃除、皿洗いや洗濯はもちろん、布団の敷き方や挨拶の仕方まで、すべて詳細に決められた規則の中での生活であった。

そんな生活の中、柔道の修行は朝練の走り込みから始まり、放課後の部活動はもちろんのこと、寮での就寝前の筋力トレーニングまでも決められていた。

入学当初は柔道の修行よりも規則と礼儀作法というものを徹底的に教え込まれた。

当時は正直「なぜ、こんな苦しく厳しい所へ来たのだろうか?」と自分自身の選択を恨んだりもした。しかし、人生の中でも一番多感な時期に受けた様々な厳しい指導は、経営者となった今の自分にとって、人生最大の財産となっているのが現状である。

柔道をする為に天理高校に入ったのだが、結局は柔道だけではなく、社会で生きていくために大事なものも数多く学んだと思う。

というのは、まず柔道や肉体を酷使するスポーツの類は加齢や肉体的な限界が自ずと存在するので一生続けることは不可能である。

ほとんどの場合、大学を出れば社会に出て働くことになる。

その時に必要な要素のほぼ大半を、私の場合、柔道を通して教えられたである。

 

簡単ではあるが、柔道を通して教えてもらったことを大別すると

「濃厚な集団生活から学ぶ人間関係の作り方、礼儀作法、集団の中での自分の役割の見つけ方や果たし方」

「最初はしんどいと感じる規則も、習慣化させることにより苦を感じることなくやれるようになること」

「血の滲むような努力をしても、その努力が結果に反映されるとは限らないスポーツの不条理さを経験することで、社会に出てからの不条理にめげない精神力を養うこと」

「諦めず限界まで続ける持久力。そして限界だと思っていた先にも光はあり、知らぬうちに成長出来るということ」

そういったものを教えて頂いた。

 

偉そうな事を綴ったが、今になって過去を振り返れば、上記のようなことを無自覚のまま学べていたんだなぁと感謝出来るが、当時はただただ目の前の柔道に一生懸命になっているだけで、その努力が今後の自分の人生にどう影響して来るかなど考えもしなかったし分からなかった。

真っただ中に居る時は、「しんどい」「辛い」「もう辞めてやる」と思うことの方が多かったが、時が過ぎてみれば、そんな時期こそ自分を成長させてくれていた時期だったのだと、今さらながらに思った。