花を踏む

先日、朝刊に「菊祭り」の広告が載っていた。

この時期になると全国で菊祭りが開催されるのだが、その広告を毎年目にするたびに、私の祖母である「立花きくゑばあちゃん」を懐かしく思い出す。

もう何度か当ブログで紹介させて頂いているが、立花きくゑは、丸竹Corp.の前身である呉服屋「立花屋」の経営者である。

私の母が病気がちだったせいもあるが、祖母と過ごした時間は長かった。

祖母は、どこへ行く時にも私を一緒に連れて行ってくれた。

大人達の集まりにも、呉服の仕入れにも、私の手を引いて連れて行ってくれた。

その中でも毎年必ずと言っていいほど連れて行ってくれたのが、「大菊人形展」なのである。

 

今思うと、祖母は自分の名前に「菊」が付くのもあって、菊がたいへん好きだったのであろう。菊展を見に行くだけでは飽き足らず、庭で色々な種類の菊を大切に育てていた。

ところで私の家系は名字の「立花」もさることながら、「竹松」、「きくゑ」「竹雄」、「もも代」、「種子」など、植物に関係する名前を持つ親戚が多い。

そういう訳もあってか、「たとえ道端に生えている雑草の花であっても、克ちゃんは一生、花を踏んだらあかん!」と祖母から戒められたことがあった。

「なんで?」と私が質問すると、「お花にも命があって生きてるんよ。それにうちの家の名字には『花』が付く。克ちゃんは男の子やから立花の名前と家紋を継ぐ子や。だから花を踏むということは自分の頭を踏んでいるのと同じことやで!」と教えてくれた。

子供だった私は「そりゃ縁起が悪い!」と恐れて、一度も花を踏んだことは無い。

しかしある時ふと、祖母のこの言葉のもう一つの意味に気付いた。

 

花を踏むという行為は、弱い立場のものを大切にせず、粗末に扱ってもかまわないという気持ちの現れであり、そのような男は、回りまわって自分も同じような目にいずれ合う、そんな男になったらアカン!「障害者を、お年寄りを、社員を、下請けを大切にする」と言いつつ、足元の小さな花を踏んづける男を誰が信用出来よう。一事が万事で「花を踏む」という一事を見れば、他のすべての事を推察できる。

祖母は、そう教えてくれたのではないだろうか。

 

きくゑばあちゃんが「菊」を育てていたのを真似て、私も自分の名字にちなんで京都御所でも有名な右近の「たちばな(橘)」を一鉢育てている。

今年もたくさん実をつけて、ほのかな柑橘系特有の香りを楽しませてくれている。