自分で自分の限界を決めてしまうな

「自分で自分の限界を決めてしまうな」

この言葉は天理高校柔道部時代に恩師の野村基次監督当時5段(五輪金メダル3連覇・野村忠宏の父)から、練習中に度々言われた言葉である。

当時の天理高校柔道部は、高校柔道界屈指の練習量であり、午前6時から朝練が始まり、午後10時の点呼後の自主トレまで分刻みでスケジュールが組まれ、まさに柔道漬けの毎日であった。

このようなスケジュールの中で、練習も終盤に近づくと、動作も緩慢になり、意識も朦朧となって、体力的にも精神的にもヘトヘトになって来る。

「もう無理!もう限界!」と、へたり込んでしまう、そんな時である。

「自分で自分の限界を決めてしまうな!」と、野村先生から一喝が飛ぶのであった。

当時のことなので正確には思い出せないが、概要はこんな感じである。

「限界までの練習は全国どこの強豪校でもやっている当たり前ことだ。全国優勝するためには、限界を超えたあとに、いかに練習するかだ。」

「そもそも、お前たちが勝手に限界だと思い込んでいるだけで、わしから見ると、まだ限界を超えてないぞ!」

そんな叱咤に(うるさいわ!オッサン!)と向かっ腹をバネに、満身創痍の体を起こし、最後の力を振り絞って練習を再開するのが常だった。

 

学生時代には腹を立てながら聞いていた野村先生の言葉が、真に心に響いたのは、経営者になって倒産の危機に襲われた時である。

どちらも20年以上も前のことだが、過去に2度、大きな不渡りを食らって倒産の危機を迎えた事があった。

一度目の時は、駆け出しの経営者だったこともあり、不渡りを食らうという初めての経験に面食らい、思いのほか動揺した。

感謝などと言う言葉では言い尽くせないが、結果的には巨星に二つ返事で救って頂き、窮地を脱することが出来た。

人間とは面白いもので、二度目の時は、一度経験済みということもあり、こんな事態でも気持ちには幾分余裕があった。

再び巨星に頼るという情けない事は出来るはずがない!との思いに至れるぐらいには、肝を据えて事態を受けとめることが出来ていた。

その日から金策に走り回った。

次の支払い期日までに自分が発行した手形の額面金額を用意せねば、今度はうちが不渡りを出してしまうかもしれない状況であった。

最初は「どうにかなる。どうにかしてみせる。」と気持ちを張っていても、一日一日と期日が近づくにつれて疲労困憊になり、体力的にも精神的にもヘトヘトになって来る。

「もう無理かも・・もう限界なんじゃないか・・・」と、へたり込んでしまう。

そんな時、野村先生の「自分で自分の限界を決めてしまうな!」の一喝が思い出された。

柔道部時代、もう無理だと思いつつも、満身創痍の体を起こし、最後の力を振り絞って、練習を再開すれば、バテバテながらも体は動いた。

「お前が勝手に限界だと思い込んでいるだけで、わしから見ると、まだ限界を超えてないぞ!」

野村先生の言葉を思い出し、その後も死に物狂いで金策に駆けずり回った。

結果、ぎりぎりのラインで苦境を乗り切り、会社を存続することが出来た。

 

経営者として約30年以上に渡り人生を歩んで来たが、この間には他にも色々な苦難が待ち受けていた。それを何とか乗り越えてくることが出来た理由の一つは、天理柔道の精神が心に宿っていたお蔭である。

 

「限界・・・」は、苦しい事や辛い事から、もう逃げ出し降参しようとする時に使う「自分自身への言い訳」であろう。

人間とは「もう限界!」と嘆いた以降にも、まだ余力が残っていることを、私は柔道から教えてもらった。