臥薪嘗胆

私には、学生時代から現在に至るまで30数年に渡り憧れ続けている方が居る。

その方の生きざまや理念、経営者としての手腕に傾倒しているし、また人間性に魅了されている。

先般その方と、いつもより長い時間お話させて頂く機会に恵まれた。

その時の話を今回は書かせて頂くのだが、その前にこのブログの題名に付けた「臥薪嘗胆」について簡単に辞典より引用し説明させて頂く。

 

*臥薪嘗胆の意味

臥薪嘗胆の「臥薪」は、薪(たきぎ)の上に寝ること。

臥薪嘗胆の「嘗胆」は、苦い胆(肝)を嘗めることで自身を苦しめ、志を奮い立たせることを表す。

転じて、目的を達成するために苦心し、努力を重ねる意味で用いられるようになった。

 

さて私の人生はたくさんの方に応援して頂き、また支えられて今日が在る。

いつも感激と感謝の念に堪えることない。そして特に前記のその方からは天理高校柔道部の学生時代の出会いに始まり、人生の岐路の度に多くのご指導・ご意見・ご厚情を未だに賜っている。賜ったご指導・ご意見を手がかりにしながら人生を歩んでこさせて頂いる。その結果として、また今日が在る。

 

少し前置きが長くなってしまったが、先日お会いさせて頂いた時に衝撃的なお話を聞かせていただいた。

というのは、この方はかれこれもう10数年以上に渡り執務室で寝起きをされ、そのうえ毎日の睡眠はベッドでは取らずに、ソファーで寝られているのである。

理由をお聞かせいただくと、「服のまま寝れば、起きて直ぐに仕事ができる。」

「ベッドだとグッスリと眠り込んでしまうので起きてスグに仕事ができないからソファーで寝ている。」

「出張先以外は、もう思い出せないくらいベッドで寝てない。」

「仕事を始めると、食事をとることさえも忘れる」と仰った。

そういえばこの方の執務室の電気が消えているのを、たとえ早朝でもほとんど見たことがない。

その奮励努力の賜物で事業は年々大きくなり、基盤は益々強固なものになったのである。

20代前半でスコップ1本から創業され、その後株式を公開する大会社に成長させ、60数歳になられた今日においても、たった一部の隙も無く「戦い」を常とされ、寝る間や食べる間も惜しんで思考を巡らせて、挑戦し続けておられるのである。

 

私は30数年来、この方とお会いさせて頂くたびに胸が一杯になると同時に、自分自身にかなり深い猛省を覚える。

自分なりには「頑張った」と思っていても、この方にお会いすると、それは「頑張ったつもり」であった事に気付かされる。

都度々々に深い猛省をしながら、「気を引き締め直し改めて襟を正す」を繰り返えすことにより、今日が在るわけである。

この方からの御恩とご指導に少しでも報いるためには、私自身が経営者として精進を重ねて、自社を社会・お客様・社員にとって価値あるものにすることだと思うのである。

このことを胸に、日々邁進していく覚悟である。

まさにこの方の生きざまは現代版の「臥薪嘗胆」なのである!