ー2012年ー

2012年

12月

16日

努力を極めてからじゃないと運(天命)は来ない

今回は、「運」について少し書こう。


現実社会の営みや柔道の試合の中で、実力以上の結果に「運が良かったですね!」、実力はあったのに「不運だったですね!」などは、よく使われる言葉だ。
私は過去、永年に渡り柔道に携わって来た中で、確かに「運、不運」が勝敗を左右したことが往々にしてあった。
力の差が大きい地方大会クラスなどは別として、全日本レベル、ましてや国際レベルになれば、運は勝敗に関係していると思う。
というのは、全日本レベル以上になるとほぼ全員が、日々の努力や精進の積み重ねにおいてはもうほとんど差がなく、やはり努力だけでは、なかなか上位へは行けない。


では「運」とは、いったい何なのだろうか?


■人より飛び抜けて恵まれた肉体を持って生まれること。
■自然の摂理。
 例えば対戦相手が、得意とする選手だったなど。
■地の利。
 例えば試合会場がホームグランドだったり、試合会場の畳が普段練習している畳と同じだったなど。
■習慣。
 習慣は第二の天性とも言われているが、意識せず行っていた習慣が、思いがけなくも勝敗に役立ったなど。
■現在の環境。現在に至るまでの環境。


これらを『運』というのではないだろうか!?
こうして並べあげてみると、やはり「運」は天命であるがゆえコントロールはなかなか難しいものである。
しかし努力という土台があってこそ運は巡って来るものであり、努力なくして運だけで成功出来るわけはないのだ。


『人事を尽くして天命を待つ』という言葉がある。
人間の能力でできる限りのことをしたら、その結果は天の意思に任せるという意味だ。

努力が必ず報われるとは限りらない。
しかしながら、努力を極めてからじゃなければ運は来ないと私は考えている。
努力不足を「運がなかった」とすり替える人間に、運は来ないと思うからだ。
「運がなかった」と言って良いのは、日々の努力と精進を積み重ねた人間だけだ。

 

華やかな道の裏には必ず地味な努力と精進の繰り返しが存在している。
『何事も根気良く、気が遠くなるまで繰り返す!』
今日もそう自分を鼓舞している。

 

2012年

12月

08日

『諦めず気が遠くなるまで繰り返す!』

私の座右の銘である「諦めず気が遠くなるまで繰り返す」について書きたい。

 

私は勝負に負けたことが無い。
(と勝手に思っている)

真実を書くと、もちろん負けたことは何度もある。
しかし例えば柔道の試合に負けると、その翌日から同じ相手に練習や戦いを挑みに行くのである。
それでやっぱりボロボロに負けても、また行く。
それで再び負けても諦めない。
戦略を変えたり相手の技を研究したり、さらに自分を鍛えたり、時には奇襲戦を使い、とにかく勝つまで戦いを挑みにいく。
そんな事が続くうちに相手は辟易して、
「もうお前の勝ちと認めるから、来てくれるな」と言ってくる。
諦めれば、その時点で私の負けは確定してしまうが、諦めず挑み続ける限り、負けたことも勝ちへの通過点である
それでも勝てなかった相手には、学生というカテゴリーの中では時間に制限があるので、

「社会に出てから仕事で必ず勝ってみせる。だから私の負けではなく、まだ試合途中!」

と心の中で勝手に闘志を燃やしていた。

それぐらい負けず嫌いなのである。

 

このしぶとさというか、諦めない精神は、やはり柔道で培われたものだと思う。
柔道には「打ち込み」という練習方法がある。
相撲で言うところの、四股を踏むのと同じように地味な反復練習だ。
実際に組み合っての「段取り」などは、体力的に辛くても変化があり楽しく思えるのだが、この打ち込みは、ひたすら同じ事の繰り返しなので、精神的に堪らない。
けれどもスランプに陥った時などには必ず、打ち込みだけを延々と、それこそ本当に気が遠くなるまでさせられた。
すると不思議なもので同じことを繰り返しているうちに、工夫したり意識したり確認したりを無意識の中で自然と行っている。
そのうち暗闇の中から道が見えて来て、スランプから抜け出せるのだ。
諦めれば、その先には何も無いが、諦めず続けている限り未来に続く道は必ずある。

 

この歳になっても今尚、なかなか未来はスッキリとは見通せない。
けれども何事も諦めず、達成できるまで辛抱強く繰り返し、前進し続けようと
日々に覚悟を決め、毎日精進と健康を心がけてる。

 

2012年

11月

26日

立花克彦ブログスタート!

2012年のホームページリニューアルを機に立花克彦ブログをスタートしました。