コンプレックス

先般、父の家を訪ねた際に、父が「この本、持って帰ってくれ!」と一冊の本を差し出してきた。
その時は、たいして中身の確認もせず持ち帰ったのだが、帰宅後に本のタイトルを見てみて驚いた。「数学序説」と書いてある。

大層なタイトルだと思いながらページを開けてみると、「この本は大学教養における数学の教科書とする意図を持って書かれ-」と前書きに書いてある。

本論を少し読み進むと、まず私が高校3年生で学んだ数ⅡB最終の基礎解析程度は常識的に知っていることが前提に書かれているようで、私はすぐにページを閉じ、本を投げ出した。
どうやら父は、この本を買ったものの撃沈し、私に寄越したようだ。

中卒の父にコレが理解出来るはずがない。
私も以前に「心理学大全」いう本を買ってページを開けると「この本は大学教養・・・」から始まった難解な論説が書かれており、そっとページを閉じた経験がある。
さすが親子、行動が似ているなと呆れながらも感心した。


実は「心理学大全」だけではなく、他にも買ったものの少し読んだだけで放置している本が沢山ある。買ったことすら忘れている本も入れれば相当な数だろう。
どうして私はこんな馬鹿ばかしい行為を繰り返してしまうのか?と突き詰めて考えた時、やはり学歴の事があるように思う。
高校時代は柔道しか頭になく、勉強は二の次にしてしまった。

そして大学も中退だ。
やはり学歴に対するコンプレックスはある。
コンプレックスがあるから、少しでも難しい知識を身に着けようと日頃から思っている。
だから難しいタイトルの本を見ると、そこには新しい知識が一杯書いてあると思い、探究心にスイッチが入る。そして私は元来せっかちな性格なので、ろくに内容を確認せずに早々と買ってしまう。しかし買ってみたものの、そこには自分のスキルを遥かに超えた事が書かれていて撃沈する。

この繰り返しなのである。
その上、恥ずかしながら私は、ええ格好しいなので、難しい題名の本を読んでいる人は恰好良い、イコール、人が知らない事を知っていると、もっとカッコいいと思い、その結果として、本屋で難しい題名の本を見つけると、ついつい購入してしまうのである。
「難しい本を買った」ということと「本の題名」に自己満足するが、実際に本を読み始めると自分自身のスキルの無さに自己嫌悪に陥るのだ。


調べてみると、私のこのような行為は「欲求」なのだそうだ。
「成長への欲求」や、「承認への欲求」なのだそう。
そして欲しいものが手に入らないと、人は代わりの物や行為で埋めようとするのだそう。
私の場合、学歴が手に入らないので、代わりに難しい本を買う行為で欲求を解消しようとしていたようだ。もしかしたら父も、そうだったのだろうか? 笑

 

ところで、やはりコンプレックスをオープンにするのは、弱さを見せることでもあり、恥ずかしいし勇気がいる。「弱みは見せるな!」という考えもがあるが、私はこうしてオープンにした方が、気持ちがスーっとするのである。