大学助教と中学生の風変りな付き合い方

当時、中学生だった私と、同志社大学哲学科で助教をされていた北出寧啓(やすひろ)という先生との付き合い方が、今思えば風変りだったので、今回は、そのことについて書いてみたい。

まずその前に、父子共にお世話になり、母の命の恩人でもある金田半三郎先生という方を紹介したい。

金田先生は、京都大学医学部の元準教授(のちに金田医院を開業)をされていた医学博士(当時 血液腫瘍学)で、父がサラリーマン時代に在籍していた会社の産業健診医であったことから、父と親しくしてくださった。

また私の幼少期の主治医でもある。そして私の中・高校生時代の柔道私設後援会会長もしてくださった。

また亡き母の腎臓に潜伏していた結核菌の存在を最初に発見してくれた先生でもある。先生の発見が無かったら、単なる風邪引きからの腎盂炎と考えてしまい、結核菌に対する治療が遅れて、母の人生はさらに短いものになっていただろう。

金田先生は数年前にお亡くなりになられたが、認知も無く90歳という天寿を全うされた。

(合掌) 

 

その金田先生のご紹介で、私が中学生の時に、クラブ活動(柔道・少林寺拳法)に専念し過ぎるあまりに遅れてしまった勉強を取り戻すべく、中学3年間に渡り、週1回のペースで自宅に来て英語・数学を教えてくれていた先生がいた。

その先生が冒頭で紹介した当時27歳、同志社大学哲学科で助教をされていた北出寧啓(やすひろ)という先生で、のちに市民運動家として泉南市議会議員を3期に渡り勤められた方である。

前置きが長くなってしまったが、学問を教わる以外にも、北出先生が金田先生の付き人のような感じで、当時の私の自宅によくみえられていた。

父と金田先生が話している間、必然的に北出先生と私が共有する時間も増えて行った。

そんなある日、北出先生は中学生の私に向かって、こう言い放ったのである。

「私は、人とたわい無い話で時間を潰すような刹那的な時間の使い方はしたくない。付き合うからには、君と僕とでもっと文化的・建設的な議論をしよう!」

そう言うと、鞄から、ヘミングウェイの「老人と海」を取り出し、

「次回、会うまでにこの本を読んでおきなさい。そしてこの本についての感想を議論し合おう」と一方的に言われたのである。

私は先生の身勝手な言い分に、心の内では憤慨していた。

しかし本を読まずに済ますことは、勝負から逃げたような、そして北出先生に負けたような気がしたので、しぶしぶ本を読んでみることにした。

私は歴史が好きだったので、歴史関係の本はよく読んではいたが、文学作品はまるで興味が無いどころか、「男が読むもんじゃない」とバカにして毛嫌いしていたのである。

しかし読み始めると面白くて堪らない!老人とカジキとの闘い、また老人と若者の遣り取りが痛快でハマりにハマりまくった!あまりの面白さに何度も繰り返し読み返した。

それから暫くして北出先生と議論し合う機会が訪れた。

私が「待ってました!」とばかりに一連の感想を得意顔で語り終えると、

「確かに物語に書かれた表面上の事柄は理解し読み込めている。しかしそれではダメだ!行間に書かれている作者が言いたかった事が読み取れていない!」と叱咤された。

「そんな事はこの本のどのページにも書かれていない」と私が怒ると、

「当たり前だ!そんなことは作品のどこにも書かれていないが、それを読み取れるようになることが文学を嗜むということだ。その為には、たくさんの文学作品を読み込んで行くしかない!」と仰られて、その後、次々に本を渡されるようになった。

「走れメロス」「破壊」「人間失格」「吾輩は猫である」「城崎にて」「雪国」「羅生門」etc・・・・、中学卒業まで北出先生との文学作品を通した暗闘は続いた。

正直、当時は北出先生を敵だと思っていたが、いま考えると私の偏った読書の改善と教養を広げるためにお付き合い頂いていたのだと思う。

北出先生との出会いがなければ、数々の有名な作品を食わず嫌いし、軽んじたまま過ごしてしまうところであった。