どこまで行っても平行線

とある会合での事である。

隣の席になった方と挨拶を交わし、互いに自己紹介をした。

その方は、私が経営者だと分かると唐突に

「私は経営者に成る気もないし、経営自体も絶対無理です!」

「なぜならば経営は努力だけではどうしようもなく、天の理と地の利が味方してくれないと成功出来ないから、運を天に任せるような職業に人生を掛ける勇気もない」と仰った。

最初は謙遜の言葉なのか?と思ったが、どうもそうではないようで、経営という職業に批判的なのか?経営者という人種が嫌いなのか?

とにかく何が何だか解らず、不快な気持ちになった。

しかし大人気ない言葉を言う訳にもいかないし、

「百人いれば百人とも価値観も考え方もさまざまですからね」

とだけ返して、あとの言葉は呑み込んだ。

しかし、その方が発した「運を天に任せるような職業」という言葉への違和感が次第に私の中で耐え難いものになり、やはり私の考え方を述べさせて頂くことにした。


その時の話を、以下に簡単に書かせて頂く

■天の理

当社の経営理念にもあるように「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の「三方良し」の精神で事業をさせて頂くことにより、返ってくる反響なり評価なりが、平たく言うと社会からの「報奨」であり、まさに「天の理」ではないだろうか!?

■地の利

人口密度や人の流れに対する会社や店の立地条件から始まり、その地域の住民特性・市場性のリサーチ、果ては近隣住民や近隣企業・同業他社との交わりを含めた企業の持てる社会性全般から生まれる利益が「地の利」ではないだろうか!?

 

つまり多くの経営者は、ただぼんやりと運を天に任せているのではなく、事前調査、事前準備をし、緻密に計画を立て、真面目に取り組み、人との関係を大切にし、責任を負い、日々努力することで良い結果(運)が来てくれるように道筋を作っているのである。そして悪い運に襲われませんようにとただ願っているのではなく、危機に襲われないように、襲われたとしても最小限の被害で済むようにリスクマネジメントをしているのである。

人事を尽くして天命を待つという言葉があるように、経営者として出来る限りのことをし尽くした後の結果を天に任せているのである。

ここまでしても不運に襲われる事もあるが、それは経営者でなくとも、どんな職業でも同じだろう。

 

以上のような経営者としての私の信念を述べさせてもらった。

するとその方は、「あなたが述べたような事は、すでに学生時代に本を読んで学んだから理解しているが合理的でない。だから、卒業後の進路を考えた時、経営者というリスキーな選択肢は無かった」という事を仰った。

「明日が解らないからこそ、挑戦も出来ます」と私が言うと、「見ない明日に自分を任せていますね!」と返って来た。仕舞いには、「お金儲けが好きなんですね?」と言われ、お喋りな私も閉口してしまった。

気を取り直して、「儲ける」と「儲かる」の違いを説明しようかと思ったが、会の時間も終わりに近づいていたので結局、平行線のまま挨拶を交わして別れた。

会場を出るとドッと疲労感に襲われたし、討論している最中はカチンと来た瞬間もあったが、こういう方は、実は私にとって非常に有り難い存在なのである。

なぜならば、世の中には人それぞれに色んな考え方や価値観があることは事実だし、生きざまも様々であろう。それらを多く知ることが経営者としての自分自身のスキルアップに繋がる。

それに私の年齢になると、面と向かって批判や反論をぶつけてくれる人が少なくなる。そうなると自分の考え方や価値観に独善的に酔ってしまいがちになり「裸の王様」になる危険が待ち受けている。

人に批判や反論をぶつける行為は多大なエネルギーが要るものである。そうしてまでも、私にご意見を下さる人の事を有り難い人だと思う。

そこで私の周りの全ての人にお願いしたい。

賛同はしてくれても迎合はしないで欲しい!そして、どんなことでも異論反論があれば、是非とも私の為に、その考えを聞かせて欲しい。

 

今回の出来事は今になって思うと、神様が私に訓示を与えて下ったのではないか?

今秋にサ高住の本格運用が開始されると、利用者様や新たな社員や関連業者さんなど、関わる人数が急増する。

関わる人数が増えるという事は、価値観が大きく違う人とも出会うという事、そしてそういう人達とも関わり合って仕事をするという事である。

その前に神様は、「世の中には色々な意見があるのだぞ!」「みんなの意見に耳を傾けて独善的になるなよ!」「人が増えるともっと大変だと心しろよ!」と、平行線の人物を通して私に教えて下さったのではないだろうか?と思った次第である。