子供時代に飼っていたポンタという名の犬が、先日夢に出て来ました。
今日はポンタとの悲しい話を書いてみようと思います。
昭和40年代の初め、私が小学校2年生の時、ポンタは我が家にやって来ました。
よちよち歩きのポンタと一緒に蛍を見た記憶があるので、春の終わり頃にやって来たのだと思います。
父は当時、昼夜交代のある会社に勤務しており、母は入院生活の繰り返しで不在がちだったため、一人では寂しいであろうという思いから、父の姉が私に贈ってくれた秋田犬の雄がポンタでした。
数か月たった初冬のある日の朝、ポンタとの予期せぬ別れは突然に訪れました。
実はポンタとの別れは、私の不注意のせいで起こりました。
ほんの些細な不注意が最悪の結果に繋がってしまい、悔やんでも悔やみきれません。
朝、学校に行く支度をしていた時に突然、犬の悲鳴のような鳴き声が聞こえました。
嫌な予感がしてポンタの名を呼びながら家中を探しましたが、姿が見えません。
ふと玄関の扉に目をやると、隙間が空いています。私がちゃんと戸締りをしなかったせいでポンタは外に出てしまったのでした。
慌てて玄関から飛び出すと、何十メートルか先に、走り去って行こうとする犬捕りのトラックの荷台が見えました。
荷台に積まれた大きな檻の中で、他の犬たちと捕らえられているポンタの姿を発見しました。
「ポンタ!ポンタ!」と叫びながら追いかけると、ポンタは私に気づいたらしく、こちらを見つめて「ウー」と震えながら唸りました。ポンタはお互いが見えなくなるまでずっと、こちらを見ながら唸っていました。
私はまだ子供だったせいもあり、ただただ泣き叫びながら見送るだけしか為す術がなかったのです。
その日は無断で学校には行かずじまいで、ポンタが居なくなったショックから一日中布団にくるまって、ポンタの最後のあの唸り声はなんて私に言っていたのだろうか?と思いながら泣いていました。
ポンタが居なくなった日の夜、仕事から帰った父にこっぴどく叱られました。
「戦争中にはもっと悲しいことがいっぱいあった!これぐらいのことで男は泣くな!」と私を叱りました。
そう言いながらも父は、勤めていた会社の社長と一緒に保健所に返還交渉をしに行ってくれましたが、ポンタの首の骨が折れていて叶いませんでした。
後日ポンタの件を知った母方の祖母からも「男の子が泣くな!」と叱られました。
けれども祖母は私を慰めるために、母を病院まで呼びに行ってくれました。