先生の神対応

高校3年生の時、いたずら心で、「生徒みんなの前で、先生を困らせてやろう」と思い立った。

今回は、その時の話である。

 

もう何度も書いているが、私は歴史が好きで、今でも時間が出来るとあっちこっち書店の歴史コーナーをよく探索している。

高校3年生のある日、立ち寄った書店で、たしか「日本史難問クイズ マニアック編」という本を見かけて手に入れた。

そして帰寮すると早速その本を読み始めたのだが、その本のあまりのマニアックさに好奇心を駆られ、寝るのも忘れて読み耽った。

読んでいるうちに、こんなレアな情報を知っているのは、この本を買った俺ぐらいだろう!?とおかしな自負が芽生え、その自負心が悪戯心に形を変え、火がついてしまった。

つまり「日本史の授業中に、今読んだばかりの難問をN先生に投げかけて困らせてやろう!」と思ったのである。

善は急げ?(笑)と翌日、私は早速実行した。

「先生~!関が原ではなく三方ヶ原の戦いでに家康が信玄に対して敷いた布陣の名前は?」

「鶴翼の陣(カンヨクのジン)。難問でも何でもない!誰でも知っているぞ!」

なんと先生はすぐさま正解を答えてしまった。戦いを挑みに行って瞬殺されたような気分である。このまま引き下がれば、恥かきは私の方である。

「じゃぁ先生!第2問目。伊達政宗の弟の伊達正道の初陣時の名前は小次郎であるが、さて元服前の幼名は?」

「難問だな。分からない!立花、教えてくれ」

私は心の中でガッツポーズをしながら

「竺丸!(ジクマル)」

「よーっし!そしたら3問目は先生から立花に出そう!」

思いがけない展開である。

「日本史自慢の立花でもこれは答えられるかな??

源平合戦 須磨一ノ谷の戦いで源氏側 熊谷次郎直実に首をはねられた平家側 平敦盛の来ていた鎧の色は萌葱色(モエギ色)であるが、その下に着ていた着物の色は?」

「先生、分かりません!教えてください」

「難問だったな。答えは蓬色(ヨモギ色)」

クラスの同級生達からは、「先生!その時、見てたんか!?生きてたんか!?」と声が湧きあがり、笑いが起こった。

「先生も立花も1問ずつ答えられなかったから、勝負は引き分けやな!よし授業を続けるぞ!」

と仰せられて、先生は涼しい顔で授業を再開された。

 

今考えれば先生の対応は素晴らしいものだったと思う。

私語禁止!と私の質問を遮ることも出来たはずである。しかしもし、先生がそうしていたら、当時の私は「先生は逃げた」と判断し、白けた気持ちになっていたであろう。

また、最後に不正解のままでクイズを終わらず、それ以上の難しい質問をすることで、歴史の先生としての威厳を生徒達に対して示した。

そしてもう一つ、先生の神対応。

私は先生に2つ質問をした。しかし先生は私に1問しか質問をせず「勝負は引き分けやな」とおっしゃりクイズを切り上げた。フェアな勝負ならば、あと1問質問をして私を打ち負かすことが出来たはずなのに、先生はそうされなかった。

私が皆の前で恥をかかなくて済むように図らってくださったのである。

 

負けず嫌いの生徒だった私は翌日、もう一段掘り下げた「一ノ谷の戦い」の難問を自分で作るために書店に走り、たしか「須磨一ノ谷 敦盛の最後」という本を買って読み始めた訳であるが、読みながら先生の「神対応」に気付き、新たに悪戯を練るのを辞めた次第である。