「死に病と仕事ほど苦しいものはない」

「死に病(しにやまい)と仕事ほど苦しいものはない」

この言葉は、母方の祖母、亀田マツおばぁちゃんの言葉である。

私が子供の頃から度々、祖母は私に言って聞かせた。

その言葉の通りに生きた祖母は70代前半で病に倒れたが、倒れた日も母方の実家が営む建設業の社員宿舎で、社員の洗濯物を夏の暑い日に干している最中の出来事であった。

当時、祖母が倒れたと連絡を受けた時、不謹慎にも体の心配よりも先に、「さすが祖母らしい」と思い、弁慶の立ち往生を連想してしまった次第である。

 

さて以前にも書いたが、私が生後8か月目で母が腎臓結核にかかり闘病生活を余儀なくされた関係で、6歳頃までの約5年間、私は母方の実家で祖父母の手によって育てられた。

一言で言うと、祖母は、とても厳しい人間だった。

母方の従兄妹たちと皆で集まった時に、祖母の思い出話になるのだが、決まって皆それぞれの「怒られた話」を披露し花が咲く。

今になって思えば「怒られた」というより、「生きて行く術を真剣に教えてくれた」と言った方が的を射た表現であるかもしれない。

私の知る限りでは祖母が私より先に寝たのも、私より後に起きたのも、病に倒れる日まで1度も見たことが無い。旅行や観劇さえも行っていた記憶がない。「ご飯は楽しみでも何でもなく、働くための燃料補給」と平然と言ってのける。「男から仕事を取ったら何も残らへん」が口癖。

それと女性でありながら、化粧をしている姿は祖母が生きている間に1度も見たことが無かった。ある日、祖母に「おばぁちゃんはお化粧はしないの?」と単純に聞いた思い出がある。

「化粧は今まで1回きり、結婚式の時だけ。次は葬式で棺桶に入る時かな!?」と言った祖母の言葉が印象深い。

祖母が残してくれた言葉は「二人のがばいばぁちゃん>>」で書いたように色々とあるが、最近になって冒頭の「死に病と仕事ほど苦しいものはない」という言葉をよく思い出す。

祖母が生きた時代は、働くために生きていたような時代だったかもしれない。

しかし、世の中の価値観は変わった。

ネット上には「楽な仕事」「たのしい仕事」「のんびり働ける仕事」などといった言葉が並んでいる。

けれども、楽な仕事など本当に世の中にあるのだろうか?あるのなら皆がやりたいだろう。

私は仕事が苦しい。祖母が言う「死に病」レベルの苦しい境地には達せていないが、それでもやはり苦しい。会社経営は苦しいことの連続と言っても過言ではないと思う。

それでも、そんな毎日の中から喜びを感じることも色々ある。お客様の満足、会社の利益、社会への貢献、社員やスタッフの成長、そういったものを感じる時、普段の苦しさが一瞬帳消しになる。

仕事とは苦しいものだと思う。もちろん経営者だけじゃなく、社員もパートさんだってそれぞれに苦しいだろう。

けれどもその苦しい中から、社会に参加している喜び、必要とされる喜び、自分の成長の喜び、感謝される喜びetc・・・なんでもいいから「喜び」を見つける事が出来たら、仕事はもっと充実したものになり、長いこと続けていけるのではないだろうか。

 

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