懐かしい電話

今年の春先、「ネットで立花を見つけた!ブログも読んだよ!」と言って、約30年ぶりに茨城県の古い知人F氏から電話をもらった。

F氏とは、宅建を取る為に通った社会人向け専門学校の同級生(年齢は私より5歳上)である。

たまたま隣合わせの席だったので、あいさつ程度の話をするようになり、そのうち週に1度ほどのペースで、帰り道に居酒屋へ寄り道するようになった。

専門学校終了の後も1年間ほど、お付き合いをさせて頂いていたが、このF氏の北関東転勤(大手不動産会社勤務)と同時に、どちらからともなく疎遠になった。

 

懐かしい声でF氏は「来年で定年」ということや、「人生ってのは、うまく行きそうで、なかなか行かないなあ」ということを話した。

私も「なかなか思い通りにならないことって、山ほどありますよね」と話した。

それから話は「なんの為に今まで働いてきたのか?」という内容に流れていった。

私が働く理由は、以前にも書いたように「経営が好きだ」というのも大きな理由の一つである。

しかし、「好きなことをする」というのは「欲」であるから、自分の欲の為にだけに働いているとモチベーションが長くは続かず怠けてみたり、思い通りにいかないと放り出してしまいたくなる。

自分の為にだけなら、苦しい思いはなるべくしたくないし、楽な方へ流れてしまうと思う。

仕事とは、やはりしんどいものであるから、そのしんどい仕事を続けていくためには、「自分の欲」よりも強い「働く理由」が必要である。

私の場合、「社員やスタッフ、取引先、お客様なども含め、私の目に入る範囲の人たちが、丸竹という会社を通して幸せになってほしい」という願いが「働く理由」である。

私は、私イコール丸竹と思っているが、「会社は公の器」というのも事実である。

会社という器(うつわ)を通して、いくつもの家庭が生計を立て人生を送っている。会社の業績が良くなれば皆の家庭も豊かになるだろうし、会社がなくなれば社員の家族も含めて困る人が多くいるだろう。

そう考えると、怠けたい、しんどいことはしたくないという心に内包された自分自身の負の欲求を正のエネルギーに変えることが出来るのである。

距離を置いた目線で自分を分析すれば、「周りの人たちの為に」という気持ちに依存することで、自分を奮い立たせているのだと思う。

 

仕事の喜びは、「お金を稼ぐ喜び」「目標達成の喜び」「自分実現や自己成長する喜び」「社員や会社の成長の喜び」などがあるが、私は遅ればせながら40歳を超えてから、「喜んでもらう喜び」「貢献する喜び」というのを理解したような気がする。

そしてこの「喜んでもらう喜び」「貢献する喜び」が社員スタッフ一人一人にまで浸透している会社は、きっと和(なごみ)があり、心に余裕があり、建設的で前向きな意識がある素晴らしい会社なのだろうと思う。

「誰かに喜んでもらう為にした行動は、形を変えてまた自分自身に還って来て幸せを与えてくれる」という事実を、社員スタッフたちに繰り返し伝えて行こうと、懐かしいF氏との会話の中で思った。