クレーマー学生

天理高校に在学当時、年に数回「ひのきしん」という行事があった。漢字で書くと「日の寄進」である。

簡単に内容を説明すると、感謝の気持ちを表現するために、今日1日は自分の都合を捨てて奉仕活動に専念するというものである。

平たく言えば「ボランティア活動」である。

 

入学後の初めてのお正月に、「日の寄進」で私は餅を焼く役目を与えられた。

当時の私の正直な気持ちを書くと「なんで俺が正月に、こんな事をせなアカンのや!!」と憤りを感じ、嫌々サボりながらやっていた。

そんな時、正月気分を満喫中の通りがかりの人から「君らは時給いくら貰ってるんや?」「正月返上やし、結構もらえるんか?」と聞かれた。

その人達は悪気があって聞いたわけではないのだろうが、元から不機嫌だったところに、貰ってもないお金目的で働いているともとれるような発言をされたわけだから、私の堪忍袋の緒が切れた。

しかしさすがに見ず知らずのその質問者たちに直接怒りをぶつけるわけにもいかず、私は、たまたま傍にいた教義科の北野博先生に怒りの矛先を向けた。

「なんで正月から俺がこんな事をせなアカンねん!!」と、食って掛かった。

するとどうであろう。

私の煮えたぎった思いとは裏腹に、北野先生は満面の笑顔で「素晴らしい!」というのである。

そのうえ先生は、こう続けたのである。

「君が、さっきの人達に文句を言わず、私に言ってくれたことが先生は嬉しい!」

「さっき君がした我慢は、将来の糧となる。」

「君が私を選んで文句を言ってくれたので、私は教師になって良かったと感じた。」

予想外の先生の反応に、私は拍子抜けしてしまった。

怒りがぶっ飛んだところで、先生は奉仕活動について丁寧に説明して下さった。

当時の私は天邪鬼だったこともあり、素直に「納得出来ました」とは言えず、「ふーん」で済ましたが、その後3年生になって、好きな講義を選択できるようになった時に、北野先生の講義を選択した。

 

私がこの事を今回書いたのは、奉仕活動について述べたかったからではなく、「先生の姿勢」である。

当時の私は、ガラが悪く、態度も口も悪いまさにクレーマーの学生であったろう。

そのクレーマーを煩わしがらず、怒ることなく、見捨てることなく、実に丁寧に、北野先生は説明(指導)してくれ、私の鬱積した心を解きほぐしてくれたのである。

 

実は私が事業を始めて間もない頃の話だが、

有名な口煩い部長さん(貫野さんごめんなさい! <(_ _)>笑)が居た。

その方は完璧主義者で、普通なら見逃すような些細な点にまで要求があるため、どこの業者さんも苦心していた。

そのような方と取引するのは、通常よりも多くの時間と労を要するゆえ、もちろん私も積極的に取引したいわけはなかったのだが、取引先の選り好みを出来るほどの余裕は無かったし、一つでも多くの仕事をしたいと思っていたので、取引を開始した。

案の定、物凄く細かい点にまで要求があり、やはり本音では難儀した。

しかし仕事であるからもちろん一つ一つ対応し、誤解があれば納得していただけるまで説明を重ねた。そうするうちに、どんどん取引量が増えて行き、軽口を言い合えるまでの仲になり、その当時の当社の一番のお得意様となった。

 

クレームをおざなりにかわすのではなく、真正面から受け止めた時、相手はどんな風に気持ちが変化するのか、北野先生との出来事を通して身をもって体験させてもらった事が大きな一因となっているのは言うまでもないのである。只々感謝!!